神隠しの話
第115段(遠野物語)
御伽話のことを昔々という。
第7段(遠野物語)
上郷村の民家の娘、栗を拾ひに山に入りたるまま帰り来たらず。家の者は死したるならんと思ひ、女のしたる枕を形代として葬式を執り行なひ、さて2〜3年を過ぎたり。
しかるにその村の者猟をして五葉山の腰のあたりに入りしに、大なる岩の蔽ひかかりて岩窟のようになれるところにて、はからずこの女に逢ひたり。互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはゐるかと問へば、女の曰く、山に入りて恐ろしき人にさらはれ、こんな所に来たるなり。逃げて帰らんと思へど、いささかの隙もなしとのことなり。
その人はいかなる人かと問ふに、自分には並の人間と見ゆれど、ただ丈きはめて高く眼の色少し凄しと思はる。子供も幾人か生みたれど、われに似ざれば我子にはあらずといひて食ふにや殺すにや、みないづれへか持ち去りてしまふなりといふ。
まことにわれわれと同じ人間かと押し返して問へば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがへり。一市間に1度か2度、同じやうなる人4〜5人集まりきて、何事か話をなし、やがて何方へか出て行くなり。食物など外より持ち来たるを見れば町へも出ることならん。
かく言ふうちにも今にそこへ帰つて来るかも知れずといふゆゑ、猟師も怖ろしくなりて帰りたりといへり。20年ばかりも以前のことかと思はる。
※一市間は遠野の町の市の日と次の市の日の間なり。月6度の市なれば一市間はすなはち5日のことなり。
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むかしむかし、遠野のある長者の家には14になる姉と幼い弟の兄弟がおりました。家は栄え、牛馬など多く飼っていましたが、それだけに妬む者も多く、主人は財産を守るためにいろいろと工夫をしているようでした。あるとき主人は馬の買い付けに行くと言って、従者一人を連れて屋敷を空けました。ところが何日も経って主人は村はずれの谷で倒れているところを釣り人に発見されたのです。何とか命は取留めましたが、従者も居らず持っていた大金も失って、主人はそのまま寝付いてしまいました。
そうなると家の中がごたついてきます。兄弟の母親は弟の出産のときに亡くなっていて、後添いがありません。家宰が家を取り仕切っていますが、この男は幼い弟の後見となって家を乗取てしまおうと画策し始めました。また、親族のあるものは自分の息子に姉を娶らせて、家に入り込もうと考えます。病人は放りだしてそこここの座敷で企みがめぐらされるようになりました。
姉は家にいたたまれなくなり、またお父親に好きな栗を食べてもらおうと、女中一人を連れて山に入りました。ところがこの女中が家宰に取り込まれていたらしく、山中で姉を崖から突き落としました。そして己は屋敷に戻って、姉を山中で見失ったといいました。
姉は幸いに途中の潅木にあたってから川に落ちた為死なずに済みましたが、冷たい水の中で気を失ってしまいました。
姉が目覚めるとそこは小さな囲炉裏の傍らで、藁に包まれて寝かされていました。小さな男の子が一緒に寝ています。不思議なことに男の子は赤い髪をしていました。そこは板間と土間だけの小屋のようです。小屋の主は木椀作りを生業としているようで、木椀がたくさん入った籠やろくろが土間に置かれています。窓から差し込む光は赤みをおび既に日が暮れようとしているようです。
姉が起きようとすると右足に鋭い痛みが走りました。見ると足首から膝に掛けて添え木がしていて布できつく巻かれています。どうやら足は折れてしまっているようです。姉が途方にくれているとしばらくして入り口の引き戸が開けられました。
それは大きな大きな人影でした。大人が立って楽に通れる大きさの入り口から頭一つ分飛び出してしまっています。窮屈そうに身をかがめて入ってきた人影は6尺を超えているでしょうか、逆行で顔は見えませんが真っ赤な髪をザンバラになびかせています。
娘はあきれたようにこの巨人を見上げていました。でも不思議と怖さは感じませんでした。近頃いつも屋敷で感じている悪意の篭った雰囲気をこの巨人からは感じなかったからです。冷静に考えてみればこの家の人が姉を介抱してくれたはずで、それはこの巨人だと思われます。巨人は恐る恐ると姉に近づき腹は減っていないかと聞きました。赤い顔に高い鼻とそしてきれいな青い眼をしています。ああ、私は天狗様に助けていただいたのだと姉は思いました。
ううん。と言って男の子が目覚めました。姉の顔を覗き込んだ後腹減ったといって巨人にしがみつきました。男の子は色白でやはり青い目をしています。巨人は鍋を囲炉裏の五徳にのせながら今日は罠にウサギが掛かっていたからウサキ鍋だなどと男の子に話しています。男の子ははしゃぎながら水桶を持って外に走り出していきました。
巨人は再び姉に近づくと俺のことは怖いと思うが逃げないで欲しい。今立とうとすると足をもっと酷く痛めてしまうといいました。とてもやさしい口調です。姉は首を振って怖くないと答えました。そしてお前様は天狗様かと尋ねました。巨人は少し驚いた顔をしましたが、くすりと笑うとそんなえらいものじゃねえと答えました。姉はいっぺんに巨人のことが好きになりました。
