25.王宮侍女は秘密を漏らす
…………………。
…………………。
…………やっぱりもう一回トイレに行こうか。もう何も出る気はしないけど。
立ち上がって、考えて、また座る。
忘れ物は無いよね。プレゼントを入れた紙袋にハンカチとかを入れたバッグもある。
………やっぱり、行くだけ行ってこようか。
いや、緊張で朝ご飯もほとんど食べられなかった。腹の中には何も無い気がする。
でも何か出そうな気もする。
王宮の馬車留待合室で、さっきから立ったり座ったりを繰り返している行動不審な女です。すみません。
そろそろ少ない人の目が気になってきたので、諦めて大人しく座ることにした。
待合室は、仕事始まりの朝と仕事終わりの夕方は混むが、それ以外は比較的少ないが無人というわけでは無い。
これ以上の注目は浴びたく無い。
どうしよう。
お腹痛いって言って断っちゃう?
いや、それは無いわー。
ここで断ったら、またズルズルと会わないのは目に見えている。
頑張れ私。女は度胸だっ!
「ロットマン男爵令嬢ですね。私、クロイツェル伯爵家の従僕のジェンクと申します」
グッと拳を握った私に迎えの人が話しかけてくれる。
ああ、やっぱりトイレに行っておけば良かった……。
引きつりそうな顔をなんとか笑顔にして、伯爵家の従僕が勧めるままに馬車に乗りこんだ。
出荷される家畜ってこんな気持ちなのかもしれない。
流れる景色を見ながら、ため息をはいた。
あぁ、王宮が遠ざかる。
程よい揺れに身を任せ、走る事数十分。
馬車の窓から見えたクロイツェル伯爵家はそこそこ大きなお屋敷だった。
そこそこって言っても、王都でこれだけの規模のお屋敷を構えるんだから伯爵クラスでもけっこう裕福な部類に入る。
しがない男爵の娘にしては破格な嫁入り先だ。相手があの伯爵じゃなければ、私だって少しは祝福できたと思う。
………たぶん。
出会いからして最悪最低で、その後も印象は悪い。たぶん今後上昇する事はないだろう。
そんな奴の本拠地に行くのは腹が立つが、大人になった私は表には出さない。
プレゼントの護身用の小剣を購入してから、私もちょっと落ち着いたのだ。
これを機に姉に会う事も増えるのだから、奴との遭遇は時間の問題だろう。
ここは一つ!私が大人になって表面上は穏やかに付き合っていくのがいいんじゃないかと思ったのだ。
姉と円満離縁してくれるのが1番だが、それだと姉の経歴に傷がつくし、世間様になんと言われるかわかったもんじゃない。奴が浮気して社会的地位を落としてからの離縁なら問題ないんだけどね。
噂での溺愛っぷりを聞く限り、その辺は望み薄だ。
仕方ない。本音は隠して表面上は穏やかに接してやろう。
この2年で培った侍女能力を発揮してやるわ。
でも、直ぐには無理だから。対面は次の次の次くらいにしたい。
馬車を降りて伯爵家の玄関を開けてもらうと、ロビーに姉が迎えに出てくれていた。
不覚にもグッと込み上げるものがあって思わず唇を噛んで耐えた後に、にっこりと笑って挨拶をする。
「クロイツェル伯爵夫人。本日はお招きありがとうございます」
「ようこそ。ようやくお招きできて嬉しいわ」
互いに他所行きの態度に顔を見合わせて笑ってしまう。
途端に空気が変わる。
凛とした伯爵夫人から慣れ親しんだ姉になり、さっきまでの緊張が霧散してしまった。
中庭の見える部屋に案内され、お茶の準備を済ませて侍女が出ていけば部屋の中には私と姉だけになる。
姉は私の手を取り、相変わらず綺麗な顔で微笑んだ。
「会えて嬉しいわ。貴女ったら呼んでも来てくれないし、寂しかったのよ」
「ごめんなさい」
「許して欲しかったら、これからも遊びにいらっしゃい」
「………姉さんだけなら、来るわ」
2回目ぐらいでは、奴に嫌味を言わない自信はない。姉にも迷惑がかかる事は避けたい。
視線を逸らした私を覗き込んだ姉がくすりと笑う。
「あら、いつもみたいに呼んでくれないの?」
「だって、もう成人したし…」
「人前では仕方ないけれど、2人っきりの時は前みたいに呼んで欲しいなぁ」
返事に困ってると、あからさまに溜息を疲れて、悲しげに目を伏せた。
「ああ。2年以上も無視された挙句にこんな些細なお願い事さえ聞いてくれないなんて……寂しいわ」
