42. 王宮侍女は誘惑される
考えるな感じろ。
先達は良い事を言った。
考えても分からない事は考えちゃダメだ。
とりあえず、返事はまだ先で良いのだから、今は考えない。
そう!仕事。とりあえず仕事!余計な事は考えるな、手を動かせ!体を動かせ!
「アンナちゃん、これを外務省にお届けしてね」
「………はい」
リンデルさんから物凄くいい笑顔で書類を渡された。先輩からのお仕事を断れるはずもない。
来月訪問予定の要人リストと担当表なんて荷が重いと、前回も断ったが「これも経験よ」と押し切られてしまった。
せっかく入れたばかりの気合いが急速に減っていく。あぁ、行きたくない。
次兄が突撃訪問をしてきた際に失言をしてしまい、なぜかルカリオさんを巻き込んでの謎の三者面談が開催された。議題は「偽装婚約に思い至るまでの過程」だ。
誰からも支持されなかったが、それなりに自信のあった持論は両者によってけちょんけちょんに切り刻まれてゴミ屑と成り果て、躊躇なく捨てられた。危うく私のなけなしのプライドまで捨てられそうになった。次兄は容赦無い。
とりあえず平謝りしたのに、追加で説教された。納得がいかぬ。
ちなみにルカリオさんは「まだ足りてないんですね」と遠い目をして呟いていた。よく分からないが、申し訳ない。
そんな次兄は帰り際に脅迫めいた苦言を残して行ったが、身に覚えが全く無いので聞き流しておく。
そして、まだ口約束なだけで正式では無いはずの婚約が噂として広がっている。なぜだ…。
容疑者はリンデルさんとミレーヌさん、そして、ルカリオさんだ。…………なぜだろう。誰を問い詰めても笑顔でかわされそうな気がするのは。
お陰で肉食女から刺すような視線と噂好きのおばちゃんたちから標的にされる日々。
今の職場はお行儀が良い人が多いので、多少のからかわれるぐらいですんでいる。
仕事場が心安らぐってなんだろうなぁ。いや、よく考えれば容疑者2人が同僚じゃん。あれ?安らぎってどこ?
そんな疑惑の2人のおかげで、意図して増えてきた外務省へのお使いが苦手になってきた。
だって行く度に生温かい眼差しを向けられるんだもん。
夜のお茶会メンバーが何人かいるせいかもしれない。目が恋バナを求める乙女になっているように見えるのは気のせいじゃなはず。
もぉ、なんていうか、居た堪れないというか、身の置き所がない。用事を済ませて、とっとっと帰りたいのだが、何かと足止めを食らう。
その筆頭がクリフォード侯爵様である。
暇なの?内政でも1,2を争う程、超多忙な外務大臣なんじゃないの?
本人に聞けるはずもなく、なぜか今日もいる大臣に茶に誘われた。
「よく来たな。ルカリオはもう少しで休憩に入るから待っているといい」
「あ、いえ、お構いなく…」
「確か、マカロンがあったはずだが」
「魅惑のマカロン……。そのお誘いは断れません…」
「そうだろうとも。予定外の休憩も悪くないものだよ」
美魔女なマリアンヌさんなのに、イケオジすぎる。シニカルな笑みを浮かべて、応接に使うという小部屋に誘導された。
菓子に釣られた訳じゃない。侯爵様のお誘いを一介の侍女風情が断れるだろうか、いや無理だ。
くっ、マカロンめ。
招待された側だが、プロ根性でお茶の支度を整えさせてもらう。
いやー、良い茶葉揃ってますな。流石、外務省。
マカロンもサクっとじゅわっとものすごく美味しい。しかも5種類もある。ベリーも美味しいけど、ナッツうまっ。シトロンも美味しい。流石、外務省。
がっついて食べたいが、あくまでも淑やかに優雅に食べろと、頭の中の姉が分厚いマナー本をちらつかせる。
「美味しいだろう?」
「はい。頬が溶け落ちそうです」
「ははは。そうか、次のお茶会で出す予定なのだよ」
