18.王宮侍女は初めてをもらう
カラカラと軽快な車輪音を聞きながら頭が徐々に下がっていく。
仕事終わりの疲れと質の良い馬車の揺れが心地良い。
カクンと頭が落ちたと同時にハッと目が覚めたら。
おっと、口からヨダレが出てた。
ハンカチで拭きながら窓の外を見ると、太陽は沈みかけているけれどまだまだ明るい。
見えてきた湖に夕陽が反射して湖面がキラキラと赤く輝いている。その湖面を揺らす様に水鳥が一斉に飛び立って行った。
あぁ、なんて………美味しそうな鳥たち。
どれも丸々と太っていて、香草詰めの丸焼きにしても串焼きにしても美味しいだろうなぁ。
おっと。いかん、ヨダレが。
馬車の目的地は湖の見えるさる伯爵家の別荘。
王都からそんなに離れていない自然豊かな伯爵領は夏の間特に賑わうらしい。
まさに避暑地。
うちの領地も自然豊かなのに、なぜにこうも違うかな。
ボート遊びもスケートもできるこの湖?白木の立ち並ぶロマンチックな散歩道?
溜め池とたまに鹿や猪も出る山じゃダメですか?ダメだよねー。
なんて言うか、町の建物からして洒落てるんだよね。さすが伯爵領。うちもこんな風になんないかなぁ。
牛や豚や鶏が楽しく暮らす牧場は可愛いと思うんだが。貴族にはウケないだろうなぁ。
今回は出張です。
ふふふ。指名を受けるなんて、私の名前も捨てたもんじゃないわね。
……なーんて。
王宮の仕事を早めに終わらせてからの副業なんだけどね。
どうせ明日は休みなんで泊まりがけのお仕事です。嬉しい事に、ご飯付きで報酬がかなりいいのよ。
太っ腹な依頼人は大好きです。あ、脂肪は要らないよ。
そうこうしているうちに馬車は止まり、外からドアが開けられた。
置かれた踏み台を使い降りると、目の前にはナイスミドルな執事さんがいらっしゃる。
横にピンッと細く整った立派なお髭に、ビシッとした姿勢の良い見本のような執事さん。
「ようこそ」と発した声の重低音に首筋がぞわっとした。なんつー渋い声。
無口なのか、使用人出入口から目的地まで無言だった。残念。でも、目的地の扉の前を示して「どうぞ」と聞けたのでまぁいいか。可能ならもっとお話しをしたいところだが、仕事もあるし明日に期待しよう。
礼を伝えて扉をノックをすれば室内から声がかけられた。
『白いドレスは』
「永遠の憧れ」
『いつかこの手に』
「輝くティアラを」
なんだこの合言葉。誰が考えた。
どれだけデビュタントしたかったんだ。
スッと開いた扉を前にお辞儀をして中へと足を進める。
「来た、来た、アンナ!も〜遅いわよ」
「そうよぉ、待ちくたびれちゃったわ。だから、王宮なんて辞めて専属になりなさいっていつも言ってるじゃないのっ」
あちこちからかかる野太い歓迎の声に「遅れて申し訳ございません」と頭を下げる。
煌びやかな広間を彩るシャンデリアに、美しい四重奏を奏でる楽士たち、そして、色とりどりの艶やかなドレスを身に纏った男性の群。
おぉぅ。視界の暴力……。
腹に力を入れて、耐える。
無表情になってしまうのは申し訳ない。慣れるまでに少し時間がかかるのだよ。
慣れてしまえば、微笑ましい可愛い光景なんだけどなぁ。
「ほら、早く、早く。みんな待ってるのよ」
ドレスを着たちょっと小太りのおじさんに手を取られて、広間の一角にパーテーションで区切られたスペースへと導かれる。
2台の鏡台が置かれたそこには、顔見知りのミミィちゃんが早速お仕事をしていた。
普段着でも相変わらずの美人っぷりに見惚れそう。ニヤって口端だけ上げる笑顔も男前〜。いや、女前?
