『えらい美人』
歩いて行くと、そこだけぱっと明るくなった。太陽に照らされたような健康的な光じゃなくって、月に照らされたあだっぽい光だ。その光の根元には、確かに美人がいたのだ。
緩やかに波打つ豊かなブロンズ。三つ編みに編み込まれたそれは金糸のように柔らかくまとめ上げられ、首筋に沿って片側へ流されている。
立ち姿すら、イケメンだとかただかっこいいとかじゃなくって、本当に『美人』としか言いようがない。四肢がすらっとしていて、まくり上げられた白シャツから出る腕は――自分のように血管が浮き出る白さではなく――まるで人が踏み込んだことのない処女雪だ。
その人は、自分たちの声に気がついたらしく、後ろを振り向く。その瞳が深淵の黒色だった事に不思議な感じがした。透明なその黒玉は、自分たちをとらえて映した。
一つため息をついて、
「やっと、か」
しみじみとしたそれは、艶っぽさといい、ふくんだ息といい、まるで女性のようだ。けれど男の人ならではの声のしっとりさと、女性にしては低いそれが、『美人』が決して女性でないことを知らしめていた。
「おー、ごめんな。待たせて」
「もう慣れてしまった。お前の有言不実行は、並大抵じゃないな。すぐ戻ると言ってもう確実に10分は過ぎている」
「ごめんて。でもさ、こんな座標も位置も分からないところで一人の人を探せって、無理じゃんね」
「無理じゃない。昨日そちらの方向にいたのだから、そこにいるに決まってる」
「決まってはないら。もしかしてめちゃくちゃ寝相悪くってすっごい移動してるかも」
「そんな寝相はないだろう…。ないよな?」
「ふっふー、俺の術中にはまったな! 話しすぎて怒られるってのもしてたから」
「ただの嘘か」
「おん」
「じゃあ、嘘の罰だ。方言をやめろ」
「いやあ、それは無理な相談だに。癖みたいなもんだし」
「癖は意識をすれば直せるものだぞ。――そいつか」
自分は思わずえ、と声を上げた。
話の矛先が急にこちらへ向いたのだ。その美人と彼の視線が自分へいっぺんに向いて、ちょっとおののく。慣れたはずの彼の笑顔が、少し期待に満ちているような気がして、逃げ帰りたいような気分になってしまった。
「お前、さっき――時間的にはもう昨日だろうが――、私が行ったときには寝こけていたからな。正直、いま起きているか、まず生きているか怪しい気持ちすらしたが。まあ、会えたのだから、良かったな」
「は、はあ?」
「昨日、時間軸で言うと――体感的に九時くらい。お前がいるのを見つけ出したのだ」
「あ、そうなんですか……」
頭の中で、一人称まで美人ですか。男性で私とか、とどうでもいいことを考えていた。そして、要領を得ない言い方だ。
「けれど、お前は寝こけているし、戻ればこいつもこいつで寝ている。さすがに怒り心頭だった」
「さっき、彼にききました。蹴られたって」
「お前……」
「ん、気にすんな。こいつも戸惑うからそんな顔するなって」
小さく小言を漏らす。けれど美人は言いつのっていった。無意識のようなに、顔は穏やかである。
そして、ついに彼がキレた。
「あーもう、いい加減にしとかんとこいつもさすがに怒るに。俺だっていい気はせんし」
「そういっても、こいつもお前も寝こけているのが悪い」
「だからさ、自分で言ってたじゃん。時間的には昨日でしょ、寝てるくらいなら真夜中じゃん。真夜中に訪れる方が失礼千万、非常識だとか思わんの?」
「失礼千万は、だらしない寝顔を見せたお前の方だろう。九時就寝とか、子供か、お年寄りくらいだ」
「悪いかよ! 妹がちっさかったし、電気代がもったいないってさっさと消されたし!」
「あのー!?」
話に置いてきぼりにされた感があって、つい口を出す。さっきの興味津々と言った目線はどこへやら、殺気のごとく鋭い視線がこちらを向いた。