ああ、それは喜ばれるだろうな。
今度開催される夜のお茶会は、貴族街にあるとある社交倶楽部を借り切って開催されるらしい。
会員制で紳士だけしか入れないのでバレる心配はないのだとか。しかも、オーナーはお茶会メンバーなので尚更安心だ。
私?もちろん「美魔女作成隊」として参りますよ。
「できれば、結婚後も手伝ってもらえるとありがたいが、どうだね?」
不意を突かれて、危うくむせそうになった。
どうだね?って何がだ。
「申し訳ありませんが、正式な婚約もまだですので…」
「そうだったか?アレに不満があるのか?まだ未熟な点も多いが、なかなか有望だぞ。なんなら他を紹介してやろうか?」
「彼に不満があるわけではなく、私の問題なのです」
なんでこんな話になってるんだろう。
私はマカロンが食べたかっただけなのに。
「アンナには世話になっているからな。君には幸せになってもらいたいと思っているのだよ」
イケオジの微笑み頂きました。じゃなくて、侯爵の暖かい言葉に胸が熱くなる。
一介の侍女にこんなに優しくしてくれるなんていい人だ。美味しいマカロンとかブランデーケーキとか惜しみなくくれるし、マジでいい人だ。
「ありがとうございます」
この信頼に応える為にも、次のお茶会では念入りに作らせて頂きます。この前、化粧品を追加してて良かった。
「次の茶会が終われば、帝国の即位記念式典があってね。ルカリオも連れて行くつもりだ」
皇帝の即位20年記念だっけ?先帝が早世したから若くして戴冠したんだよね。今、40才ぐらいだったかな。
国王の名代で行くんだから、侯爵様ってば有能だよね。んで、そのお供をするルカリオさんも有望だよね。
益々、なんで私にプロポーズしたのか分からなくなってきた。
「パーティーに1人で参加させるのは可哀想ではないか?」
遠回しに婚約しろって言ってないか、これ。
確かに、1人で入場とか可哀想なんだけど、ルカリオさんイケメンだし会場のご令嬢方が放っておかないんじゃないかな。放っておかないよね。うん。群がるまではいかなくとも、声はかけられるだろう。
想像してみれば眉間がぎゅっと引き締まった。
なんかモヤっとするな。
「なんでも、最近帝国ではチーズ料理が流行っているらしくて、珍しい料理を考案したらしいな。チーズを使った美味しいスイーツも出るそうだぞ」
黙っている私にとどめとばかりに気になる話題を振ってくる。
なにそれ。気になる。
決して、私が食いしん坊なわけじゃない。うちの特産のチーズの発展にも貢献できるじゃんか。そう、そう言う事だよ、うん。
うわぁ、迷う。でも、でもなぁ。
「侯爵様、その件は私から伝えると言ったはずですが?」
「なに、ついでだ」
ニヤリと笑う侯爵様男前。いや、違う、そうじゃない。
私が考え込んでる間にいつのまにか入室していたルカリオさんが、呆れたようなため息を吐いて私の隣に座った。流れる様に自然に。
「アンナさん、侯爵様の言った事は気にしないでくださいね」
「ルカリオ、たまには強引にいく事も必要だよ」
侯爵様。ルカリオさんはけっこう強引ですよ?
見惚れる様なウインクを残して去っていく侯爵様。去り際もスマートだわ。
「本当に、気にしないでください。でも、パートナーになってくれたら、とても嬉しいです」
しゅんとした後のはにかみ笑顔とか卑怯じゃないかなっ!
この返事もなんとか保留にしてもらい、ルカリオさんが仕事場まで送ってくれた。
ありがたい。ありがたいけど、いろいろ消耗した気力がさらに削られた気がするのはなんでだろう。
くっ、外務省め。
時間が空いて申し訳ないですが、今後も間を空けつつ更新していく予定です。
呆れつつもお付き合いください。