第五話
小さなパーティで歓迎された翌朝、翼と空音は金糸雀から呼び出しを受け、魔法少女の専用服に袖を通していた。
魔法少女の服は空を飛ぶためのパワードスーツを可愛らしくみせるために、レースや花といった装飾がされている。一級の服飾士が作っただけはあり、扱いにくい厚い生地が上手く縫合されていた。実際に飛ぶときは、パワードスーツ、魔法少女としての制服、飛行装備の順番で身につける。
「ここは先輩が後輩の面倒を見る仕組みなの。……服はあなた達の好みを考えてデザインされたようなんだけど、どうかしら?」
後輩に飛行警備についてや制服の着方を教えるのも先輩の勤めだと金糸雀は微笑む。
「えへへーっ。綺麗な服ー。これ、空音が着ていいの!?」
空音が手にしているのは白いワンピースだ。全ての光を吸収する白さは、様々なことを吸い上げて成長していく少女を象徴している。黒ではなく白を選んだのは、いつまでもそのままでいてほしいという願いが込められているようだ。同色のケープは少女の成長途中である膨らみを隠し、あなたには見せないと恥じらう。連絡用ヘッドドレスもウェディングベールのように作られ、何かの恣意性を感じられなくもない。
「いいのよ。それは空音ちゃんだけが着られる服だから」
「はーい!」
空音用の服であるということなのだが、小さくて他の子はきつくて着られないという意味も含んでいた。特に胸の部分は真っ平らに設計されており、豊熟した果実を抱えている金糸雀には着られないだろう。
「翼ちゃんはどう?」
舞い上がっている空音とは対照的に、翼は己の制服に興味がなさそうだ。肩幅と丈の長さを確認し、金糸雀へと視線を向ける。
「その、翼ちゃんっていうのやめてくれ」
「あら。そうね……翼くん、はどうかしら?」
「…………悪くない」
響きが気に入ったようで、まんざらない表情で翼は瞳だけを動かし金糸雀へ視線を送る。これが男女であり、惚れた腫れたな人物であれば勘違いしていたに違いない。現に金糸雀も翼の流し目に少しだけ硬直した。
「まあ……男の子みたいね、翼くん」
「よく言われる」
艶やかな黒髪を翻し、翼は己と似た黒い服を見つめた。長袖と長ズボンという肌を一切見せない意匠で、どちらかといえば魔法少女よりも敵の女幹部という言葉がしっくり胸に落ちる。黒紫に仕上げられた服は上品さと色気を兼ね合わせ、見る者をうっとりさせるような妖気を滲み出す。黒烏の羽のようなレースは近寄りがたさを演出し、威圧感のある風格を飾り付けていた。全体的に空音とは真逆の方向性を持っており、空音と並ぶと正義のヒーローと悪の組織に見えるのだから面白い。
「翼くんはヒラヒラしたものが苦手って聞いたの。制服の標準はミニスカなんだけどね」
「金糸雀のも違うじゃないか」
「私は……ほら、ミニスカを履きたくなるような年じゃないもの。足も太いし……似合わないわ」
決まりが悪そうに金糸雀は金色のロングスカートをつまんだ。膝を隠すスカートの横には切れ目が入っており、動きやすさを重視されている。足が太いと公言するわりには惜しげもなく見せつけており、胸を強調させて腰のラインをも浮き出させる作りは乳臭い少女に踏み込めない領域にあった。
「……魔法少女は一種の見世物だから」
金糸雀は疲れたように溜息をついた。少女らしい水揚げたばかりの瑞々しさを見せることはなく、育児で疲労した親のように下を向いた。まだ余裕があるように見えるのは過大な期待をせずに諦めているからだろう。
魔法少女は見世物だ。アイドルになる訓練と称して魔法少女の門を叩く者もいれば、ただ単に制服を気に入った子もいる。空を飛ぶという栄光を忘れ、自分の美しさと――他者から誉れることに酔っているのだ。
「見世物だってわかっているのにお前は魔法少女になること選んだ。それほど、強い思いがあったんだろう?」
「……ええ。翼くんは大人って感じね。私みたいな子供の悩みなんて、ちっぽけだと思っているんじゃない?」
「そう思ってはいないさ。青臭い奴を見ているぶんはいい。厄介事を呼んでこなければな」
「性格悪いわね」
「性格に良い悪いもないぞ。性格は常に誰かの主観でしか語られない。大切な人と疎遠な人に見せる一面は違って当然だ」
寂しそうに翼は呟き、はしゃいでいる空音へと近付く。
