閑話3. メイドはその手を離す
マチルダおばちゃん視点です。
王宮でメイドとして働いて20年になる。
中堅を超えてもはや熟練の立場になっていてもやる事は変わらない。多少、顔馴染みが増えて要領が良くなったぐらいだろうか。
あまり代わり映えしない職場に面白い新人が入ったのは2年前だった。
平民が多いメイドだが、男爵令嬢や子爵令嬢も少なからずいる。
その殆どが、王宮で結婚相手を見つけるのが目的なので、やる気はない。そのくせ気位だけは一丁前に高いからどいつもこいつも使えやしない。
使えないのは無能な侍女長と侍女頭だけで十分なんだがね。直接関わりがないが、やらかし具合や無能ぶりはよ〜〜く知ってるのさ。
うちのメイド頭は悪い人じゃないんだけど、事なかれ主義で気弱なとこがあるせいで要らない苦労ばかり押し付けられてる感じなんだよねぇ。
まぁ。若い時の苦労は買ってでもしろって言うし、いい経験だろうよ。
そんな中で教育を任された新人の子は、男爵令嬢のくせに平民の私からの指示や注意もきちんと聞き、お礼もちゃんと言える珍しい子だった。
掃除の腕もいい。と言うか、調理は壊滅的にダメで、洗濯はまぁまぁだったので掃除メインで3ヶ月間扱いてみた。
なかなか骨のある娘だったから鍛え甲斐があったよ。
まさかトイレ掃除までやるとは思わなかったがね。
貴族のお嬢ちゃんたちは上に賄賂を渡したりして免除してもらうのがほとんどだ。
馬鹿正直にトイレ掃除してるのはあの子ぐらいだろう。
使用方法や汚れ具合に文句を言うぐらいで、待遇に文句をつけないなんて、本当に変わった子だよ。
侍女試験に合格していると聞いてまさかとは思ったけど、後で確認してみると確かに侍女として登録されていた。
なのにメイド仕事を割り振られているなんて、なんの嫌がらせなのかね。
メイド頭と話して調べてみたら侍女長の指示らしい。あの女の事だ、どうせバカで下らない理由だろうよ。
一応、本人に「上申するかい?」とは聞いてみたが、ケロッとした顔であっさりと否と答えた。
「別にいいですよ、このままで。お給金ちゃんと貰えてますし、掃除仕事って性に合ってますから」
侍女仕事よりメイド仕事が性に合うなんてやっぱり変わった子だよ。まったく。
なんで侍女試験を受けたのか聞けば「お給金が良いから」らしい。
「うち、けっこう貧乏なんですよね。だからお給金高いと嬉しいし、王宮なら出会いがありそうじゃないですか。出来たら、持参金無しでも大丈夫な旦那様を見つけたいんですよね」
メイド仕事じゃ優良物件な貴族と会う事は少ないんじゃないかと思ったが、ちょっと意地悪な気持ちが湧いて黙っておいた。
いつ気がつくのかと思ってたんだが、まさか1年もかかったのは計算外だったよ。
からかえば「教えてよぉ〜」と情けない顔をするから笑ってしまった。
普通の貴族令嬢なら激昂するとこじゃないかね。
それからも相変わらず裏方の仕事ばかりで、本当に結婚相手を見つける気があるのかと思ったね。
裏方じゃ、気の良い平民の子や良くて商人ぐらいしか出会えないだろうに。
だからと言って紹介できるようなお貴族様なんていやしないんだけどね。
跡取り娘ってわけでもなさそうだし、いよいよの時は平民でも良さそうな子を紹介してやらなきゃいけないかね。
そんな時、色恋らしき噂を耳にしたが、あの子は相変わらず仕事を張り切っていて、そんな気配が一切見受けられない。
なんて言うか艶がないんだよね。色気がなさすぎる。
けれど噂は段々とエスカレートしていった。
ベネディクト子爵に付き纏っている。侯爵様に取り入っている。宰相補佐に賄賂を渡していた等。
半分以上はやっかみだろうね。
気持ちは分からなくもないけど、人として情けないねぇ。
悪い噂がちらほら聞こえて心配してたら案の定、膝から血を流して帰ってきた。
何やってんだいまったく。
転んだと言ってるが、蹴躓いたぐらいで両膝や両手がそんな風になるもんか。
心配してやってんのに気の抜けた顔で「大丈夫だよ」なんて笑うからデコピンしてやった。
「うぅ、いたい。今、膝よりもおでこの方が痛い。ひどいよぉマチルダおばちゃん」
「変な顔してるからだよ。ほら、さっさと手と足を洗って休憩室で待ってな。救急箱持ってきてあげるから」
服も少し破れてたけど、それは帰ってから補修すればいい。あの子の腕ならそんなに時間は掛からないだろうさ。
一応軟膏も貰って戻ると、休憩室から不愉快な会話が漏れ聞こえていて思わず顰めっ面になった。
「お偉いさんに気に入られてるからっていい気になってんじゃないよ」
