17.王宮侍女は語り合わない
※変態注意報(今更感)
1週間に1度の貴重な休日。
朝から刺繍に精を出していたが、初夏の陽気が窓から入り込み、少しだけ暑くて手が止まった。
もうすぐ夏かぁ。と窓から見える青空に視線を移す。
大陸の北に近いせいで冬は寒いが、夏は茹だるような暑さにはならないのはありがたい。
それでも、やはり暑いものは暑い。
何が言いたいかって言うと、夏に近づいたこの時期に、窓際での作業なんて止めときゃ良かったってことだ。
机に置いていたぬるい飲み水を飲んで、作りかけのタペストリーを広げてみる。
この前からどうしようかと、悩みに悩んでいる場所が一向に進まない。
そこはタペストリーのメインと言っても差し支えのない部分。これ次第で出来が決まると言っても過言ではないと思っている。大事な場所なのだ。
この時の私は悩みすぎてちょっとおかしかったんだと思う。ついでに初夏の暑さも相まって、思考がぶっ飛んでいた気がする。
悩みに悩んだ私は決意したのだ。
そうだ!血を見に行こう!
何度も言うが、ちょっとおかしかったんだ。
そう、全ては初夏の日差しが悪いのだ。
今日の目的は決まったが、目的地が決まらない。
動物でも構わないのだから厨房に行こうかと思ったけど、厨房には捌かれた新鮮な肉たちが届く。つまり血抜き済みで処理済み。
うちの田舎みたいに厨房の裏で鶏を絞めたりはしないんだよね。あれはあれで、新鮮で美味しいと思うんだけどね。王宮内じゃあ無理だよねぇ。
他は、騎士たちの鍛錬場でも有りだけど、肉食女子の縄張りなので遠慮したい。ハンター率高くて、ひ弱で繊細な私にはハードルが高すぎる。無理無理。
綺麗さと品格が売りの貴族街は論外。あそこの食べ物商売はレストランやカフェなどの洒落たとこしかないもんね。
残るは市民街の肉屋かな。
確か、市場が集まってる所があったはず。そこなら新鮮な肉を捌いてるに違いない。いいや、鶏ぐらいは捌いてるはずだ。
そうと決まれば早いうちに出かけなければっ。
貴族街を抜けて市民街までサクサクと歩く。田舎育ちなんで、足には自信がある。
貴族街を抜けるぐらいで歩けなくなるようなやわな足は持っていない。
ふっ。田舎者を舐めるなよ。
って誰に言ってんだか。
血が見れる場所を探してうろつく女。
後から考えれば、おかしな思考だったと分かるが、この時の私はかなり真剣だった。
頭の中は刺繍と、血の事しか無かった。
だって、その出来次第でタペストリーの完成度が変わってくるのだ。すなわち売値に影響するって事でしょう!妥協はしないっ!
まずは肉屋。他は、葬儀屋…いや、それは死体だ。
葬儀屋はダメだ。というか、場所を知らない。
肉屋ならあちこちにあるはず。
意気揚々と目指した市場に果たして肉屋と思しき店はあった。鳥籠に入った鶏や繋がれた山羊もいる。
そこでハタと気がついた。
肉屋で豚や鶏や山羊を絞め殺す所を見せてください。なんて言う女が来たら怖くない?あまつさえ血が流れてるとこが見たいなんて言われたら……。
うん。私が肉屋なら速攻で通報するか、追い出すわ。
……………。
肉屋はダメだ。
迂闊だった。こんな落とし穴があるとは。
他に血が見れる場所を求めて市場を後にする。
そして私の視線の先に、まるで神の啓示のように太陽に照らされた診療所があった。
何度でも言おう。
初夏の日差しが悪かったのだ。
診療所の前まで来て、重大な問題にぶつかる。
ここまで来たけれど、何て言えばいいんだろう。
病気も怪我もしていない人が診療所には来る理由って何だ。
ーーー誰か流血してる人はいませんか?
いやいや、それじゃ危ない人だ。
ーーー血が見たいんですが…
悪化してどうする。
ーーー怪我人はいませんか?
この線かな。これなら……いける、のか?
あれ?無理じゃない?
そもそも血が見たいって伝える時点でダメじゃない?
物語の吸血鬼が好きなイタイ奴にも取られない?
