20.王宮侍女は夜会に潜む(前)
空には煌めく幾多の星と天空を美しく照らす満月。その遥か下の地上では、宵闇を振り払うように掲げられた林檎型のランタンに照らされた煌びやかな貴族の群。
王宮の東庭園で催される夜会に、なぜか出席する事になりましたアンナです。
ふふふ。なんでこんなとこにいるんだろうねー。
不思議だなぁ。あっはっはっは………ふぅ。
侯爵夫人の化粧をしたら、なぜかひん剥かれてご令嬢のドレス一式を借りて一緒に夜会に出席する事になりました。ついでにと高価なアクセサリーも貸してくれた。
全身の総額が恐ろしい。私の年収の何年分だろう。
なんでこうなったのか、訳がわからないでしょう?当事者の私も分からない。
絶賛混乱中ですよ。
侯爵令嬢の上品で上等なドレスを着るには、私の顔は平凡すぎた。
平凡も平凡、ザ・普通とは私の事だ。可愛いと言ってくれるのは父や優しい使用人たちと領地のおっちゃんおばちゃんたちぐらいだ。
そんな私の顔面とドレスをなんとか釣り合わす為に、メイクを盛りに盛らなきゃならない。
特に力を入れたのはアイメイク。アイラインをくっきり引いて、シャドウで陰影をつけたりしてパッチリお目々を作り上げた。
目だけでかなり印象は変わるんだよね。
悲しい事に、役に立ったのはメイク技術よりも詰め物技術だった。下を向けば憧れの谷間がございますのよ。
嬉しいはずなのに、複雑。そう、これが乙女心かも。
侯爵令嬢は私よりも2つも年下なのに、どうしてこんなにも胸の部分が違うのか…。
泣く。アイメイクが崩れるから泣かないけど、心の中では号泣です。
持てる技術を発揮してる最中ずっと侍女さんたちにじっと見られ続けて私の柔な精神な擦り切れ状態ですよ。見ないでとは言えない。
途中で質問されたりしながら、これは実演だと割り切る。
これはお仕事。これはお仕事。
心の中で呪文のように唱えて、途中から実況してみた。
途中、空気を読まない私のお腹がぐぅ〜と盛大に鳴くので、差し出されたミニアップルパイを一口で食べたら驚かれた。
え?これ一口用じゃないの?
侍女さんたちが驚く意味が分からない。が、とりあえず食べる。
流石、侯爵家。サクサクのパイ生地も蕩けるような林檎も美味すぎる。
その後にコルセット締める段階で後悔したよ。色んなものが出るかと思った。侍女さんたち容赦ない。
一緒にと言う言葉通り、侯爵家の馬車に乗せられました。
私の前にはマリアンヌさん…じゃない。侯爵様と奥様が仲良く座っていて、私の隣に侯爵令嬢が座っている。
生きた心地がしない。
緊張で固まる私に、侯爵様が私を誘った訳を話してくれた。
前回のお茶会の時に、ミミィちゃんたちと「流行を知りたいなら貴族のパーティーが1番よ」「メイクもドレスも一流品ですものね」と交わしてた雑談が耳に入ったそうな。
ああ、言ったわ。その後にジュディちゃんたちがあそこのご令嬢はセンスが良いだの、どこそこの令息は着こなしが悪いだの盛り上がってた。まさか、その後の下ネタ話まで聞かれてないよね?
「今後の為にも、君には様々な人を見て参考にしてもらいたいのだよ」
言わば、実地体験。もしくは市場調査。
マジで仕事だった。
侯爵様。それ、侍女でも見る事はできるんですが…。
ツッコミたいけど我慢。まぁ、確かに、私の立場じゃ休憩室の案内とか片付けや補充の仕事がメインだから高位貴族に近づける事はないだろう。
侯爵様ならこんな下っ端令嬢を入れるぐらい簡単なんだろうけど、せめて説明を先にお願いします。
先に聞いても断れないけどね。ええ、そりゃ無理ですよ、相手は侯爵様だもん。
しかし、どんだけ女装が好きなんだこの人。
「そんなに不安でしたら、私がずっと付いて差し上げましょうか?」
私の頬をツンと突き刺した侯爵令嬢が品よく笑う。マリアンヌさん似の彼女は「面白い事は大好きよ」と実にいい笑顔で私を玩具枠に入れたらしい。
せっかくの申し出だが、全力でご遠慮した。
下っ端な男爵令嬢が付き纏えば、今後何を言われるか分かったものじゃない。
身バレしたら、今後の仕事がやりづらくなる。
それは避けたい。
何の為に原型が分からないほど、盛ったと思ってるんだ。
……………ドレスとの釣り合いの為だったわ。
コホン。いやいや、身バレ防止もありますよ。うん。
帰りも一緒に侯爵家に帰って、着替えたらまた王宮まで送ってくれるらしい。なんて面倒な…。
でも、そうしてくれないと身に纏う高額品をお返しできない。
まぁ、送り迎えぐらいしてもらわないと割に合わない。それどころかこちらの損が大きい気がするがそこは目を瞑らなきゃダメなやつ。
泊まればいいのにと言われたが、丁重に、丁重にお断りした。
寝れるかっ!
