36.王宮侍女はその距離に戸惑う
午後の穏やかな光さす室内で黙々と針を動かす。
綺麗な臙脂色のドレスの裾の裂けた部分を縫い合わせて、その上から紅色の薔薇と金糸の蔦模様を刺し描いていく。
義姉の長短期間スペシャル刺繍教室のおかげで、指は滑らかに動くので、ドレスの補修ぐらいならあっという間に出来上がる。
横から刺す様な視線さえ無ければ…。
「出来ました。どうぞ、ご覧になってください」
慎重に手渡したビスクドールを持ち主に返せば、補修箇所をしつこく何度も確認された。
細かいチェックの末にようやく納得したのか、満足そうに頷く彼の灰色の目は少し潤んで見えた。
「うむ。なかなか良い出来だ。周囲の刺繍からも浮いていない。見事だ」
「ありがとうございます」
上から目線でお褒め頂きありがとうございますですよ。実際、目上だしー、お偉いさんだしー、分かっちゃいるけど「えっらそーに」なんて思っちゃうよね。けっ。
ま、喜んで頂けて何よりです。
タペストリー作るのに赤系を色々買ってたからね。同色の糸があって良かったよ。
裁縫道具を仕舞い退室の挨拶をしようとしたが、部屋の主はビスクドールを愛おしそうに抱きしめ頬ずりしていた。
「あぁ!ジョゼフィーネ。愛しのジョゼたん。ドレスが直って嬉しいですね。私も嬉しいですよ。このドレスはジョゼたんと私の思い出のドレスですからね」
頬を染めてデレデレとビスクドールに話しかける老紳士にかける言葉が見つからない。
キスまでしそうな勢いに内心ドン引きだが、表情筋を引き締めてなんとか踏み止まった。
この語らいに私の言葉など不要であろう。むしろ邪魔だ。すでに2人(?)の世界に入り込んでるし、壊しちゃダメだろう。
邪魔者はそっと去るべきだね。うんうん。
自己完結した私はそっと礼をして静かにキノウ公国大使の部屋から退室した。
事の始まりは1時間程前。
大使が滞在している部屋の前を通りかかった時に叫び声が聞こえたので、何事かと思わず駆け込んだら、部屋の中央でビスクドールを抱きしめて崩れ落ちて涙している紳士がいた。
「ドレスが…。ジョゼたんの綺麗なドレスが……。なんと言うことだ。ああ、泣かないでおくれ。私が、今すぐに私がなんとかしてあげるからね」
見てはいけないものを見てしまった気がする。
だが、入ってしまった手前、出て行きづらいこの状況。どうすべきか。
正直に言えば回れ右して撤退したい。
くそう。どうして入室してしまったんだ。もう少し落ち着いて行動しろっ私め。
内心毒づいていると、大使が大事に抱えるビスクドールのドレスの裾が裂けて刺繍が解れているのが見えた。
「あの、宜しければお直し致しましょうか」
声をかけた瞬間、ぐるりと向けられた表情はなんかイっちゃってて怖かった。
目が尋常じゃない。こえぇ。
ゆらりと立ち上がった大使は尋問官ばりの圧力を醸し出しながら近づいてくる。
フリフリのレースたっぷりドレスを着たビスクドールを抱えた大使の違和感に笑う事もできない。
眼光鋭く見下ろされて、知らず緊張に喉が鳴る。
「直せるのかね」
「針仕事には自信がございます」
声が多少震えたが、なんとか微笑んだ。
くそ。負けるもんか。
「宜しい。但し、作業はこの部屋でしなさい。もし半端な仕事をすれば処罰は免れないと思いたまえ」
どこまでも偉そうに命令する姿に、これがリンデルさんの言ってた『傲岸不遜の陰険ジジィか』と納得。私も大いに賛同するわ。
まぁ、こういう挑発は嫌いじゃない。
受けてたとう。完璧に縫ってやろうじゃないか。
無駄に横に長い口髭を洗って待ってやがれ!