事情を話せば協力してくれる医者とかいないかな。
血の変色とか流れ方とか知りたいだけだし。
悶々と悩んでいたら、目の前のドアがいきなり開いて医者の格好をした人が出てきた。
向こうも目の前に人がいて驚いてるが、私も心の準備も無しに医者に会ったので頭の中は真っ白だ。
お互いに無言の中、医者の後ろから薬袋を手にした子どもが「せんせぇ、ありがとう」と手を振り、私の横を駆けて行った。
医者はその子を見送ると私を見てにっこりと微笑んだ。
「どうぞお入りください」
患者と思った医者は道を開けてくれる。
頭の中が真っ白になっていた私は、その柔和な顔の医者に思い切って聞いてみた。
「あの!流血した怪我人を見たいんですがっ!」
医者は驚いた後に申し訳なさそうに「生憎と怪我人はいないんです。すみません」と答えてくれた。
真っ当な返事が居た堪れない。
両手で顔を覆って天を仰ぐが、すでに後の祭り。
……やっちまった。
日差しが……日差しが悪いんだぁ…。
「どうぞ」と目の前に珈琲が入ったカップを置かれた。
診療所の小さな応接室で私は珈琲をご馳走になっている。
あの後、自分の言動の愚かさにうちしがれる私を見かねた医者が案内してくれた。
「すみません。紅茶は置いてなくて」
「いえ、珈琲は好きなので構いません。こちらこそすみません。ご迷惑をおかけしました」
頭を下げて謝れば「いえいえ、いいんですよ」と微笑まれた。
いい人だ。
なんて出来た人なんだ。
王宮侍医のサディスト集団とは格が違う。
感動していると、医者も珈琲をゴクリと飲みカップを置いて私を見つめてきた。
「ところで、ワケをお聞きしても良いですか?」
ですよね。
いきなり流血した怪我人を聞くとか、どこの野戦病院だ?って感じだよね。
苦笑いを浮かべて、私は理由を話すことにした。
タペストリーの題材にサメロンを選び、そのテーブル上の表現に行き詰まっている事。
主に、愛人たちの首を並べた皿から溢れる血と、汚れたテーブルクロスと、並べた時に滴り落ちたサメロンのドレスに着いた血の染みの色と流れ方が気になるという事。
タペストリーのほぼ下半分を占めるのが血なんだから仕方ない。
「その全てを同じ赤で表現するのは違う気がして。だからと言って何色なのかと聞かれると分からなくて、だったら知ってる人に聞けばいいと思いまして…」
ええ。考えすぎてちょっとおかしかったんです。
すみません。今、猛烈に反省してます。
できたら記憶を消してください。まさか、穴を掘って埋まりたくなる日が来るとは思わなかった。
つい刺繍に熱中しすぎたのよ。売りに出せると分かったせいで、その…職人魂が、ね。
それも、これも、初夏の陽気が悪いのだ。
居た堪れなくて医者の顔が見れない。
ヤバい奴を通したと後悔してるんじゃないだろうか。
「アンナさん……」
引かれてる?説教される?
善良な医者にされるとちょっと凹むわ。
恐る恐る医者を見ると、何故かキラキラした目で手をがしっと両手で包まれた。
「素晴らしいですっ!」
「へ?」
「その若さで死体に興味を持つとは、素晴らしい事です」
「え、あ、ありがとう、ござい、ます…?」
え?褒められてんの?
なんで?
てか、死体?いやいや、タペストリーの話をしてたよね。愛人たちは死体なんだから、間違っては、いない、の…かな?………えぇ?
「血液というのは、一般的に赤と認識されていますが、病気によっても変わってきます。内部からの出血は時に黒く見える時があるんですよ。
しかし、サメロンの場面で言えば首からの出血。しかも切断後ですので、愛人の首を乗せた皿は明るい赤色だと思われます。そして、テーブルの染みや王妃のドレスは、時間の経過毎に茶色く変色していくと思ってください。場所によっては黒に近い色になります。
しかしながら、血液よりも大事なのは愛人たちの肌ですよっ。血液が抜けた事により肌の赤味が消えて、その肌は白い陶器のように輝いている事でしょう。そう!例えるなら白磁器のような美しさ!そうそう唇も色が落ちますからね、そこは間違えないようにお願いします。できれば顔は苦悶よりも静謐さのある死顔がいいと思います。半開きになったガラスのような瞳と、何かを伝えようと少し開いた口が何よりも確かに寂寥を現していると思いませんか?
ねぇ、アンナさんもそうは思いませんか?」
いや、聞かれても………。
口を挟む隙も見せずに、穏やかだった医者は輝かんばかりの笑顔で死者について熱く熱く語ってくれた。
サメロンが処刑した愛人たちの首の話から、死者の尊厳、美しさ、果ては古代ミイラの作り方まで、それはもうこちらがドン引きして魂を飛ばすほど熱く語り尽くしてくれた。
辞去の挨拶をする隙はなく、唯一の脱出口である扉は医者の背後。
看護士が呼びに来るまで続いた医者の熱い熱い弁論は、当たり前だが私の心に何一つ刺さる事はなかった。
患者の来訪で永遠に続くかと思えた時間終わり、やっと息が吸えた気がする。もう口の中はカラカラだが、珈琲を飲む気力もない。
呼びに来た看護士が、生贄の羊を見るような視線を寄越してくる。そんな目をするならもっと早くこの医者を回収しに来いっ!
私の血が見たい発言なんて可愛いものだよ。
医者の方がヤバい奴だった。
ヤバイってもんじゃない。完全にアウトじゃないのか。いや、アウトだろ。
コレを野放しにしてて良いのだろうか。
けれど、何をしたワケじゃないから通報も出来ない。
とりあえず、匿名で要注意だと投書でもしておこう。
死体愛好者疑惑の医者は「良ろしければ、また来てください。共に語り合いましょう」と爽やかに言って仕事に復帰していった。
いやいや、一方的に話してたのはお前だけだ。語り合った記憶も事実も欠片も存在していない。
やめてくれ。私を同志だと思うな。
心の底から辞退するが、他に仲間を増やすのも止めて頂きたい。私の繊細な心が痛んで仕方ない。
こんな所に長居は無用と、辞去を伝えてさっさっと診療所を出る。
怖くて後ろは振り向けなかった。
さっさっと帰って、投書しとこう。
そして、この近くには二度と近づかない。
近づかないったら、近づかないっ!
たぶんお話の中でこの医者が1番の変人です。
彼は今後出てくる事はありませんが、事件を起こす事も捕まる事もありません。大丈夫(?)な変態です。
死者を尊ぶ方向がちょっと歪んだだけで、欲情はしません。