「遅かったわね。先に始めてるわよ」
「すみません。ちょっと遅くなりました」
「いいから始めちゃいなさい」
そう言うとミミィちゃんは鏡台前に座るおじさまの化粧に戻る。
私も道具一式を確認して、お客様1号の化粧へと取りかかった。
先程手を取ってくれた小太りのおじさま。別名シャルロットちゃんというこの別荘の持ち主の伯爵様である。そして、今回のお茶会の主催者でもある。
事の発端は、再指名をしてくれた外務大臣だった。
彼…いや彼女のメイクに感銘を受けた同士の方に詰め寄られ、その方もメイクをする事になり、その後もまた依頼されたので、もういっその事ことサロンでもやっちゃおうか!と言う事になったらしい。
男性だけの集まりとしてひっそりと開催された夜のお茶会も今回で3回目である。
カードなどのゲームを楽しみながら社交してると信じてる奥様たちにこの光景は決して見せられない。
お茶会の参加人数に私一人では対処できないと判断して、ミミィちゃんに助けを求めたら快諾してくれた。
出張で痩身指導もしてくれるそうで、店長も大口を見つけたと喜んでくれている。
私も楽になるし、ミミィちゃんも新客をゲットできるし、美魔女希望のおじさまも中年太りが解消できる。ついでに痩身指導は奥様にも人気らしい。
一石二鳥も三鳥にもなっていい事尽くめだね。
ちなみに、奥様たちには女性店員さんが対応するし、おじさま相手の時はミミィちゃんは男装するらしい。
余計な軋轢はいらないよね。
てか、ミミィちゃんの男装見てみたい。カッコ良さそう。心は乙女だけど。
鏡台の近くに設けた着替えスペースでは、ミミィちゃんの友人のジュディちゃんとロッティちゃんがドレスの着付けをしてくれている。
ジュディちゃんとロッティちゃんは仕立て屋の店員さん。なんと新鋭のデザイナー、ダラパールのお弟子さん。そりゃセンスいいはずだわ。
この4人で現在8名の会員のメイクアップとドレスアップをやっております。
その名も『美魔女作成隊』。
私が唯一の女性なのに、明らかに美人度は私が最下位という謎なチーム。
化粧を終えて、薄くなりつつある頭髪に巻き毛の鬘を装着して、ブラシで自然に馴染ませると完成。
なぜかみんな鏡を見て「これが、私?」と見惚れる。
そうか、これが様式美というやつか。
「こんなに自然なお化粧できるなんて初めてよ。ありがとう」
「元の素材が良いからですよ。終わりましたらお化粧落としもさせて頂きますのでご安心ください」
けっしてお世辞ではなく、元々顔立ちはいいんだよ。ちょっと頭頂部が薄くて全体的にふっくらしているだけで。
なので、ほんわか癒し系で可愛くしあげてみました。
おじさま…もとい、シャルロットちゃんは上機嫌で皆さんの元へ歩いていく。ドレスも高いヒールも難なく着こなすのは素直にすごいと思う。
みんな変身すると私よりも女性度が高いのはなぜだろう。
詰め物………いやいや、そんなハズはない。
…………。いやいや…だが、しかし…。
「アンナ。この子を頼みたい」
「はい。お任せください」
声をかけられて我に返る。
いかん、仕事中だった。
完全装備の美魔女マリアンヌさんという別名の外務大臣が連れてきたのは、私とあまり歳が変わらない青年だった。
おぉう。穏やかそうなイケメン。
やだ照れちゃう。
でも、変身願望有り。首から下は淡いピンクのドレスだ。
………うん。仕事しよう。
「どうぞ、お座りください」
引いた椅子に座る様から緊張しているのが分かる。
うーん。緊張を解してやりたいが、私も口下手な内気さんだからなぁ。
「この子は私の部下でね。今日が初めてなんだ。とびっきり美しくしてやってくれ」
「かしこまりました。最善を尽くします」
マリアンヌさんは満足気に微笑むと、お友達の輪に戻って行った。
相変わらずの迫力美人だなぁ。
そっか、初体験なのね。穏やかイケメンの初めてを頂きました。
大丈夫、優しくしてあ・げ・る。なーんてね。
「では、始めさせて頂きます。ご要望があれば遠慮なくおっしゃってください」
「え、あ、あの……」
「お気を楽にしてください。キャンディはお好きですか?おひとついかがですか?」
戸惑っているイケメンにボンボニエールを差し出せば、キラキラした飴を一つ手に取り口に入れる。
少しだけ顔が綻んだ。
甘い物って美味しいよね。
「では、化粧水から。少し冷たいですよ」
コットンに浸した化粧水を軽くはたく様に顔に馴染ませ、化粧を開始する。
やっぱり、若いと肌の張りが違うね。おじさまたちとは化粧方法をちょっと変えるか。
下地を丁寧に作り、ベースをどうするか悩んでいたら無口だった青年から声をかけられた。
「あまり、聞かないんですね」
「何をですか?」
「えっと、その、こんな…」
モジモジとスカート部分を弄る様は乙女なんだが、顔はまだ男性なので違和感がすごい。
「女装趣味についてですか?お話しになりたいのでしたらお聞きしますし、そうでないのならお話しになる必要はございません」
ぶっちゃけ興味ない。
趣味なら趣味でいいんじゃない?
