23.王宮侍女はベッドを所望する
姉に返事を出した2日後にその返事が来た。
来週、私の休日に伯爵家への訪問が決まった。その日は姉の夫的な伯爵はお仕事なんで日中はいないらしい。一日中いなくてもいい。
いっそのこと1カ月ぐらい居なくてもいいと思う。
伯爵に会わないのはとてもありがたい。
奴の事はどうでもいい。
そんな事より、姉にどんな顔して会えばいいのか。
久々すぎる上に自分から避けてたせいで、なんだかムズムズして落ち着かない。
いやいや、トイレじゃないよ。ついでに行ってくるけど、違うから。
どんなに迷おうとも困ろうと、仕事はある。
本日は温室の片付けである。そこそこ広い温室の片付けを一人で。
もう一度言おう。
そこそこ広い温室の片付けを一人で、だ。
普通2〜3人でやるやつだよね。あれぇ?
まぁ、いいや。やりますとも。ええ、やりますともさ。
王宮の東庭園の日当たりの良い場所に造られた温室はガラスを贅沢に使用した大きな物で、南国の珍しい植物が植えられている。
日中だけ開放されていて、ちょっとした休憩や散歩ができる知る人ぞ知る場所である。
もちろん、入口に管理人はいるので誰でも入れる訳ではない。
基本的に入れるのは王族や伯爵以上の高位貴族だ。
ちなみに同伴は貴族であれば階級は問題ないらしい。
なんと言うか、連れ込む為のルールだよね、それ。
温室の植物は庭師の仕事だから、雑草抜きとか水やりとか植物に関する事はしない。
通り道の掃き掃除、ゴミ拾い、東屋風の休憩所やベンチの掃除と破損のチェック、そして休憩室の掃除。
やる事はそれだけなんだけど、広いので掃き掃除だけでも手間なんだよねぇ。
その上、2箇所ある休憩所は背の高い植物の影にあったりして、もうそういう目的のためだよね?としか言いようがない造りになっている。
使用率が高くて、毎回どこかが汚れてるんだよね。
普通に休憩しろよ。
半分外みたいで興奮するとか、外だと寒いから〜とここを利用するのは勘弁してほしい。
休憩室っていうのは、温室の一番奥に植物を見ながら休める部屋の事。前王が、植物好きの前王妃の為に作ったらしいよ。
温室側の壁の一部に大きなガラスが嵌め込まれていて、白で統一された優美な丸テーブルと椅子が4脚置かれている。
温室の鮮やかな花々を見ながら優雅にお茶を楽しめるようになっている。
そして、なぜか少し離れて置かれたゆったりとしたソファー。どう見ても後付けだ。
過去にここでの掃除で、このソファーが汚れていなかった事がない。
そんな使われ方をしてると知ったら、前王妃も草葉の陰で泣いてる事だろう。死んでないけど。
前王も前王妃も譲位後は、王都から離れた離宮でのんびりと過ごされている。
悠々自適の隠居生活。田舎は田舎でもうちみたいな田舎じゃないのは確かだろう。
面倒な事は最初に済ましておこうと、さくさくと進んでいくと子猫の声が聞こえてきた。
どこから入り込んだのか。探すの大変だし、管理してる庭師にも話しておかないとなぁとこの後の算段をしていたんだけど、なんだかおかしい。
子猫の泣き声の合間に人の声がする。
飼い猫でも動物は入室禁止ですよ。全くもう。
休憩室の扉をノックしようとしたその瞬間。
「にゃああぁぁっ」
拳一つ分開いていたドアから聞こえたのは、甘ったるい猫のような声は明らかに人間の女性の声だった。
咄嗟にノックしようとした手を引っ込めたついでに息も止めてしまった。
「あはっ。ダメですよ、お仕置きって言いましたよね?」
「ごめぇんなしゃい〜」
「呂律が回ってないですよ。なんて可愛い、私の姫。ほら、泣いて?」
聞こえてくる愉しげな声に鳥肌が立ち、そぅとそぅと後退りする。
何してんの。
お仕置きって何してんの。
すっごく楽しそうな声が怖いんですけど、何してんの。
泣きじゃくってんですけど、何してんの。
いや、いい。聞きたくない。聞いたらヤバイ気がする。
音を立てずに高速移動という妙な技を編み出した私は温室入り口付近まで戻ると、そこを重点的に箒で掃き始めた。
ザッザッと掃きながら、ちょっと状況と対策を考えようと思う。
誰かいるならいるって言えよ、管理人!
掃除に入るって挨拶した時になんか微妙な顔してたのは、コレか!?コレだよね!?
大方口止めされたんだろうが、濁して伝えるぐらいはしろっ。
ただ座ってるだけの木偶の坊なら管理人なんて辞めちまえ!
