人の心はままならぬもの。サリュウスの復讐が出来なかった物語
なんて馬鹿な兄なんだ。だから私は兄の事が大嫌いだ。
サリュウスはエル王国の第三王子だ。金髪碧眼の美男である。
双子にケリュウスという兄王子がいたが、バルト公爵家を怒らせた罪により、彼は変…辺境騎士団へ送られた。
サリュウスは留学していたが、国王の命で急遽帰国することになった。
「お前がバルト公爵家に婿に行くがいい。最初からケリュウスに命じるのではなかった。お前と違ってケリュウスは出来が悪い。それに比べてサリュウス。お前は出来がいいからな」
サリュウスはイラついた。
隣国に留学していたのは、外交で役立ちたいと思っていたからだ。隣国である帝国は開けており、エル王国よりも色々な国の人が行き来している。
だから、留学していれば、将来、エル王国の為に役立つ知識を得ることが出来るだろう。
だから、留学して勉強していたのだ。
ケリュウスとはいつも話していた。
庭でケリュウスはサリュウスの傍で剣を手にしながら、キラキラした目で、
「私は剣で役立ちたい。お前は頭がいいから、頭で役立つ人になればいい」
カラカラとそう笑ってサリュウスに言った。
剣をふるって強くなることしか、興味の無かった兄。
それなのに、バルト公爵家に婿に入る事を父である国王に命じられ、そして公爵令嬢レディリアを怒らせてしまった。
上手く機嫌を取っておけばよかったのに。
バルト公爵家の意向を無視して、変…辺境騎士団から連れ戻すわけにはいかない。
馬鹿な兄ケリュウス。
イラつく。
自分ならもっと上手くやる。
命とあれば仕方ないので、バルト公爵家の新たなる婚約者にサリュウスがなることになった。
レディリア・バルト公爵令嬢。歳は18歳。それはもう美しい銀の髪に青い瞳の令嬢だ。
サリュウスを見るなり、
「本当にケリュウスにそっくりなのね。違いは目元の黒子くらいかしら?彼はわたくしを裏切ったの。わたくしから逃げようとギルドに行ってギルド長と剣の稽古をしていたわ。わたくし思ったの。公爵家の婿になるより、あの人は剣に生きたいんだって。
見張らせていたら、本当に冒険者になりたいってギルド長に懇願していたわ。馬鹿じゃないの。わたくしの婿になる為に婚約をしたのでしょう。それなのに。本当に馬鹿。貴方は馬鹿じゃないわよね。わたくしの理想の婿になって頂戴」
サリュウスはレディリアの手の甲にキスを落として、
「勿論だ。レディリア。私はバルト公爵家の婿になる為に、父から命を受けたのだから」
バルト公爵夫妻も満足げに、
「今度は娘の機嫌を損ねないように頼むよ」
「ええ、期待しているわ」
サリュウスはにこやかに、
「勿論です。バルト公爵家の為に励みますよ」
その日から、サリュウスはバルト公爵家に住むことになった。
レディリアもサリュウスも18歳。王立学園を卒業していたので、公爵家で結婚まで、公爵領の事を学び、いずれサリュウスがバルト公爵になる為に勉強せねばならなかった。
レディリアは朝から晩までサリュウスにべったりと傍にいて。
「貴方はわたくしの婚約者なのだから、わたくしが傍にいるのは当たり前だわ」
サリュウスはにこやかに、
「ええ、当たり前。まさにそうだな。私もレディリアの傍にいることがとても幸せだよ」
レディリアは、
「それにしてもケリュウスったら、本当に無口で、わたくしとの会話を楽しもうとしなかったのよ。貴方は少しは楽しませてくれるのかしら?」
「そうだな。隣国の帝国はとても開けていてね。色々な国の人が帝都に集まってくる。言語も微妙に違っていてね。とても面白いんだ」
レディリアに帝国の事を色々と話してやった。
