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『ノイズ・イン・ザ・システム〜「あたしを見捨てなかった神様へ」と笑う狂犬を連れて、元企業エリートはどん底から世界を壊す〜』  作者: はーまやー


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1-1.無機質な神の託宣

──数字には血が流れないと、長いあいだ信じていた。

 地下七十二階。オルビット・ネットワーク本社の最深部に位置する戦略AIルームには、季節も天候も届かない。あるのは空調が吐き出す摂氏十六度の空気と、壁面を隙間なく覆う冷却パネルの低い唸り、そして人間の体温を拒絶するかのような青白い演算光だけだ。


 カナメは端末の前に座っていた。正確には、端末群の中心に据えられた指揮席に身を沈めていた。周囲を囲む十二面のホログラフィック・ディスプレイが、都市の血流を数字に変換して映し出している。電力消費量。水資源の配分比率。廃棄物処理の進捗。通信トラフィック。それぞれが毎秒数億単位で更新され、都市という巨大な有機体の脈拍を刻んでいる。


 この部屋に窓はない。必要がないからだ。ここで扱うのは風景ではなく、風景を成立させるための構造そのものである。


 カナメの肩書は、戦略AI運用統括。事実上、この都市の代謝を司るAI群の最終判断を人間側で承認する唯一のポジションだ。もっとも、「承認」という言葉には欺瞞がある。AIが弾き出す解を覆した人間は、この十年で一人もいない。覆す理由がないのだ。数字は常に正しく、感情は常に非効率だった。


 午前三時十七分。第四四半期の資源再配分シミュレーションが完了を告げる。ホログラムが一斉に再構成され、都市の三次元モデルが虚空に浮かび上がった。上層は白く輝き、中層は淡い灰色、そして下層に近づくにつれ、表示は暗く、データの密度も薄くなっていく。まるで都市そのものが、底に向かって腐食しているように見えた。


 カナメは無表情のまま、結果を読む。


 新規プロジェクト「ノード・リンケージ」──上層ネットワークの高速化と次世代通信基盤の刷新。総予算は当初見積もりの一・四倍に膨張していた。原因は希少資源の調達コスト高騰。その超過分をどこから捻出するか。


 AIの回答は、すでに画面の右端に表示されている。


 カナメの視線が、その一行に止まった。


 ──区画Cのインフラストラクチャ完全遮断。


 区画C。上層と下層の境界に位置する居住区だ。人口約十二万。生産性指数は都市平均の〇・三一。犯罪発生率は平均の二・七倍。医療コストの回収率は一割に満たない。数字だけを見れば、都市にとっての負債である。


 AIは続ける。遮断後の推移がグラフとなって展開されるはずだった。だがその瞬間、極めて稀な同期エラー──おそらくは他部署からのアクセスと重なったことによるバグが発生した。システムの深層に取り残されていた「裏の収益項目」のキャッシュが、正規のグラフに紐づく形で偶然ディスプレイに表示されてしまったのだ。


 カナメですら本来アクセス権限を持たない、暗号化された契約ログ。メガコーポ間の極秘の合意事項だ。


 『区画C封鎖後、アークレイ社による新型自律兵器群の無制限稼働テストを許可(四十八時間)』

 『事後、ヘリオス社回収部隊による生体素材(臓器・義体適合体)の独占的サルベージ権を付与』

 『見返り:ノード・リンケージ超過予算の全額補填、ならびに上層VIP向け寿命延長パッケージの提供』


 カナメは息を呑み、その文字列を二度、三度と読み直した。

 インフラの遮断は、コストカットなどではなかった。意図的に暗闇とパニックを作り出し、十二万人の人間を「兵器の実弾テストの的」として売り渡し、その死体を「上層富裕層の交換用パーツ」として収穫ハーベストするための、あまりにも巨大で醜悪な取引だった。


 数字に骨はなく、血も流れないと信じてきた。だが、目の前の計算式から立ち上ってくるのは、おびただしい血の臭いだ。


 カナメの指が、かすかに震えていた。承認キーの上に置かれたまま、押下することも、引っこめるすることもできずにいる。


 都市全体の存続確率を最大化する「最適解」という名の、悪魔的な欺瞞。カナメ自身が心血を注いで設計したアルゴリズムは、いつの間にか上層の強欲と殺戮を正当化するための便利なノコギリに成り下がっていた。


 胸の奥で、鉛のような怒りと吐き気が渦を巻いた。「最適化」という言葉で塗りつぶされてきた無数の命の重さが、唐突にカナメの胃の腑を直接殴りつけてきたのだ。無理に論理で抑え込もうとしても、感情の防波堤がメシミシと音を立てて軋んでいる。


 カナメはそれを「論理的エラー」だと自分に言い聞かせようとした。だが、震える指はどうしてもキーを押せなかった。「合理的」なはずの頭脳が、この理不尽な現実を前に悲鳴を上げていた。


 カナメはそれを「倫理」とは呼ばなかった。この世界で倫理という単語は、予算と同じように消費され、同じように枯渇した資源の名前でしかない。


 ただ、指が動かない。それだけが事実だった。


 ホログラムの青白い光が、カナメの無表情な横顔を照らしている。都市は眠らない。AIも眠らない。止まっているのは、この部屋でたった一人の人間の、右手の人差し指だけだった。



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