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『ノイズ・イン・ザ・システム〜「あたしを見捨てなかった神様へ」と笑う狂犬を連れて、元企業エリートはどん底から世界を壊す〜』  作者: はーまやー


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5-2.掟のハッキング

──暴力で組織は壊せない。だが、掟を一つ折れば、組織は内側から腐る。

 マウスとの交渉が成立してから四十分。カナメは操作席の横に置かれた空きコンテナに腰を下ろし、端末を膝の上に広げていた。レイナは壁際に背を預けてマチェットの刃を布で拭いている。マウスは自分のサーバーに接続されたまま、演算プラグの下から不安そうにカナメを覗き見ていた。


「ま、待ってくれ。い、一つ言い忘れてた」


 マウスの金属の指がキーボードの上で落ち着きなく踊っている。


「く、黒灰組は、ただのチンピラ集団じゃない。あ、あいつらはスラム最大の任侠組織『血盟会』の傘下だ。末端とはいえ、か、看板を背負ってる。下手に潰したら、血盟会の本体が──」


「総勢三千から四千の武装構成員を擁する、下層最大の暴力連合体だ。知っている」


 カナメの声は平坦だった。マウスの顔が引きつる。


「し、知ってて引き受けたのか」


「知っているから引き受けた」


 カナメは端末に表示された組織図を拡大した。マウスのサーバーから引き出した下層の勢力マッピングだ。血盟会を頂点とする樹形図が枝を広げ、その末端の一つに「黒灰組」の名前がある。構成員数は推定四十名。武装レベルは中程度。縄張りは南第三ブロックから第五ブロックにかけてのインフラ管理区画。


「力任せに四十人を殺すこと自体は不可能ではない。だが、そうすれば血盟会の報復が来る。三千対二人の消耗戦は、どう計算しても勝てない。だから力で潰すのではなく、システムを使う」


「し、システム」


「血盟会の掟だ」


 カナメは端末の画面を切り替えた。マウスのサーバーに蓄積されていた血盟会の内部通信の断片──マウスが長年にわたって傍受し、記録してきたデータだ。ハッカーとしての彼の真価はこういう場所に現れる。本人は怯えてばかりいるが、情報の蓄積量は下層随一だった。


「血盟会には三つの鉄則がある。一つ、傘下組織間の抗争禁止。二つ、民間インフラへの直接攻撃の禁止。そして三つ目──上層企業への薬物の横流し禁止」


「そ、それは知ってる。上に薬を流すと企業の治安維持局が動いて、下層全体が焼かれるリスクがあるから──」


「その通りだ。血盟会は下層の秩序を独占することで利益を得ている。上層との無用な摩擦は、そのビジネスモデルを脅かす。だから掟で禁じた。破れば、制裁は粛清だ。傘下の看板を剥がされ、血盟会の庇護を失う。裸で下層に放り出されるということだ」


 レイナが壁際から声を上げた。


「つまり、あのクソヤクザ共が掟破ってるって証拠見つけて、上にチクれってことかよ」


「端的に言えばそうだ」


「最初からそう言えよ。アタシの出番は」


「ある。焦るな」

 カナメは、血に飢えた猟犬を宥めるように低く笑った。

「お前の大好きな暴力の時間は、極上のタイミングで用意してある。だが今は、盤面を整える頭脳の時間だ」


 レイナは不満そうにしつつも、カナメのその絶対的な自信を含んだ声色にゾクッとしたように肩を揺らし、マチェットを拭く手は止めなかった。


 カナメは端末にデータを並べた。この二週間で収集した断片的な情報──闇市場の薬物流通量の異常な増加、南第四ブロック周辺の物流パターンの変化、そして黒灰組の構成員が最近になって急に羽振りが良くなっているという複数の証言。


「黒灰組のみかじめ料の吊り上げは、副業の利益が膨らんだことによる慢心から来ている。その副業が、上層の末端企業への合成薬物の横流しだ。ルートはまだ特定できていないが、金の流れが異常すぎる。みかじめ料だけではこの収益構造は説明がつかない」


 マウスの金属の指が、無意識にキーボードを叩き始めた。ハッカーとしての本能が、情報の匂いに反応している。


「ぼ、僕のログにも……そ、それらしい通信の断片が……」


「だろうな。お前は気づいていたはずだ。データはあるが、それを使う勇気がなかっただけだ」


 マウスが口を噤んだ。図星だった。


「証拠データは黒灰組の裏拠点にある。南第四ブロック、旧変電所を改造したサーバールーム。取引記録と資金の流れを保存した物理サーバーだ。ネットワークからは切り離されている。遠隔ではアクセスできない」


