オオカミ
光の中に現れたのは、オオカミだった。まばゆい光はとどまるところを知らずに広がり、やがて目に見える空間のすべては、真っ白に染め上げられた。
大きさは並みだが、白銀色をしたオオカミは、口を開いた。
『――はじめてだな。こうやって君たちと顔をつきあわせるのは』
見た目よりもはるかに、荘厳な声だ。声、というのは正しくない気もした。――何せこれは、わたしたちの頭の中に響いてきていたのだから。
『君たちのことは、君たち自身以上によく知っているし、その感情のすべて、僕のものだ。僕は、君たちの秩序と精神の柱だよ』
柱は、君たちの言葉で、神様かな。そうやってオオカミはつぶやいた。輝かない眼を、わたしたちに向ける。黒玉以上に何も映さないそれは、思っているよりもうつろな怖さを持ってしまっていた。
『君たちはいま、怯えという感情を、最も多く持っている。それもそうだろうね。いきなり見知らぬ場所で目を覚まし、恐怖を抑えて寝に走れば、元の場所とはまた違う、元の世界でもない、この世のどこでもないような無機質な空間にいたのだから』
初木が、目の端でへたり込む。その姿は、さっきの決然としていて堂々としていた、何にも負けないようなものではない。それこそ、恐怖に震えているようにすら見えた。しかし、――無神論者の国で育った――私は、負けじと口を開く。
「ねえ、神様。教えて、どういうことなの? わたしたちは、死んだのでしょう? 死んだあとは、虚無の闇。そこに魂も、世界の原理も存在しないよ。なのに、ここはなに?」
『ちょっと落ち着きなよ、鈴木遼佳。二つの質問でいいのかな。
まず一つに、ここは君たちの体の、心の中だ。胸の中ではないよ、頭の中でもない。精神の空間だ。頭上に浮かんでいるでも、なんでもご想像通りでいいよ。決まりはないのでね。
次は、死んだのに、ということかな』
オオカミが、にやりと笑ったような空気になった。もちろん、その意味は分からない。けれど私は、心臓や首元を、ぎゅっと捕まれたような気分になっていた。
『君たちはね、死んでいるよ。少なくとも、君たちのいた世界ではね』
瞬時に、空気が凍った。問うた私すらも、左手の爪が柔らかい手のひらに血をにじませていた。誰ひとり――いや、オオカミ以外は、息もしていない。こういうとき場を和ませそうなジュンですら、右手で左腕を血がにじみそうなほど、強く握っていた。
オオカミは、首をかしげる仕草をした。
『ん? どうしたんだ。さっきそこの今原淳一も、惨く軽く、言っていただろう。分かっていたことだろう。それが、どうしたんだ』
ジュンが、顔をそらしたのを感じた。いたく傷ついたような顔をしていた。初木は、呆けを通り越して、怒りを生んだ。さっきのような冷然さはかけらもなく、憤りを隠すことなく醜く眉間にしわを寄せて、犬のように吠えた。
「おい、オオカミ! お前、自分のことを神だと言っていたな。ならばその姿は何だ! なぜ、我らはここへ連れてこられた! すべては、なんなのだ」
『そう目くじらを立てるなよ、伊野初木。怒ったって、何も出てこないぜ』
つかみかかりそうな勢いの初木を、あおるようにそういうオオカミ。初木は、オオカミに近づく。しかし、見えない壁があるようにその手は阻まれた。
『傲慢だね。人ゆえなのか、それは“嘘つきオリヴィエ”。君だからなのか』
初木は、息を飲み込んだ。それは、さっき私が口を開いたときの初木の顔によく似ていた。絶望、不安、恐怖。そんな負の感情をいっしょくたにしたような顔だ。
『さあ、すべては君たちには教えられないよ。そうやって言われたからね。――もっとも、いまの君らに教えたとしても、何ら意味はないだろうけれど』
呆然としてる間に、オオカミは、神様は消えてしまっていた。
強烈に難産でした・・・
お読みくださり、ありがとうございました!