どういう意味なのかと金糸雀は逡巡しながら二人の後を追った。
「魔法少女はあくまでも飛行警備隊よ。何かあったらヘッドドレスの通信機で会話。現行犯を捕まえることはあっても、勝手に殴ったりしちゃだめよ。翼くんは一級だから銃刀の所持を認められているけれど、必ず通信で発砲の許可をとって。もう一度言うわ、私達は飛行警備隊であって国営の警察とは違います」
三人は実地へ赴き、地面の感触を確かめる。
多くの照明で照らさせた街は朝の風景を彩り、あまりにも眩しくて空音が目をつぶった。
太陽の光はほとんど天蓋に吸収されてしまう。よって人工照明が街の光であり、生活補助として発達した地下にも多くの照明が設置された。
「ウエストバッグの中に暗視橋や発信機があるので適宜使用してください。プラス、二級である空音ちゃんにはGPSといった受信機、一級の翼くんには銃の携帯許可。……空音ちゃん、GPSってわかる?」
「うん!」
空音はわかっているのかわからないのか判別できない速さで即答した。
本当に理解しているのだろうかと顔を曇らした金糸雀に、翼が口添えする。
「金糸雀。空音は機械操作を小さな頃から教育されている。デジタルコードの読み取りもできるぞ」
「……十歳の子供がデジタルコードを読み取れるなんて……デジタルコードを読むということはその人の人生や考えを知るということよ。空音ちゃんはいいの……? そんな教育をされてきて。大人にとって都合のいい子供にされている感があるわ」
デジタルコードとは左手首に巻くことが義務化されている腕輪型装置だ。デジタルコードの所持者である人物の行動を自動保存し、経歴の確認や犯罪行為を立証するための記録装置として活躍している。デジタルコードに蓄積される情報には大から小まで含まれ、排泄時や風呂といった私有時間までも記録されるのはどうかという議論が稀にのぼることもある。
「ぽよ? 空音は魔法少女になるために勉強したぽよ。ツーちゃんも怖かったし、コーノにもいっぱい怒られたけど、全部魔法少女になるためだからやった」
目的のためならば手段を選ばない。そういう響きが空音の言葉にあった。しかも笑顔で言うところが、破滅を選んだ狂信者を連想させる。まるで「どうして人を殺してはいけないの」と疑問を抱いた者のように――。
空音の発言に気味悪さを感じて金糸雀は顔を引きつらせた。この子ならば銃を向けられても動じない、という仮説が金糸雀の頭の中に立てられた。すると空音が十歳の皮を被ったナニカに思えてきて、不気味さが胃の中に溜まっていく。
「どーしたの、カナ。空音変なこと言った?」
空音の赤い目が金糸雀を捉える。邪気を宿していないのに、反論を許さない捕食者のごとき瞳だった。
「……いえ、そんなこと私は――」
「金糸雀は私達のようなイレギュラーが怖いか?」
翼が問いかけると、時間をかけて金糸雀は「いいえ」と首を振った。ただ金糸雀の顔は引きつったままであり、困惑しているのは一目瞭然であった。
「今の私が恐ろしいと感じているのは……いいえ。世界の停滞は滅亡を招く。進化として社会は大きく変わりゆき、その弊害が翼くんと空音ちゃんであるならば――そうなることを強制した大人や社会が怖い。私は十七。あと一年しか子供でいられない……」
「金糸雀……」
「さあ行きましょう。今日はあなた達の初仕事!」
重くなりつつあった空気の中、金糸雀は無理やり笑顔を作って二人を先導する。
「ねぇねぇツーちゃん。空音ってオカシイの?」
「おかしくない。お前は普通の女の子だ」
空へ飛び立つ直前、翼は空音の手を握り締めた。
夢を叶えるという行為が他者から異常に見えるとしたら、夢を叶えようと努力する本人はどう思うだろう。どう感じるだろう。
努力とひらめきが成功へと続く道であるならば、少女はすでに成功への一歩を踏み出そうとしている。しかし少女を取り巻く世界は彼女を異常だと目をつけて、成功の芽を摘み取ろうとする。逆の視点から考えてみると、異端視というのは対象の人物に正しい道へ戻ってきてもらう最後のつらい手段だ。
「……お前は普通の女の子だ」
翼は暗示をかけるように繰り返した。
社会は多くの歪みを生み出しました。
その歪みに打ち勝てるものが少女という偶像であったために、翼と空音に輝かしい未来はありません。
ただもしも自ら光となるならば、いずれ――。