レディリアは喜んで、
「ケリュウスと大違い。貴方はとても楽しい人だわ。ずっと一緒にいて頂戴。裏切っては駄目よ」
「ああ、ずっと一緒にいるよ」
朝から晩までレディリアは付き纏った。
ケリュウスはにこやかに対応する。
どんな時も笑顔を絶やさない。
レディリアと共にいながら、バルト公爵家の領地の事、事業の事をサリュウスは学んだ。
バルト公爵家は色々な事業をやっていて、公爵はとてもやり手だ。
王国一の名門で、王家としてはどうしても縁を結びたい。バルト公爵を怒らせたくない。
そういう国王の思惑があるのだ。
だから貪欲にバルト公爵領の事を学ぶ。
レディリアやバルト公爵夫妻の機嫌を取る。
貪欲に貪欲に貪欲に‥‥‥
私はあの馬鹿な兄とは違う。
必ずバルト公爵になってみせる。父上の期待に応えてみせる。
レディリアととある日、二人でテラスで空の月を見ていた。
空の月は煌々と輝いていて、明るい静かな夜だった。
レディリアはガウンを羽織り、ワインを飲みながら、柵に寄りかかって、
「ケリュウスは今頃、変…辺境騎士団でひどい目にあっているのでしょうね。わたくしを裏切ったのですもの。当然だわ」
サリュウスもワインを手に、立ち上がり、隣に並んでレディリアの顔を見ながら、
「そんなに兄の事が許せなかった?」
「ええ、許せなかったわ。わたくしの婚約者なのよ。それなのに、剣をふるう事ばかり考えていて。バルト公爵家の婿に剣は必要ないわ。わたくしの機嫌を取って、わたくしだけを見て、わたくしの思うがままに、生きていればいいのよ。そうでしょう?」
「確かにその通りだな。私は君のお眼鏡にかなっているかな?」
「ええ、貴方はわたくしの機嫌を取って、沢山楽しませてくれるわ。最高の婚約者よ」
レディリアに見つめられた。
この女を許さない‥‥‥
何故、そう思えたんだろう。
ケリュウスの事は馬鹿な兄だとしか思えない。
王太子である兄マディウスも良く言っていた。
ケリュウスはぼんやりしているからな。
ああ、確かにぼんやりと言うよりは、剣を手に強くなることしか考えていない。
自分から言わせれば馬鹿だ。
でも、あんな馬鹿な兄でも、双子で、いつも一緒にいて。
共に笑って共に遊んで、共に学んで、
ケリュウスは一緒に勉強をしながら、
「お前は頭がいいなぁ。私は駄目だ。ちっとも頭に勉強が入ってこない。だから腕っぷしだけを強くして、剣で王国の役に立ちたいんだ」
「でも、学ぶことを疎かにしてはいけないぞ。知識によって助かる事はあるからな」
「ああ、私なりに、学ぶよ」
そう言っていたのに、この女の機嫌一つ取れないなんて。
愚かな兄なのに。どうしようもない兄なのに。
今頃、屑の美男教育で、苦しんでいるだろう。
公爵家の機嫌を損ねるので、助けることが出来ない。
レディリアの顔を見て、憎しみを覚えた。
それでも、にこやかに笑って、
「夜は冷える。そろそろ寝るとしようか」
「ええ、そうね」
彼女の額にキスを落として、エスコートをしながら部屋へ戻った。
それからも、バルト公爵家を手に入れる為にも、レディリアの機嫌を取り続けた。
公爵家の事を貪欲に学んだ。
一年後に、レディリアと結婚した。
憎い女レディリア。でも白いドレス姿は美しくて。
見惚れてしまった。
レディリアは嬉しそうに微笑んで、
「この日を待っていたわ。なんてわたくしは幸せなのかしら」
そう言って口づけをしてくれた。
溶けそうな甘い口づけ。
胸がドキドキする。
憎い女なのに。
式の後の夜には、レディリアとの初夜が待っている。
あまりの美しさと柔らかさに、サリュウスは何度も何度も、レディリアを求めた。
レディリアは翌朝、ベッドで頬を染めて、