「上手く取り入ったんだってねぇ?どんな手段を使ったんだい?羨ましいねぇ、あやかりたいもんだよ」
「その貧相な体で侯爵様や子爵様をよく落とせたわね。余程そっちの具合がいいのかしら。ねぇ何人咥え込んだの?」
「澄ました顔してやる事やってるなんて、怖い子だね。淫乱なのは親譲りだろうよ」
呆れた罵倒の数々にイラッときた。
本当にどうしようもない奴がいたもんだ。
怒鳴りつけてやろうと部屋に入ると、アンナが握り拳で殴りかかる体勢だったので思わず「平手にしなっ!」と叫んだ。
すぐさま切り替えた平手で、囲んでいた左端の女の頬を容赦なく叩く。
部屋中に響いた音と共に女が椅子を巻き添えにして派手に倒れた。
「私への不満に親を持ち込むなっ!!」
怒鳴るアンナに、囲んでいた他の女たちが掴み掛かろうとする。
「お止めっ!!!」
久々に腹から声を出して怒鳴れば、部屋にいた全員が動きを止めてこちらを見る。
「こんな狭い場所でケンカなんてするんじゃないよっ」
「でも、マチルダさんだって見てたでしょう!?あたし、この子に叩かれたんですよ!」
真っ赤に色づいた左頬を指差してくる。
「怪我してる子を4人で囲んでた奴が言うじゃないか。そんな卑怯者を庇う気なんてさらさら無いね」
悔しそうに唇を噛み締めるアンナを椅子に座らせて、袖を捲れば腕の所も擦りむいて赤くなっている。
「言いたいことがあるなら1人で面と向かって言いな。見てて格好悪いじゃないか。年上が年下にギャアギャア喚くなんて情けないと思わないのかね」
怪我の手当をしながら、彼女らを見据えて説教する。
アンナが上位貴族に目をかけられてるからと腹が立ったのかもしれないが、下位とは言えアンナも貴族だ。言いふらしてないこの子も悪いが、知らなかったからで済む話ではない。
「ほらほら、見世物じゃないよ。解散解散」
いつの間に来たのか、同僚のレダがパンパンと手を打って野次馬を散らしていた。
「あんたたちも頭を使ったら?もしアンナが侯爵様達のお気に入りだったら、あんたたちの首も危ないのよ?」
もしかしたら、物理的にもね?
レダがにっこりと笑って首を切る真似をすれば、彼女たちは顔を青くして出て行った。
「良い子なアンナちゃんはしないかなー?」
「……やりたくても出来ないですよ」
「やりたいんだ」
ブスッと膨れたアンナの態度にレダはゲラゲラと笑いながら頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「そのぐらいはムカついたので…」
「あんたはもうちょっと自分の事に怒りな」
手櫛で簡単に髪を直すアンナに忠告すれば不思議そうに首を傾げた。
「怒ってますよ?」
「親の事を言われたからだろ。そうじゃなくて、自分に言われた事を怒れって言ってんだよ」
言われてもピンときてないのか困った顔をする。
まぁ、すぐには無理かね。
小さくため息を吐いて、治療の終えた膝小僧をピシャンと叩いた。
「はい。お終い。明日の朝にはまた貼り替えな」
「ったあぁぁ〜〜。おばちゃん、痛いよぉ」
体を丸めて、叩かれた膝を両手で押さえる。
俯いた先のスカートにぽたりと水滴が落ちた。
「いだぃ〜」と呻くアンナの頭を、水滴が止まるまで撫でてあげた。
そろそろ潮時かもしれないね。動かないこの子の背中を押してやろうかね。
まぁ、教えることは教えたし、しばらくは退屈な日が続くだろうけど、この子の事だから侍女仕事に戻っても愉快な噂が聞こえてくるかもしれない。
ほんのちょっとだけ寂しいけどね。
長年勤めてりゃ色んな伝手ができるもんさ。
根回しをしながら、私だけが動いてる訳じゃないと知り、確信を持ってメイド頭の元を訪ねた。
あの時貸したハンカチは思いっきり鼻をかんでくれたので、返品不要だと念を押しておいたのに後日綺麗な刺繍入りのハンカチを返してくれた。
それは思い出深い百合の花で、懐かしいあの方を思い出した私は、真新しいそれで浮かんでくる涙を拭った。
あの方もアンナの半分……いや4分の1ぐらい覇気があれば何か変わったのかもしれないね。
今更、詮ない事だけどね。
風の噂でお元気だと聞いているが、もう少ししたらお休みをもらって会いに行こうか。
あの子の様子を少しだけ見て、旅行がてら行くのも悪くない。
驚くだろうか。喜んでくれるだろうか。
また美味しいお茶を淹れて、元気な後輩の話でもして差し上げよう。
ああ、楽しみだね。
少し目立つと色々と言う人はいるよね。
マチルダおばちゃんが来るまでも散々言われてます。
個人的に好きなマチルダおばちゃんは、既婚者ですが子どもはいません。
おばちゃんの過去も色々ありました。本編に関係ないので書きませんが。