「なんだ」
「ごめん、ちょっとこの分からず屋をどうにかするもんで」
「分からず屋はお前だろう!」
再熱しそうな二人の間に立ち、ぐっと力を込める。
「あの、何か用事があって自分を呼び出したのではないのですか」
「用事……? ああ、あったな。しばし待て、この阿呆を成敗する」
「阿呆とか成敗とか、いつの時代ですかー。馬鹿にするのも大概にしりん」
「それは時代劇ばかりを私に見せた母にいえ。私はお前の言葉についていっているのだ」
「ありがためいわくですー。てか、まったくありがたくない」
「それは俺もだ」
「じゃあもう関わんなきゃいい話じゃん」
「そうはいかんだろう」
「あーもう、本当要領を得ない」
またも置いてきぼりにされる。この我が強い美人は、自分の言うとおりにならないと収まらないようだ。髪を振り乱して口論し続ける二人に、止める気も結局起きなくなった。
* * *
「終わりましたか?」
どれくらい経ったのか。分かりたくもないが、二人は立ち疲れ話し疲れ、傷つき傷つけ過ぎて床に突っ伏していた。きれいに整えられていた美人の方の髪も、見事ぐちゃくちゃになっている。不思議だったのは、即物的に殴ってしまいそうだった美人じゃない方の彼が、そんなことをする気配がかけらもなく、むしろ美人の方が手を先に挙げそうになったことだった。殴り合いまでもつれ合うことはなかったけれど。
「あー、うん……ごめ」
「本当にな……」
疲労困憊のその様子にとりあえず座れとさとす。
「んー、ごめん」
「いや、私こそ……」
「あの、自己紹介しましょう……よ?」
自分たちはこの間、互いの名前も知らないでけんかをしていたのだ――バカはどちらか。
そういうと、美人の方が無情に笑った。
「ああ、そうだな……」
襟を正す。
「私は、伊野初木。半分は外つ国の血であるから、オリヴィエ=ヴェレールという名前もある。どちらでもいい、好きなように呼べ」
「オリヴィエってさ、オリーブって意味なんだに。いっぱい意味があるんだけどさぁ、潔白とか。なんか違和感だよな」
彼は、そこでいったん言葉を切り、こっちを向いてにやりとわらった。
「かわいーく、リヴェってよんであげよう」
「え、知ってたの? 名前」
「んや、今知ったに」
「気にするな、たぶん『漫画知識』、だ」
あきれたように、美人の方が――初木が、鼻で笑う。彼がにやりと笑い、
「まーそのとおりだよ」
と照れながら笑った。
「次はお前だろ」
「はーいはい、俺な。今原淳一、ジュンって呼んでくれ。生まれてからずぅっと田舎育ちだから、かなり方言がひどい。自覚はある」
「あるのか」
「うるさいなー」
「はい、続きは?」
「んー、困ったらすまん。直す気ないけど。死んだのは16才! よろしくな」
「ああ、うん……?」
どういう反応をしていいか分からず、とりあえず微妙な顔で笑う。美人――オリヴィエが苦い顔で耳打ちする。
「こういうヤツだ」
「はあ……」
「ほい、次はあんただ」
肩を叩くジュン――はいはい、やりますよ……と、笑う。
「自分は鈴木遼佳です。生きていた頃――こういうのはいやなのですが――は、病気がちで入院してばかりでした。こうやって同年代と関われることが少なかったので、変なことを言うことも多いでしょうが、よろしくお願いします」
二人は、黙った。それぞれ目配せして、自分は首をかしげる。なにかまた、気に障るようなことを言ってしまっただろうか。そうやって不安がると、それが伝わったのか「なにかすまん、」とオリヴィエが小さく謝った。
「何がですか?」
「いや、そこまで気分の良いものでもなかっただろう。そういうことは」
「ああ、気にしないでください。なんというか……ただ言っただけですから」
「んー……そういうもんかなあ…?」