クレアが居ない?
《ウィリアム様なんて大っ嫌い》
自分じゃ無い言葉が頭に反響している。
(これは私の想いじゃ無い…)
そう思いながらレイナはゆっくり目を開けた。
(……自室…の天蓋………)
レイナは自室のベッドの天蓋をボーッと眺めた
部屋の中は薄暗く…ベッドサイドの明かりは一番弱く絞られている。
(……身体が凄く重い)
視界の左側には点滴が見える
(点滴……私…酷い状態なのかしら……)
「お嬢様?…お目覚めですか?」
(………アニタの声)
レイナは重い身体に精一杯力を込めて、声のする右側を見る———。そこには顔色の悪いアニタが居た。
「———お嬢様。……何故…あんな事を……」
アニタが涙声で問いかけて来る。
「………」
(…どう答えよう……シェイムのはず無い……多分クレア……クレアは……あぁ……なんて事を…)
「………お嬢様………」
アニタの呼び掛けにレイナは顔を向ける…
「お嬢様は———。もう一人のお嬢様ですか?……」
アニタの問いにレイナは目を見開いた。
「……………………知ってたの?」
「何となくです……確証が有りませんでしたし………気のせいだと思おうとしておりました」
アニタが申し訳ないといった表情で眉を下げる。
「………どうして?」
「………クレア様は———。ウィリアム殿下をとてもお慕いされてます……もしもご自身の中に別の方が居ると知ったら———。それが瑕疵となって婚約解消になるのでは?…と、不安になられるだろうと………ですが…」
アニタの表情が苦悶に歪み、目に涙が溢れる。
「……わ…たしの…私の愚かな配慮が、こんな事態を招いたのかと…」
「違う!…ウッ…ゴホッ」
急に大きな声を出したレイナは咽せる。
「お嬢様!!…あぁ! まだ大きな声は無理です。飲まれた睡眠薬を吐き出させる為に胃の洗浄をしました。その時に喉に負担が掛かっております———。申し訳ございません。先にお伝えするべきでした……今、お飲み物をお持ちします!」
そう言って立ちあがろうとするアニタに、レイナは慌てて声をかける。
「まっ!ッウ…待ってアニタ…ッ…コホッ……ハァ———。アニタ…座って」
「……はい」
アニタは再びベッドの横に置かれた椅子に腰掛けた。
「これはアニタのせいじゃ無い———。アニタはクレアを大切に思って、クレアの心を守ろうとしてくれたの。アニタの選択がこの結果を招いた訳じゃ無いわ。絶対!……二度と自分のせいなんて言っても、思っても駄目よ! わかった?」
「…………はい」
アニタは震える声で返事をした……頬に止めどなく涙を流しながら。
少ししてアニタはニッコリ笑い———。前掛けで涙を拭いながら立ち上がる。
「……お飲み物を、お持ちしますね」
そう言って静かに退室した。窓の外はまだ暗い。
(きっと顔も洗って来るわね ……前にもこんな事があったなぁ………騒動はいつ起きたのかしら?…どれくらい時間が経ったのかしら?……)
程なくしてアニタがトレイを持って戻って来た、トレイの上には吸い飲みが乗っている。
「ぬる目の白湯に少しハチミツを混ぜました」
そう言って寝たままのレイナの口に、布巾を添えて近付け飲ませてくれる。
(……美味しい……)
優しい甘さと水分が喉を潤した。
「お医者様は、お嬢様がお気付きになられる少し前に、仮眠に入られて——。お嬢様の目が覚めたら起こしてほしいとおしゃってましたが……如何いたしましょう?」
吸い飲みをトレイに戻してアニタは尋ねる。
「後ででいいわ。今はアニタと話したい。状況を知りたいの」
「畏まりました。では——。鞄をお忘れになったまま帰宅されたのは今のお嬢様ですか?」
「そうよ。あぁ、それと。私の事はレイナって呼んで。それともう一人、シェイムって子がいるわ。シェイムとはお互いの存在を確認してるの。クレアは私達の事に気付いて無いと思ってるんだけど……アニタから見てもそうなのよね?」
「はい。私が見る限りご存知無いと思います———。あの……」
「なあに?」
「………レイナ様が把握されてるのは、クレア様とシェイム様の御二方だけですか?」
「………ん?…………どういう意味?」
「…多分…もう二〜三方、居られます」
「……………」
(……えーーーーーーーーー!?)
