祭囃子
汚くて乱雑なままの六畳間。その部屋の窓に座机を置いて、売れない漫画家の丘島は、漫画のデッサンを描く手を休めて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。外には、窓のすぐそばに、太い電信柱が立っている。そして、灰色のコンクリート壁が続いて、その向こうは、空き地だ。あまりみられた風景でもない。と言って、改めて、デッサンを続ける気もしない。それで、丘島は、筆を置いたまま、台所で、カップラーメンを喰うことにして、そばに置いたコンビニの袋を、ゴソゴソとやった。ようやく、中から、1個、出てきた。それを大事そうに座机に置くと、台所のやかんでお湯を沸かし、ラーメンに注ぐ。
旨かった。丘島は、満腹すると、ひと心地ついた。少し暑くなったので、上着を脱いで、シャツなりになると、両手を後ろについて、窓の外を眺める。相変わらずの風景だ。茶色の野良猫が、一匹、コンクリート壁の上を歩いていく。本当に、今日も、何とはない、いつもの1日だなと、丘島は実感した。
特にすることもなく、仕方なく、丘島は、そばに置いた小型ラジオの電源を入れて、チューニングすると、しばらくの間、耳を傾けて、ラジオから流れる軽音楽をそれとはなく聴いていた。
とにかく、暇だな、と感じていた。ラジオのスイッチを切り、ぼんやりとしていると、今までラジオの音を聴いていたせいか、聴覚が敏感になっている。そうして、部屋の音を聴いていると、どうやら、どこか、遠くから、太鼓の音が聴こえてくる。低い、低い、太鼓の響いてくる音だ。どこかで、お祭りでもやっているのだろうか?でも、じっと聴いていると、太鼓の響く音は心地いい。何だか、子供時代に帰ったような気になってくる。それで、懐かしく、しばらく、聞き入っていた。
そうしているうちに、太鼓のドンドンという響きは、徐々に大きくなってくる気がした。もしかしたら、神輿が近づいてきているのかもしれない。
そう思うと、もう、丘島は、居ても立っても居られない。どうしても、賑やかな神輿の集まりを見てみたくなってきたのだ。もう彼の心は、子供の頃に戻っている。
彼は、着ていた青いパジャマ姿のままで、立ち上がると、玄関で下駄を履いた。そして、アパートの薄い扉を開くと、一目散に、太鼓の聴こえてくる方へ向かって駆け出した。
いつの間にか、彼は、住宅街の外れの小さな橋のたもとまで来ていた。向こうを見る。どうやら、小さな山車を囲んだ集団の一群の姿が見えている。太鼓の音もかなり大きく、激しく聴こえている。お腹の底に響くような低い音だ。丘島は、また、その集団に向かって走り出した。
ついに、神輿が眼前まで見えた。
派手な山車だった。日本家屋のような屋根を乗せて、一杯の紅い提灯をぶら下げている。そして、大きな和太鼓を乗せ、頭を丸刈りにした若い衆が、太鼓のばちを持って、物凄い勢いで太鼓を連打している。もう、耳をつんざくような大きな音だ。山車の車輪がギリリと回って、向きを変えていく。それにつれて、山車を担いでいる大勢の若人が、皆、紅い法被姿で、大声を合わせて、担ぐ肩に力が籠る。皆、汗をかいている。頭には、絞り鉢巻を巻いている。額に汗を流して、山車を運んでいくのだ。その若人の中には、まだ若い娘の姿も、見受けられた。その娘の紅い口紅が印象に残った。
太鼓の音は、大きく耳に響いている。激しく、強いのだ。太鼓を叩く激しい音が、いつまでも、丘島の心に残っていた。
もう、帰ろう。丘島は思った。それで、もと来た道を引き返していく。だんだんと、太鼓を叩く音が、小さくなっていく。
そして、丘島は、アパートの部屋に戻った。そして、元通り、窓際に座って、遠くから聞こえる太鼓の音をぼんやりと聴いていた。
来年の夏も、祭り囃子は来るんだろうか?見てみたいな。
そんなことを考えて、漫画のデッサンを進めていく。
俺の人生って、これでよかったのかな?間違っていないんだろうか?
そんな疑問が、頭の中を、フッとよぎる。でも、どうでもいいや。丘島は、また、筆を置いて、しばらく、太鼓の音に、耳を澄ませているのだった.............。