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第十六話

 一週間の始まりは全校集会の黙祷によって告げられた。

 亡くなったのは一昨日翼と話した地原であり、日曜の朝、路地裏に倒れているところを通行人が発見したらしい。彼の体は銃痕で虫食いになっていたというのに、近所の住人は銃声を耳にしていないと誰もが証言した。設置されていた監視カメラにも犯人らしき姿は映っておらず、体に穴を開かされ倒れていく地原の姿のみが記録されていた。

 薄気味悪いものを感じ、翼は熱心に黙祷する。死者への祈りが届くかは知らないが、亡くなった者へできることはこれしかないように思われた。

 早朝の全校集会が終わってしばらくしても、校舎は生温い水を滴らせていた。雨漏れが自分の頭に垂れてこないか誰もが気にし、何度も苦しそうに頭上を確認している。


「みんなの気持ちもわかるが、授業を始めるぞ」


 教師が生徒を慰めるが、教室の雰囲気は変わらずにどこからかすすり泣く声が聞こえてきた。高校一年生のクラスメイト達はたった数ヶ月とはいえど同じ空間を共にしていた者に友情を抱いていたのだ。

 殺された理由が特定されるまではこの状況が続くのだろうと翼は感じ取った。休み時間も周囲の不安に心揺れ、首を前に傾ける。

 魔法少女とは一体何なのか。どういう立場の人間なのか。疑心だけが積もっていくというのに、答えに触れた者に一生触れることはできなくなった。

 放課後になると、橙色の髪をツインアップにした少女が翼の教室を伺っていた。彼女は翼の姿を見つけると、水を得た魚のように生き生きと目を輝かせた。


「翼、今帰り? よかったら途中までどう?」

「珍しいなお前から誘ってくるなんて。寮でも滅多に声をかけてこないじゃないか」

「あんたが一級じゃなきゃ、気安く行けたわよ。はぁ……早く三級のひよっこから脱出したーい」


 溜息をついたぐらいで雲雀の翼は失われない。橙の瞳は太陽のごとく己を焦がしつづけ、周囲に熱を与え続ける。彼女が太陽と違うのは己への接近を許していることだ。惑星は互いに途方もなく離れているが、彼女はむしろ自ら近寄ることを望んでいる。何を考えているのかわかりやすい。何を望んでいるのかわかりやすい。何かを匂わせる影の濃い者よりも、こっちの方が居心地よく感じるのは至極当然だった。

 あっ、と雲雀は突然足を止めた。そして腰を折り、翼の顔を下から覗き込む。


「ひよこ型のお菓子食べれば卒業できるかな? あっ、今月のお小遣いピンチなんだった。翼はどう思う? ひよっこ脱出の一手!」

「ひよこは鶏になるんだぞ。確か生後半年もすれば産卵できるぐらいになる。焦る必要はない、ひよこは鶏になれる。……鶏は飛べないがな」

「むっ、知ってるわよそれぐらい。馬鹿にしないでよね!」


 語気は強いといえど、二人は口角泡を飛ばして罵り合っているのではない。

 三月に出会ったときのことを二人は覚えている。二人の関係の変化はよいものであった。当事者にとっても周りにとっても、二人の変化は本に綴られた物語のようだ。


「馬鹿にしてはいないさ。ただお前たち人間は、少しずつ知識を吸っていく生き物だ。対して私は生まれたときからたいていの知識を植えつけられている。1+1を覚える頃には微積が解けるんだ。だからお前たちのように、一定年齢で求められる知識の天井がない。恐らくお前のいう"馬鹿"と私の思う"馬鹿"も水準が違う。人間の思い通りに動かないだけでスクラップにされてきた兄弟を私はたくさん見てきた」


 雲雀は翼の話に耳を傾けながら、歩幅を合わせて肩を並べている。

 自分の話を雲雀が聞いているとわかり、翼は言葉を続ける。


「そういう捨てられる――試作品や実験品は、人間のことなど考えていやしないのさ。だから彼らを哀れんでしまうのも私が人間よりになってきているからだ。人間よりの評価基準を持ち始めているからだ。……お前がひよこから鶏になろうと、私は生まれたときから鶏だ」