姉はウサギ鍋を食べながら巨人に家のことや森で起きたことを話しました。男の子も最初は珍しそうに話を聞いていたのですが、いつの間にかこくりこくりと舟を漕いでいます。巨人は話を聞くと難しい顔で考え込みました。そして姉にこう言いました。本当はお前の足ではしばらく動かさねえほおがいい。しかしお前は今帰らないともう父親に会えなくなるかもしれねえ。だから、これからお前を屋敷に送り届ける。
巨人は男の子を寝かしつけると、背負子に姉を座らせ、しっかり布で縛り上げて背負いました。それから姉には何がどうなったのかまるで分かりません。後ろ向きに座っているのですが暗い森の中をまるで飛んでいくように木々が流れていきます。姉はやはり巨人は天狗様なのだと思いました。足は振動で痛みましたが、心は風になったように踊っています。わずか一刻ほどで巨人は屋敷にたどり着きました。しかし、巨人は表からは入りませんでした。垣根の隙間を見つけて裏庭に忍び込み、人気のないのを確認して主人の寝室に忍び込んだのです。
屋敷はガランとしていました。この時屋敷の人はわずかな人数を残して姉を探しに山に行っていたのです。もちろん家宰も山に行っています。助けるためかどうかは分かりませんが。巨人が入ってきたとき主人は広い座敷にひとりで寝ていました。主人は体を起こすことも出来ませんでしたが、頭を少し浮かせて巨人を見上げました。巨人は離れたところで背を向けて姉を見せました。主人は軽くうなずいて近くに来るように言いました。
主人は姉から山で起きたことを聞きました。そして巨人に書状を書くから体を起こして欲しいと頼みました。
半刻ほどで書状を書くと花押を押して書状を姉に渡して言いました。これを隣村の庄屋に渡すように、そしてお前はこの家に戻ってきてはいけないと。隣村の庄屋と主人は昵懇の間柄で書面をもっていけばこの家の事は良いように計らってくれるだろう。しかし、お前が家にいてはまた何時命を狙われるか分からない。それに、お前を利用しようとする輩が現れていつまでも家がまとまらないだろう。だから、しばらくこの方に匿って貰いなさい。そして巨人に言いました。実は○○山に隠れ屋敷を作ってある。今は従者が一人屋敷を整えているが、この子と共にその屋敷を預かってもらえないだろうかと。
巨人は一度は断りましたが、主人が病の身を起こして両手を突いて頼んだので引き受けざるえませんでした。巨人は主人を元の様に寝かせると、姉を背負って出て行きました。主人はいつまでも月の光を見送ったそうです。
隠れ屋敷は山の中腹の道のない森の中に隠されていました。屋敷に行くには流れの速い小川をさかのぼらなくてはならないのですが、実はこの小川を上流で堰止めると石段が現れるのです。屋敷は森の中にあるとは思えないこざっぱりとしたもので、美しい漆塗の家具で飾られています。上手く森に隠された牧場には何匹もの牛や馬が飼われていました。従者は最初こそ驚きましたが、巨人と話すうちに巨人のやさしさを知り信頼するようになりました。姉は巨人と男の子と従者と共にこの屋敷で心穏やかに過ごしました。
2年の月日が過ぎました。この屋敷のことは巨人の一族である山窩の間で知れるようになりました。山中の移動を常とする山窩の生活は、自由ではあっても怪我や病気などになれば苦しいものです。里の近くに住む河原者に預ける事はできるのですが、役人の詮議を受けることもあるため身請け人を探すのに時間が掛かります。巨人はそんな人達を屋敷で一時的に預かるようにしたのです。その代わりに山窩は生活に必要なものと持ってくるようになり、その時に各地の情報を巨人に話していきました。巨人もまたその情報を訪れる人に話すので、屋敷は山窩の間で情報交換の場として知られるようになったのです。
姉も16になっていました。この頃の16歳というのは立派な大人です。山の暮らしで丈夫になり健康的な美しさに輝いています。巨人にとっては一緒に暮らしていて目のやり場にこまることもしばしばです。
ある日姉は霊芝を採りに山頂近くまで登っていきました。病人を2人預かった為、薬が足りなくなったためです。そこで猟に来ていた村人にばったり出くわしてしまいました。村人も驚きましたが、姉も驚きました。村人は姉にどうしていたのかと聞き、姉がいなくなってからの屋敷のことを話しました。やはり主人はそれから程なくして亡くなったそうです。しかし隣村の庄屋が後見となって弟が成人するまで屋敷を見てくれることになり、今ではすっかり落ち着いているそうです。あの家宰はいろいろな悪事が露見して家を追われたそうです。姉は話しを聴きながら考えました。例えば、今屋敷に帰ったらどうなるのだろう。村人は姉が暗い顔をしているのに気がついて再びどうしたのかと尋ねました。姉は村人に話し始めました。
自分は山で恐ろしい人にさらわれこんなところにいると。それは恐ろしい目をした人で、自分は何人も子供を産んだけれど殺されてしまったと。仲間が何人もいて逃げ出す隙がないと。
村人は薄ら寒そうな様子になり、挨拶もそこそこに逃げるように山を下りていきました。
姉は少しさびしい気持ちもしましたが、何かさっぱりした気持ちとなって隠れ屋敷に戻っていきました。