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『ノイズ・イン・ザ・システム〜「あたしを見捨てなかった神様へ」と笑う狂犬を連れて、元企業エリートはどん底から世界を壊す〜』  作者: はーまやー


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4-3.ジャンク屋のキネ

──商売人を信じるな。だが、商売人の勘だけは信じろ。あいつらは風向きを、血の匂いで読む。

 南第三ブロックの裏流通市場は、下層の臓腑のような場所だった。


 高架道路の下に張り巡らされた防水シートのテント群が、酸性雨を遮りながら迷路のような通路を形成している。シートの継ぎ目から漏れる雨水が、通路の中央に掘られた排水溝を流れ、泥と油と化学廃液が混じった黒い川となって足元を這う。空気には電子ジャンクの半田の匂い、安物の合成麻薬の甘い煙、そして人間の汗と体温が層を成して淀んでいた。


 カナメはフードを深く被り、通路の中央を歩いた。レイナが半歩後ろに続く。


 テントの両側には露店が並んでいる。壊れたドローンの部品、出所不明の弾薬、期限切れの医薬品、偽造ID、盗品の通信端末。すべてが非合法で、すべてに値段がついていた。売り子たちの目がカナメとレイナを値踏みする。客か、獲物か、あるいは厄介事か。


 通路の角にたむろしていたチンピラが三人、カナメの進路を塞ぐように立っていた。腕を組み、改造スタンロッドを見せつけるように腰に差している。通行料の徴収か、あるいは単なる威嚇か。先頭の男がカナメに声をかけようと口を開きかけた。


 レイナが半歩前に出た。


 何もしていない。マチェットにも手をかけていない。ただ、視線を向けただけだ。右目の焦げ茶色の虹彩と、左目の赤い光学センサー。その二色の眼光が、無表情のまま三人を捉えた。


 先頭の男の口が閉じた。二人目が視線を逸らし、三人目が半歩下がった。三人とも道を開けた。言葉は交わされていない。この市場で「片目の狂犬」の名を知らない人間は、すでに淘汰されている。


 カナメは歩調を変えなかった。レイナは何事もなかったように半歩後ろに戻った。


 南第三ブロックの奥。防水シートのテントが三重に重なった区画の突き当たりに、その店はあった。


 看板はない。代わりに、入口の鉄柱に錆びた歯車が三つ針金で吊り下げられている。ジャンク屋の目印だ。中に入ると、天井まで積み上げられた電子部品の山が視界を塞いだ。基盤、ケーブル、壊れたモニター、旧式の演算チップ、用途不明の金属塊。すべてが分類されずに堆積し、その隙間を縫って安物の裸電球がオレンジ色の光を投げかけている。空気は機械油の匂いで飽和していた。


 奥のカウンター──と呼ぶには粗末すぎる、部品箱を並べただけの台の向こうに、老婆が座っていた。


 キネ。


 痩せた体躯に、油染みだらけの作業用つなぎを着ている。白髪を無造作に後ろで縛り、口には安物の電子タバコを咥えていた。タバコの先端が青白く明滅するたびに、合成ニコチンの甘ったるい煙が立ち上る。左目が義眼だった。虹彩の代わりに金色のレンズが嵌まっており、それが裸電球の光を反射して不気味に光っている。右目は生身で、年齢に似合わぬ鋭い光を帯びていた。


 義眼がカナメを一瞥し、次にレイナに止まった。


「あァ。こないだのボロ義体の小娘か」


 キネの声は煙草の煙でひび割れていた。義眼がレイナの背中のマチェットを見る。


「相変わらずチープな刃モン背負ってんな。刃、折れてんじゃないか。それにそのやかましそうなデカブツの銃だ。弾代だけで首が回らなくなるんじゃないか? ウチで買い直してくかい。前と同じ値段で──」


「テメェ、前回ボッタクった分まだ忘れてねぇからな──」


 レイナのマチェットの柄に手がかかった。


「待て」


 カナメの声は静かだった。一言。それだけでレイナの手が止まる。指が柄から離れ、腕が下がる。三秒前まで殺意を滲ませていた眼光が、カナメの横顔を確認した途端に収まった。完全な制御。キネの生身の右目が、その一連の動作を見逃さなかった。


「……へぇ」


 キネが電子タバコを咥え直した。義眼がカナメの顔をじっくりと観察している。


「小娘に首輪つけてんのはあんたかい、坊や。大したもんだ。このイカレた狂犬を黙らせるやつは、スラムにゃそうそういない」


「商談がある」


 カナメは前置きを省いた。ジャケットの内ポケットから記憶ドライブを取り出し、部品箱のカウンターの上に置いた。


 キネの義眼が一瞥する。見た目はただの市販品のドライブだ。しかしカナメが端末を繋ぎ、その中に入っているデータの暗号化プロトコルのヘッダーだけを空中に展開した瞬間──キネの右目が見開かれた。


 義眼の金色のレンズの焦点が、ほぼ無意識に調整される。老婆の手が電子タバコから離れ、投影された数列に伸びかけ──途中で止まった。触れなかった。代わりに、顔をカナメに戻した。


