49.王宮侍女は彼と夜明けを見る
空が徐々に明るくなっていく様を暖かい腕の中で見ていた。
まるで恋人と一夜を過ごしたような表現だけど、現実は早朝から馬に揺られているだけである。
薄暗い早朝に出発し、人気の無い大通りを駆け足で走り抜け、王都の城壁の所で馬を換えた。
そして現在、王都を出て街道を進んでいる。緩やかな坂道が続いているので、馬もかっぽかっぽとゆったりと歩いている。
馬って長距離を全速力で走れないんだよね。しかも二人乗りだから馬にも負担がかかる。………太ってないから。ちょっと、ちょっとだけ肉付きが良くなっただけだから。
これは成長。そう、成長してるだけだからっ。
心の中で言い訳しながら、落ちそうになる意識をなんとか揺り起こす。
馬って、駆け足だと上下の揺れがすごいんだけど、普通に歩いてると適度な揺れが気持ちいい。この心地よい揺れと変化のない景色が睡魔となって、早朝に叩き起こされた私を襲ってくるのだ。
眠い。
いやいや、寝ちゃダメ。落ちたら死ぬ。
ガクンと落ちた頭を振って眠気を飛ばす。涎は……良かった。出てない。
「もう少し先の村で馬を換えますので、そこで朝食にしましょう」
「はい。分かりました」
もう全部お任せで。
だって、このルート知らないし。
普段、私が利用しているのは道幅のある主要街道を通る乗合馬車だ。それを乗り換えて、乗り換えて、最後は牧場のおっちゃん達が小遣い稼ぎで近くまで乗っけてくれる。もしくは、近くまで用事のある人に頼んで乗せてもらう。
今回は馬で移動しているので、遠回りをする必要がない。加えて荷物も最少。私に至っては手ぶらだ。土産も何も持っていないのですごく心細い。
いや、荷物を持つ余裕なんてないけどさ。ルカリオさんにしがみつくので精一杯だから。
話がそれた。遠回りをしないって事は、私が知らない道や知らないし町や村を通過しているのである。
もうどこを走っているのか分からない。名前を聞いて必死で地図を思い出している。次にここを通るかは分からないけどね。
太陽と共に寝起きする村はもう煮炊きの煙が立ち上り、人々が動き出していた。
宿屋に馬を預け、そこの食堂で朝食を食べることになった。
出てきたのは黒パンと野菜サラダと人参スープ。スライスされた黒パンを一口大にちぎって人参スープに投入。独特な酸味がアクセントになっていてなかなか美味い。次はクリームチーズをたっぷりと塗ってハムを乗せる。ちょっと野菜を入れておくとより美味しい。
最後の締めにジャムを塗りたかったが無いものは仕方ない。残念。
ルカリオさんが色々と話してくれるのを、もぐもぐと食べながら聞いた。
うちまでの最短ルートを通っているらしい。乗合馬車のルートからは外れてるから馬で行くのは分かる。あの田舎への直通ルートなんて無いもんね。利点ないし、街道整備遅いし。だからあれほど……いや、今は言うまい。
ここでも馬を換えて行くというので、どういう仕組みなのか聞いてみた。
王宮が各地に早馬の為の管理を契約しているらしい。それで、その使用許可をもらってきたのだとか。
え?里帰りに使っていいの?それ。
緊急用じゃないの?
