7-4.新しい牙と共犯者たちの散歩
──狂犬に新しい牙を与えたのなら、絶対に忘れてはならない。その武器が最初に向くのは敵か、あるいは飼い主か。
八時間と十七分。
キネが最後の装甲パネルを閉じ、接合部のシーリングを焼き固めた時、手術室の空気は機械油と焼灼の臭いで飽和していた。無影灯の下、老婆は血に塗れた滅菌手袋を剥がし、深い溜息を吐いた。
「——終わったよ」
キネの声には、深い疲労と職人としての達成感が滲んでいた。
「左腕は企業軍の払い下げフレームに完全換装。各部ジェネレータも刷新して、要求通り『神経加速装置』も脊髄にバイパスしてある。以前の三倍は出力が出る、正真正銘の化け物だ」
カナメは無言で手術台の傍に歩み寄った。八時間、彼は本当に一歩もこの術室を出なかった。
麻酔の解除シーケンスが送られ、生体モニターの波形が浮上を始める。
最初に動いたのは、新造された銀色の左腕だった。無影灯の光を弾く滑らかな流線型の装甲。五本の指がゆっくりと屈伸し、サーボモーターが静かに、だが恐ろしいほどの威圧感を持って唸る。
そして、赤い瞳が開いた。
焦点を結んだ視線が真っ直ぐにカナメを捉えると、レイナは手術台を弾かれたように跳ね起きた。
全身のジェネレータが連動し、胸郭の奥で重低音の鼓動が響く。圧倒的なまでの暴力の予感が、覚醒したばかりの身体を駆け巡っている。
「……カナメ!!」
レイナは歓喜の声を上げ、新しい左腕と生身の右腕の両方で、カナメの首に勢いよくしがみついた。
「すげェ、身体が軽い! これならなんだって斬れるぞ! お前、マジでずっとここで傍にいてくれたンだな!」
新しい玩具を与えられた子供のような無邪気な甘えだった。生身の右手の体温と、冷たい銀色の装甲が、カナメの身体に強く押し付けられる。カナメはその勢いにわずかによろめきながらも、彼女の背中をしっかりと抱きとめた。
「当然だ。最高の仕上がりだな、気分はどうだ」
「最高だぜ! 早く誰かを試し斬りさせろよ、マスター!」
レイナはカナメの首筋に顔を擦りつけながら、幸福そうに目を細めている。キネは呆れたように煙草に火をつけ、そのいちゃつきとも取れる濃厚な共犯者のじゃれ合いから目をそらした。
その時、カナメのコートで通信端末が短く震えた。
レイナの腕をぽんぽんと叩いて解き、端末に出る。発信元は新拠点に単独で残してきたマウスからだった。
「カ、カナメさん。報告だよ」
マウスの声は、いつになく頼もしげに弾んでいた。
「新拠点のセキュリティシステム、完全に僕の支配下に置いた。それとロンダリングの終わった資金を使って、南第三ブロック中の監視カメラと通信ノードにハッキング線を張り巡らせたよ。……これでこの一帯の情報は全部、新しく立ち上げる僕たちの組織のものだ」
カナメの口元に、冷徹で満足げな笑みが浮かんだ。
「上出来だ。これでインフラの基盤は整った。スラムの秩序は、今日から俺たちが管理する」
「りょ、了解、ボス。……と、ところで、帰る前に市場でコーラとジャンクチップス買ってきてくれない? ピザばっかりで喉が渇いちゃって」
「俺をパシリに使う気か。自分で買いに行け」
「ええーっ、そ、外は危ないじゃんかよォ!」
情けなく抗議するマウスの通信を切り、カナメはやれやれと小さく息を吐いた。だが、その口元には呆れの中にも、手のかかる身内に対する確かな温もりと情が滲んでいた。
傍らでは、レイナが新しい左腕の指を鳴らしながら、早く外に出たくてうずうずしている。
「なあ、カナメ。帰る前に、ちょっと外回りしようぜ」
レイナは獰猛な笑みを浮かべ、カナメの顔を覗き込んだ。
「アタシたちの新しくデカくなった縄張りをさ、二人でパトロールってやつだ。もしアタシたちに逆らう馬鹿な野良犬がいたら、神経加速装置のテストも兼ねて、新しい腕で片端からシメてやるよ」
それが彼女なりの「買い出しも兼ねた散歩」の誘いであることは、カナメにも分かっていた。
「……血の気の多い女だ。まあいい、少しだけ遠回りをして帰るか」
カナメが静かに頷くと、狂犬は目を輝かせて「最高だぜ!」と無邪気に笑った。
カナメはその笑顔を見下ろし、腹の底で燃えるような、静かで深い愛おしさを覚えた。かつての自分なら絶対に弾き出せない感情だ。この狂気と純粋さで溢れた狂犬を、誰にも渡したくない。自分だけの隣に置いて、共にスラムを支配すると誓うほどの強い執着。
キネのジャンク屋を出ると、外にはいつもの酸性雨が降っていた。
だが、今の二人にとってその冷たい雨はもはや脅威ではない。潤沢な資金、無敵の拠点、身内と呼べる天才的なハッカー、そして隣で笑う、愛すべき最強の共犯者。かつてスラムの泥水を這いずり回っていた彼らは、今やこの街の誰もが恐れる裏の支配者として歩き出そうとしている。
灰色にくすんだスラムの空の下、銀色の腕を誇らしげに振り回しながら歩くレイナの背中を見つめ、カナメはゆっくりと歩を進めた。
彼らの血生臭くも愛おしい『日常』は、まだ始まったばかりだった。
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