一介の侍女に言い訳なんて要りませんよ。私は自分の仕事をしてるだけだし。
他人の人生に関わる様な性癖に首を突っ込むつもりは毛頭ない。語りたいなら聞く耳と相槌ぐらい貸しても構わないぐらいだ。
そんな事よりも仕上げに悩む。
よし、ベースは明るめにしよう。
「人の趣味は様々です。迷惑にならない趣味ならば誰に何を言われる筋合いでもないかと思います。そんな事よりも、今は変身した自分を楽しんでくださいませ。誰に憚る事なく楽しむ。ここはそういう場所です」
誰に迷惑かけてるワケじゃなし。
気兼ねなく仲間内で楽しむ為の場所であり、普段の柵から解放される為の場所なのだ。
また明日から『男』として頑張るんだから、いいじゃないか。ほんの少しぐらい羽目を外したって悪くないと思うよ。
「そう、ですね。ええ、そうですね」
おっ、いい顔。
んー、やっぱり口紅はピンク系だな。コーラルピンクとか良さそう。
地毛と同じ焦げ茶色の鬘を装着して、花の髪飾りを付ける。若いからちょっと大振りの華やかな物も難なく似合う。
「はい。出来ましたわ」
正面から退けば、鏡台に写る自分を見て目を見開く。
んふふふ。我ながら会心の出来です。
彼は鏡にそっと手を伸ばしてそっと触れる。
くる?くるか?
「これが……私…」
キターー!
これを言わずにはいられないのか、今のところ全員が口にしている。
もう、コレ聞かないとスッキリしなくなってる私がいる。毒されてきたなぁ……。
「アンナさんっ!ありがとうございますっ」
「楽しんでください」
「はいっ」
すごくいい笑顔でドレスを翻して会場へと歩いていく後ろ姿を見送って、私は次の客を迎えいれた。
この仕事を受けたのは、特別手当が出ることもあるが、何というか、おじさま達に愛着が湧いたんだよね。
元々女性への変身願望がある人もいるんだけど、中には奥方が浮気したりとか、逆に悋気がすごくて精神的に追い詰められた末にこの趣味になった人もいる。
私は変身願望なんて無いから共感はできないけど、そういう経緯とか知っちゃうと手伝ってあげようかなって思っちゃったんだよね。
それに、すっごく美人に仕上げられた時の快感っ!
更に相手が喜んでくれると、よっしゃあ!!!って片手を突き上げて叫びたくなる。
この達成感はあの面倒なシャンデリア磨きを終えて、燦然と天井で輝くのを見た時の気持ちに似ていると思う。
ミミィちゃんたちのお陰で、私の変身メイクの腕も上がっている。
臨時収入は嬉しいし、自分のメイク術が上がっているのも嬉しいけど、披露する場所ないのが難点だよね。
いつか披露できればいいけど、いつだろなぁ。
心は乙女たちのお茶会が終わるまで、美魔女作成隊のみんなでパーテーションの裏でお茶をしながらの雑談はとても楽しい。お茶会の邪魔にならないように顔を突き合わせて小声でひそひそと語り合う。
髭の隠し方、体型の作り方、ジュディちゃんの恋バナとか色々。
ここでも要らない知識が増えてる気はする。
男同士のやり方を知ってどうすればいいんだっての。
準備とか後始末とか、興味深いけど、面白いけどね。
っていうか、ジュディちゃん彼氏いるんだ。
へぇ。
へぇぇぇぇ。
べ、べつに、うらやましくなんてないもん。
なんとか形になりました。
裏タイトルは『ドキドキ⭐︎オネェだらけの秘密のお茶会』です。
アンナはどこに向かってるのか私にもよく分かりません。確実にスキルは増えている。しかし料理の腕だけは上がらないw
ちなみに、
ミミィちゃんはボディビルダーな筋肉美人。ジュディちゃんはカッコいい美人モデル系。ロッティちゃんは可愛い男の娘系。