悪徳令嬢R、婚約破棄されるも余裕の笑み
社交界に咲く一輪の毒花、R嬢。
絹のドレス、冷ややかな笑み。令嬢たちの嫉妬を一身に集め、紳士たちを手玉に取るその姿は、まさに“悪徳令嬢”の名を欲しいままにしていた。
「またR様が令息Mを誘惑なさったとか。お気の毒なF嬢」
「いやですわ、あんなに次々と人の婚約者に手を出して……」
そんな噂が飛び交うのはいつものこと。
だが、その渦中の本人はというと、紅茶を優雅にすするのみ。
「ええ、Mが勝手に私に夢中になっただけですの。私は何もしていなくてよ?」
唇に指先を添えてくすりと笑う。
その態度は、令嬢らの怒りをさらに煽るが、誰も彼女には逆らえなかった。
なぜなら、R嬢は王太子の婚約者であったからだ。
ーーー
しかしある日、その均衡は崩れる。
「R嬢、君との婚約を破棄する」
学園の舞踏会の最中、王太子Aが大勢の貴族を前にそう宣言したのだ。
周囲がざわめく。
当然である。王家の婚約破棄など、一大事に他ならない。
「理由は何かしら?」
紅茶を飲んでいたRは、カップを静かに置いて聞き返す。まったく動じた様子はない。
「君の数々の悪行が、公的に容認できる範囲を超えている。平民の学生S嬢をいじめたことも、私の耳に届いている。彼女は心優しい女性だ。私の新しい婚約者としてふさわしい」
……ああ、そう来たのね。Rは内心ため息をついた。
「私がS嬢をいじめた証拠は?」
「証言がある。複数の学生が見ていたそうだ」
「ほう……その“複数の学生”の名前は?」
「……それは……」
王太子は言葉を濁す。無理もない。すべてはRを陥れるために仕組まれた茶番なのだ。
彼女は立ち上がり、ゆっくりと会場を見渡した。
「皆様、よくお聞きになって。私は、これまで数々の噂を流されてまいりました。Mとの関係も、Kとの密会も、すべて根も葉もない誤解ですの」
令嬢たちの顔が引きつる。
まさかRが反論するとは思っていなかったのだ。
「私は王太子Aの婚約者として、必要な礼節とふるまいを守ってまいりました。なのに、“婚約破棄”という決定を、証拠も示さずここで公言なさるとは。王太子ともあろう方が、それでよろしいのですか?」
その言葉に、場の空気が一変する。
Aは顔をしかめた。
このまま押し切るはずだったのに、Rが逆らってくるとは。
「証拠がなくとも、お前のような高慢な女は――!」
「王太子A」
そのとき、厳かな声が響いた。
姿を見せたのは、王宮の顧問官Lであった。
「公的な場で証拠なく貴族令嬢の名誉を傷つけるのは、王族といえど許されません。証明できぬのであれば、この場での婚約破棄は無効といたします」
「な……!」
「また、R嬢には中立の調査官が付き、事実関係を徹底的に調べます。無実であれば、王太子殿下が彼女に謝罪なさる必要がありますね?」
Aは激しく唇を噛んだ。
Rは、微笑んで頭を下げる。
「それでは皆様、続きを楽しんでくださいまし。私は少々、喉が渇きましたので」
会場を優雅に後にするR。
その背中は、誰よりも堂々としていた。
ーーーー
――数日後。調査の結果、すべての疑惑が虚偽だったことが明らかになる。
証言をした学生たちは、すでにS嬢と接触しており、彼女を“持ち上げる”ために嘘をついていたのだ。
その場しのぎの作戦だったが、まさか顧問官Lが本気で乗り出してくるとは思わなかったらしい。
S嬢は家柄も資産もない庶民。王太子との関係はもちろん無効。
Aは国王に厳重注意を受け、しばらく謹慎処分となった。
そしてR――悪徳令嬢と呼ばれた彼女はというと。
「んー、やっぱり自由って最高」
髪を結い直しながら、馬車の中で伸びをしていた。
「婚約も解けたし、くだらない令嬢ごっこも終わり。これで好きなだけ動けるわ」
Rは“王太子妃”になるつもりなど、最初からなかったのだ。
彼女の本性は、裏の世界の情報屋。
貴族社会の裏情報を集めるために、あえて“悪徳令嬢”という立場を演じていただけ。
――悪役でいてくれ、と依頼されたからこそ、完璧に演じていただけなのだ。
「さて、次はどの男を転がそうかしら」
その笑みは、真の悪女のそれか、あるいは正義の仮面か――。
誰にもわからない。
だが、彼女の名を口にする者は、今や誰一人としていない。
ただ、“R”というイニシャルだけが、闇に残されていた。