6-2.孤立した獲物と兵器のノイズ
──計算式が崩れるのは、そこに「喪失への恐怖」が入り込んだ時だ。
南第四ブロック、旧変電所。
かつて区画全体へ電力を供給していたその巨大な要塞は、分厚いコンクリートの壁に囲まれたまま、黒灰組三十と数名の最後の立て籠もり先となっていた。
カナメは施設の外部、半壊した給水塔の頂部に陣取っていた。変電所全体を俯瞰できる位置だ。端末にはマウスが遠隔でリンクさせた施設の旧監視カメラ網の映像が流れ込んでいる。
眼下では、黒灰組が恐慌状態にあった。血盟会の破門通知を受け取ってから数時間。看板を失い、外部との連絡も絶たれ、幹部たちは地下のサーバールームにある裏金と薬物をどう持ち出すかで揉め、末端は恐怖から右往左往していた。
俺たちの新しい本拠地(城)を奪い取るには、これ以上ない好機だった。
「レイナ。北側の排気口から侵入しろ。大広間の左翼に見張りが四名。そこから中央の制御基部に進め。今度は殺していい」
「了解。待ちくたびれたぜ」
通信の向こうで、レイナが歓喜に濡れた息を吐いた。
半年間、締め続けてきた首輪が外れた。
排気口の鉄格子が内側から蹴り破られ、レイナが煙のように滑り込む。右手の拳銃が火を噴いた。二発。二人の頭部が弾け、壁に赤い模様が咲いた。三人目が振り向く前にマチェットの折れた刃が首の横を通過した。四人目は義体の左手に喉を掴まれて持ち上げられ、コンクリートの柱に叩きつけられた。後頭部が陥没する音。四秒の惨劇。
鎖から放たれた狂犬は、まっすぐに獲物へ走った。
大広間の中央で武装していたグループ六名に、正面から突入する。銃を撃ち尽くし、マチェットで膝を両断し、倒れた体を踏み台にして跳躍、次の標的の頭上から刃を振り下ろした。残りの四人が銃口を向けた時にはすでに懐に入り込んでおり、同士討ちを恐れた敵は引き金を引けない。その二秒の躊躇が致命傷になった。
十名を処理した時点で、カナメは次の突破経路を指示しようとした。
東側の通路を抜け、幹部たちが集結している地下へ直進するルート。途中に三名の武装兵がいるが、強行突破なら被弾の可能性は低い。
カナメの口が開いた。
──被弾。
一瞬、脳裏に「血を流して倒れる十五年前の少女」の幻影が重なった。
あの日、哀れみで手を差し伸べた少女を、俺は今、銃弾が飛び交う戦場のド真ん中に立たせている。もし次の角で死角から撃たれたら。もし装甲を抜かれて生身の臓器が吹き飛んだら。
これまではただの「損失リスク」だったものが、今日に限っては耐え難い「喪失への恐怖」としてカナメの喉を締め上げた。
「……待て。東側は使うな。死角が多い」
「はァ? 別によゆうで抜けられるぜ!」
「遮蔽物を取れ。西側の迂回路に回り込め。そこからなら──」
「回り込んだら時間かかるだろ! 真っ直ぐ行けば三秒で──」
「指示に従え。撃たれるリスクを負うな」
カナメの声が、自分でも分かるほど硬直していた。いつもの冷徹な命令ではない。何かを恐れ、戦地から遠ざけようとするような、ひどく臆病な声だ。
レイナは舌打ちをしたが、従った。西側へ回り込む。三十秒のロスだ。
その三十秒が、敵に時間を与えた。
黒灰組はパニックの中でも、生き残るためのバリケードを大広間の奥に構築完了していた。
「西側もダメだ。南側に回れ」
「だから最初に真っ直ぐ行かせろって言っただろ!」
レイナの声に、明確な苛立ちが混じった。彼女の言う通りだ。自分の指示が、自分で戦局を悪化させている。だが分かっていても、どうしても「危ない道」を指示できない。千に一つの確率でも、彼女が死ぬかもしれない選択肢を、今のカナメは選べなかった。
「また引くのかよ! もっと前で殺させろ!」
「右に二名。射線が通ってる。遮蔽を──」
「撃たれる前にぶった斬ればいいだろ!」
レイナの怒声がコンクリートの壁に反響した。いつものカナメなら、最も速く、最も冷酷に終わらせる経路を選ぶ。なのに今日の指示はすべてが消極的で、自分を戦いから遠ざけようとしている。
その混乱が、レイナの反応を一拍遅らせた。
大広間の奥から、重い駆動音が響いた。
黒灰組が非常用に隠し持っていた、軍用の中機関銃だった。弾帯を巻きつけた銃身が、分厚いバリケードの隙間から突き出されている。さらに、傭兵上がりの重装甲サイボーグが二体、両翼を固めた。
銃座が火を噴いた。コンクリートの柱を削り取るような面制圧の弾幕が、レイナの位置する柱を嵐のように叩打し始めた。
レイナは柱の陰に叩き伏せられた。右から左からサイボーグの射線が交差する。十字砲火。前に出られない。後ろにも退けない。
「カナメ! どうすんだよ!」
通信越しのレイナの声には怒りと焦りが混じっている。
カナメは端末を握りしめた。退路がない。レイナを失うことを恐れた自分の温い指示が、結果的に彼女を確実な死地へと追い込んでしまった。
機関銃の掃射音が途切れない。命綱のコンクリート柱が、一発ごとに薄くなっていく。
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