40.王宮侍女は月下に黙する
経緯はアレだが、私のタペストリーは購入された。お買い上げありがとうございます!
しかし、私がする事は何も無いので、そっと会場を抜け出してルカリオさんと無事に合流した。
2人で有名な天井画や、開催されている近代絵画展を見て回る。
エスコートされて2人で絵画鑑賞。なんだか、本当にデートみたいよね。少しのむず痒さに目を瞑ってしまおう。
それにしても、人が多い。
そんなに人気なのかと思ったが、どうやら王太子夫妻が訪れていたそうだ。そういえば、お出かけするって聞いた気がする。
有名な天井画は荘厳で綺麗だった。あの圧倒的な迫力を言葉で伝える表現力はないので割愛する。
見上げると口が開いちゃうので鑑賞する際は気をつけて欲しい。横に男の人がいる場合は特に。
笑顔で「開いてますよ」なんて指摘されると赤面ものだ。更に「塞いであげましょうか?」と楽しげに言われたら、即座にガードしよう。何を入れられるか分からないので直感で動くべし。
ルカリオさんのジョークはたまに分からない時があるので困る。本人は楽しいんだろうが、私は楽しくない。
開催されていた近代絵画展は、分からないなりに面白かった。
丸と四角の重なった絵の題名が「ダンス」だったり、荒々しい波の中に溺れた人がいる絵が「恋愛」だったり、白いキャンバスに凸凹の一本線が描かれた絵が「自画像」だったりする。意図と解釈を聞いても、よく分からない。芸術は難解だ。
今年の旗のデザインになった山羊の絵もあった。額縁で飾られていても、やっぱり山羊には見えない。
それをルカリオさんに伝えると、彼も苦笑いで「実は、私も山羊に見えないんですよ」と答えてくれた。
だよねー。
あちこち歩いて楽しんで、最後はサーカスを見ながらのディナーである。
見るか食べるかどっちかにしろ。と最初は思ったが、これがなかなかどうして楽しかった。
上空での綱渡り、可愛らしい子犬たちの演技、手に汗握るナイフ投げ。初めて見たライオンはちょっと怖かったけど、鞭を振るう猛獣使いに熱い眼差しを送る変態が視界に入らなければもう少し楽しめたと思う。
クラウンたちは戯けながら舞台をコミカルに動き回って笑わせ、客席までやって来てメインディッシュ前の口直しを配ってくれた。
その後のメインディッシュでは、歌に合わせて綺麗な女性が一本のポールを使ってくるくる回ったり布を使って逆さになって踊っていた。人間ってこんなに綺麗に動けるものなのかと感動した。
今更ながら、ここのチケットが早々に売り切れた理由が分かった気がした。そりゃミレーヌさんたちが羨ましがるはずだ。
そんな人気チケットを持ってるって事は、本当は他の誰かと行く予定だったのかな。私が誘われたのってつい最近だし、その時には既に購入していたはずだもんね。
誘う相手と何かあったのかな。ルカリオさんみたいな人でも振られたりするんだろうか。想像つかないなぁ。それとも、誘い損ねたのかな。
でも、まぁ、穴埋めでも、代役でも、楽しかったから、いいや。……うん。まぁ、そんなもんだよね。
複雑な胸中とは裏腹にデザートのガトーショコラは大変美味でした。
既に陽は落ちているが、街灯や飾られたランタンのおかげで通りは明るく、歩くのには困らない。
行きと同じルカリオさんちの馬車が迎えに来てくれていた。今更遠慮する事もない。
「初めての芸術祭はどうでしたか」
聞かれて、朝から支度に大変だったり変態に遭遇しかけた事等を思い出す。けど、買い物も美術館もサーカスも楽しかった。ちょっとだけもやっとしたけど、でも、やっぱり。
「楽しかった、です。とても楽しかったです。誘ってくれて、ありがとうございます」
「私も楽しかったですよ。付き合ってくれてありがとうございます」
互いに笑みが溢れる。
うん。楽しかった。来年も行ってみようかと思うぐらいには楽しかった。できるなら、傾向と対策を練ってまた出品したいし、今日は行かなかった場所も行ってみたい。
「来年も行きましょうね」
「そう、ですね」
ニュアンス的に一緒にという意味なんだろうが、たぶん社交辞令だろう。
来年は誰と行くのだろうか。それとも、行かないのか。分かんないなぁ。
馬車が止まり、扉がノックされた。
ルカリオさんが先に出て私の手を取りエスコートしてくれる。
周囲が暗い事に違和感が生まれた。王宮ならば防犯の意味もあって灯りが絶やされる事がない。
顔を上げると、そこはやはり王宮ではなく。
「……公園?」
「食後の散歩に付き合ってください。今日は月がとても綺麗なんです」
差し出された手を取ると軽く握られ、そのまま歩き始めた。
エスコートとは違い、繋がれた手は私の手よりも大きくて骨張っていて、それはやっぱり女の人のものとは違ってちゃんと男の人だった。
頬が熱い。慣れてないせいか顔が赤くなっている気がする。灯りが無くて良かった。こんな顔がバレたら恥ずかしすぎる。
どうせ、こういうのに免疫ありませんよーだ。
照れ臭さもあって無言になった私と、何故かルカリオさんも口を開かない。
静かな空気を壊すのも野暮な気がして、この静けさがいいのかもしれないと、月夜の風景を楽しみながら歩いた。
遊歩道に沿う様に間隔を空けて植えられた木の間を歩けば、様々な花と低木が鑑賞できるようになっていて、側に小川も流れているのか水の流れる音が心地よい。
灯りは無いのに周囲はほのかに明るくて、上を見上げれば輝くような綺麗な満月が浮かんでいた。
雲もない夜空に、蜂蜜を溶かし込んだような淡い金色の満月。月が輝き過ぎて、星々は遠慮がちに瞬いているみたい。
王都でこんな綺麗な夜空を見たことがない。
王宮で働き始めてから忙しくて、ゆっくりと夜空を見る事なんてなかったかもしれない。
綺麗な夜空の下、2人分の足音と楽器の様な虫の声を聞きながら進んだ先には花畑があった。
「……綺麗」
真っ白な花弁を咲かした小さな花は月光を受けて、花自体が光っているように見えた。月下で光る一面の白い花は、ただただ美しい。
それ以外に言葉はなく、幻想的な光景に魅入っていた。
どれほど時間が過ぎたのか分からない。ほんの少しかもしれないし、長かったかもしれない。
繋いでいた手をギュと握られて、横に立つルカリオさんを見上げる。明るいから、夜なのにルカリオさんの表情がよく分かる。いつも微笑んでるような穏やかな顔なのに、今はとても真剣な顔をしていた。
初めて女装をした時の緊張した表情とも違う、ひどく真面目な顔で、なぜだか心臓がどくんと跳ねた気がした。
正面で向かい合うように立ち、繋いだ手を持ち上げられる。ルカリオさんの顔から目が離せないまま、私の指に唇を落とすその仕草を呆然と見ていた。
離れた唇が微笑むように弧を描く。
いつもと同じ笑顔なのに、目だけが違う。その目に釘付けにされ息を飲む私に、ルカリオさんは告げた。
「アンナさん。私と、結婚してください」
人間、驚き過ぎると言葉を失うって本当なんだと、真っ白になった頭の片隅で冷静な私が感心していた。