48. 王宮侍女はご褒美をあげる
冷たい風が吹き抜けていく音をマント越しに耳にする。
厚手の服の上からマフラーを巻いて、更に厚手のマントを着てフードで頭をすっぽりと被っているので防寒はばっちりだ。
風が当たる半身は寒いけど、抱き込まれた反対側が暖かい。
と、いうか。恥ずかしくて寒さとかどうでもいい気がしてきた。
まだ夜も明け切れぬ早朝に馬上から失礼します。
ルカリオさんに抱き込まれて馬に乗って疾走中です。振り落とされないようにしっかり掴まれと言われ、落馬したくないので必死に抱きついております。
意外と逞しい体つきにドキドキしたのも束の間。高さと揺れと速さに違う意味でドキドキが止まりません。
この手を離したら落ちて死ぬかもしれない。
乗馬がこんなに怖いなんて知らなかった。命綱が私の手とルカリオさんの腕だけとか怖すぎる。ロープで縛っておきたい。
仕方ないじゃん。乗馬なんてした事ないんだから。
「大丈夫ですよ。貴女を落としたりしませんから」
ルカリオさんが優しく語りかけ、フード越しの頭にキスを落とす。軽いリップ音にごふっと咽せかけた。
やーめーてー。
羞恥心捨てて抱きついてんのに、拾わせんな。
つか、こんなに揺れるのによく喋れるね。私なんて振動で舌を噛みそうなのに。
さて。こんな早朝から馬で疾走する羽目になった話をしよう。
それは昨夜の夜のお茶会まで遡る。
恥ずかしい事をぶちまけて大泣きしたアレだ。出来たら忘れたいが、その後のルカリオさんの告白の方が衝撃すぎて泣いた事なんてどうでもいいような気が………しないな。あれはあれで恥ずかしい。
まぁ、いい。良くないが、いい事にしよう。
とりあえず、女装を解いたルカリオさんと別室で話す事になった。流石に女装のままだと格好がつかないからと言われたが、私の精神安定の為にはそのままでいて欲しかった。言わないけど。
別室は、本当にソファとテーブルと小さな書棚があるだけの健全で真っ当な休憩室だった。
そのソファに並んで座るという近すぎる距離だけが問題だが、ルカリオさんが私の手を離してくれないので仕方ない。うん、仕方ない。
「それで、プロポーズは受けてくれますか?」
とろけるような甘い目線に息が詰まる。
「愛して」なんて言ったが、こんな破壊力があるなんて思いもしなかった。世の恋人たちはこんなものと対峙してんのか。そりゃメンタル強くなるわ。
そっと視線を外せば、顔を覗き込まれた挙句に頬に手を添えられて優しく戻された。
ひどい。初心者には優しくしろ。
抗議を込めて睨むとなぜか嬉しそうな顔をする。
…………目が潤んだせいだとは思いたくない。
どうしよう。ルカリオさんへの対処が分からなくてなってきた。
とりあえず涙目もアウトなのは覚えておこう。
「その前に、話さなきゃいけない事が、あるんです」
懸念の一つが無くなったのだから、その、お付き合い?結婚?婚約?には支障が無いと考えるのが普通だろう。
だが、もう一つだけある。
言いたくないけど、言わなきゃダメだろなぁ。
覚悟を決めて口を開く。
「私、その……私生子なんです」
「まさか。あの男爵様が」
「あ、いえ、違いますっ。父ではないんです」
目を見張るルカリオさんに慌てて否定する。
あの父さんがそんな事をするはずがないじゃないですか。
「亡くなった母親が浮気してたみたいで…」
「それは誰から?」
「母親が、亡くなった後なんですけど、使用人が話しているのを偶然立ち聞きしちゃったんです。………私が生まれる前から浮気してたって。真実の愛を見つけた母親に…父はすてられ…たって。だから、多分、そう、なのだろうと……思うん、です」
母がいなくなって一年も経たなかった頃に、使用人たちが噂話をしているのを偶然耳にした。
浮気相手との子どもを認知するお優しい男爵様。真実の愛に敗れたお可哀想な男爵様。そんな男爵様を私の真実の愛で慰めてさしあげたい。
まるで詩を朗読するような素振りは芝居のようで滑稽だった。