「きゃー翼の根暗ー。そんなこと考えてたのー。真剣すぎて馬鹿みたいー。あっははははは。……って言ったらさ、あたしってどんな人間に見える?」

「……続く言葉次第だな。嬉し泣き、苦笑い。私を作った人が、言葉遊びというか人を引っ掛けるのが好きなんだ。そのせいで論点がずれたり一言目と二言目とで真逆なことを言ったりする」


 そこまで言って、雲雀のわかりやすさが「一言目の意思の永続」によるものだと翼は理解した。雲雀の気持ちを知りたいならば一言目をじっくり聞けばいい。彼女の一つ目の動作に彼女の本心は表れる。視線の動き、スカートをつまむといった動作にも彼女の気持ちが鮮明に描かれている。

 空音は真っ直ぐだが他人の心の揺れに察しがよく、誰かのために本心を偽ることもある。

 金糸雀は言動が食い違い、本心を見失っている。矛盾と曖昧さで形を曇らせたふわふわした意思になる。

 九藍は小難しい言葉を並べ、他人が悩んでいるのを楽しんでいる節がある。木花もこのカテゴリだ。


「ふんふん悩んでますなあ」


 考え事をしていて自然と歩みが遅くなっていた翼の隣を、雲雀は駆け抜けた。ふわりと香ってきたものは涼やかな匂い。残り香は強くなく、薄い雲のようにすうっと消えていく。革靴は舗装された路面を軽やかに打ち付けて、次の一歩を踏み出す準備はできていた。


「前も言ったと思うけど、あたしは言いたいこと全部言いたくなっちゃうんだ。それで小学校中学校と敵作っちゃってさー、散々な学校生活だった。そんな自暴自棄になりかけていた日々を変えてくれたのが魔法少女だったのよ。一人だったあたしに声をかけてくれたの。大丈夫? 悩みがあるの? って感じでね。すっごく嬉しかった……! 魔法少女になりたいって思ったのもその頃。思えば単純な動機だったかもしれないけど」

「素敵な動機だと思うぞ。お前の心を踏みにじるようなことを言ってばかりで悪かった。撤回する。お前は魔法少女だ」


 翼の絶賛に雲雀は一瞬だけ目を丸くし、ありがとうと頬を赤くしながらはにかんだ。

 橙の翼は誰よりも雄大に広がっている。




     *   *   *




 鳥の羽が舞うように、毛先が風に誘われている。白い髪は背中に宿した翼と、うなじを隠す垂れ幕だ。幕が上がるのは髪を結う時や強い風を受けたときのみ。

 翼が教室で授業を受けている間、空音は一人でしっかりと巡回を行っていた。十歳という色々と不安な年ではあるが、幼少時から特殊な訓練を受けていたため、飛行警備隊としての仕事は一人前にこなせていた。

 今日も異常なし。そう思いながら悠々に飛行する。足裏と翼部に備え付けられているジェットエンジンも装備の発達で静かに稼働させることができるので、うるさく感じない。緩やかに飛行している間は無音の境地に身を投げ出した気分に浸れるほど静かだ。


「お勉強楽しそう……」


 双眼鏡で周囲を警戒していると、偶然どこかの学校の教室の中が見えた。机を並べている子供たちの容姿は空音と同じぐらいだ。みな熱心に黒板を見つめている。中には明後日の方向を見ている不真面目な生徒もいるが、空音の知るところではない。

 机を並べるのは楽しいだろうか。たくさんの人と同じ場所にいて酸素が足りるのだろうか。みんな一緒に同じ内容を学ぶのはどんな気持ちがするのだろう。

 浮かんでいく煩悩を潰すことはできない。子供らしい想像力が空音に知恵を与え、眩しい視線を学校に送らせる。勤務中でなければ、今すぐにでも教室に飛び込んでみたい。動悸のような昂ぶりを旅行かばんに詰め込んで、今日も明日も持ち歩く。

