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プロローグ

初めまして、趣味で投稿しています。

見てくれると嬉しいです。

ピロン、とスマホが震えたのは、夜十一時を少し回ったころだった。

 レジ横のバックヤードで着替えながら画面を開くと、「この度は弊社採用選考にご応募いただき……」の文字が目に飛び込んでくる。

 「あー、はいはい。おつかれさまでしたっと」

 俺は、ため息をひとつ吐いてから、スマホをポケットにねじ込んだ。今日で何通目のお祈りメールだっけ、と数えるのはもうやめた。

 本当は去年卒業しているはずの就職留年生で、今年が二度目の就活シーズンだ。


タイムカードを押して、店内に出る。蛍光灯の白い光。静かなBGM。郊外のコンビニの、深夜らしい空気。

 ――ここだけは、落ちても落ちてこない場所。

 そう思うと少しだけ気が楽になって、拓はいつもの位置、レジカウンターに立った。


 しばらく客はいない。ホットスナックの残りを数えて、賞味期限のシールを確認して、ため息をひとつ。

 そのときだ。

 自動ドアが、ウィーン、と音を立てた。


 身体が反射で動く。考えるより先に、口が開いていた。

 「いらっしゃいませー」


 顔をドアに向けると、そこに立っていたのは、黒髪の女の人だった。


白いワンピースは、胸元から裾にかけて赤黒い染みが広がっている。乾いているようでいて、ときどきじわりと新しく滲んだみたいに見えるのは、気のせいだと思うことにしている。

 腰のあたりまで伸びた不自然に長い髪が、顔をほとんど隠していた。前髪の隙間からのぞく目だけが、蛍光灯の下でぽうっと浮かんで見える。


 足元は、床に触れているようで、影だけが薄い。自動ドアのガラスには、拓と店の棚しか映っていない。

 ここまでそろえば、どう見ても「生きた人間」ではないのだけれど、拓にとってはもう見慣れた光景だ。


 「ユラさん、こんばんは。今日も肉まんっすか?」


 拓がそう声をかけると、髪の向こうで小さく肩が揺れた。


 「……こんばんは。はい、探してたらお腹だけ減ってきちゃって」


 くぐもった声が、レジ前にふわりと落ちる。

 拓はスチーマーのふたを開けて、中身を確認した。


 「いいっすよ、そろそろ廃棄だし。強盗に遭うよりマシってことで、店長も許してくれますよ」


 「……ふふ、確かに。あれはもう、二度とごめんですし」


 軽口を叩きながら、拓はトングで肉まんをひとつ紙に包む。ユラさんの指先は、商品を受け取るときだけ、ちゃんと“重さ”を持つ。それも、何度も見ている光景だ。


 「わ、あったか……いただきます」

 紙ごしに両手で包み込んで、ユラさんがひとかじりする。

 「……うっま。これだけは、死んでからの方がありがたみ増してる気がしますね」


 レジ前の空いたスペースで、ユラさんは宙に浮いたまま肉まんを頬張る。

 はたから見れば、湯気を立てた肉まんがひとつ、空中でひとりでに消えていってるようにしか見えないだろう。防犯カメラの映像を想像してしまって、「バズり動画だな……」と、拓は深夜テンションの頭でくだらないことを考えてしまう。


 そんな「肉まん消失事件」の主が、この店の常連霊?の浮遊霊のユラさんだ。


 いつのことだったのか、本人ももうはっきり覚えていないが、このあたりの家で起きた強盗事件に巻き込まれて命を落としたらしい。気がついたときには、もう幽霊になっていて、この辺りをあてもなくさまよっていたという。


