彼氏教育は舌先三寸
時系列・・・「涙の魔法」完結後のとある土曜日。
三人でいつもの飲みトーク。代わり映えのない向かいの席の二人の顔をなんとなく眺めていて、ふと菜々が何かを思いついた様子。
菜々「お二人は伸ばそうかなーって思ったことないんですか?ヒゲ」
豊島「いきなり何」
茂松「話の流れガン無視発言は定期だろ、なっちゃんの」
豊「ヒゲねえ。手入れとか意外と手間らしいし、めんどくせーから伸ばしたくない」
茂「同じく」
菜「えー。似合うかもしれないのにー」
豊「俺はともかく、シゲは似合わねーだろ。どっちかっつーと童顔寄りだし」
菜「んー、確かに」
茂「そもそも俺、あんまヒゲ生えねー方だから、どのみち無理」
豊「そういやお前の無精ヒゲ姿とか、見た覚えねーな」
菜「デスマ真っ盛りの時の豊島さんは、よく口の周り青ーくなって無精ヒゲぱやぱや生えてましたけど、確かにカナちゃんさんはあまり変わらなかったような覚えが」
茂「疲労感が顔に滲み出ないのも、結構損なんだぜ?唐突に『同じ徹夜仕事してるはずなのに、さっぱりツラの変わんねえおめー見てっと、無性に腹立つから一発殴らせろや』とか理不尽なこと言ってくる鬼がいてさ」
菜「田辺さんボイスで脳内再生、余裕でした」
豊「俺らがイメージするヒゲ面って言うと、やっぱり田辺さんのイメージだよな」
茂「惰性で伸ばしてろくに手入れなんかしなさそうなのに、クッソ似合ってるのがマジで謎だわ、あの人のヒゲ面は」
菜「無駄にかっこいいんですよねえ、田辺さんのヒゲ。イケおじ感満載で、円香さんがベタ惚れになるのもわかるなー」
茂「だとよ、裕太」
豊「別に田辺さんに妬いたりしねーし、見てくれであの人にかなうとは思ってない」
茂「その点はさすがに同意。性格振る舞いはとてつもなく傍若無人なくせして、ルックスだけは無駄にハイスペック過ぎて、マジでチートキャラだもんな」
菜「同性も思わず惚れちゃうほど、ですよね?」
豊「安易にそれ同意しちゃったら、菜々ちゃんのお花畑脳内が盛り上がるだろうから、ノーコメント」
菜「総攻め固定田辺さんの絡みネタはいくらでもストックしてあります」
茂「時すでにお寿司」
豊「寿司食いてーな」
菜「あたしの妄想を華麗にスルーするネタ作らないでください!」
茂「とはいえよ、気軽に裕太にヒゲ生やさしたらなっちゃんは得するかもだけど、たぶん会社じゃ下の連中ビビるぜ?強面感が増して、余計近寄りづらくなるんじゃねーの」
豊「普段から慕われてる自覚ねーし、そこは別に気にならねーけど」
菜「あたしが会社にいた頃は、豊島さんは怖そうな人ってイメージ持ってる先輩、結構多かったですよ」
豊「……初耳なんですがそれは」
茂「それくらい自覚しろよ鈍感。お前に直接お伺いを立てる勇気のねー後輩連中の頼み、俺を通して話つけてくることなんかしょっちゅうなんだぞ」
豊「マジかよ」
菜「間違ったこと喋ったら物凄く怒られそうとか、殺される覚悟が要るレベルで睨み付けられそうとか、先輩達によく聞かされたりしたっけなー」
茂「元々たっぱがあるせいで威圧感あるだろうからな」
豊「……背はお前だって大して変わんねーだろ」
菜「カナちゃんさんは威圧感なんて全然ないですもん。何でも話聞いてくれそうだし」
茂「1ミリも尊敬されず舐められてる感はあるけどな」
菜「そんなことないですよ。親しみやすくて、頼りになるってことなんですから」
茂「どうかねえ。時々裕太みてーに睨み利かせて下のヤツら黙らそうとしたって、全然効果ねーんだよなー」
菜「いつものカナちゃんさんのおふざけかな、ってみんな思うでしょうね」
茂「まさにそれ。見てくれで損してばっかなんだよ、俺は」
菜「普段から目つきの鋭い豊島さんクラスじゃないと、睨み一つで黙らせるなんてなかなか出来ませんよ」
豊「その辺で勘弁して……そろそろ俺のダメージがやばい…」
菜「あらら。ちょっと調子に乗り過ぎちゃいましたか」
茂「そうしょげるな裕太。下をまとめなきゃなんねーお前が、俺みてーに舐められきってちゃリーダーなんて務まんねーだろ」
菜「そうですよ。ちょっと怖がられてるくらいがちょうどいいじゃないですか。いずれ豊島さんは部長に昇進するんですから」
豊「そもそも部長になりたくないし、周りから怖がられてるとか避けられてたって現実がただつらい…」
菜「もー。案外打たれ弱いんですね、豊島さんって」
茂「なっちゃんが容赦なさ過ぎなんだよ」
菜「そうでした?」
茂「そもそもさ、なっちゃんは会社にいた頃から、裕太相手に全然ビビってなかったよな」
菜「だって、怖いイメージ全然ないですもん。周りの人がどうしてそんなにビクビクするのか、不思議に思ってたくらいですし」
茂「今よりも人見知り傾向が強かったくせに、意外と肝据わってるよな、なっちゃんって」
菜「そうかも知れませんけど、豊島さんって仕事真面目だし、教え方も丁寧だし、優しい人なんだなってイメージが強かったからだと思いますよ」
豊「いいよ菜々ちゃん……無理にフォローしようとしなくても」
菜「無理なんかじゃなくて、本当にそう思ってましたって。先輩達の中で誰よりも頼りになるなーって、あたしは豊島さんのこと一番尊敬してたんですから」
豊「菜々ちゃん……!」
菜「そんな豊島さんがヒゲ生やしてちょっとイメチェンしてみたら、今よりもっと素敵な大人の男性になるんだろうなー。一度でいいから見てみたいなー」
豊「わかった、やってみる。菜々ちゃんにそう言ってもらえるなら」
茂「素直すぎるが故に苦労するタイプだよな、お前も案外」
アラフォーにもなれば、ヒゲ一つで貫禄が出てくるようなもの。でもこの二人はおそらく似合わないでしょうね。菜々に乗せられた豊島も、結局面倒だとか難しいとかいう理由で断念するか、実際に生え揃えさせて菜々に見せてみたら微妙な反応だったから元に戻すかのどちらかになるのではないかと。
でも、いつもと違う一面も見てみたい、と思う菜々の心情も、わからなくはないですよね。