当時は意味なんて分からなかったけど、彼女たちのイヤな笑い方にムカついて毛虫とヤモリを投げつけた事は覚えている。
小さい私、グッジョブ。
噂話をしていた彼女たちはいつの間にか辞めていたので、真相は分からない。
大きくなってから、その言葉の意味を薄々と理解できた。
誰も母親の浮気の事は言わない。言わないけど、時々向けられる態度や視線が私を憐れんでいた。可哀想に、と。
そして、気がついた。私は父にも母親にも似てない。可愛かった姉はもちろん、兄たちとも似てない気がしていた。
本当かどうか、怖くて誰にも聞けないでいる。今は母方の祖父母とも疎遠になっているので、本当に誰にも聞けない。
聞けない雰囲気は、それが真実なのだと言っているようなものだ。
「母親は言ったんです。『真実の愛を見つけたの。だから、仕方ないのよ』って」
もう顔もろくに覚えてないのに、投げつけられた言葉は鮮明に覚えている。
反吐が出そうなセリフを思い出す度にはらわたが煮えるような気持ちになる。熱く濁ったこの感情をどう吐き出せば良いのか未だに分からない。冷めて固まって、澱のように蓄積されるだけ。
「仕方ないって、何が仕方ないんでしょうね。意味分かんない」
運命の出会いだから。真実の愛だから。
だから、家族を捨てていいのか。結婚した夫を捨てて、産んだ子どもたちを置いていっていいのか。
分からない。
そんな真実の愛が偉いのか。尊いのか。
私にはただの浮気の言い訳にしか聞こえない。
ふざけんな。
自分の欲をさも崇高な物だと言い換えるな。
醜く薄汚い自己満足の言い訳に愛を使うな。反吐が出る。
「その上、浮気相手にかなり貢いでいたみたいで、父から貰った指輪や宝石に加えて、家のお金にも手をつけてたらしいです」
うちが過去に貧乏だった原因の半分はろくでもない母親のせいだ。お陰で、色々と苦労した。
父はお人好しで領民思いだったから、何かあれば駆けつけて行って、一時期はまともに顔も見ない日が多かった。
みんな忙しかった。寂しいと言う事さえ躊躇うほどに。
「私、母親が嫌いです。それはもう!心の底から大っ嫌いです!浮気相手の男も、真実の愛だ運命だと簡単に口走る人達も嫌いです。それと………身勝手な母親と同じ血が流れてる私が嫌いです」
嫌い。
嫌いきらい。
母親の事を思うだけで、怒りが湧いてくる。
あの女のせいで、みんな苦労した。父は働きづくめで、兄も姉もできる事を手伝っていた。
私だけ、何もしてない。
何もできない自分が嫌い。
本当の家族じゃないから?だから、何もさせてもらえなかったんだろうか。
……違う。そんな人達じゃない。
でも、それでも、つきまとうこの劣等感は消えない。
嫌い。
嫌いきらい。
「私は、アンナさんが好きですよ」
繋いだ手が大きな手に包まれる。労わるような暖かさに泣きそうになった。
「だから……ルカリオさんのプロポーズは受けられないんです。私生子だと、家の問題になります。ガルシアン家にもうちにも。親戚関係にも波及するかもしれません」
真実の愛だの、運命の恋だと騒いでいてもそれは貴族間の話。貴族と平民の差は確かにあるし、貴族ほどそれは顕著だ。
元から貴族との結婚なんて考えてなかった。平民か、良くて男爵家や子爵家の三男とかを考えていたぐらい。
ルカリオさんは三男だが伯爵家だし、本人も有望株なのだから、ここで私という不安材料を受け入れなくてもいい。
なのに………。
好かれたい。愛されたい。そう思ってしまう自分が嫌だ。
好きだから、迷惑はかけられない。
胸に釘を打たれたような痛みが走る。
迷惑でしかないのに。
この手を離さないで欲しいとか、我儘すぎる。
ルカリオさんの為だけに泣いてあげるから、私を選んで欲しいとか、自分勝手だ。
やっぱり、私は母親の子どもなんだ。
どこまでも、身勝手で愚かで、救いようがない。
「アンナさん」
私の手を包み込んでいた両手に力が入る。
ぎゅっと手を握られて、ゆっくりと顔を上げた。
心配そうに眉を下げながらも、射抜くような瞳に心臓か跳ねた。
