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『ノイズ・イン・ザ・システム〜「あたしを見捨てなかった神様へ」と笑う狂犬を連れて、元企業エリートはどん底から世界を壊す〜』  作者: はーまやー


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6-4.新しい鎖

──鎖は二本ある。一本は犬を繋ぐため。もう一本は、飼い主が離さないため。

 旧変電所の地下深く。厚い防爆扉の向こうに隠されていたのは、想像を絶する規模の大容量サーバールームだった。黒灰組が裏帳簿のデータ隠しにしか使っていなかったそこは、冷却システムも独自電源も完璧に生きている、無傷の防衛要塞だった。

 ここが今日から、スラムを支配する『裏の情報インフラ』の心臓部となる。


 カナメは施設のセキュリティを完全に掌握すると、サーバールームに併設されていた除染用のシャワー室に向かった。


「痛ェよ、あんま強く擦んな」


 パイプ剥き出しの太いシャワーの下で、レイナが顔をしかめていた。

 義体の左腕は半壊して垂れ下がり、右脇腹の生身からは激戦の傷で血が滲んでいる。Tシャツも脱ぎ捨て、スポーツブラと義体が剥き出しになった彼女の背中を、カナメは黙々と洗い流していた。

 いつもの冷たいコンテナではない。奪い取ったばかりの巨大な拠点の奥底。分厚いコンクリートの壁がスラムの喧騒を遮断し、シャワーの水温と水圧だけが二人を現実に繋ぎ止めている。


 カナメは布についた血を洗い流しながら、金属のフレームと生身の皮膚の境界線を見つめていた。

 十五年前の無力な子供が、どうやってこの過酷なスラムを生き延びたのか。なぜ生身の肉体を削ってまで重武装のサイボーグにと成り果てたのか。そして、どのような地獄を渡り歩いて他人の命をためらいなく奪う「狂犬」になったのか。

 その血に塗れた空白の十五年間を、カナメはまだ何も知らない。

 今ここで、その傷跡を根掘り葉掘り聞き出すような野暮な真似はしない。そういう安い傷の舐め合いは、互いの乾いた矜持にそぐわないからだ。だが、彼女のすべてを共犯者として最悪の形で使い尽くすと決めた以上、いつか必ず、その凄惨な過去の全容を正面から聞き届けなければならない。それが、共に血の泥沼を歩く対等の相棒としての最低限の責任だと、カナメは静かに覚悟していた。


「左腕のフレーム、完全にへし曲がってるな。またジャンク屋で部品を漁らなきゃならない」

「直してくれるだろ? アンタが壊れるまで使えって言ったンだから」


 レイナが振り向き、片目でカナメを見上げた。水に濡れた髪が頬に張りつき、強気な笑みの下にある生身の人間らしさが際立っている。


 カナメの手が止まり、レイナの右脇腹の傷にそっと触れた。

「……悪かったな、変な気を使わせて」


 これまでのカナメなら絶対に言わない、謝罪とも取れる言葉だった。レイナが少しだけ目を丸くした。


「十五年前のマフラーのことは思い出した。だが、もうお前を『フェンス越しの哀れな子供』として同情するのはやめる。お前は俺の道具であり、武器であり……この狂ったスラムで誰よりも信頼できる、ただ一人の共犯者だ」


 カナメの言葉に、レイナの呼吸がわずかに止まった。ただの「便利な手駒」から、一つの確固たる「対等の存在」として認められた瞬間だった。


「だから、これからも遠慮なく死線を歩かせる。これ以上ないくらい、効率的で残酷に使ってやる。これからは俺たち二人が、この城からスラムの掟を書き換えるんだ」


 レイナは破顔した。血も水も混ざった、信じられないほど美しいとカナメの目には映る泥臭い笑顔だった。


「当たり前だろ! っつーか、スラムの掟なんてチマチマしたこと言ってねェで、アンタを追い出した上層のクソ共も全部ぶっ潰そうぜ!」


 レイナの生身の右腕が、唐突にカナメの首に回された。無遠慮に抱きつかれ、濡れた熱がカナメの服越しに伝わってくる。

 カナメはそれを剥がそうとはしなかった。不器用に、けれど確かに、彼女の濡れた背中に手を回し、その体温を確かめるように抱き返した。


「ああ。上層の連中も、必ず俺たちの足元に跪かせる」


 地下の要塞。奪い終わったばかりの巨大なサーバールーム群の熱気が、壁の向こうで脈を打っている。

 かつての冷たい計算式の中には存在しなかった、強固で切り離せない二人の繋がり。ただの主従でもなく、哀れみでもなく、互いの罪と誇りを分かち合った本物の共犯関係が、この旧変電所の深部で産声を上げていた。


 ここから反撃が始まる。

 それは、最悪の軍師と最強の狂犬による、この世界の理不尽に対する最も苛烈で血生臭い逆襲の始まりだった。


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