 ただ、「どこかに帰らなきゃいけない」という感覚だけは、ずっと胸の奥に残っているそうだ。

 けれど、自分の「家」がどこだったのかも、どうやって帰ればいいのかも思い出せない。


 だからユラさんは、今もこの近所をふらふら探し回りながら、ついでのようにコンビニへ寄って、肉まんを片手に俺へ取り留めのない愚痴をこぼしていく。



「でさぁ、聞いてくださいよ拓さん。なんか、みんな冷たいんですよね」


 宙に浮いたまま、ユラさんが不満と未練をごちゃ混ぜにした愚痴をこぼし始める。

 拓は「はいはい」と生返事をしながら、レジ横のホットスナックの残りを数えた。


 「道聞こうとして『すみません』って声かけても、そもそもほとんどの人、わたしのこと見えてないんですよねぇ」

 「たまーに見えちゃった人は見えた人で、目ぇ合った瞬間に悲鳴上げて全力ダッシュですよ。ひどくないですか?肉まんうまっ」


 ユラさんは、肉まんをかじりながら大げさに肩を落とす。

 拓は苦笑して、トングを持った手を止めた。


 「まあ……深夜に血だらけの人影見えたら、だいたいの人は逃げると思いますけどね」

 「道聞いてるだけなのにぃ」

 「いやぁ……」


 拓は苦笑しながら、「そりゃ怖がるよなぁ……」と心の中でそっと付け足した。


 そんな他愛もないやり取りをしていると、自動ドアがもう一度、ウィーンと音を立てた。


 「いらっしゃいませー」


 声を出して顔を上げると、フードを目深にかぶった金髪の若い男が一人、だるそうな足取りで入ってきた。パーカーにスウェット、片手にはスマホ。どこにでもいるような深夜客だ。

 男は拓に軽く会釈だけ返すと、そのままドリンク棚の方へ向かっていく。


 自動ドアは完全に閉まりきる前に、もう一度小さく開いた。

 それと同時に、店内の空気が、ほんの少しだけ重くなる。


 拓には、もうその変化がわかる。


 「……あー、来たな」


 心の中でそうつぶやいた直後、ドアの外から大きな影がぬっと現れた。

 全身を覆う黒い外套。フードの隙間から、折れた片方と残った一本の角がのぞいている。


 影が一歩、店内に足を踏み入れた瞬間だった。

 ドリンク棚の前でペットボトルを手に取ろうとしていた金髪の若者が、びくりと肩を震わせる。


 「……っ、なんか、やべ……」


 若者が小さくつぶやき、肩をすくめた。誰かに追われているわけでもないのに、背中を氷の指でなぞられたみたいなぞわっとした感覚だけが残る。手に取っていたペットボトルを、そっと棚に戻す。


 拓は「いらっしゃいませー」と言いかけた口を、そのまま閉じた。若者はレジには向かわず、視線を床に落としたまま、足早に自動ドアの方へ向かっていく。


 そのまま外へ出ていき、ドアが閉まる音だけが店内に残った。


 レジの前には、結局ひとつも商品が置かれないままだった。


 残されたのは、黒い外套の大柄な影だけだった。

 恐怖そのものを固めたみたいな気配が、じわりと店内に広がっていく。


 「……あーあ、また一人帰っちゃいましたねぇ」


 ユラさんが、宙に浮いたまま肉まんをかじりながらぼそっと言う。


 拓はレジ越しに、その影へ声をかけた。


 「黒さん、こんばんは。今日も唐揚げ棒と、微糖のコーヒーっすか?」


 外套の中から、ごつい手が遠慮がちに上がる。


 「……ああ。あれはよく効く。腹にも、気持ちにも」


 低く落ち着いた声が、店内に静かに響いた。


黒い外套のフードの奥から、赤くも青くもない、くすんだ光のような目がこちらをうかがっている。角が一本だけのぞき、もう片方は途中で折れていた。


 近くにいるだけで、背中にじんわり汗がにじむような圧がある。

 恐怖そのものを、分厚い外套の下に押し込めて歩いているみたいな感じだ。


 「……あの若いのも、ワシが怖かったか」


 黒さんが、さっき出ていった金髪の若者の背中を思い出したようにぼそりと言う。


 「まぁ、そうっすね」

 「そうだと思います」


 ユラさんと(たく)の声が、ほとんど同時に重なった。

 自分で言っておいて、黒さんは外套の影で小さく肩を落とした。


 黒さんは、太古の昔から人間を護ってきた黒鬼らしい。

 人が好きで、悪さをするモノや人の心に棲みつく“よくない何か”を追い払うのが、本来の役目だという。

 昔、とびきりタチの悪い大物の怪を退治したとき、呪いをかけられたらしい。そのせいで、今の黒さんの身体は「恐怖」をまとう体になってしまった。

 近づくだけで、相手の胸の奥から理由のわからない恐怖だけが勝手にあふれ出す。

 それでも日中はまだ、町のどこかで悪さをするモノの気配を追い回しているそうだ。夜になると力を抜きに、この郊外のコンビニに来て、唐揚げ棒をかじりながら微糖のコーヒーで一息つくのが、最近の習慣になっている。


