21.王宮侍女は夜会に潜む(後)
ふと目にしたテーブルには林檎ソースがかかった肉がちょうど運ばれてきた。芳しい匂いが風に乗って私まで届く。
ああ、いいなぁ。肉。
たぶん、きっと、美味しいお肉。黒毛のみっちりした牛の旨味をギュッと凝縮させた高級肉。
なんとか食べられないかと、考える私の視界に子爵が写る。
斜め前にあるテーブルと横の子爵を交互に見る。
肉。子爵。肉。子爵。肉………。
私の正体を知る子爵と、美味そうなお肉料理。
これは神の啓示ではないか?
「ベネディクト子爵様。あのテーブルのお肉料理を取ってきてくださいませんか?」
「は?なんでそんな事をしなければ……」
「お願いします。ダメ、ですか?」
断ろうとする子爵に被せ気味に、両手を組んでお願いする。
声はほんの少し高めに、声量は控えめに。
上目遣いですがるように見つめて、少しだけ首を傾げる。意識的に瞬きを二、三度。
こんなあざとい仕草なんて普段じゃ似合わないから絶対にやらないけど、変身した今ならできる。
目的の為に手段は選ばぬっ!
信じろ。今の私は4割増しだ!
「…………どれだ?」
勝った!
「ありがとうございますっ。あの、四角に切られたお肉と、その横のローストビーフをお願いします」
吐かれたため息なんて気にしなーい。
にーく、にーく、にーく。
諦めていた愛しの肉がついに私の元へっ!
子爵が戻ってくるのがこんなに待ち遠しいなんて初めて。
やだドキドキが止まらないわ。長く見ているだけだったあのお肉をようやく口に入れられるなんて。
このトキメキ。これがーーーー恋?なんて、な。
期待に満ちている私を見て子爵はなぜか無表情になった後に、盛大にため息を吐いた。
なんだ。止まるな、早く持ってこい。
「ほら。これでいいんだろ?」
「あ、お皿はそのままで、とりあえずコレをフォークに刺してください」
「こうか?」
差し出そうとするのを手で制し、フォークで刺した肉を皿の上に浮かす。
そうそう。ちょうどいい位置。
フォークに刺さった肉をパクリと口に入れる。
うまっ!
林檎ソースの甘酸っぱさが肉によく合っている。
もぎゅもぎゅと食べ終わり「ささ、次もお願いします」と、茫然としている子爵に催促をする。
「な、な、な、おまっ、なに」
「どうしたんですか。顔が赤いですよ?飲みすぎました?まぁ、そんな事はいいんで次のお肉をお願いします」
「できるかっ!」
なんでか怒られた。
自分で持たなければドレスは汚れなくていいと思ったのに。
突きつけられた皿を渋々受け取り、慎重に料理を食べる羽目になったせいか、味が半減した気分だ。
半減しても美味しいけどね。
なんとかドレスも汚さずに食べれたからいいけど、手伝ってくれればもう少し余裕を持って食べれたのに。
ちぇー。子爵のケチンボめ。
夏の夜は昼間の暑さは鎮まり、アルコールで火照った体を心地よい風が吹き抜けていく。
あー、気持ちいい。
月も綺麗だし、肉も、アップルシードルもワインも美味しかった。
「ちょっと暑い」
詰め物で底上げしてるせいか汗かくんだよね。
拭くに拭けない場所って困るわぁ。
スクエアカットされた真ん中部分を摘んで少し風を送る。もちろん見えるほど広げるような事はしない。慎みってやつですな。
「お前はもう少し慎みってもんを持てっ」
「やだなぁ。ちゃんとありますよ。子爵相手に気取ってどうするんですか」
「いや、気取れよ。俺の前なら余計に気取れ。お前、本当に女か?」
「失礼な。今日はかなり女の子ですよ」
見ろこの胸の膨らみを。女らしい、いい曲線ができたと思うんだが。
「どうやってるんだ、この偽乳。あの絶望的な崖に膨らみがあるじゃないか」
やっぱり見るな。女好きめ。
体を捻って子爵に背中を向ける。
「乙女の秘密です。ていうか、見ないでくださいよ。すけべ」
「ある物は見るだろうが。ただの好奇心だ。お前相手に欲情するか」
「そんな相手を口説こうとした人がよく言う」
ぐっと息を詰まらせた子爵に勝ったと内心でガッツポーズを作る。
そろそろお相手でも探しに行けばいいのにと思うが、なぜか横にいる不思議。
休憩のつもりなんだろうかと、チーズのカナッペをパクリと食べる。一口で食べれば屑は落ちないはず!
