閑話5 伯爵令息は恋を仕掛ける
朝の日課でもあるランニングと柔軟体操の後、汗を流して身支度を整える。
文官といえども体力はいる。いや、あの外務大臣の下で働くからこそ体力は必要不可欠だ。
武官のような盛り上がった筋肉など必要ない。無茶な日帰りや王宮を駆け回る体力と、嫌味や無茶振りを受け流して捌く気力があれば良い。
第一、ゴツい筋肉が付けばドレスが着られなくなるじゃないか。
父は早朝から出勤したらしく、食堂のテーブルには母と兄夫婦が着席していた。
遅れた事を詫びて母の隣に着席すれば、すぐに朝食が始まった。
食事の合間にお互いの予定などを簡単に話す。兄と話す横で、母と義姉が静かに謎のマウント取りをしている。いつもの朝の風景だ。
「ルカリオ。お父様に届け物をお願いしてもいいかしら?」
拒否など少しも疑わない母の問いに頷き、急ぎでも重要でも無い手紙を受け取る。
向かいでは兄が妻に遅く帰った理由を詰め寄られている。救助を求める視線に気がつかないフリをして退室した。
夫婦の事に余計な口を挟むのは愚か者のする事だと、どこかの哲学者も言っているではないか。
あの義姉は兄の事になると理屈が通じないので、今後も積極的に救助する事はないだろう。
母から父への届け物を預かることがたまにある。それは決まって、早朝に出勤した時や、帰りが遅くなった翌日だったりする。
母は事あるごとに父の浮気を疑っている。
父も母の性質を分かっていてわざとしている節があるので、どっちもどっちだと思わずにいられない。
夫婦の事に子どもを巻き込まないで欲しい。だが、届け物一つで平穏が買えるならば安いものだと思う事にしている。
時には長いものに巻かれた方が良い事もある。
その昔、国王陛下の婚約破棄騒動に紛れて、父も同じ事をしでかした。
当時「運命の恋人」だった母と「真実の愛」を見つけた父は、家同士で取り決めた婚約を破棄して母と結婚したのだ。
両親の結婚が周囲にあまり批判されなかったのは、母が同格の伯爵令嬢でそれなりに資産があったからだ。
元婚約者はどこかの子爵の後妻となったらしい。
まだ幼かった私が側にいるのに、祖母は構う事なく父や母への愚痴を叔母へと吐き出していた。
祖母は元婚約者が気に入っていたようなので、よほど腹に据えかねていたのだろう。私が聞いただけでもかなりの回数だったと思う。
両親を悪く言う祖母はあまり好きではなかったが、悪い人では無かった。私達兄弟も従兄弟達も分け隔てなく接していたので公平な人だったのだろう。だから、許せなかったのかもしれない。
父を略奪した母は時折、誰かに同じ事をされるのではないかと疑心暗鬼に堕ちいる。正直に言えば父にそんな魅力があるようには見えないのだが、母にとっては魅力的なのだろう。
そういった過去を持つ両親はくだらないほどに「愛」を神聖視している。
父は自分の過去を陛下と重ね合わせては自分と似ていると自己満足に浸り、母は何かにつけて「真実の愛」が素晴らしいと賛美する。
まるで自分達を必死に肯定するように。
昔は、私も兄達も自分の運命の相手を夢見ていた。
出会いのためにと母が連れ出した茶会や夜会で、兄達は「運命の相手」を見つけ、私は彼女たちの「真実の愛」が複数存在する事を知った。
結果、長兄は嫉妬深い妻の機嫌取りが欠かせず、次兄は母と妻の仲を取り持つ事に疲れて外に屋敷を構えた。そして、私は恋愛よりも仕事に生き甲斐を見つけだした。
それなのに、二人の兄が結婚してしまえば、次は私の番だとばかりに母は相手探しに連れ回そうとする。女装趣味のせいで恋人がいると勘違いされてからは、恋人を連れてこいと催促される日々。
恋人へのプレゼントだと思われているドレスやアクセサリーが私の物だと知ったら、母はどんな顔をするだろうか。
いっそのこと、女装した私を見せてやろうか。
そんな度胸などありはしないくせに。
あり得ない未来を笑ってしまう。