「もう!お姉ちゃんっ!」
「はぁい」
すっごいイイ笑顔で返事された。
さっきまでの儚げな麗人はどこいった。
呆れたけど、あまりにも姉らしくて思わず笑ってしまった。姉も優しく笑ってくれた。
あんなに緊張したのに、なんだか結婚前と変わらない感じがする。変なの。
ここは伯爵家で、姉は結婚して人妻になってるし、私ももう成人して働いているのに。
お姉ちゃんって呼んだらいつもみたいに「はぁい」って笑って返事をしてくれる。
それが堪らなく嬉しくて、ちょっとだけくすぐったい。
昔に戻ったみたいに、2人で紅茶を飲みながらあれこれ近況を話し合った。
案の定、ルカリオさんの事を誤解していた姉に懇切丁寧に誤解だと説明し、何故かベネディクト子爵との噂まで知っててそれも完全否定した。
アレはない。
意外と話しやすい人ではあるが、私にとっては恋愛対象外だ。
恐らく子爵にとっても論外だろう。噂があると知られたら鼻で笑われるかもしれない。
姉も「やっぱりね。アンナの好みじゃないもの」とあっさりと信じてくれた。
ちなみにその噂は、数ある子爵の噂の一つでそんなに広まってもないらしい。助かった。
なぜ私が子爵と面識があるのを知っていたかと言えば、前に肉を食べさせてくれた店にクロイツェル伯爵が偶然居合わせていたと言う。
マジか。
全然気がつかなかった。
帰省した時の実家の事とか、ニナ義姉さんに刺繍を教えてもらった話を色々してたら、視界の隅に映ったプレゼントの存在を思い出した。
いやぁ、変に舞い上がっちゃって最初に渡さなきゃいけないのに忘れてたわ。
「お姉ちゃん、これプレゼント。もしもの時は遠慮なく使ってね」
「まぁ。何かしら。開けてもいい?」
「もちろん」
かなり迷った逸品なのよ。
使い勝手はシンプルな物がいいけど、美人の姉が持つならやっぱりそれなりに装飾も欲しいじゃない?
鈴蘭と一角獣が彫刻されたやつにしました。
一撃必殺。斬れ味も抜群なのです。
包装を丁寧に外した姉が箱を開けて、何故か動きが一瞬止まった。
どうしたのかと思ったら、ゆっくりと剣を取り出す。
あ、もしかして見惚れちゃった?丁寧に彫刻されてるよね。気に入ってくれたかな。
「何かあったらそれで身を守ってね。スパッと切れる業物らしいから」
少し鞘から抜けばキラリと刀身が光る。
それをゆっくりと鞘にしまい剣を箱に戻すと、姉はふぅと息をついた。
慣れない物を持ったから緊張しちゃった?
装飾してても剣だもんね。分かる分かる。
「アンナ………。いえ、いいわ。ありがとう。とても綺麗な剣ね」
「どう致しまして。何か無体な事をされそうになったら躊躇せずに使ってね」
「え、ええ…」
躊躇いはあるだろうが、身の危険を感じたら贈り物だからなんて気にせず使って欲しい。
その為の道具なんだから。
「これは?」
紙袋にいれてあったもう一つの箱を取り出す。
「それは、手づくりクッキー。良かったら伯爵と一緒に食べて」
「……アンナ」
「今まで酷い態度だったから、お詫び…。でも、前のは謝らないから。私からお姉ちゃんを取って行ったんだからあのぐらい甘んじて受けるべきよ」
歩み寄ろうとする意思が伝わったのか、姉が優しく抱きしめてくれた。
「ありがとう、アンナ」
「でも、やっぱり嫌いよ。普通に接するけど、決めたけど、でも、嫌いだからね」
「いいわよ。それでもいいわ。ありがとう」
ふわりと香るのは、昔とは違う香水。
昔よりも質が良くて、今の姉に良く似合う優しくほんのりと甘い匂い。
そんな些細な違いに泣きたくなる。
お嫁に行っちゃったんだ。
あんなの変態エロエロハゲの奥さんになっちゃったんだ。
私のお姉ちゃんなのに。
「やっぱり、結婚しちゃヤダぁ〜」
グっと詰まっていたものが、ぽろりと溢れでた。
たぶん、あのプロポーズの時から溜まって詰まっていた本音。
言ったら困らせるから言えなかったけど、本当はずっと思っていた。
ーーーいかないで
ーーー置いていかないで
子どもみたいなワガママ。
なんて情けない。
成人したのに。
大人なのに。
だって、まだ一緒にいられると思ってた。
ハゲ散らかす予定の伯爵が横からさらっていくなんて、夢にも悪夢でも思わなかったんだもん。
