大嫌い
レイナは朝から疲れていた
起きて早々にフュリアスに入れ替わり暴れたからだった
「それでも最初は暴れるのを我慢されてましたよ」
アニタがそう教えてくれた
「我慢からなのか唸り声を上げていましたが…」
苦笑いのアニタの言葉に
(怨霊か野犬…)
と思ってしまったレイナは直ぐ心の中でフュリアスに謝る
フュリアスとの入れ代わりで遅れてしまった支度を急ぐ
今日はウィリアムに今後の方針を伝える日なのだから…
支度が整ったのを見計らった様に扉がノックされ、ドケーシス夫妻の到着が告げられる。
「レイナ。フュリアスに代わったって聞いたよ…怪我などは無いか?」
「大丈夫ですよ。少し疲れましたけど」
心配気に駆け寄るドケーシス公爵にレイナは安心させる様に答えた。
(お父様…少しやつれた?)
王妃宮に移動してからドケーシス公爵とは会えずにいた。
公爵はクレアに関する事の他に、領地に居なければ出来ない仕事の殆どを弟に引き継ぐ手配で忙しかったからだ。
夫人は、まだ着けていなかったイヤリングをアニタから受け取りレイナに一つ手渡す
「支度が間に合って良かったわ」
「ええ本当に」
受け取ったイヤリングを着けながらレイナは応えた
三人はアニタとキャロルを引き連れて王妃宮から本城へ繋がる通路に向かう。もう一つのイヤリングを着けながらだったので、途中で夫人が位置を確認する
「うん…良いわ。似合ってる」
夫人の言葉にレイナは笑顔を返す。
レイナを先頭に廊下を進むと
赤の応接室の扉の前でエタンセルとヘクターが待っていた。
「おはようございますレイナ様」
スカートを摘み丁寧に挨拶をするエタンセルに、レイナも礼を返す
「おはようございますエタンセル様」
「おはよう………レイナ」
ヘクターはまだ呼び慣れていない名前に少しぎこちない様子で挨拶をした
「ふふ…おはようございますヘクター様」
ヘクターの様子を少し面白く感じてレイナはクスリと笑って挨拶を返す。
「二人共おはよう。ヘクターは久しぶりだね」
レイナに続いて公爵が二人に声をかけると、先にヘクターが応えた
「おはようございます。ご無沙汰しております」
ヘクターが頭を下げるのを見てからエタンセルが口を開く
「おはようございます公爵様。夫人にもご挨拶申し上げます」
エタンセルが夫妻に向かって礼を取ると、ヘクターが夫人に向き直り頭を下げる
エタンセルとヘクターが並ぶ姿は…似合いの二人と言った感じだった。
そんな二人の婚約が解消になったのはクレアの事情に巻き込んだからだと
ドケーシス夫妻は罪悪感に襲われる
ドケーシス公爵夫妻は謝罪と感謝の手紙を、フラム侯爵夫妻とハーミット公爵夫妻に出していた。
しかしエタンセルとヘクターには…感謝の言葉も謝罪の言葉も、二人のクレアに寄せる気概に対してそぐわない気がして
今、夫妻はどちらも口に出来ずにいた。
少し曇った表情の夫妻を他所にエタンセルが口を開く
「先程両陛下が応接室に入られました。私の両親も中におります」
それを聞いてドケーシス夫妻も慌てて入室する
「じゃあ…俺も応接室側で控えてるよ。…レイナは大丈夫か?」
そう言ってヘクターはレイナの目をジッと見る
(大丈夫?何に対してかしら?…まぁでも…大丈夫。私は大丈夫)
「ええ。大丈夫よ」
レイナがニコリと笑って見せれば、ヘクターはホッとした様子で応接室に入って行った
「………ヘクター様と喋ると首が疲れません?」
「ブフッ!やだもう!エタンセル様!鼻が鳴っちゃったじゃない!」
レイナとエタンセルは笑いを堪えながら、もう直ぐ来るであろう側妃候補の三人を待つ
少しして三人が登城したと知らせが来る。
「お三方はそろそ…
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…ります。それから婚姻の方針にと話を進められる予定です」
レイナは首を傾げる。話している相手は同じエタンセルだが、会話が飛んだ
「………誰と入れ代わりました?」
そうエタンセルに尋ねると
「「「?!」」」
人の気配に周りに目を配ると側妃候補の三人がソファに座っている
レイナの様子の変化に驚きを隠せないでいる様子だった
「!…レイナ様?……先程はプラセル様でした。丁度良かったです、これから応接室に移動する所でした」
エタンセルはニッコリと笑顔で答えた。
「あら、本当に丁度良かったわ」
そう言って立ち上がったレイナは三人の側妃候補に目を向け
「しばらくこちらで待機して頂いて…後程、侍女の指示に従って応接室に移動して下さい」
ニッコリと笑顔を向けてそう言った。
笑顔を向けられた三人の表情は困惑と少し怯えた様子が見られる
(……怖かったのかしら?…プラセルは明るい性格って聞いたけど…)
レイナは三人の様子を不思議に思った。
レイナとエタンセルが赤の応接室に移動すると一番に目に入ったのはヘクターだった
ヘクターは続き部屋への扉の前でずっと立って待っていた。
「レイナ…エタンセル。大丈夫か?」
(……また大丈夫?…ヘクター様ってこんなに心配性だったかしら?)