「アンナさん」
もぐもぐと口を動かしていたら、名前を呼ばれた。
ここに知り合いはいないはず。
不思議に思って振り向くとイケメンがいた。
柔らかい雰囲気の穏やかそうなイケメンさん。
「………………あ」
誰かと思ったら、夜のお茶会の新人さんだ。
今日は男装だから、気づくのが遅れた。男装もお似合いですね。
「アンナさんですよね。お久しぶりです」
「あ、はい。よくお分かりになりましたね」
原型が分からないぐらいに盛ってるのに。
隣の節穴子爵なんて気づきもしなかったのに。
「人の骨格はそんなに変わりませんから。変装とか見抜くの得意なんです」
「はぁ。すごい特技ですね」
「あんまり仕事では役立ちませんけどね」
あはは。と笑う彼の顔が先日の美女と被る。
ああ、確かに。言われてみれば面影はあるもんだね。
「ルカリオ。お前、こいつと知り合いだったのか?」
「お久しぶりです、ベネディクト子爵。珍しいですね、貴方がまだこんなところにいるなんて」
2人は知り合いらしい。
というか、イケメンさんはルカリオさんと言うのね。初めて知ったわ。
お茶会では基本女性名だから、家名や役職なんかは耳にした事から予想してるんだよね。
あえて尋ねたりしない。秘密は漏らさない。できる侍女ですからね。ふっふっふ。
「以前、お世話になったんです」
「迷惑かけられてたら言えよ?こいつたまに非常識だからな」
「まるで、保護者みたいですね。それよりもコーラント子爵のご令嬢が捜していましたよ」
「そうか。そろそろちゃんとした女性に会いに行くか」
子爵は「じゃあな」と軽く手を振って去っていった。
子爵令嬢とどこかで休憩するんだろう。できれば室内で、あまり汚さずにイタして欲しい。
裏庭は止めろよ、明日の担当なんだから。
「実は、クリフォード侯爵から話相手に任命されました」
ルカリオさんはどこかに行かなくていいのかな?と思ってたら、茶目っ気たっぷりに胸に手を当てて礼を取られた。
様になってるところを見ると、この人も良いとこのボンボンなんだろうか。
私も出来る限り優雅に見えるように腰を落として礼を返す。
「それは、ご面倒をおかけします」
「いえ。令嬢方の相手に疲れたのでちょうど良かったです」
「では、私の横で申し訳ないですが息抜きしてください」
「ははっ。ありがとう。それにしても、化けましたね」
改めて頭から下までジッと見られる。
値踏みするような視線ではなく、感心するような視線だった為、私も笑って気取ったポーズをとってみる。
「ドレスが豪華なんで盛りに盛りました」
「目とか別人ですよ」
「シフォンちゃんにも使った技法ですよ。大きく見えるでしょう?」
ルカリオさんは話し上手で聞き上手だった。
その内容のほとんどが美容とファッションに関してだったせいかもしれないが、楽しく会話ができたと思う。
次回も参加するという彼に、明確な内容をボカしながら希望を聞いたりするのは暗号みたいでちょっと楽しい。
「この前が初参加だったんですが、メンバーはあれで全員ですか?」
その辺はマリアンヌさんから聞いてないのかな。
マリアンヌさんが教えてない事を私が喋るわけにもいかないしなぁ。
て言うか、全員の名前って知らないんだよね。なんとなくは分かってるけど、確認したわけじゃないからね。
「そうですね。今後も参加される事でお知り合いになる方も増えるかもしれませんよ」
「残念。教えて頂けないんですね」
ちっとも残念そうではない言い方に曖昧に微笑んで返す。
だって他に答えようがないじゃん。ごめんねー。
「そう言えば、ベネディクト子爵とお知り合いなのですね」
「ええ、光栄にもご縁がございまして」
不本意極まりないけどね。
まぁ、子爵経由でワイン貰えたり、肉とか肉とか肉とかお世話になったけど。
会う度に説教されるのは納得いかぬ。