「サリュウスったら、激しいのね。わたくし恥ずかしいわ」
そういうレディリアがとても可愛く感じて。
あああ、憎い女のはずなのに……
レディリアに子が出来た時は嬉しかった。
公爵家の血を引いた子が産まれる。
バルト公爵家を子を引き込んで手に入れることが出来るのだ。
産まれた子の名前はアレスと名付けられた。男の子だ。
バルト公爵が名付けた名前だ。
息子アレスの顔を見ると、可愛くて仕方が無い。
それでも、レディリアの事が憎くて憎くて。
アレスを抱っこしているレディリアの事を見ると、憎しみが消えてしまう。
アレスを抱っこして、こちらをにこやかに見てくる妻を見ていると、なんとも幸せな気持ちになる。
憎まないと、ケリュウスの為に。
ケリュウスはどうしているだろう?屑の美男教育を終えた美男は、教会に行って奉仕活動をすると聞いている。
レディリアが赤子であるアレスを抱っこしながら、
「今日はいいお天気ね。この子も喜んでいるわ」
ああ、なんて可愛い息子なのだろう。
私は私は‥‥‥どうしたい?どうしたい?
教会にいるケリュウスを助けたい?
しかし、教会に会いに行くわけにはいかない。
レディリアの機嫌を損ねる訳にはいかない。
だから、ギルド長に頼み込んだ。
ケリュウスに道を示してやってくれと。
ギルド長はケリュウスと手合わせをした事があり、顔見知りだということを調べた結果解っていた。
ギルド長は、
「私でよければ、ケリュウスに道を示してやろう」
と、快諾してくれた。
これで、兄は、剣の道に生きることが出来るだろう。
更に数年過ぎた。
バルト公爵が、病にかかって寝込むようになってしまって。
サリュウスがバルト公爵の爵位を継いだ。
復讐をする時期が来た。
バルト公爵家の血を引く息子アレスも6歳になった。
この公爵家の事業も、全て理解している。
バルト公爵夫妻をまず、領地の片隅の屋敷に押し込めた。
そして、レディリア。
レディリアを一室に監禁した。
「何で閉じ込めるの?わたくしが何をしたというの?アレスに会わせて。わたくしは母親よ」
サリュウスは笑って、
「もうお前達は必要ない。私は耐えた。耐え忍んだ。どんな我儘も笑って受け入れてきた。
でも、ケリュウスにした事を忘れたわけではない。大事な大事な兄だったんだ。愚かだったけれども、剣の道に生きたいってまっすぐで。確かに公爵家の婿でありながら、ギルドに行ったことは悪かったかもしれない。だからって変…辺境騎士団へ送るなんて酷すぎる。そんな酷い事をしたのか?兄はただ不器用だっただけだ。それなのにっ。兄はギルド長に頼んで、引き取って貰ったよ。兄が望む剣の道を今度こそ。お前らが潰した兄の道を叶えてやりたい。私は愚かな兄だと解っていても、どうしても兄の事を。兄の事を忘れられなかったんだ」
涙が溢れる。
レディリアは、
「少しは悪かったと思っているわ。でも、あの人はわたくしを裏切ったのよ。罰を与えただけじゃない?当然の罰よ。わたくしを悲しませたのだから」
「それなら私を悲しませた罰をお前は受けるがいい。それを言うなら当然だろう?私はずっと耐えてきたんだ。義両親が弱るまで耐えに耐えて。やっと、お前らを駆除できる。お前には死んでもらう。バルト公爵家は王家のものだ。兄も父もさぞかし喜ぶだろうよ」
「嫌よ。アレスに会わせてよ。わたくしはわたくしはわたくしはっ。嫌よーーー。死にたくない。何でいけなかったの?わたくしを裏切ったあいつが悪いのよ。貴方も裏切るの?わたくしを殺すの?」
「今まで、ずっと愛している愛しているって嘘の言葉を吐いてきたんだ。嫌で嫌でたまらなかった。愛しているって言う度に、ケリュウスに心の底で謝っていたんだ。私にとっては大事な兄だったんだ」