「ええ、大丈夫よ」
レイナの後ろに居るエタンセルはヘクターに呆れた眼差しを向けていた。
大きく長いテーブルの上席に国王陛下。陛下の右隣には王妃が座っている。
空いている左隣にウィリアムが座る事になる。
レイナとエタンセルは両陛下に礼を取る。
既に応接室内の空気は重苦しい緊張が走っていたので、二人は言葉を発せずに礼を執るだけにした。
両陛下は頷きで返して
「座りなさい」
と声を掛けたので、三人は着席する為に移動する
王妃の右側のテーブル席にドケーシス公爵夫妻が座っているので、レイナはそちらに向かう。
夫人の隣席に座る前に真向かいのテーブル席に座っているフラム侯爵夫妻へ、無言で挨拶の礼を執る。
フラム侯爵夫妻はレイナに黙礼を返した。
レイナが着席して、エタンセルもフラム侯爵夫妻の隣席に座る。
エタンセルの椅子はヘクターが引いてあげていた。次いでヘクターもエタンセルの隣席に座る。
応接室の中は重力が倍になっている錯覚を覚えるほど空気が重い
レイナは王妃を見ると、目が合った王妃は笑顔を返してくれる
だがその顔色は化粧で隠しているが、とても悪いと分かる。
目元が特に荒れていて…今日が近づくにつれ、疲れ切って行く様子の王妃をレイナは心配していた。
◇
「ウィリアム殿下が参られました」
そう告げられ侍従が両扉を開ける。ウィリアムが応接室に入って来た。
「!……何故…」
動揺した様子のウィリアムの呟き声を聞いた瞬間、レイナは喉が詰まる様な感覚に襲われた
(………?…何かしら…喉が……胸が詰まる………変な感じ)
そんな奇妙な感覚に襲われるも表には一切出さずに、レイナは薄く微笑を纏い視線はテーブルに向ける
動揺しながら応接室に居る人達を確認する様に見回すウィリアムに陛下が声を掛ける
「ウィリアム…着席を…」
「…あっ……はい…」
困惑の表情を全く隠せないまま、従者が引く陛下の左隣の席に座った。
レイナはウィリアムの視線を感じる
(………何故かしら?…ウィリアム様と視線を合わせたく無いと思ってしまう)
レイナは視線をテーブルに固定して耳だけを傾ける
目の前に座るレイナの様子をエタンセルとヘクターは気に掛けている。
陛下が口を開く
「此度、集まってもらったのは、ウィリアムとクレア嬢の婚姻についての今後の方針を話すためである。先ずはヘクター…此方の事情を汲んで、エタンセル嬢との婚約解消に応じてくれて感謝する」
突然の話にウィリアムは目を見開く
「いいえ、恐縮です…」
ヘクターは軽く頭を下げる
「これをもって、エタンセル・フラム侯爵令嬢は第二王太子妃となるべく、ウィリアム王太子と婚約を結ぶ運びになった」
ガタタッ…!!
