34.王宮侍女は口を滑らす
王宮で働くまでは日常的に聞こえていた鶏の鳴き声で目を覚ました。
がばりと起き上がっていつもと違う部屋に一瞬だけ違和感を覚えたが、薄暗い室内が自分の部屋だと分かった途端に大きな欠伸が出た。
両手を上に上げて伸びをしてからベッドから抜け出す。寒さに体が震えたが、えいっと勢いに任せて素早く身支度を整えると部屋を後にした。
ようやく明け始めた空にはまだ星が見える。
ほんの少し前ならもう太陽が見えていたが、秋冬は太陽が出ている時間の方が短い。
はぁと吐いた息は白く、冬が近くなったなぁと実感する。王宮よりも山に近いせいか寒くなるのが早い。
台所から裏庭に出ればすぐ目の前に鶏小屋がある。早起きな鶏はもう元気に活動している。
餌箱に餌を入れ、それをつついてる隙に卵を回収する。
雌鶏は10羽程いるが、毎日卵を産むとは限らない。今日は6個だった。それを籠に入れて台所に戻る。
「6個あったよ〜」
「すんません。ありがとうございます」
レントは籠を受け取るとパンの成形を始めた。
うちの朝ごはんは、住み込みのレントが作ってくれる。ちゃんと料理人のファーガンから指導を受けているので美味しい。
パンを焼いて卵料理とかベーコンを焼くだけなんだけどね。後は夕飯の残りのスープがあったりなかったり。家族分に住み込み分もあるから量はそこそこある。
「昨日は早く着いたし、そんなに疲れなかったから大丈夫だよ」
「そうですか?でも半日以上馬車に乗ると疲れるでしょ」
「そんなに柔じゃないよ。それより、何か手伝うよ」
人数増えたし大変だろうと申し出たのに、即座に断りやがった。
しかも「大丈夫です!俺一人で大丈夫ですから、ゆっくりしてください。本当に、ほんとーに!大丈夫ですからっ!」と凄い勢いで背中を押されて台所から出されてしまった。
卵を取りに行った恩を忘れたのか。明日はしてやんないぞ。こう見えて、卵料理は得意な方なのに。
アンナちゃんご立腹ですよ。
仕方ないので、食堂のテーブルを拭いてたら義姉が起きてきたので一緒に手伝いをさせてもらった。
普通の貴族は家事なんてしないんだろうけど、うちは簡単な家事は誰でもやる。
人が少ない事も理由の一つだが、昔の貧乏時代があった事が大きいと思う。昔から交流があった義姉もそれを知ってるから嫌がる事もなく、むしろ楽しげにやっている。
「アンナちゃん、ガルシアン様に朝食をどうするか聞いてきてくれる?」
「はぁい」
義姉の問いかけに頷いて食堂を出た。
そう。うちに泊まってんのよ、ルカリオさん。
案内とか交渉とか父さんがやるから、うちに泊まった方が話が早いよね。一応、貧乏ながら領主館なんで客間もあるからね。
本当は宿に泊まる予定だったらしいけど、父や兄たちに薦められたんだとか。そりゃそうだろう。
人当たりのいいルカリオさんは当然のように好印象で迎えられていた。年が近いせいか、昨晩は兄たちと食後に別室で飲みなおしたらしい。いいなぁ。
私の方は、帰って一番に客室を掃除をした。
定期的に掃除はしてても、使わない部屋ってどこか霞んでるんだよね。質素な部屋だけど気持ち良く使ってもらいたいじゃない?