意外と言われるが、仕事場でもある外務省の外交局は、繁忙期や予定外な事態が起きない限り定時上がりが多い。
色々と理由はあるが、外務大臣が残業したくないだけではないかと半ば確信している。
その分、仕事内容はえげつないスケジュールが平気で組まれる。体力が無いと本当にヤバい。
「残業など仕事が出来ない者の言い訳だ」と公言する外務大臣を始め上層部が軒並み有能なので、それに異を唱える部下がいるわけもない。
そんな環境で、叩かれて鍛えられて生き残った人達が仕事をしているからこその定時上がり。
ストレス過多な職場のせいか、妙な方向でストレス発散をする人が多い。
私も例に漏れず、仕事のストレスに加えて家庭のストレスを抱えていたところを、職場の上司に誘われて女装を体験し、ハマった。
服装を変え、鬘を被っただけでまるで別人になれた気がした。伯爵家の三男でもなく、外務省で必死に頑張る男でもなく、ルカリオ・ガルシアンでもない。
何者でもない解放感。
今思えばお粗末な女装だったが、当時の私には革命的な出来事だった。
借りたドレスでは物足りず、倶楽部御用達のドレスや小物を購入したせいで両親から恋人がいると勘違いされているが、都合が良いのでそのままにしている。
母の「会わせろ」口撃だけは面倒だが。
女装倶楽部『夜のお茶会』は、外務大臣を筆頭に様々な人物が在籍しているが、表の顔は詮索しないのがマナーなので知らない人も多い。
なんとなく分かっていても、身分や素性を問わない。もちろん仕事は持ち込まない。
何のしがらみも無く、別人になって楽しむのが趣旨でもある。
そのお茶会で、彼女に会った。
アンナ・ロットマン。
男爵令嬢で王宮侍女として働いている彼女は、慣れた手つきでメイクをしてくれた。
彼女のメイクは凄かった。自分でしたメイクもそれなりだと思っていたが、全然違う。
厚塗りしていないのに髭剃り跡は目立たないし、肌が明るく見える。女性的では無い輪郭も髪形で上手く隠し、鏡に映っていたのはどう見ても女の人だった。
「これが……私…」
思わず呟いた言葉に彼女は満足そうに笑った。
その自信に満ち溢れた笑顔に元気をもらえた気がした。
異常かもしれないと思っていた趣味をなんでもないように肯定され、笑顔で「楽しんで」と送り出してくれた。
思えば、この時から彼女は『特別』だったのかもしれない。
その数日後、外務大臣の部屋に呼ばれた私は、緊張で身を硬くしていた。
何か叱責を受けるような事があったか考えたが思い浮かばない。呼ばれる理由が全く思いつかなかった。
大臣はソファに座るように言うと、自分も対面に腰掛けた。
「そう緊張するな。仕事の事ではない」
仕事ではないなら秘密倶楽部のことだろうか。それ以外の接点はあまり無い。
軽く頷くと、大臣は「メイクをしてくれた侍女を覚えているか?」と聞かれ、あの笑顔を思い出した。
「ルカリオ・ガルシアン。あの子を恋に落としてみないか?」
大臣は、まるで天気の話をするように気さくにとんでもない事を言い放った。
危うく「頭は大丈夫ですか?」と言いかけて止めた。なんの理由もなくこんな事を言う方ではない。
「理由をお聞かせ願います」
「彼女は私のお気に入りでね。年の近い有望な君と夫婦になってくれたらという老婆心だよ」
にこやかに嘘を吐く大臣に内心悪態をつく。
本心を言う気は無いだろうし、問い詰めてもかわされるだけだろう。
自分でその理由に気づけといったところか。
「ご期待に添えるか分かりませんが、誠意努力致します」
「期待しているよ。ああ、そうだ。聖ウルシアサス祭の夜会に連れて行くから、彼女を頼むよ」
「承知しました」
彼女に接触しながら大臣の意図を探らなければならない。
ロットマン男爵が持つ領地は、畜産がメインの田舎だった気がする。後で調べる必要はあるが、覚えている限り特に重要な土地でもないし、王宮に重要な役職を持っているわけでもない。
では、何かあるならば彼女個人だと言うことだろう。