思わず立ち上がったウィリアムは声を絞り出す
「……なに…を………」
その様子に一瞬だけウィリアムに目を向けたレイナ
ウィリアムは陛下に視線を向けていて気づかなかった。
「…陛下…何を仰っているのか……意味がわかりません…」
(動揺してる…当然よね…)
再びテーブルに視線を固定しているレイナの耳にウィリアムの震える声が届く
ウィリアムの問いに陛下が低い声で命じる
「まだ終わっていない……座れ」
「ですが父上…」
反論の言葉を紡ごうとするウィリアムに対して
「ウィリアム!」
陛下は強く名を呼び制した
「座れ……」
(……陛下の圧が凄いわ…)
見なくとも伝わる部屋の空気にレイナも固まる
エタンセルもヘクターも…部屋にいる全員が陛下の威圧に緊張を隠さないでいた。
ウィリアムが座るのを待ち、陛下が再び口を開く。
「……ウィリアムが学園卒業後、直ちにクレア・ドケーシス公爵令嬢との婚姻を結ぶ……の後、半年後にエタンセル・フラム侯爵令嬢との婚姻式を執り行う……その半年後。ウィリアムは…側妃を三人娶る事とする」
「……………なっ…」
ウィリアムが言葉を発するより先に、続き部屋に繋がる扉が開いた
側妃候補の三人が静々と入室するとウィリアムが息を呑む様な気配が感じられた。
レイナも少し視線を上げて三人に目を向けた瞬間
リールを見て背筋がザワリと逆立つ感覚が走る
(?…さっき見た時は何も感じなかったのに…どうして?)
リールに対する突然の嫌悪感に困惑しながら、それは表情に一切出さず
再びテーブルに視線を落とす
側妃候補の三人はテーブルの横に並び恭しくカーテシーをする
「……令嬢達は学業を自宅学習に切り替えてもらう。王城に後宮を用意出来次第…そちらに居を移し、側妃教育を受けることになる」
陛下がそう告げるとウィリアムが小さく呟いた
「…………どうして…」
その小さな呟きはレイナの耳にも届く
「…『どうして…』……か……お前が愚か者だからだ」
陛下の強く無く大きくも無い低い声を、蛇が地を這うように向けられたウィリアムは体を強張らせる。
向けられていない側妃候補の三人も微かに震えていた
陛下はまだカーテシーをしたままの三人に声をかける
「……楽にしてよい…」
三人が姿勢を正すと再び陛下が口を開いた
「………三年前……王家の失態を黙認してもらう代わりに、クレア嬢の望みは可能な限り最大限叶えると約束した」
ウィリアムは青い顔を陛下に向けてから続いてレイナの方を見る
「…………では、……これは全てクレアの望みなのですか?……」
レイナはウィリアムの震える声に動揺しているのを感じる
(こっちを見てるわね…)
「クレア…!…………クレア嬢と二人だけで話をさせて下さい……」
ウィリアムの申し出を受け陛下はレイナに決定権を与える
「そう、申しているが…クレア嬢、どうする?」
レイナは陛下にだけ目を向けて答えた
「構いませんわ。ただ、侍女のアニタと護衛のキャロルの同伴は外せません。それでも宜しければ…」
レイナは直立したままの三人の令嬢に視線を向けて
「……休息が必要な方々もいらっしゃる様ですし…」
その言葉に三人の令嬢はピクリと体を揺らし、リール嬢は益々顔が青くなる
(………)
そのリールの様子をレイナは心に留めて置く
「では、ウィリアムとクレア嬢…それと供の者は、続き部屋に…その他の者はしばし休憩するとしよう……茶を用意させる」
陛下の言葉と同時に侍女と侍従が動き出す
三人の令嬢が着席する様子を横目にレイナは立ち上がり両陛下に向かって礼をする。
レイナに合わせて立ち上がったウィリアムは両陛下に向かって
「失礼します」
挨拶もそこそこにエスコートする為レイナに駆け寄る。
レイナの隣に座っていた夫人がにわかに手を取った
「……レ……クレア…」
微かに震える声で心配気に名を呼ぶ
「お母様、大丈夫ですわ」
レイナは夫人の手を取り笑顔で返す
「…クレア」
ウィリアムが手を差し出している
レイナは握っていた夫人の手をそっと離してウィリアムの手に乗せた
「参りましょう」
ウィリアムの顔を一切見ずにそう言った。
◇
センターテーブルを挟む様に置かれた二脚の三人掛けソファにウィリアムとレイナは向かい合わせに座る
アニタとキャロルはレイナの後ろに立つ
城の侍女が茶の準備をしている様子に目を向けているウィリアムをレイナは見ている
(あの感じは…何から話すかを考えているわね…)
給茶が整い城の侍女が退室するとウィリアムは用意された紅茶を一口飲む。
ウィリアムが飲むのを確認してからレイナは紅茶に手を伸ばす
格上の者が手を付けるまで待つと言う古風なマナーだが、妃教育を叩き込まれたレイナは当然の不文律として自然と振る舞う
レイナが紅茶を飲み下すのを確認してウィリアムは口を開いた
「……クレアは…体調は…その…具合はもう大丈夫なのか?」
そう問われてこの日初めてレイナはウィリアムの目を見た。
その瞬間 頭に響く声…
《ウィリアム様なんて大っ嫌い》
それとは逆に胸に広がる愛しいと言う想い
しかし…レイナはそのどちらもが自分の気持ちでは無いと感じる
「はい。体は元気になりました。私は大丈夫ですわ」
レイナは冷静に笑顔を纏ってそう答えた。
「……?……」
ウィリアムが困惑の表情でレイナを見つめる
(私がクレアと違うって気付いたかしら?)