「あんな水玉ハゲ予定の男と結婚しちゃヤダぁ」
「あらあら」
姉は泣き出した私を小さい頃のように頭を撫でてくれる。
そして、あっけらかんと笑うのだ。
「でも、もう結婚しちゃったわ」
「やだぁ〜。ビビリで情けない奴がお姉ちゃんの夫とかヤダぁ。牛見て驚いて固まるし、馬糞踏んだぐらいで悲鳴あげるし、カエルが頭に乗ったぐらいで飛び上がるし、近い将来てっぺんハゲになって横とか後ろから強引に髪持ってきてちょっと額が広いんですって言い訳するような男なのにぃ〜」
そんで下腹ぽっこりしてワイン樽と見分けがつかなくなってしまえ。
つらつらと伯爵への不満を訴えてたら、顔を両手で挟まれて強制的に上げさせられた。
驚いた視線の先にはとても凄みのある笑みを浮かべた姉がいて、私は即座にやらかしたと冷や汗をかいた。
「アンナ?馬糞とかカエルって何かしら?お姉ちゃんに分かるようにキチンと説明して頂戴」
「あの、それは…。なんと言いますか…」
「アンナ。ちょっとそこに座りましょうか」
「…は、はい……」
やっちまった……。
実家を訪れた伯爵の頭の上にカエルと蛇を木の上から落とした事とか、それに驚いた伯爵が転んで馬糞を踏んで悲鳴を上げて尻餅ついた事とか、穏やかな笑顔で「それで?」とか「他には?」と聞かれれば条件反射でつらつらと他の事まで!バラしてしまった。
せっかく黙ってたのに…。
こうして、和やかな姉妹のお茶会になるはずの時間は全てお説教に費やされた。
あっという間に帰る時間になり、姉がロビーまで送ってくれる。
ドキドキしながら訪問したハズなのに、このグッタリ感はなんだろう。
若干、ドキドキは残っているが種類が違う。
「アンナ」
「は、はいっ」
さっきまでの名残か、染み付いた反射か、思わず姿勢を正してしまう。
「頂いたクッキー、妙な色だったけれど何が入っているの?」
あ、そっちね。
良かった。まだ何か言われる事があるのかと思っちゃった。
「えっとね、育毛に良いっていう魚のすり身と海藻の粉末。でもそれだけじゃ美味しくないから隠し味に蜂蜜を入れてみたの」
今までの詫びも込めて、髪の毛に良い物を入れるなんて私ったら気遣い屋さん。
焼き上がりはちょっとモアっと変な匂いがしたけど、気のせい気のせい。だって砂糖も蜂蜜も入れたんだから甘くて美味しいはず。
食べてないけど。
だって私は薄くないから。
「何故頭髪の心配をされているのかしら…」
「あ、お姉ちゃんも良かったら食べてね」
「…………ええ。ありがとう」
姉の呟きは聞こえなかったが、髪の毛に良いなら姉の髪も艶々になるんじゃないだろうか。
今度はもう少し数を作って持ってこようかな。
次は何を入れようかと悩んでいると姉が酷く真面目な顔で私の両肩をガシッと掴んだ。
「次は私が作った物を食べて欲しいわ」
「え?本当?嬉しいっ」
「次回は絶対に手ぶらで来て頂戴ね」
結婚前はたまに作ってくれてだんだよね。
特にタルトとかパイとか美味しかった!
やったー!楽しみ!
浮かれた気分で行きと同じ馬車へと向かう。
姉も馬車まで見送りに来てくれて、軽く抱擁を交わす。
「また遊びに来てね」
「うん。また来るわ」
「言い忘れてたわ。アンナ、来年にはおばさんよ」
離れ間際に姉が耳元で囁いた。
へ?
内容が理解出来ずに惚けていた私は、従僕のジェンクに促されて馬車へと乗せられる。
パタンとドアが閉まり、馬車が動き出す。
「暇にしてるから、いつでも来てね〜」
過ぎ去る屋敷と姉の声に、馬車の窓を押し下げて少し顔を出すと、膨らんでないお腹を愛おしそうに手を当てた姉が輝んばかりの笑顔で手を振っていた。
「うっそぉぉおおおおおおっ!」
拝啓。来年産まれてる姉の赤ちゃん。
どうか、どうか、母親似で生まれてください。
父親似でも……嫌では、いや、嫌に近いけど、君に罪は無いからいいけど、でも、でも、できたら母親似で、母親似で、お願いします。
ああ、やっぱり伯爵なんて嫌いだっ。
やっと姉と会いました。
久々に会ったせいかアンナが幼児退行してます。当初はこんなハズではなかったのですが、シスコンだから仕方ない。
※剣に装飾された鈴蘭は毒草です。一角獣は乙女の象徴なので、本当は未婚の人に贈る剣。アンナは見た目だけで選んでます。