「……坊や。あんたら、どこからこんなモン引っ張ってきた」


「出所を聞くのは、この業界ではマナー違反だろう」


「マナーなんかどうでもいい。こいつは死神の招待状の話だ。この暗号のアルゴリズム、軍事規格だ。上層の、それも相当深い棚から出てきたブツだろ。物理ドライブがただの小汚いジャンク品ってことは、オリジナルから中身だけ抜いたってことだ。こんなもんウチで捌いたら、一週間以内にアタシの首が飛ぶ」


 キネは電子タバコを深く吸い、煙を吐いた。青白い煙が記憶ドライブの周囲に漂う。


「帰んな。こいつは触れねぇ。殺される気はないよ」


「買えとは言っていない」


 カナメの声は温度を変えなかった。


「これを安全に開ける人間を紹介しろ。暗号を解析し、中身を仕分けられる技術を持った極上の『ハッカー』だ」


 キネは義眼を細め、喉の奥でカハッと笑った。


「紹介はいいが、安かないよ。アタシが間を持たせてもいいと思えるだけの口利き料だ……現金で百万。それ以下の端金なら帰んな」


「ふっかけたな。だが妥当だ。ただし、払う現金は三十万までだ」


 キネの顔に嘲りが浮かびかけた瞬間、カナメは言葉を被せた。


「残りの七十万は別の形で払う。あんたの店が使っている古臭い裏流通ネットワークの在庫管理システムと警備アルゴリズム。あれのソースコードを、俺が丸ごと最新の最適化モデルに書き換えてやる」


 キネの右目が鋭くなった。電子タバコの明滅が、一瞬止まった。


「……坊や。アタシの店のシステムにいつ侵入した?」


「外部からの通信パケットの応答速度から構造を類推した。無駄が多すぎる。俺が組めば、毎月のサーバー維持費と流通ロスを四割は削減できる。紹介料の七十万なんて目じゃないほどの恒久的な利益だ」


 沈黙が五秒続いた。キネは電子タバコの煙を天井に向かって細く吐き出し、それから低く笑った。しわがれた、しかし不思議と乾いた笑い声だった。


「頭の回る坊やだよ、あんた。スラムの下っ端がこんな交渉してきたのは初めてだ。出身は上かい」


「関係ない」


「関係あるさ。上のやり方でこの泥沼を泳ごうってんだろ。面白いね。まあいい」


 キネはカウンターの下から汚れた紙片を引き出し、何かを走り書きした。座標と、暗号化された通信周波数。


「"電脳の鼠"。マウスって呼ばれてる引きこもりがいる。ウラで一番の腕だ。暗号解析、データ改竄、ネットワーク侵入、何でもやる。ただし偏屈で、気まぐれで、依頼を受けるかどうかは本人の気分次第だ。場所はここだ」


 そう言うと、キネは義眼をぎらりと光らせた。


「言っとくがね、坊や。情報料の三十万はいま手付で十五万置いていきな。システムの書き換えは明日の朝までにアタシのローカルノードへ送るんだ。アタシは商売人だ。義理や人情じゃ動かないよ」


「交渉成立だ」


 キネは短く鼻を鳴らし、マウスの情報を書き記した紙片を差し出した。


 カナメはそれを受け取ってポケットに収め、記憶ドライブを回収した。踵を返す。レイナがその半歩後ろに続いた。


 店を出る直前、キネの声が背中にかかった。


「坊や」


 カナメは振り返らなかった。


「スラムじゃ、小賢しい奴から先に死ぬ。小綺麗な理屈に頼りすぎるからさ。だが……あんたは違う。自分の頭の足りねェ部分を、その狂犬の暴力で完全に補完してる。……せいぜい長生きしなよ。せっかくシステムを直してくれる『上客』に、すぐ死なれちゃ割に合わないからね」


 カナメは答えず、防水シートの向こうに消えた。


 酸性雨が再び二人の肩を叩く。レイナが紙片を横から覗き込み、にやりと笑った。


「マウスだっけ。次はそいつをぶん殴ればいいの」


「殴らない。必要なのはあいつの腕だ。丁重に口説く」


「つまんね」


「お前が楽しむ必要はない」


 レイナは肩をすくめ、折れたマチェットの柄を撫でた。だがその右目はすでに次の獲物──まだ見ぬ「電脳の鼠」の居場所を射抜くように、酸性雨の向こうを見据えていた。


 カナメの頭の中では、数字とアルゴリズムが回っている。情報の手付金。マウスの技術料。キネへ提供するシステム最適化モデルの構築。変数はまだ多いが、これらを結びつけることでいずれ巨大な電子の城、メガコーポすら引きずり込む規模の「絶対に手の出せない情報のインフラ」を作り上げるという、おぼろげだが巨大な青写真の骨格が見え始めていた。三つの歯車の最初の一つ──『信用とネットワーク』の、最初の結節点だ。


 泥水を踏みしめる二つの足音が、スラムの迷路に吸い込まれていく。主人と狂犬。頭脳と暴力。そして今日から、その二人の周囲に、少しずつネットワークの線が伸び始める。

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