 「怖がるのは、まぁ、しょうがないですよ」

 拓は唐揚げ棒とコーヒーを紙袋に入れながら言った。

 「でも、唐揚げ棒とコーヒー買ってくれる分には、うちとしてはありがたいっす」

 「……そうか。ならば、護る相手が減ったぶん、唐揚げ棒とコーヒーの売り上げでも護るとしよう」

 「それはただの常連さんなんですよね」


 レジの端で、ユラさんがふふっと笑う。

 宙に浮いた幽霊と、恐怖をまとった鬼と、就活に落ちたフリーターが、深夜のコンビニで揃って世間話をしている。

 状況だけ切り取れば訳がわからないが、拓にとってはいつもの光景だ。


 黒さんが唐揚げ棒を受け取ってドリンク棚の影に腰を下ろした、そのときだった。

 レジ横に積まれたエナジードリンクの缶が一本、カタリと音を立てて横に倒れた。誰も触っていないのに、ころころと転がってきて、拓の足元でぴたりと止まる。


 「……はいはい、出ましたよ」


 拓はしゃがんで缶を拾い上げ、そのままレジの前に立ち直る。


 拾い上げた缶をカウンターの上に置いた瞬間、レジ前の空気がゆらりとゆがんだ。

 次の瞬間、何事もなかったみたいな顔で、牛の頭をした男がカウンター越しにどっかり腰を下ろしている。


 「んー、ちょうど喉が渇いとったんじゃ。ナイスタイミングじゃな、拓」


 角の生えた牛の頭に、人間の胴体。

 ゆるい作務衣みたいな服の胸元には、勝手に作ったコンビニの名札がぶら下がっている。名札には、マジックで雑に「牛頭(ごず)(くろ)」と書いてあった。


 「タイミングじゃなくて、勝手に動かしてるだけですよね、それ」

 「細かいことを気にするなぁ。ほれ、その一本、精算してくれ」


 牛頭さんが顎で缶を指す。

 拓は慣れた手つきでバーコードを読み取り、「ピッ」と音を鳴らした。


 「毎度どうもー」

 「うむ、立派な対価のやり取りじゃ。これで文句はあるまい」


 レジを通したエナジードリンクを受け取ると、牛頭さんはその場でプルタブを開け、一気にあおった。


 このコンビニが建つ前、この場所には小さな神社があったという。

 賑わっていたのは随分と昔の話で、人が来なくなった神社はやがて取り壊され、代わりにコンビニが建った。

 それでもここを離れられなかった元・守り神が、今の牛頭さんだ。


 「ふぅ……今日も世界の端から端まで見回ってきたわ」


 エナジードリンクを一口あおいで、牛頭さんが大げさに息を吐く。


 「言うても、この店と駐車場と、その向こうの道までなんですけどね」

 「それが今のワシの世界なんじゃから、立派な見回りよ」


 「その狭い世界を、エナドリで埋めるのやめた方がいいと思うんですけどね」

 「ええじゃろ別に。ちゃんとこの店は護っとるんじゃから。レジの金も盗ません。その代わり、ワシの肝臓はよう持ってかれとるがな」


 ケラケラ笑う牛頭さんの横で、ユラさんは肉まんをかじり、黒さんは影に溶けるように座って唐揚げ棒を噛みしめている。


 外から見れば、深夜の郊外のコンビニに客はほとんど来ていない。

 けれど、拓にとっては違う。


 宙に浮いた幽霊と、恐怖をまとった鬼と、エナドリ中毒の元・神様と就職留年中の大学生が、深夜のコンビニで揃って世間話をしている。


 「……ま、今夜もいつも通りっすね」


 拓がぽつりとつぶやくと、三者それぞれの「そうだな」という気配が、静かな店内にふわりと広がった。

ありがとうございました。

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