涎垂らしたら…と思うだけで体が震えるつーの。
王宮の会場に着けば、侯爵夫妻は挨拶周りに、お嬢様はお友達の所へ。
3人を見送って、さて、時間までどう過ごそうかと思案する。
当初の目的通り、観察をしつつ楽しむかな。せっかくだし。
人の間を観察しながら歩いて行く。
そこかしこに見知った顔があるが、知らぬふりですれ違う。
秘密サロンのおじさまも、ヒールで踏む事が大好きなご夫人も、にゃん言葉を連発するおじさまも、誰も化けた私には気がつかない。
それどころか、たまにすれ違う顔見知りの侍女も気がついた様子はない。
………化粧のせいだよね。決して、詰めて盛り上げたこの胸のせいじゃないよね。
そっと下を見れば見慣れぬ谷間。
ちょっとだけ嬉しいのは内緒です。
あらかた見回して人混みから少し離れたテーブルの側で再び観察を再開する。
夜会っていうのは、なかなか面白いと認識を改める。
噂の裏付けも取れたり、ご婦人方のファッションやメイクを見るのも楽しいし、男性のファッションもなかなかに興味深い。
色々と面倒くさい夜会だけど、こうして見れば収穫もかなりある。
まぁ、だからと言って今後出席するかと言われたら難しいけどね。招待状がないと入れないし。うちって社交に力を入れてない男爵家だしなぁ。
ある程度見終わり、小腹が空いたのでなるべく一口で食べられそうな物を摘む。
美味しそうなローストビーフとか、照り焼きとか、たっぷりソースがけの肉があるが、もしもソースを溢したら…と思うと怖くて手が伸びない。
ああ、肉。私に食べられそうにしてる肉たちがどんどん他の人に取られていく。
なんて悲しいんだろう。
間違いなく、今年一番の悲しみだ。
コルセットをしてるから、そんなに食べられないけど、せめて一口ぐらい食べたい。
誘惑を振り切る為にワインでも飲もうと周囲を見回す。
見つけたウエイターに声をかけようとすれば、その近くにいた青年が先にシャンパンを受け取り、それを私の方へと差し出した。
「どうぞ。レディ」
突然の事に固まる私に、彼は誰もが見惚れる微笑みを向けてくる。
ぱちりと瞬きをしてその顔を確認すると、慌てて扇子を広げて顔を隠した。
「照れてるんですか?可愛い人ですね」
私の態度に誤解した奴は甘く囁きながら近づいてくる。
それを必死に逃れようと距離を取ろうとすれば、その分だけ詰めてくる。
動きづらいドレスの私に勝ち目は少ない。
諦めて離れろスケコマシ。
「とても素敵な装いですね。月華草と同じ色だ。鮮やかな花の髪飾りも美しいが、どれも貴女の魅力には敵いませんね」
うおっ。鳥肌が立った。
止めろ、手を取るな。殴りたくなる衝動を堪えてるせいか微かに震える。
それを勘違いしたベネディクト子爵がますます笑みを深めて近づいてくる。
「緊張されているのですか?ここは騒々しい。静かな場所で今宵の月を眺めませんか?」
うひーーーーーっ。
鳥肌が全身に出たかもしれない。
お前が月だけ見て満足するワケないだろうが。むしろ月なんて見ないだろうが。
誘うのは勝手だが、私以外にしろ。
「申し訳ございません。私は子爵様のお相手ができる身分ではございません」
なるべく温和に断ろうとしているのに、私の右手を取り指先にキスをした。
なにしてくれやがりますっ。
急いで回収した右手を隠してドレスで拭く。手袋しているとはいえ、なんかヤダ。
「可愛いらしい方だ。その林檎のように赤く愛らしい唇で、貴方のお名前をお聞かせください」
ふっざけんなよ。節穴子爵がっ。
イラッとしたので、パチリと扇子を閉じてにっこりと微笑む。
この距離で分からないなんて、自分の変身メイクに自信持っちゃうわー。
軽くスカートを持ち簡易礼を取る。
「初めまして。ベネディクト子爵様。アンナ・ロットマンと申します」
その時の奴の驚愕した顔は、胸がスッとするぐらい見ものだった。
それを肴にニヤリと笑って奴の手から引ったくったシャンパンを飲み干した。
「詐欺だ…」
隣で子爵が片手で顔を覆って嘆いている。
鬱陶しいからどこかへ行ってくれないものか。
「失礼な。ちょっと化粧してるだけじゃないですか」
「ちょっと!?お前の素顔を知ってる俺が間違えたんだぞ?詐欺レベルだろうがっ」
「嫌な言い方しないでくださいよ。子爵の目が節穴なだけでしょう」
残っていたアップルシードルを飲み干して、近くにいたウェイターに渡す。
にっこりと微笑めばウェイターの頬が薄らと赤くなる。
もしかして、化粧した私って結構美人?
やだ自信持っちゃうわ〜。
これなら優良物件を狙えるかな。
でも、素顔を見せて子爵みたいに騒がれるのも面倒。詐欺で訴えられたり離婚とかになっても嫌だ。
かと言って、常に化粧した状態で毎日過ごすのも苦痛だ。
「やっぱり、素顔が1番ですよねぇ」
「どの口が言ってるんだ」
聞こえませーん。
節穴子爵はちょっと黙っててくださいませんか。