気になったので聞いてみたら「ちゃんと許可はもらってますよ」と微笑んだ直後に、すぅと視線が遠くなる。何を思い出したのか、目が死んでいる。
「大丈夫です。ちょっとだけ無茶な案件をこなせば良いだけなので」
表情からは全然大丈夫に見えない。
無茶な案件が気になるが、聞いても何もできないので大人しく黙っておく。
「そんな訳で、戻ったらしばらく忙しくて会えないと思います」
「えっと……無理しないでくださいね」
「善処します」
無理しちゃうのか。そうか、決定か。
まぁ、嘘を言わないだけいいのかな。
「だから。アンナさんも色々と覚悟を決めてくださいね」
「……善処します」
問題を解決して早く戻らなきゃいけないのね。
私のわだかまりを解決する為だけに付き合ってもらってるんだもんね。
でも、本当は怖い。
疑惑が確信になったら、多分、もう帰れない。お父さんの顔を見れなくなる。会えなくなる。
でも、お父さんから引導を渡されるのなら、怖い気持ちを抱えて生きて行くよりマシなのかもしれない。
苦笑いで返した言葉に、ルカリオさんは黙って左手を優しく握ってくれた。
その後も何度か馬を換えて急足で実家へと向かう。その間、山間の峠を通ったりしたが盗賊や野生の獣に遭うこともなく見知った領地に着いたのはなんとお昼頃だった。はやっ。
ちなみにこの時の馬は、坂道もずんずんと歩く足の太い馬である。背は低いが力持ちなので二人乗っても大丈夫。
地面に近くなって怖さも半減したが、問題は高さではない。
お尻が………痛い。
乗馬がこんなに辛いとは…。
お尻は痛いし足もなんだか痛い気がする。しがみついていた腕も強張ってる気がする。
つまり、上手く動けない。
領主館の玄関前でルカリオさんがひらりと馬から下りる。下ろしてもらおうとしたら、玄関がバンっ!と開いてゲイル兄ちゃんと執事のショーンが慌てて駆け寄ってきた。
「アンナ!どうしたんだ、いきなり帰ってくるなんて。何をやらかしたんだ」
兄。開口一番に私が何かやらかした前提で話するな。
前触れもなく突然帰ってきたら、そりゃ驚くだろうけど。可愛い妹に「やらかした」は無いんじゃないか。ひどい。
「お久しぶりです。突然にご訪問して申し訳ありません」
「あ、ああ。ガルシアン卿もご一緒でしたか。あの、妹が何か…」
「不作法は承知の上で、男爵様にお伺いしたい事があって参りました」
「父に?」
眉根を寄せる兄は訝しむようにルカリオさんを見た。
そういうの、後でいいから。とりあえず私を下ろしてくれ。
無言で訴えたのが分かったのか、兄が私を見上げてはぁとため息をついた。
近寄って私の手を取ると、あっという間に担がれた。
ちょっと待て。
抱っこならまだ許すが、担ぐか普通。しかも襟巻きのように首に巻かれて、両手両足をしっかりと掴まれている。
「子牛の持ち方ーー!」
淑女の扱いじゃねぇ!おい、こら、兄っ!可愛い妹は家畜じゃないぞ!
「私は、可憐な淑女であって子牛じゃなーい」
「当たり前だ。子牛はお前より軽い」
「可愛い妹の扱いが酷すぎる」
それでも兄か。長兄か。こんな兄がもうすぐ父親とか信じられん。義姉ちゃん考え直せ。
くっそう。姪っ子が産まれて、パパくさーいって嫌われろ。
「おーろーしーてー」
暴れると危ないのでじっとしたまま声で反抗してみる。暴れる体力がないとも言う。
「ショーン。卿を案内してくれ。アンナを置いたら父を呼んでくる」
「違うの。私がお父さんに用事があるの。ルカリオさんは付き添いっ」
兄はルカリオさんが頷くのを見てから、ショーンに再度同じ事を頼んだ。
「淑女だと言うんなら身なりを整えてからにしろ。では、ガルシアン卿。また後で」
淑女だと言うなら、そう言う扱いをしやがれっ!
怒鳴りたい気持ちをぐっと押さえて、出荷される子牛の気持ちで実家への帰省をはたしたのだった。
埃まみれだった姿を義姉とマルムの二人がかりで整えられた。流石にお風呂は無理だったので見える範囲を濡れタオルで拭われた。ついでに小言ももらった。
服は実家に置いていたのがあったが、なぜかゆとりが少ない。まさか太った!?
「良い傾向ですよ。お嬢様は痩せすぎです。もう少し太ってもいいぐらいですよ」
「そうね。女性らしくなったんじゃないかしら。置いてあるお洋服は直しが必要ね」
あらあら大変だわ。と嬉しそうに二人が笑い合う。
なんか、申し訳ない。
「いいのよ。今は旦那様からあれこれ止められているから暇なの。私にお仕事をさせてちょうだいな」
「ぼっちゃまはともかく、経験がお有りの大旦那様まで過保護で困ってしまいます。妊婦といえど、体力を付けなければいけませんのに」
出産は大仕事だって聞くもんね。
姉も義姉も産む前から大変なんだなぁ。
「お嬢様も!他人事ではございませんよ。もう少し肉をつけないと丈夫な子が産めませんよ」
人差し指を立てて詰め寄ってくるマルムの迫力が怖い。後ろで義姉がうんうんと頷いていた。
丈夫な子って、まだ結婚してないしっ!予定無いですからぁーー!!
ルカリオが言う「覚悟」は「逃しませんよ」という覚悟です。もちろん伝わってません。
ゲイルの子牛は生後間も無い子牛を指してます。
(乳牛だと約40kg。半年経つと200kg以上になります)
両手で抱える持ち方が普通ですが、ゲイルの持ち方は長く歩く場合の担ぎ方みたいです。
改稿中の隙間になんとか更新できました。
次話は書けてないので間隔が空きます。来月中旬以降になるかと…。すみません。