「ぁ………」
口を開いても何を言えばいいのか分からなくなる。
ルカリオさんは私の両手を取って、手の甲を優しく撫でてくれた。
「言いづらい話をさせて申し訳ありません。それでも、私は貴女がいい」
その時の感情をどう表せば良いのだろう。
嘘だと思うのに、真剣な目は前の時よりも私を思ってくれているのが分かる。「私」を見てくれて「私」でいいと言ってくれる。
「家の事など気にしないでください。兄は二人もいるし、子供もいます。それに、アンナさんの家族はみんな貴女を大事に思ってくれています。だから、安心してこの手を取ってください」
いつかのように手を掬い上げられ、指先にキスを落とされる。
甘く微笑まれて、痛くて冷たかった体の奥がじわりと温かいもので満たされていく気がした。
「あれ…、なんで……」
滲んだ視界が歪んで、水滴が頬を伝う。
ぼとぼとと溢れる涙を止めようとした手はルカリオさんに握られたまま。
どうしよう。止まらない。
離してもらおうと引いた手はあっさりと解放されたが、代わりに上半身を抱きしめられた。
暖かい感触と、後頭部を撫でる手がとても優しくて涙がますます溢れ出してきた。
「大丈夫。私へのご褒美だと思って、たくさん泣いていいですよ」
ご褒美ってなんだ。
おかしくて少しだけ笑えた。
労わる手がとても優しくて、心地よくて、温かくて。もう性癖がどうだろうとも構うもんかと遠慮なくしがみついて泣いた。
本当に、私でいいの?
私生子だし、口悪いし、短気だし、可愛くないのに。
「アンナさんは可愛いですよ」
ルカリオさんって趣味悪い。変。
私を好きだなんて、変だよ。
「変なのは嫌ですか?」
嫌じゃない。変でいい。
変なルカリオさんがいい、そういうルカリオさんも好きだからいい。
「ははっ。両思いですね」
うん。好き。
だから、嫌わないで。要らないって言わないで。
「言いませんよ」
嫌いって言わないで。
要らないって言わないで。
置いていかないで。
捨てないで。
「捨てません」
置いて行ったもん。
お母さん、置いて行ったもん。
要らないって、捨てられたもん。
「おかあさん」と伸ばした手は何の躊躇いもなく振り払われた。それでも伸ばした手は「仕方ないの」と無視された。
去っていく背中を見つめたまま、伸ばした手を未だに下せないでいる。
追い縋ればよかったのだろうか。
走って、すがって、「行かないで」と泣き喚けば良かったのだろうか。
何も分からない。
ただ、置いて行かれた。それだけは事実だった。
置いていかないで。
要らないって言わないで。
嫌わないで。
「貴女が好きですよ」
お父さんも好きかな。お兄ちゃんも、お姉ちゃんも。
本当の事を知っても、好きでいてくれるかな。
私を嫌いって言わないかな。
「みんな、貴女が好きですよ」
うそ。
おかあさんのうわきの証拠だもん。
知られたらきらわれる。
お父さん好きなのに、お兄ちゃんもお姉ちゃんも好きなのに。きらわれちゃう。
「じゃあ、聞きに行きましょう」
やだ。怖い。無理。こわい。
……こわい。
「大丈夫。一緒にいてあげるから」
ほんと?
置いていかない?
て、つないでて。ぎゅってはなさないで。
「もちろんです。離しませんよ」
と、後半部分の記憶は朧げで夢じゃないかと期待している。むしろ夢であれ。
ルカリオさんに抱きしめられたまま、泣き疲れて寝てしまったらしい。
子どもか。
目が覚めたのは王宮目前の馬車の中だった。
ルカリオさんの膝の上で横抱きされた状態で目覚めたときの心情をお分かりいただけるだろうか。
恥ずか死ぬ。
色々振り切れて真顔になったわ。
何事も無かったように送ってもらった礼を述べて馬車を降りた私に、ルカリオさんはふわりと微笑んで告げたのだ。
「明日、お迎えにきますね」
そして、翌早朝。私は馬上にいる。
泣くと幼くなるアンナ。それを密かに喜んでるルカリオ。ある意味とてもお似合い?
4月半ばまで忙しくて、更新が遅れます。すみません。