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『ノイズ・イン・ザ・システム〜「あたしを見捨てなかった神様へ」と笑う狂犬を連れて、元企業エリートはどん底から世界を壊す〜』  作者: はーまやー


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7-1.地下要塞の鼠と歪な日常

──血と泥に塗れた日常こそが、この街における最も確かな平和だ。

 南第四ブロック、旧変電所。

 分厚い防爆扉と3メートル厚のコンクリート壁に囲まれた地下要塞は、今日からカナメたちがスラムを支配するための『裏の情報インフラ』の心臓部となった。


 その巨大なサーバールームの中央に、段ボール箱を抱えた小柄な影が不満げに立っていた。


「な、なんで僕が旧浄水施設から引っ越ししなきゃならないのさ……! ぼ、僕の家はあそこだって決まってるのに!」

「勘違いするな。お前を厚遇で招いているんじゃない、拾ってやってるんだ」


 無数のケーブルを接続しながら、カナメは冷淡に告げた。

「お前は昨日、黒灰組をハメるために血盟会の幹部に直接データを送りつけた。いくら送信元を偽装したとはいえ、スラム最大の暴力装置である血盟会が本気で履歴を洗えば、いずれお前のあの水浸しのアジトに行き着く」

「ひっ……」

「お前の自作トラップなど、プロの暗殺部隊の前では五分も保たない。だがどうだ。ここなら軍事施設並みの物理装甲があり、何より俺とレイナという最高水準の防衛戦力が常駐している」


 カナメは黒灰組の裏帳簿データが詰まったドライブを、マウスの前に放り投げた。

「俺のインフラ構築に加われ。技術を提供すれば、俺たちがお前と『リリ』を物理的に守ってやる。これは提案じゃない。お前が這い寄る死から生き延びるための唯一の最適解だ」


 マウスは青ざめた顔で周囲を見渡した。確かにこのサーバールームの仮想空間の広さと冷却能力は、以前のアジトの三倍以上はある。そして何より、命の保証。彼は震える手でドライブを拾い上げた。

「わ、わかったよ……! や、やればいいんだろ、やれば!」


 マウスが額に演算プラグを接続すると、その指は人間の限界を超えた速度で走り始めた。わずか数分で、裏帳簿の真っ黒な資金が、追跡不能な複数の電子財布へと洗浄されていく。


「完了した……これで文句ないだろ」

「ご苦労。……約束の対価だ」

 カナメは親指の爪ほどの黒いデータチップをマウスに渡した。「現金じゃない。お前にはこちらの方が価値があるはずだ」


 マウスがリーダーにチップを差し込んだ瞬間、メインモニターの少女AI『リリ』が凄まじい光量で再起動した。カナメが上層から持ち出した軍事・企業レベルのAI最適化アルゴリズム。それを取り込んだリリの表情や瞬きの解像度は、まるで魂が宿ったかのように人間らしく、美しく変貌していた。


「リリ……! な、なんて圧倒的なパラメータの美しさだ……!!」

 マウスは涙と鼻水を流してモニターの前に崩れ落ちた。

「カ、カナメさん、アンタは神だ……! ぼ、僕、一生アンタのシステム管理者をやるよ! ア、アンタの組織に入れてくれ!!」


 つい数分前まで不服そうに文句を垂れていたのが嘘のような、見事な手のひら返しだった。

 身の安全という『鞭』と、AIの超絶進化という『飴』。その両方にここまで現金げんきんになびく滑稽さに、カナメは呆れるのを通り越してすっかり毒気を抜かれていた。


 こうしてカナメは、電脳の鼠を完全に己の盤面へと組み込んだ。


          *


 数時間後。無機質なサーバールームの一角に、場違いな匂いが漂っていた。

 洗浄したばかりの莫大な資金の「最初の使い道」として、カナメが大量の物資をスラムの市場から買い込んできたのだ。


 上等な合成肉のステーキ、熱々の箱入りピザ、清潔なシーツ、そして本物の羽毛が詰まったダブルサイズのマットレス。


「うおぉぉ……! 肉だ! スラムのネズミ肉じゃない、本物の肉だ!」

 歓喜の声を上げてピザを頬張るマウスの横で、シャワーを浴びてさっぱりしたレイナが、真新しいマットレスの上にダイブしていた。


「カナメ! これすげェ! フカフカだぞ! 今までの硬いコンテナの床とは大違いだ!」

 半壊した左腕を気にすることもなく、レイナは子供のようにマットレスの上を転げ回っている。Tシャツだけの無防備な格好でシーツの匂いを嗅ぎ、満足そうに鼻を鳴らした。


「傷が開くぞ。大人しく飯を食え」

 カナメは呆れたように言いながら、彼女の分のステーキを切り分けて皿に盛ってやる。

 レイナは身を起こすと、フォークに刺した肉を自分の口ではなく、大袈裟な動作でカナメの口元へと突き出してきた。


「カナメェ、これめっちゃ美味い! アンタも食いなよ、ほら!」

「俺は自分の分がある」

「いいから食えって! アタシが食わせたいンだよ!」


 強引な押し売りに負け、カナメはしかめっ面のまま、突き出された肉を咀嚼した。その様子を見て、レイナは欠けた犬歯を見せて心の底から嬉しそうに笑う。


「えへへ……。アタシ、ずっとこういうのやってみたかったンだ。デカくて綺麗なアタシたちの城でさ、柔らかいベッドがあって、カナメの隣で美味いもん食って……」

 レイナの髪からシャンプーの甘い匂いが漂い、生身の右手がカナメの腰にすり寄ってくる。カナメはそれを振り払わず、静かにコーヒーのカップを傾けた。


 かつての彼なら、こんな非効率で無駄な感傷は一秒で切り捨てていただろう。だが今は違う。

 己の欲望と安全にどこまでも現金げんきんで、それでいて必死に役に立とうとするマウスには、世話の焼ける身内に対する呆れ混じりの愛着を。そして、泥の底から自分を信じ抜き、無防備に甘えてくるレイナには、決して手放してはならない唯一無二の伴侶に対する、深い愛情に近い執着を感じていた。

 冷徹な支配者の仮面の下で、カナメの心は確かに彼らの体温へと溶け出している。


 巨大なサーバーが吐き出す微温の中、スラムの暗闇から切り取られたような、温かくも騒がしい『身内の日常』が、そこには確かに広がっていた。

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