猫女共も、私がいる時に盛るな。
あんあん、にゃーにゃー、うるせーよ。
盛りの付いた猫か。時期外れな発情期か。
縄張りでも主張してんのか。
マーキングすんなら自室にしやがれっ。
高速で掃いていた手をふっと止める。
ヤバイ。掃き過ぎた。
歩道用の石畳が綺麗すぎる。この調子で全部やると大変だし周囲から浮いて見えるので、程よい感じに戻しておく。
あの猫みたいな声って、多分だけど、当たって欲しくないけど、末の第三王女じゃないだろうか。
あの甲高い声は聞き覚えがある。イラッとするぐらい高くて甘えた声を偶然聞いた事があるからだ。
一緒にいたマチルダおばちゃんが若い頃の王妃と同じ声だと嫌そうに言ってたので、なんとなく覚えてしまった。
ドSっぽい発言してたのは、王妃の護衛騎士のリリアン様ではないだろうか。
声だけだから、確実じゃないけど。
あの人、女性しか好きになれないとか聞いた覚えが…………えぇ…。
マジか。
第三王女って今年成人して来年隣の国の王子に嫁ぐ予定じゃなかったっけ。
ちなみに第一王女はもう別の王族に嫁いでいて、第二王女は伯父の大公に嫁いでいる。年の差婚で御家騒動かと騒がれたが、第二王女の押し掛け女房らしい。オジ専が過ぎる。
いや、それはどうでもいい。
リリアン様と第三王女の組み合わせかぁ。
そういや、リリアン様って王妃の愛人疑惑もある人だよね。
………親子丼。
いやいやいや、疑惑だし、確証はないし、迂闊なことは言えない。
あの王妃が女性相手?
ないない。と思いたいけど、普段から何かと妖しい雰囲気を醸し出してるって噂だし。
リリアン様って凛々しくて、カッコいいんだよね。しかも騎士姿が更にそのカッコ良さに拍車をかけてるから、王宮でもご令嬢やご婦人に人気で絵姿まで出回ってるもんね。
火のないとこに煙は出ないっていうからなぁ。
それよりも、王女だよ。
女騎士が相手だから、いいのか。
え?良くないよね。
でも、男じゃないから、いいのか。
待て。混乱してきた。
……まぁ、いいや。私には関係ない話だし。
うちの国王も王妃も、もうちょっとちゃんと教育しとけよ。
ってあの二人だから王女がああなるのか。
いやいや、ちゃんと教育したらならないでしょう。男の恋人じゃないだけちゃんと考えてるのかもしれない。それはそれでどうだよ?って話だけどさ。
もう本当にさ、うちの王族ってダメじゃん。
まともなのって王太子ぐらいじゃないかな。
なんでこんなにエロ特化なの?『真実の愛』ってエロエロなの?エロエロなんだな。
そうだろう、そうだろう。
やっぱりロクなもんじゃない。
って事は、姉の夫的な伯爵もエロエロなのか。
ダメだ。姉がエロエロ変態に襲われるなんて。
会いに行ったら護身用道具を渡そう。殺傷能力の高い物にしよう。
色々考えて落ち着いた。
うん。知らない事にしよう。
私の掃除時間も限りがあるので、なるべく物音を立てながら仕事をしたいと思います。
奥に人がいるなんて私は知りません。
何も見てない。
何も聞いてない。
はい。復唱。
ベンチ付近にある見るに耐えないゴミを拾い、汚れを落とす。もちろんベンチの下は水を流してブラシで擦って流す。
足音を立てるのは品がないので、気配を出しながら大きくはない物音を立てるという地味に難しいミッションに挑む。
なんでここまで気を使わねばならんのか。
それは私が王宮侍女だから。
相手が王女だし、いわゆる私の雇い主のお嬢様みたいなもんだよね。
邪魔をして恨まれて首を切られるとかたまったもんじゃない。
休憩室の扉が視認できる範囲までやってきた。
わざと箒を取り落としてみる。
そろそろ気付いてるよね。
出てきてくれないかなぁ。
こっちだって見たいわけじゃないんだからね。てか、見たくないわ。
でもそこだけ掃除しないワケにはいかないんだよね。最近、上司がうるさいからね。
時間も押してるので、さあ行くか。
と、思ったら扉から凛々しいリリアン様にエスコートされる王女が現れた。
王女様、足がふらふらじゃん。何してたの。
内心呆れながらも、端に避けて頭を下げる。
ふと私の前でリリアン様が止まった。
何事かと警戒すれば、リリアン様は上半身を近づけて囁いた。
「君。他言無用…ですよ」
女性にしては低めだが、艶のあるいいお声ですね。
確信した。あのドアを開けてたのはリリアン様だね。目論見通りスパイスにされたってワケだ。
なに。マンネリ化してんの?
ま、いいけど。
「心得ております」
神妙に答えて、深く頭を下げれば、満足したのか王女を支えながら去っていった。
もちろん。言いませんよ。
自分から火の粉を浴びに行くドMな趣味はありません。
第一、面倒くさい。これでも忙しいんだよ、私は。
休憩室のソファーは案の定汚れてた。
ソファーだけで済んで良かったというところか。
だが、しかーし!
ぐちゃぐちゃだけどね!女同士でも汚れるんだなぁって要らん知識が増えた。
汚れたソファーのカバーをよいしょと剥がす。
ソファーカバーって厚みあるし重いんだよ。新しく付け替えるだけで結構な重労働なの。
もう、本当にさぁ……
潔くベッド置きやがれ。
ガチ百合回でした。
リリアンは栗毛のハンサムな女性です。宝塚の男役な感じとお思いください。