31.王宮侍女は秘密を守る
『 』は外国語(帝国語)です。
『まぁ。歯をたてるなんてイケナイ子ね』
1人掛けのソファにゆったりと座る奥様は、目の前に跪いた旦那様の口の中へ右足の親指側を、笑顔でねじ込んだ。
容赦のない動きに一瞬だけ苦しそうな表情を浮かべたものの、口端から涎を垂らしながらも恍惚とする旦那様の表情に常習性を感じずにはいられない。
この手のものは直視してはいけない。視界の端に捉え、話しかける人物だけを見るに限る。
この場合は愉しげな奥様である。
『お茶をお持ちしました』
『あら、ありがとう。この躾が終われば頂くわ』
素足の指を一本ずつ丁寧に舐めている旦那様の股間に置いた左足に力を込める奥様。ヒールの踵ではなく爪先なのは愛だろうか。
躾とは一体……。いや、追求はすまい。
平常心という呪文を心の中で唱えながら、カートに乗せていた軽食とティーカップをテーブルに乗せていく。
紅茶の準備をする視界の端で、旦那様が恭しく奥様の足を捧げ持ち、頬擦りをした後で爪先から足首まで顔を滑らせている。
舐めてんのか。舐めてんだろうな。
あ、足裏までやってる。
すごいな、勇者かよ。いや、躾け中の犬だったわ。
本日から仕事場所が貴賓室に換わりましたアンナです。
ビックリの配置換え。
マチルダおばちゃんたちの強い勧めもあって、メイド頭経由で上申したらなぜか侍女長を飛び越えて侍従長に話がいったらしい。
なぜだ。
聞いたところによれば、侍女長と侍女頭は監督不行き届きとして厳重注意を受けて減俸になったらしい。ざまぁみろ。
私の方は、面接でしか会った事のない侍従長に早く上申しろと怒られ、色々と大変だったと愚痴られた。
知るか。日頃の怠慢のツケが回ってきただけだろう。
侍女長の横暴さは下まで届いてるんだから知らないはずないし、本当に知らなかったなら、無能もいいところだ。
きっちり働いてその贅肉を落としてこいっ。
内容の少ない愚痴を顔に出さずに聞いてた私ってば偉い。誰も褒めないから自分で褒めとく。
私のせいじゃないし、どれだけ愚痴られても謝りませんけどね。
そんな愚痴よりも、合間に頻繁に聞こえる「んまー」って口癖が気になって仕方がない。
そういや面接の時もすごく気になったわ。
「私もね、んまー、侍女長には再三注意をだね、んまーしてきたんだけれどもね」
んまー早く終わらないかな。と、殊勝な顔を崩さずに「んまー」の回数を数えながら侍従長の話は綺麗に聞き流した。
ちなみに27回だった。「むふー」という鼻息みたいなものは省いております。
こうして、上申してから4日という驚異の早さで配置換えになった私は、掃除仕事から一転して賓客を相手にする侍女仕事になりました。激動すぎる。
貴賓室でのお仕事を簡単に言えば、国内外の賓客の接待とか身の周りのお世話である。
泊まりの人もいるし、待ち時間を潰す休憩にも使う人もいるので、それに見合った対応が求められる。正に侍女のお仕事。
できるか心配にもなったけど、姉から再度淑女教育させられた後だったのでなんとかなった。
ありがとうお姉ちゃん。
貴賓室付近にある控えの小部屋で、私の教育係も兼ねた2人を紹介された。
ストレートロングな黒髪美人で子爵令嬢のミレーヌさんと、毛先がくるりと巻いている栗毛で子爵夫人のリンデルさん。
貴賓室では、3人1組で2室から3室を担当するのだそうだ。
簡単な挨拶と注意事項を教えられた後に、帝国語はできるかと聞かれたので、日常会話ならと答えたら、滞在中の帝国の外交官夫妻の部屋へティータイムのお茶出しを頼まれた。
そんな経緯でやってきた部屋では、外交官の旦那様が奥様の足を舐めていたというわけだ。
私はちゃんとノックをして入室の了解を得たのに、なんでこんな場面に遭遇しなきゃならんのだ。
入室を許しちゃアカンだろ。何、平然と『ご苦労様』って微笑んでるの、奥様。
頭がおかしいのかこの夫婦。
ポットに紅茶葉を入れてお湯を注ぎティーコージーを被せて砂時計をひっくり返す。
視界の端で旦那様の顔に乗せられた足が上下に揺れている。あれ、踏まれてるよね。
茶器や軽食をセットする間、旦那様の嬉しそうな呻き声が漏れ聞こえてくる。
ねぇ、これなんの拷問?