困惑の表情はそのままにウィリアムは続けて問いかける
「………先ほどの…父の話は本当?」
「第二王太子妃と側妃を娶ると言う話ですか?」
レイナはウィリアムの目を真っ直ぐに見て聞き返した
『第二王太子妃と側妃』と言う言葉にウィリアムは蒼白になる
「……それが君の願いだと……」
「はい」
「何故そんな願いを…」
「必要だからですわ」
「……何故…必要なんだ?」
「御子を儲ける為ですわ」
「!!!……必要ないだろう!少なくとも今はまだ!…側妃と言うのは、正妃との間に子が授からなかった時に考えるものだろう!そもそも第二の妃も要らないだろう!君が正妃で!君が子を産み!その子が世継ぎ!それが道理だろう?!」
レイナの核心を躱す答え方にウィリアムは声を荒げてしまう
(あら…躱し過ぎたかしら…怒らせてしまったわ……初めて見るわね)
語気を荒げたウィリアムを気にも留めず、レイナは変わらず飄々と答える。
「第二妃は私の補佐ですわ…まぁいずれは彼女が正妃になるかも知れませんが…エタンセル様の事情を私からお伝えするのは憚かられますが…エタンセル様は幼少の頃に事故に遭われて、それにより御子が望めないそうで…なので側妃が必要なのです」
「だからそれは!」
「あぁ…私が産めば良い。と言うお話でしたわね」
レイナは冷たい笑顔を貼り付ける
「私は産みませんわ。だって私、貴方が大嫌いなんですもの。貴方と肌を合わせるなんて絶対に嫌ですわ」
《ウィリアム様なんて大っ嫌い》
確信は無いが頭に響くこの言葉はクレアの言葉だと感じるレイナ…だからクレアの伝言を伝えるつもりで大嫌いと告げた。
レイナの言葉に青褪めるウィリアムは瞳がウロウロと動く
必死に思考を巡らせているのが窺える
そうしてウィリアムの口から出て来た言葉
「……あっ……あれだ……先日の中庭での事を怒っているんだろう…そうだろう?……」
(!………)
その言葉にレイナは黒いドロドロとした液体を心臓にかけられた様な…気持ちの悪い苦しさが広がる
(………やっぱり貴方が何かしたのね!)
次いでザワザワと湧く激しい怒りの感情。
(ブレーニー夫人にもここまでの感情は湧かなかったわ……これがフュリアスの感情…)
レイナは決して表情には出さない様に抑える
(………何があったかは後でで良い…)
レイナはとにかくウィリアムを打ちのめしたかった。
一刻も早くウィリアムのせいでクレアがどうなったのかを…
「……そう…ですわねぇ…確かにあれが決定打でしたわね…」
「…え?」
「あの日、彼女は死にました。私はクレアではありません。貴方を慕うクレアはおりませんのよ…ですので、私は貴方の子を産みません」
(貴方のせいでクレアが…)
ニコニコ笑いながらレイナはウィリアムに教えてあげた
「……クレアが…死んだ?……意味が分からない……じゃぁ君は……一体誰なんだ……」
絞り出す様なウィリアムの問いに
レイナは淑女の笑みを浮かべ胸に手を当てて名乗る。
「私の事はレイナとお呼びください」
体を微かに震わせてレイナを見ているウィリアムに向けて続ける
「説明すると長くなるのですが…
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モグ…
(………口の中が甘い)
ドケーシス公爵夫妻に何年か後…『あの時はありがとう』と感謝を伝えるお茶会が開かれます様に(^人^)