「ぶ、物理的に行くしかないってこと」


「そうだ」


 カナメはレイナを見た。レイナが顔を上げる。右目の焦げ茶色がカナメを真っ直ぐに捉えている。


「お前の仕事だ。単独潜入で、サーバーのストレージを物理的に確保する」


 レイナの口元が微かに緩んだ。マチェットを拭く手がようやく止まった。


「マウス。裏拠点の電力系統と通信パターンのログを出せ。警備の巡回ルートを割り出す」


「わ、わかった」


 マウスの金属の指がキーボードの上を走った。吃音が消える。彼の指がデータに触れている間は、恐怖も不安も存在しない。画面に黒灰組の裏拠点の電力消費パターンが展開される。二十四時間周期の波形。深夜三時から四時にかけて消費量が最も低下する。警備の交代時間と一致しているはずだ。


 カナメはそのデータをレイナの端末に転送した。


「深夜三時十五分。警備の交代の隙間に、裏口──旧変電所の排気ダクトから侵入する。内部の警備は二名の巡回と、入口の固定哨一名。巡回ルートはマウスが電力パターンから推定したこの経路を基準に動いている」


 端末の画面に、施設の簡易見取り図と巡回の推定動線が表示された。


「サーバーは地下一階の旧制御室にある。巡回が北側通路を通過した直後、四十五秒の空白が生まれる。その間にサーバールームに入り、ストレージを物理的に引き抜け。絶対に殺すな。気絶させるだけでいい」


「殺さねェのかよ。つまんねェの」


「死体さえ出なければ、黒灰組は外部からの襲撃を隠蔽する。自分たちの縄張りをコソ泥に破られたとなれば面子が潰れるし、何より裏で横流ししている薬物の金庫を探られたと上部組織(血盟会)に知られるのを極端に恐れるからな。連中のその保身と面子の計算を利用する」


「チッ……分かってるって」


 レイナは立ち上がり、腰のマチェットを確認した。折れた刃。だが、人を気絶させるには充分だ。峰打ちという概念がこの武器に適用できるかは疑わしいが、レイナの力加減はこの半年で精密になっている。カナメが「殺すな」と言えば殺さない。骨は折るかもしれないが。


 マウスがメインモニターのリリを一瞬だけ見た。銀髪のAIが柔らかく微笑んでいる。画面の中の完璧な女神。マウスの世界のすべて。


 カナメの視線はレイナに向いていた。血と機械油の匂いがする不完全な暴力装置。泥水の中で笑う狂犬。


 マウスはその対比を、演算プラグの下から静かに観察していた。自分はプログラムに命を賭け、この男は計算外の肉体に命を預けている。どちらが狂っているのか。おそら、どちらも。


「マウス」カナメが振り向いた。「証拠データを入手したら、血盟会の幹部への情報の届け方はお前に任せる。匿名で、だが幹部が無視できない形で。できるか」


「で、できる。血盟会の上層幹部・鬼柴の個人端末の暗号鍵は三年前にクラックしてある。直接メッセージを送れる」


「三年前から持っていて使わなかったのか」


「つ、使う理由がなかった。ぼ、僕は引きこもりたいだけなんだ……」


 カナメは微かに息を吐いた。この男の技術力は本物だ。必要なのは、それを振るう理由──つまり、リリを守るという動機だけだった。


「では流れを確認する。レイナが黒灰組の裏拠点からサーバーストレージを奪取。マウスがデータを解析し、上層への薬物横流しの証拠を抽出。それを血盟会の幹部・鬼柴に匿名で送信。血盟会が掟に基づいて黒灰組の看板を剥がす。孤立した黒灰組を、俺たちが始末する。この順序だ」


「ヤクザの面子を逆手に取って、自滅させるってことか……」マウスは呆れたように呟いた。「お前、血も涙もない悪党だな」


「組織もプログラムも、構造は同じだ。一番痛い急所を突いてやれば、勝手に崩れるのさ」


 カナメの口元に、悪辣で血の通った皮肉な笑みが浮かんだ。マウスは自分のリリを見た。そしてカナメを見た。この男はただの冷たい計算機ではない。人間の醜さや集団の心理的弱さまでをも精確に読み切る最悪のプレデター(捕食者)だ。


「レイナ」


 カナメが名前を呼んだ。レイナの目が光った。犬が主人の声に反応する、あの速度で。


「今夜だ。深夜三時十五分。単独で行け。四十五秒の窓を逃すな。殺すな。ストレージだけ持ち帰れ」


 レイナは折れたマチェットの柄を握り込んだ。殺すな、壊すな、という制限付きの潜入。彼女のもっとも嫌う種類のオーダーだ。


 だが、カナメが自分一人に任せてくれた。他の誰でもなく、自分の身体と勘だけを信じて送り出してくれた。その事実が、あらゆる不満を溶かした。


「面倒くさいけど──アンタがそう言うなら、やってやるよ」


 血まみれの犬歯が覗く。狂犬の笑み。それは忠誠の形をした歓喜だった。


 レイナがドームの出口に向かって歩き出す。その背中を、メインモニターの中の銀髪のAIが、碧い瞳で静かに見送っていた。画面の中の女神と、泥水の中の狂犬。どちらも、誰かのために作られた存在だ。


 カナメは端末を閉じ、レイナの背中に続いた。掟のハッキングは、今夜、始まる。


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