ルカリオさんの荷物は客室に置いて、本人は父さんに応対してもらった。
お茶を飲んで談笑してる間にピカピカに磨いてやったわ。さすが私。ふっ、掃除のプロ舐めんなよ。
客室のドアをノックして少し待てば「どうぞ」と返事が返ってきた。ドアを開け、「失礼します」と一礼する。
「朝食の準備ができましたが、こちらにお持ちしますか?それとも食堂にご案内致しましょうか?」
顔を上げれば、すでに着替えを終えたルカリオさんが微妙な顔をしていた。
爽やかな朝からするような表情ではない。
「出来れば、もっと砕けた話し方をしてくれませんか?昨日みたいに」
そう言われて、自分の意識が仕事用に変わっていたのに気がついた。無意識とか、侍女の鑑か。
「すみません。つい……」
「お客様扱いなのは仕方ないんですが、アンナさんに仕事として接されると悲しいです」
しゅんとしないでー。なんか罪悪感がじわっとくるから。やーめーてー。
職業柄つい侍女言動になっちゃったのは申し訳ない。ホントごめん。
「ごめんなさい。気をつけますね」
「傷つきました。アンナさんとは仲良くしてもらってると思っていたのに。そう思っていたのは私だけだったんですね」
あわあわしながら謝れば、拗ねたような顔を向けてくる。
くっ。普段爽やかイケメンのくせに、可愛く見えるとか、なにその技。どこのマダムを釣り上げる気だ。
「ごめんなさい。反省してます」
「本当に?」
「本当です」
「では、お詫びに王都に帰ったらデートしてください」
「いいですよ」
「え?」
快諾したのに驚かれた。なぜだ。
きょとん顔も可愛いとかイケメンって得だな。
「デートですよね?いいですよ。今度はどこにしましょうか」
前回はコスメとドレス選びだったから、次はアクセサリーとか?スイーツでもいいな。
オーレン商会の新店舗は1ヶ月ぐらい先だから、それはまた誘ってみよう。
「買い物デート、楽しみにしてますね」
「ははっ。なるほど。そうですね、楽しみにしてます」
二、三度頷いて朝らしい爽やかな笑顔を振りまいてくれた。
その後、一緒に向かった食堂で長兄から料理をしてないか3回も確認された。
なんだ催促か!?もしかして期待されてた!?
ならば期待に応えてあげねばなるまいっ!と言ったら頭を叩かれた。痛い。
仕事に向かうルカリオさんと父さんたちを見送り、私は緊張しながら義姉の部屋を訪れた。
宿題の提出である。
あー、怖い。
義姉の刺繍への情熱をまざまざと見せつけられた前回を知ってるだけに緊張が治らない。
義姉に促されてテーブルの上にタペストリーを広げると、同席しているマルムが「ひっ」と声を上げた。
「狂王妃サメロンね」
義姉は全体を見て、細部を見て、裏側を見て、また全体を見て、とかなり真剣に見ている。
そんなガッツリ見なくても良くない?
「上手にできたわね〜」で終わるんじゃなかと思ってたのに。
うんうんと何かを確かめる様に何度か頷いた義姉は顔を上げて私を見た。
「70点」
「はい?」
「前よりも上達しているわ。頑張ったのね。でも、此処と此処。分かるかしら?均一ではないでしょ?それと此処、ここはランニングステッチよりも巻きつけランニングステッチの方がいいわ。それと此処の処理だけれど…」
ダメ出しと丁寧な解説を拝聴し、修正までさせられた。お義姉さま、容赦無い。
「技術の拙さは仕方ないけれど、伸び代あるわよ、アンナちゃん。立体感がある所も良いし、配色が上手ね。この血の色の分け方は素晴らしいわ」
その辺は変態医師の高説に延々と付き合わされたお陰と言うか、苦行の成果と申しますか…。
「それ以前に題材の問題ですよ、若奥様」
お茶を持ってきたマルムが苦い顔で告げる。
「そう?確かにサメロンは余り見ないけれど、構図は悪くないし、上手に刺してあるわ」
「そう言う問題ではないのですけどね。私はお嬢様の感性が心配ですよ」
人が一生懸命やり直してる横で、マルムがはぁぁとため息を吐く。
いいじゃん、サメロン。インパクト大じゃん。
絶対目立つって。
遅めの昼ごはんを食べて、午後から少しだけ基本のおさらいをする事が決定している。泣く。
ちなみに父さんたちは外で食べてくるので義姉と2人で食べた。
刺繍講習のおかげか、昔よりも距離が縮まった気がする。それはそれで嬉しいが、容赦が無くなった気もするので少し複雑だ。
タペストリーは秋の芸術祭で出品すると話したら、午後から更に細かい修正をしてタペストリーを完成させられた上に、もう一点作らされた。
口は災いの元である。
翌日は義姉に誘われる前に掃除を開始したものの、午後からは義姉に捕まり刺繍教室が始まった。
芸術祭に出品するという言葉が義姉を刺激したらしい。
つくづく口は災いの元だと実感した。
義姉は刺繍バカです。アンナのタペストリーを絵として見たらまた違う反応だったのでしょうが、刺繍作品として見てるので構図や技術に焦点がいってます。
次話は来年になります。
皆様、良いお年をお迎えください。