 体の向きを変え、巡回ルートを見据える。空を歩む心地ではいけない。空音は力強く飛び立って足を地面から離した。

 住民区を通り過ぎ、高層ビルの頭上を越えていく。今日も異常なし。そう考えていたらビルの屋上に人影を見つけ、空音は急降下した。


「屋上は危ないぽよ」


 語りかけても返事はない。

 ビルの屋上にいたのはスーツ姿の女性であった。まだ昼の時間であるというのに、女性は一寸先も見えないような曇った目で空を仰いでいた。

 どうしたのだろうかと空音は女性の顔の前で手を振ったり、服の裾をつかんでみたり、何度も声をかけてみた。それでも返事はなく、空音が肩を落としていると。

 

「……鳥?」


 深く沈んだ声だった。飛べない鳥が泥沼に落ちてしまい、助けを求めるような必死さも含まれていた。


「鳥……じゃない? 人……?」

「魔法少女ぽよ。飛行警備隊二級飛行隊員空音っ」


 空音は半歩後ずさりながら自分の名と役職を告げた。


「魔法少女……? 魔法使いさん……?」

「空を飛ぶ魔法は使えるよ!」


 ああ、と女性の顔が和らいだ。その豹変ぶりに空音は再び恐怖を覚えて後ずさる。

 

「空……ソラ……そら……。空ってなんだったかしら。あなたはわかる?」

「うん!」


 空について知りたいと聞かれ、空音は得意気になって話した。天蓋の向こうにあること。終わりなく続いていること。少々話を盛りすぎたところもあったが、空音にとって空は宝箱であり追い続ける誓いをした夢だった。


「多分そこが天国なのね」

「てんごく?」


 聞きなれない言葉に空音は首を傾げた。天国ってなあにと空音が尋ねると、風が吹けば吹っ飛んでしまいそうなほど女性は弱々しく微笑む。


「天国っていうのはね、死んだ人が招かれる世界のことなの。そこではいかなる呪縛から解放されて、誰もが空を飛べちゃうの。生きている間は……落っこちるだけだから」


 女性の視線がビルの下に向けられている。彼女は屋上だというのに靴を脱ぎ、化粧も念入りにしていたのか整った顔立ちをしていた。ぷっくりとした唇が重苦しい言葉を紡いでいなければ、普通に仕事に励む大人に見えただろう。化粧で綺麗に見える顔と巧妙に隠している疲労に溺れた顔とが交互に空音を襲ってきていた。


「落っこちないよ! 翼があれば人は飛べるの。この翼は普及してないけれど、いつかみんな空を飛べるようになるぽよっ」


 首を振り、目をぱちくりさせて、襲ってくる幻影をなんとかはねのけて。上唇を一度噛み、拳を握り締めて空音は女性と対峙した。

 

「……無理だわ。あなたの翼はあなたのもので、私のものじゃないもの」

「でもでも、自分から落っこちようとしたらだめっ。飛ぼうとすればみんな飛べるの!」


 女性を元気づけようとするほど、様々な言葉がブーメランとなって自分に返ってきていた。

 飛ぼうとすれば飛べる。――気持ちの問題ならば、四年の月日のうちになぜ叶わなかったのか。

 そもそも、自分が飛ぼうとしている空は魔法少女として飛んでいる天蓋の下ではないはずだ。じいじが見せてくれた空は黒く塗りつぶされた蓋ではなく、青く染まった万華鏡だったはずだ。


「おねーちゃん、歩こう? 地面の上を歩くのも気持ちいいよっ」


 割れてしまいそうな女性の心を空音は優しく包み込む。何度も説得してようやく女性は階段を下りていくことを決め、おぼつかない足取りで屋上から離れていく

 女性が無事に下に戻ったのを確認し、空音は大きく飛び上がった。


「天蓋さんが悪いわけじゃないぽよ……」


 意気消沈とした声を漏らしつつ、空音は天蓋の表面を撫でる。

 本部に帰還しようと体の向きを変えたとき、視界に藍色の光が横切っていった。

 眩しいと空音は目を瞑る。同時に自分が求めていた何かをその光に照らし合わせてしまう。鳥を追いかけるように空音は進行方向を変え、その光の正体を探ろうと全速前進で突っ切った。しかし触れようとしてもそれに触れることはできず、虚しく目の前で霧散する。徐々に速度を落としていき、空音は空中で停止する。体の中を虚しさが通り抜けていった。







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