あれか。やっぱりイジメか、イジメなのか、コレ。
私が何をした。ちゃんと仕事してるだけじゃん。
この状態を流していいものか、悩む。正解をくれ。
砂時計の砂が落ちたのを確認して、ティーカップに紅茶を注ぐ。
奥様は旦那様の顔から足を離して足先で顎クイをし、逆の足が旦那の股間をグリグリと踏みつけている。
奥様かなり器用ですね。慣れてらっしゃる。
『僭越ながら、蒸しタオルをご用意してもよろしいでしょうか?』
奥様に話しかければ、キョトンと目を丸くしてから吹き出すようにクスクスと笑った。
『ええ、そうね。お願いするわ』
一礼をして退室し、そのまま急いで厨房に向かう。
走れないので可能な限りの早足で行きます。
侍女もメイドも結局は体力勝負なんだね。
舐められた足で靴を履くのって嫌じゃないかと思ったが、やっぱり不快は不快なんだろうね。
じゃあ、どうして舐めさせたのかって疑問も残るけどね。
そもそも、変態に理屈とか常識は通用しないんだよ。だから、深く考えちゃダメな気がする。
ほかほかの蒸しタオルを2枚手にして急いで戻れば、キリっとした紳士が私の手から蒸しタオルを取り上げて奥様の足を丁寧に拭い始めた。
一瞬、誰だか分からなかったが、よく見れば足を舐めていた外交官の旦那様だった。
普通にしてれば、渋めのイケオジなのに変態とは残念だ。残念すぎて目の保養にもならない。
首元に少しだけ見えた焦茶色の革っぽいものは、まさか首輪ではないよね。
いやいや、流石にそれは。いやいや、まさかね。……ははは、まさか、ね。
控室に戻ると、ミレーヌさんとリンデルさんが和かに出迎えてくれた。
この笑顔がニヤニヤしてる様に見えるのは私の被害妄想だろうか。
「お帰りなさい。初めての接客はどうだった?」
「特に問題はありませんでした」
「まぁ、本当?」
「何も見なかったのかしら?」
「誰にも言わないから本当の事を教えてちょうだい」
ああ、これは知ってて私に頼んだのだと直感した。それなら余計に話す気にはなれないな。
楽しげに笑う2人に業務用の笑顔を向ける。
「仲睦まじいご様子を拝見しましたが、何か懸念でもございますか?」
自分からバラせるものならバラしてみろ。
私の反応に2人は数回瞬いた後、顔を見合わせて吹き出して笑った。
え?
「素敵。さすがカレンの妹ね」
「合格よ。マチルダさんのお弟子さん」
真顔をキープしたまま混乱している私の前で、2人は和気藹々と語り合っている。
待って。
なんでお姉ちゃんの名前とかマチルダおばちゃんの名前が出てくるの。
さっきよりも可愛らしい笑顔で語り合ってるのはいいから、説明を!説明をしてくださいっ!
その後聞き出したところによると、ミレーヌさんもリンデルさんも姉の友人だった。
姉から頼まれて私の事を調べてくれたらしい。
なんでも姉の婚約者に惚れていた奇特な女性の叔母が侍女長らしい。その侍女長の嫌がらせが発端だったけど、それに侍女頭やその周囲が乗っかった結果なんだとか。
地方の貧乏男爵の娘の扱いなんてそんな物なのかもしれないが、腹立たしいのに変わりはない。
とりあえず、全員月の物がかなり遅れて慌てろ。そして小ジワが増えてシミが大きくなれ。
神様、よろしく。
マチルダおばちゃんについては詳細は教えてくれなかったが、2人が新人の頃にお世話になったらしい。
さすがおばちゃん。カッコいい。
なんで私が弟子扱いなのかはよく分からないが、今度から「師匠」と呼ばせてもらおう。
2人は、私を自分たちの元に呼ぼうと思ったが、2人共お仕事は貴賓室がメイン。ここでの守秘義務は王族に次ぐので、さっきのはちょっとしたテストだったらしい。
「よく外交官夫妻が手伝ってくれましたね」
「いいえ?ご夫妻に頼んだわけではないのよ」
「けれど『新人がお伺いします』とは伝えたから何らかの事は察してらっしゃるかもね」
「……えっと、では、アレは通常通りなんですか?」
演技ではなくて?
躊躇いがちに聞けば、2人はふわりと笑って「その通りよ」と答えてくれた。
マジか。
うちの上層部も大概だと思ってたが、帝国も似たり寄ったりだった。
こうなると他国にも期待なんて抱けない。
2人から私なら何を見ても大丈夫そうだし、やっていけるわと太鼓判を押されたが、これから何を見させられる事になるのだろう。
あの外交官夫妻だけが特別であって欲しいと思うが、たぶん他にも何人かいるんだろう。
どうしよう、不安しかない。
遭遇するならば、できるだけ軽くて薄くてあっさりした感じでお願いしたい。
どうしよう。最近、私が墓場に持っていく秘密の数が多すぎる気がする。
古代の王様みたいな、どでかい墓でも建てなければ収まらない気がしてきた。
そんな墓は遠慮する。
私が死んだ時は、是非ともこじんまりとしたウチの領地に葬ってもらいたい。
アンナが帝国語を話せるのは、初恋相手のニールが商家だったので「帝国語ができたら役に立つかも」と、結婚後を夢見て頑張った結果です。
アンナの配置換えにはクリフォード侯爵も絡んでますが、表には出ないのでアンナたちは知りません。
久々の変態さん。楽しかったです。




