3-2.狂犬の強襲
──機械が壊れるのは限界を超えた時だ。人間が壊れるのは、限界を超える理由を見つけた時だ。
中層セクターD-7。高架道路の下は、上層の光が届かない恒久的な薄闇に覆われている。排気ダクトが吐き出す温風と酸性霧が混じり合い、視界は二十メートル先から白く濁る。その霧の中を、重装甲の輸送トラックが自動航行で進んでいた。
全長十二メートル。車体は対爆仕様の複合装甲で覆われ、タイヤではなく磁気浮上式のスカートが路面から五センチの高さで無音に滑走している。周囲を警戒する四機の武装ドローンが、トラックを中心に菱形のフォーメーションで随伴していた。各機には二連装の自動小銃と赤外線スキャナーが搭載されている。加えて保安要員が二名、トラックの運転席に同乗していた。
高架の支柱の上──地上十五メートルの鉄骨の上に、カナメは腹這いで伏せていた。右手の端末にトラックの走行データがリアルタイムで流れ込んでいる。速度、進行方向、ドローンの巡回パターン。すべてがカナメの予測通りだった。当然だ。この警備アルゴリズムを書いたのは、他でもないカナメ自身なのだから。
ドローン四機の菱形フォーメーション。その巡回ルーティンには、一定の周期ごとにスキャン範囲が更新される。だが更新の瞬間、前方の二機が外周を広げ、後方の二機が内周に絞る位相がある。この時、トラック左側面の高さ三メートルから五メートルの空間に、赤外線スキャンの死角がコンマ数秒だけ生まれる。カナメが設計した時、この僅かな隙は許容範囲内の誤差だった。人間がその一瞬で装甲車両に取りつくことは物理的に不可能だからだ。
通常の人間なら。
「レイナ」カナメは通信端末に向かって言った。「まもなくだ。左側面。高さ四メートル。猶予は一瞬だ」
通信の向こうから、短い吐息が返ってきた。笑っている。
「余裕」
カナメは秒数を数えた。
七。トラックが高架の支柱を通過する。六。前方ドローン二機がスキャン範囲を外周に展開し始める。五。四。三。後方ドローンが内周へ絞る。二──
「行け」
暗闇の中で、何かが弾けた。
レイナの身体が、高架下の配管の影から射出された。跳躍ではない。発射に近い。義体の右脚のサーボモーターが許容出力の三倍で駆動し、生身の左脚がそれに追従する。
このコンマ数秒の間に、レイナは常人離れした身体能力で酸性霧を切り裂いて空間を跳んだ。
死角の窓を通過し、トラックの左側面に取りついた。右手のマチェットが一閃する。装甲板の継ぎ目──カナメが事前に指定した構造的弱点──に刃が食い込み、車体にぶら下がるための支点を作った。
同時に、左手に握った大口径のリボルバーを引き抜く。
ドローンのスキャンが復帰した。最も近い一機がレイナの熱源を検知し、銃口を旋回させる。通常の人間なら被弾する距離と角度だ。だが銃口が定まる直前、レイナの左手が火を噴いた。至近距離からのマグナム弾がドローンのセンサーユニットを正確に粉砕する。
レイナの身体はすでにその発砲の反動すらも利用して、トラックの屋根に跳び上がっていた。
二機目のドローンの掃射がトラックの装甲を叩いた。火花が散り、弾痕が鉄壁に並ぶ。レイナは屋根の上を転がり、ドローンの直下に入った。死角だ。ドローンの銃座は機体直下を撃てない。レイナが屋根から身を乗り出し、右手でマチェットを振り下ろす。回転翼が砕け、ドローンが機能を停止した。
三機目が上空から急降下してくる。レイナは破壊したドローンの残骸を盾にして自動小銃の掃射を受け流し、残骸を蹴り飛ばして突進した。すれ違いざまにリボルバーの銃身を機体の隙間に押し込み、引き金を引く。内部で弾け飛んだ弾丸が旋回制御を吹き飛ばし、機体は高架の支柱に激突して爆散した。
残る四機目も瞬く間に処理し、保安要員二名も立て続けに無力化する。運転席のドアを力任せにこじ開け、一人目の手首を折り、二人目の側頭部に銃把を叩き込んで気絶させた。
すべての制圧が、カナメが瞬きを数回する間に完了した。
レイナは荷台のロック機構にマチェットの刃先を差し込み、テコの原理でこじ開けた。金属が軋み、装甲パネルが外れる。荷台の内部が露出した。
無茶な機動の代償が一気に押し寄せた。限界を超えて駆動した右脚の義体の膝関節が異常な摩擦音を立て、関節部から冷却液が滲み出す。筋肉性の疲労で左腕の筋繊維も痙攣している。
レイナは荷台の縁に座り込み、荒い息を吐いた。
「……終わったよ、カナメ」
通信越しの声は、嬉しそうだった。
高架から軽やかに飛び降りてきたカナメは、無言で荷台の内部へと足を踏み入れた。
そこに積まれていたのは、厳重にロックされた四基のコールドスリープ・ポッドに似た巨大な冷却コンテナと、その側面に取り付けられたデータ管理端末だった。銃器ではない。義体のパーツでもない。この異様な冷気と警備の堅さは、間違いなく一級の機密物資だ。
カナメは端末の外部ポートにジャックインし、積荷のマニフェストを復号した。
進捗バーが走り、やがて画面にファイル名が展開される。
『機密レベル5:区画C・第三期生体サンプルおよび臓器摘出ログ』
カナメの息が、わずかに止まった。
それは、半年前のあの日──ノイマンに突きつけられ、カナメが承認キーを押すことを拒否した「メガコーポの暗部」そのものだった。スラムへの追放の原因となった、非人道的な人体実験と臓器収穫の成果物。それが今、目の前にある。
(……あの時の部品たちか)
全くの偶然だった。依頼者がこの積荷の正体を知っていたかなど、今となってはどうでもいい。自分自身が設計したアルゴリズムの癖を辿った先で、かつて自分を追放した因縁の「暗部」を自らの手で引き当てたのだ。
カナメの胸の奥で、氷のように冷たいシステムへの憎悪が再び火を噴きそうになった、その時だった。
突如、荷台内を照らしていた照明が赤く変色した。
耳障りなシグナル音が鳴り響き、カナメの端末の液晶全体に白黒の砂嵐が走る。
ノイズの中から、輪郭が浮かび上がった。
神経質そうな目。仕立てのいいスーツ。ホログラムですらない、帯域を最小限に絞った低解像度の通信映像。
カナメはその顔に見覚えがあった。かつてノイマンの腰巾着として立ち回っていた男、ヤマモトだ。
「……まさかと思いましたが、本当にスオウ元統括官でしたか」
ヤマモトの声には、露骨な嘲笑が滲んでいた。
「下層のネズミに成り下がって、我が社の機密を漁りに来るとは。あの無菌室からスラムで泥水をすする生活への転落は、さぞ快適だったでしょうね?」
「……ヤマモト」
「これより、セキュリティレベル5の自動防衛ならびに証拠隠滅プロトコルを起動します。スラムのゴミとして死ぬあなたには、お似合いの棺桶でしょう。せいぜい苦しんで死んでください」
それはメガコーポの「企業ルールの絶対遂行」に、個人的な悪意を乗せた処刑宣告だった。
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