闘志をみなぎらせた私の密かな闘いは、私の圧勝だと言えよう。
大使は補修している間に、我に返ったのか稚拙な言い訳をぽつりぽつりと語った。
要約すれば、この人形は孫娘へのお土産なんだと。
いや、さっきジョゼたんとか名前つけて呼んでたたじゃん。どう見ても新品じゃないし、思いっきり自分のだろ。背中とか足の裏に名前書いてたりして。鼻で笑っちゃうわ。
分かった上でのってやろう。ええ、出来る侍女ですからー。
「こんなに素敵なお人形なら、きっとお嬢様も喜ばれますね」
嘘だ。高そうな人形だけど、精巧すぎて怖い。
なんで歯まで見えるんだよ。閉じとけよ。
似たような人形が祖母の家に飾られてて、恐怖した思い出があるせいかこの手の人形は苦手だ。
「遊んでいいわよ」と手渡されたが怖くて固まった記憶がある。目を離した隙に動きそうで置くこともできなかった。あの人形はまだ祖父母の家にあるんだろうか。
人形の顔をみないように、表面上はにこやかに針を進める。
その横で自慢げに人形の解説を始める大使がひたすらめんどくさかった。
そんな事があったが、大使の性格に変化がある事も無く、帰る日まで歴史と伝統を振りかざしていたらしい。
リンデルさん、お疲れ様でした。
芸術祭まで後4日。
バザーに出すタペストリーや他の作品は提出済み。素人作品とはいえ、貴族街にある美術館の一角で展示販売されるので出来栄えの悪い物は出展できない。
私が持ち込んだ作品は、とりあえず全部許可された。受付の人がタペストリーを見て顔を青くしていた気がするが、気のせいだろう。まさか、余りの出来の良さにビックリしたとか?
やだ、お値段もう少し高めに設定すれば良かったかしら。
いやいや、欲張っても良いことはない。堅実に行こう。
芸術祭は5日もあるので、被らないようにお休みをもらえる。私は最終日になった。
芸術祭ではオペラや演劇やオーケストラのコンサート等色々と開かれていて、王族も観劇に来たりするらしい。中にはお忍びでやってくる王族もいるんだとか。傍迷惑な…。
初日は国王夫妻がオペラを観劇するんだって。仲睦まじい姿なんて見たら、吹き出して笑う自信しかない。
最終日は王太子夫妻がコンサートと美術館を巡るらしい。王族の中でも好印象夫妻なので、偶然お見かけしても私的に全く問題ない。
「芸術祭、楽しみですね」
にこにこと話しかけてくれるルカリオさんに「はい」と微笑み返す。
なぜか、一緒に見て回る事になった。
普通に挨拶をしただけなのに、いつの間にかそういう事になっていた。あれ?
なんかデートみたいで落ち着かない。リンデルさんとミレーヌさんが変な事を言うせいだ。
彼にとっては、ただの親切。芸術祭未経験の友達を案内するだけなんだから。
まさか?いや、無い無い。
「そう言えば、キノウ公国の大使が大変満足して帰られたそうですよ」
「お互いに満足できる外交だったなら喜ばしいですね」
「外交もですが、滞在中のもてなしがお気に召したようですよ」
「やっぱり?リンデルさんが淹れる紅茶はとっても美味しいんですよ。あの不機嫌大使も文句が出なかったぐらいなんですから」
ふふふ。あのヒゲ大使も茶器以外に文句のつけようがなかったに違いない。
リンデルさんは、愚痴は溢すけど仕事に手は抜かないのよ。女性的な気遣いとか、本当に見習いたい。
「アンナさんの方が嬉しそうですね」
「尊敬する先輩が褒められると嬉しいですよ〜」
「そういうところ、好きですよ」
「ぎゃふっ」
耳元で妙な事を言うなっ!
帰省してから、たまにルカリオさんがこうやってからかってくる。
雑談や冗談を軽く言い合うぐらいには慣れたけど、こういう冗談はまだ慣れない。
イケメンは自分の破壊力を知れ!
「耳、赤くなってる」
「〜〜〜!」
耳殻を指ですっと撫でられた。
くっ、触んなーーーっ!
大使はピグマリオンコンプレックス(人形愛)でした。性愛ではないのでご安心(?)ください。
大使の性癖は活動報告の裏話に掲載してますので、よろしければご一読ください。
次話は芸術祭になります。
もちろん、現時点で半分も書けておりません。
…………がんばります。