「あーーー…そう…なの?…えっと……」
レイナは予想外のアニタ言葉に困惑が隠せない。
「その人達は頻繁に出て来るのかしら?」
「いえ……私の知る限りは———。殆ど現れて無いと思います」
「そう……なら。その人達の事は後でで良いわ」
レイナは自分で居られるうちに状況確認を済ませようと、他の人格達の事は一旦忘れる事にした。
「先ず———。私達は記憶を共有出来ないみたい。さっきみたいに、起きた時からレイナの時もあるけど。大体——。突然場面が変わるの。今回は……馬車から降りて、部屋に入って…ドレッサーの前に座った——。その次は浴槽で溺れてた。駆けつけてくれたのはアニタよね?……あれからどれくらいの時間が経ったのかしら?」
「はい。私が駆けつけました———。レイナ様がお部屋に入った後……私が浴槽の異変に気付くまで一時間程でした。……浴室の床にはサイドテーブルの上の物が落ちて散乱してました。その一つが…空の睡眠薬の瓶でした。
人を呼び———。浴槽からお嬢様を何とか引き摺り出して。執事長がお医者様を呼ぶよう指示して……お嬢様は気絶しておりましたが、何とか飲んだ物を吐かせようと処置を試みました。
お医者様が来られてからは、本格的な胃の洗浄をして下さり……かろうじてお助けする事が出来ました。
お医者様は二時頃まで付いていて下さり。今は五時前…もう直ぐ空が白んで参ります。
領地に居る奥様と旦那様には、直ぐに連絡を入れましたので…昼過ぎに戻られると思います———。今回の事は、屋敷の者には徹底的に緘口令を敷いてあります」
「私以外の人格は目覚めなかったのね?」
「はい。レイナ様が最初です」
「分かったわ———。今、余り身体が動かせないのは、睡眠薬の影響かしら?」
「そうだと思います。お医者様は、お薬が完全に身体から抜ければ後遺症は無いと仰ってました。元々強い睡眠薬では無かったので…むしろ浴槽での溺死が危なかったそうです」
「………そう…私が出たから助かったのね」
「……レイナ様……お医者様をお呼びするのは後にして、少し休みましょう」
レイナはアニタの話の途中から、急激に眠気が襲って来たのを耐えていた。
その様子をアニタは気付いていたので、医者を呼ぶよりも休息を勧める。
「………そうするわ……おやすみなさい……」
「お休みなさいませ」
レイナの意識は眠りの底へ深く沈んでいった———。
◇◇◇
……様……ア様……クレア様……起きられますか?…クレア様」
「……ん…んぅ…」
「クレア様……医師のセインです。お分かりになりますか?」
(………セイン先生……お久しぶりだわ…)
ドケーシス家の専属医セイン・ソテリア。
以前、頭の怪我の時にレイナも会う事があり、クレアの幼い頃から診てもらっているので、レイナの人格が目覚める前の記憶にも覚えのある人物だ。
「……セイン先生…」
「おはようございます。クレア様……気分はどうですか? 吐き気はありますか?」
「……ありません。……大丈夫です」
側にはアニタも控えている。
(……外が明るい…何時かしら?)
「点滴が全部入って、薬の影響は抜けたと思いますが———。手を握ってみて下さい」
そう言ってセイン医師はクレアの手を取り、握られるのを待っている。レイナは手に力を入れると難なく握る事が出来た。
「……はい。大丈夫ですね」
「先生…今、何時ですか?」
レイナは言葉を被せる様に時間を尋ねた。
「もう直ぐ午前九時になります。少し身体を起こしてみましょうか」
レイナはセイン医師とアニタの手を借りて、ベッドヘッドにクッションを置いて凭れた。
「眩暈など、ありませんか?」
セイン医師は丁寧に様子を診ていく。
「大丈夫です」
「夜明け前に一度お目覚めになり、ハチミツ入りの白湯を飲まれたそうですね———。良い傾向です。糖分と水分で、喉と胃が休まったのでしょう。今、私が起こすまで寝ておられました。一安心です」
(…………あれ?……まだ私?……また私???)
レイナはチラリとアニタを伺って。
「先生……アニタと二人だけで話しても良いですか?」
「……ええ、構いませんよ。次は——。ご夫妻が戻られたら一緒にお話を伺う事にしましょう。食べられるなら食事も摂って頂いて……食事内容の指示は料理長に出しておきます。では失礼します」
そう言ってセイン医師は部屋を出て行った。
「アニタ! 私の他に誰か出て来た?!」
「え?……いいえ———。先程お休みになられてから今まで、ずっとお眠りでした」
(……おかしい……ずっと私のままなんて…)
これまで、レイナの人格が表に出る時間帯も長さもまちまちだったが、長くても最長で二時間程であった。
(……クレアが…出てこない………どうして?…)