「もしかして、子爵の恋人のお一人、とか?」
「それはあり得ませんっ」
いきなり何を言い出すんですか、ルカリオさんや。冗談でも止めて欲しい。
首も手も使って全力で否定する。
「そうなんですか?」
「もちろんです。私の父は男爵なので身分的にも釣り合いませんし、第一、子爵様の好みではありませんから」
「そうでしょうか」
「そうですともっ」
身分がどうのより生理的に無理だから。
それに、子爵の好みは肉感的な美女で、可愛い人もいるが、噂になるお相手は押し並べて豊満な胸をお持ちだ。
けっ。
無いなりの良さってもんを知らないとは素人め。
そういうルカリオさんは巨乳派なんだろうか。それ以前に、変身願望があるなら対象は男なんだろうか。
変身願望のある人でも恋愛対象は同性だったり異性だったりするから、一概にそうとは決められない。
現に、クリフォード侯爵は愛妻家だしね。
こういうのって本当に複雑だなぁと思う。
面と向かって聞くほど仲良くなってないし、繊細な問題だもんね。一時の好奇心で聞くものでもないか。
「今更ですが、ルカリオ様とお呼びしてもよろしいですか?」
「これは失礼しました。既に名乗った気でいました。ルカリオ・ガルシアンです」
ガルシアン?ええっと、伯爵だったかな。ガルシアン伯爵はまだご健在だから、何番目かの息子さんかな。
「アンナ・ロットマンです。では、ガルシアン卿と?」
「いえ、ルカリオで結構ですよ。まだ爵位もない若輩者ですから」
「ご謙遜を」
外務省に勤めてる時点でエリートでしょう。
基本的に国の政務を担うのは貴族だけど、全員が爵位を持ってるわけではない。
国への貢献如何では秋の叙勲で授爵されたりもするが、嫡男以外の貴族籍の子息は騎士もしくは王宮勤めをして働く。領地のある爵位持ちには及ばないが、それでも王宮勤めというのは給金がいい。その中でも外務省は外交が主な事もあり語学が堪能でなければ入れないエリートである。
つまり、ルカリオさんは将来有望ってやつ。
そりゃご令嬢たちが放っておかないだろう。
「お会いするのは2回目ですが、そんな気がしませんね」
「そうですか?」
「ええ、他のご令嬢と違って話しやすい」
たぶん、お互いに恋愛対象に入ってないからじゃないかな。
ルカリオさんにとって私は女装を手伝う侍女で、私にとってはお客様だ。そこに恋愛感情は無いから話しやすいんだと思う。
たぶん、だけどね。
そんな話を真面目に続けるのも何なので、お勧めの肉料理を紹介してみた。
さすがにもう食べれないので、侯爵様と待ち合わせの時間まで料理や最近の流行の話で盛り上がった。
申し訳ない事に、ルカリオさんは馬車停まりまでエスコートしてくれた上に侯爵家の方が来るまで付き合ってくれた。
職務に忠実な人だよね。こういう人と結婚したら幸せなんだろうなぁ。
趣味が女装だけど。対象がどっちか分からんけど。
夜も更けて、ちらほらと帰る貴族たちを端で見ていたら、見覚えのある顔に目が止まる。
「あっ…」
視線の先にいた夫婦を見ておもわず声が出た。
振り向いた婦人と目が合えば、彼女は目を見開いた後にこりと微笑んで、隣にいた紳士と馬車に乗り込んだ。
「知り合い?」
「……姉、です」
驚きすぎて、そう答えるだけで精一杯だった。
そうだ。こんな夜会なら出会う確率は高いはずだ。
そんな簡単な事を忘れていた。
複雑な胸中を押し隠して、侯爵家から自分の部屋に帰るなりベッドに倒れ込む。
あー、もやもやする。
言いたい事がたくさんあるのに何一つ言葉としてまとまらない。
ああ、疲れた。
そして、そのまま朝まで夢も見ずに寝た。
変態はいるのに変態らしさがないせいか、なかなか書き進まなくて困りました。
アンナが避けていたせいか国王夫妻は出席していたにも関わらず出てきませんでした。見かけたらアンナのディスりが止まらなかったかも。