夜会で両親に見つかるのは面倒だが、彼女が相手だと思わせればこちらにも都合が良いかもしれない。
気乗りしない夜会は予想に反して楽しかった。
ギラギラとした目の令嬢たちをあしらい、方々に挨拶を済ませながら見つけた彼女はいつもより可愛らしいメイクとドレスで大変身していた。
彼女との会話は只々、楽しかった。
駆け引きも、噂話も、嫌味やお世辞もない会話は倶楽部以外で初めて純粋に楽しめた。
自分に施したメイク術や、今秋の新色や流行りそうなドレス。彼女の実家がある領地での不思議な風習。
気がつけばあっという間に時間が過ぎていた。
まるで友人のような、しかし、人には言いづらい趣味の話までできる「特別」な友人ともいえる。
彼女は「恋人」にうってつけかもしれない。更に外務大臣の要望まで叶えられる。良いことづくめだ。
そうして、打算だらけの思いで彼女を口説き始めた。
彼女を観察していれば、外務大臣が手元に置きたがるのも分かる気がした。
侍女としてはそこそこ有能。口が堅くて仕事も早い。色恋に溺れる事もなく、権力に擦り寄る様子もない。
何より、その交友関係というか、知り合いの多さに驚いた。メイドや侍女はもちろん、警備兵や門番、料理人や馬丁、近衛兵士や出入りの商人に加え、一部の高官にも知り合いがいるらしい。
注意深く見てやっと気がつくぐらいなのだから、あれでも氷山の一角なのかもしれない。
高い情報収集能力があって、口が堅いとなれば、色々と有益で勝手が良い。人柄は悪くない上に女装などに偏見もない。加えて外務大臣からの信任も上がる。いい事尽くめだ。
しかし、彼女を口説くのは中々に至難だった。
何かと接触を図って会話を試みる。
買い物という建前を使ってデートに誘い、偶然を装い廊下ですれ違ったり、彼女の同僚に聞いて休憩時間を狙って食事に誘ったり。
その際に「好き」ですよと、サインを送ったり、好意を匂わせているのになぜか伝わらない。
仲良くはなっている。それは間違いない。
だが、何故だろう。距離が縮まらない。
言うなれば、友達の域から出ない。その関係も女友達のようなもので、出てくる話題はメイクやドレスや軽食がほとんどだ。女装趣味のせいでもあるのだが、色っぽい話に持っていのが難しい。
貴族的比喩では伝わらないと思い、直接的に伝えても伝わらない。
「まるでベルダン要塞だ」
難攻不落と言われる帝国の要塞を思い出す。
いや、あそこまで強固ではないはずだ。「人間の作った物に絶対はない」と言う言葉もあるじゃないか。
彼女から友達と思われていたとしても、距離は縮まっている……はずだ。
自信を持て。今まで難しい案件も乗り越えてきたじゃないか。自分ならできるはずだ。
何度も自分に暗示をかけるのが日課になりつつあった。
ベネディクト子爵程ではないが、数人の女性と付き合った事もあるし、告白された事もかなりある。だから、自惚れていたのかもしれない。
まさか、何一つ伝わってなかった上に男色だと思われていたとは思いもしなかった。
それを知った時は魂が飛びかけた。どんなに綺麗で可愛くても男は対象外だ。硬い筋肉より柔らかい体がいい。
確かに、メンバーの中には身も心も女性になりたくて男性が恋愛対象な人もいる。だが、自分の恋愛対象は変わらず女性だ。
女装はただの趣味で、本当に身も心も女性になりたい訳じゃない。自分以外の何かになりたかったんだ。1番簡単な方法が女装だっただけだ。
そこをちゃんと説明しなかった自分の落ち度だが、プロポーズしたのに曲解されるなんて思いもしないだろう。
「ベルダン要塞攻略の方が簡単かもしれない」
思わず漏れ出た本音に深くため息を吐く。
本当に、どうしたら惚れてくれるのだろうか。
恋に落とそうと悩んだ自分が恋に落ちるのは、それから遠くない未来だった。
次話出来てないので、また少し空きます。
*1万pt超えたお礼SSを活動報告に載せております。
ありがとうございます。