「あの人が悪いのよーーー。わたくしは悪くない。わたくしは貴方の事を愛しているわ。息子だって母であるわたくしが必要なはずよーーー」
「死ぬがいいっ」
両手をレディリアの首にかけて殺そうとした。
頭に血が上ったから、もう、何もかもどうでもよくなったから。
この女を殺してっーーー。
息子アレスがドアを開けて飛びこんできた。
「お父様っ。やめてっ。お母様を殺さないでっーーー」
「アレスっ」
レディリアの首から手を離した。
レディリアはアレスを抱き締めて、泣きながら、
「わたくしが悪かったわ。でも、この子と一緒にいたいのよ。サリュウスの事も愛しているわ。だから許して。お願いだから。ケリュウスにも謝罪するわ。本当にわたくしが悪かった。悪かったのよーー」
サリュウスも涙を流して、レディリアとアレスを抱き締めた。
殺せない。可愛い息子アレスの為にも殺せない。
私にとって、偽の愛の言葉を沢山囁いてきた。
愛しているレディリア。愛しているって。
憎しみの炎もずっと燃やしていた。
憎い女。本当に憎い。
でも、もう家族だ。何年も共に暮らして来た家族だ。
心の中でケリュウスに謝った。
私は復讐に生きることが出来ない。
どうかケリュウス許して欲しいと。
レディリアに向かって、
「すまなかった。私にとってレディリアとアレスは大事な家族だ。レディリア。どうか許しておくれ」
レディリアは頷いて、
「わたくしが悪かったのだから。ケリュウスに謝罪をするわ。それで許して頂戴。愛しているわ。サリュウス」
三人で強く抱き締め合った。
翌日、レディリアとアレスを連れて、ケリュウスに会いに行った。
ケリュウスはギルドで働いていた。
魔物討伐の素材を受け取り、調べる仕事をしていた。
サリュウスを見ると驚いた顔をして、
「久しぶりだな。数年ぶりか?ああ、有難う。ギルド長に話をしてくれたのはお前だってな」
そして、レディリアの顔を見て、明らかに不安そうな顔をした。
レディリアは、ケリュウスに頭を下げた。
「申し訳なかったわ。貴方を変…辺境騎士団送りにして。反省しているわ。どうか、許して頂戴」
ケリュウスは頷いて、
「変…辺境騎士団の連中はよくギルドに来るよ。まったく、気まずいったらありゃしない。サリュウスと息子さんと幸せに生きているのなら、私は何も言う事はない」
アレスを抱き上げてケリュウスは、
「可愛い息子さんだな。どうか、サリュウス。これからも王国の為に。バルト公爵として、王侯の為にもマディウス兄上の為にも良い家庭を築いていってくれ」
「そうするよ。ケリュウス。ところで、剣の道は諦めたのか?」
ケリュウスは笑って、
「諦めてはいないよ。仕事は素材を調べる仕事だが、冒険者の仕事もしている。夢は叶えているよ。有難う。訪ねてきてくれて。元気でな」
心の底から安堵した。
ケリュウスは剣に生きることが出来ていたのだから。
ギルドを出たら、空には虹がかかっていた。
その虹を見ながら、サリュウスは思う。
人の心はままならぬものだ。
あれだけレディリアを憎んでいたはずなのに、息子が産まれて、息子に懇願されて、
憎しみが解けてしまった。
レディリアの事を憎むと共に愛していたんだなと実感した。
共に過ごして来た日々。耐え忍ぶこともあったが、楽しい事も沢山あった。
今は愛する妻レディリアと可愛い息子アレスと共に、バルト公爵として共に生きていこうと。
妻の手を握り締めて、息子を抱き上げ、再び空を見上げれば、虹が日の光でキラキラと輝いていた。
サリュウスは、決意を新たにするのであった。