第八話 運命の出会い
翌日、この数年間で最も心地の好い目覚めで朝を迎えられた。
今日はエリゼオとラフィクの入団式だ。
ラフィクとはまだ話したこともないのに、エリゼオから聞いた話で親しみを感じてすらいた。
そして何より……また、エリゼオに会えると思うと胸が温かくなった。
きっと彼は、彼が目指すかっこいい騎士として、入団式の場に立つのだろう。昨日のような笑顔は見られないかもしれないが、真剣な顔つきの彼も見てみたいなと思う。
ふう、と小さく息を吐き出した。
こんなにも心躍るような朝になるなんて、信じられないこともあるものだな、と。どこか冷静に思いながら朝の支度に取りかかった。
入団式が始まる少し前にお嬢様の部屋を出て、お嬢様と鍛錬場へと向かった。
入団式は鍛錬場で行われ、お嬢様と私がたどり着いた時にはエリゼオともう一人の男性がザックガード辺境伯騎士団の鎧を纏い、真剣な顔つきでまっすぐに背筋を伸ばし立っていた。
エリゼオの隣にいるのが、昨日、彼がラフィクと呼んだ男性だろう。
ラフィクは、エリゼオと同じくダークブラウンの髪色で、エリゼオより少し長めのミディアムヘアだ。目はそこまで大きくなく、少しニコリとすれば糸目になるため柔和な印象を受ける男性だった。
体格はエリゼオの方ががっしりとしていて、ラフィクの方が細身だ。二人共、この騎士団内でも身長は高い方だと思う。
そのラフィクの隣にいるエリゼオは、昨日のような笑顔ではなく、迫力のある目つきで……かっこいいな、と素直に思った。
昨日、隣で歩いた時にはそこまで意識していなかったが……こうして離れて見ると、騎士として恵まれた体つきなのだろうと思う。彼が振る剣は、きっと重くて鋭そうだ、なんて。
それにラフィクはラフィクで、しなやかな動きができそうなどと、勝手にも想像する。
私がそんなことをしている間に、叙任の儀式となった。
二人が旦那様の前に跪く。
叙任の儀式では、いつもならば跪いて頭を垂れた騎士の肩を旦那様が長剣の平で叩くのだが、二人は既に王家騎士団の入団時に終えているため、今回は剣で叩くことはせず、肩を手で叩いていた。
そうして旦那様からのお言葉が終わって立ち上がった二人だったが、ここまでの動作が見事に揃っていて驚いた。さすが幼馴染だ、と納得も感心もしていると、堂々とした立ち姿がすごく大人びて見える。
彼らは既に騎士としてその能力を認められているのはすごいことだな、と素直に思えた。
そんな二人から私は目を離すことができず……お嬢様から部屋に戻ると言われないのをいいことに、じっくりと入団式を見つめるのだった。
滞りなく入団式が終わり、エリゼオやラフィクの周りには先輩騎士達が声をかけに集っていた。
そんな時にふと、エリゼオの視線がこちらに向いた。
すると、それまで真剣だった彼の顔つきが柔らかくなって、にこりと笑いかけてきたのである。
あれは……私を見て、微笑んでくれたのだろうか。
まさかそんな。昨日、眠る前に望んだことがもう叶ってしまった? そんなことがありえるの?
じんわりと、昨日の温かな気持ちが胸の中に広がっていく。
一晩経ってもまた、私は笑みを向けてもらえたのだ。
もしかしたら彼はこのまま、私にも優しい人でいてくれるかもしれない。そんな奇跡みたいなこと……と、一人浮かれた頭で考えていた。
……そんな私の思考を止めたのは、ルシールお嬢様だ。
「ジェイラ……どうしよう。私、エリゼオに恋をしてしまったみたい……」
ぽつり、とそんな言葉を口にしたお嬢様。
けれど私がその言葉を理解するまでには時間がかかった。
こい……恋?
エリゼオに?
一瞬、頭が真っ白になった。
「今の見たでしょう? 私を見て微笑んだのよ。すごく穏やかで……かっこよかったわ」
お嬢様に……笑いかけたの?
私ではなく?
そう聞いた途端、襲ってきたのはとんでもない羞恥心だ。
何を思い上がっていたんだろう。
私は昨日、ただ少し話しただけの相手だ。こんなにも可愛らしいお嬢様がいるのに、私に笑いかけるなんてあるはずがなかったのだ。
それなのに。私は一体何を考えていたの?
何を望んでいたの?
あまりにもマヌケな自分が恥ずかしい。
下唇を噛み締めてこの羞恥心に耐え、お嬢様の言葉を聞く。
「すごくかっこいい……どうしよう、心臓がドキドキとして鳴り止まないの」
お嬢様の口から語られる恋心と反比例するように、私は自分の中にあったエリゼオへの願いを一つずつ消し去っていく。
ずっと……そうだったじゃないか。
大人でも、貴族でも。皆、お嬢様を見たら笑顔になっていた。皆、私のことなど視界には入れない。
初めから全部、お嬢様のもの。この世界はお嬢様を中心に回って、私はそれを滑らかに回すだけ。
そんな初歩的なことを、忘れていただなんて。恥ずかしい。
「エリゼオはきっと私の運命の相手なのね」
……大丈夫。まだ、なかったことにできる。
お嬢様の運命の相手に、何かを望んではならない。望むなら、お嬢様の幸せだけを。
私への優しさなど、期待も望みも捨て去ってしまうんだ。
「ねぇ、ジェイラ。私これから、エリゼオに好きになってもらえるように頑張るわ」
エリゼオも、お嬢様を好きになる未来が、この先にはあるのだろう。ゆくゆく彼はお嬢様の隣に立って、お嬢様に熱い視線を送ることになる。
それがお嬢様の望みならば、叶う未来以外、あってはならないのだから。
「ジェイラも協力してね! ジェイラにとっては未来の主人となるのだし。期待しているわ」
「……かしこまりました」
これまで答えた返事の中で、一番、声が震えていたけれど。
お嬢様はそれに気づくことがなかった。
その日の夜……エリゼオからもらった軟膏は、自室の引き出しの奥の奥にしまった。二度と出てこないように。目に留まらないように。
あの優しさを、もらった言葉の数々を、彼の手の温かさを思い出さないように。
引き出しを開けたまま、呆然と立っていた。そうしている間は悲しさのようなものがこみ上げてきたけれど……引き出しを閉めた時にはいつもの私であれた。それに安心した。
昨日の感情が何だったのか考えることもしなかった。考えたくなかった。
私はまた、自分が楽でいられる道を選んだのだ。
……現実には目を伏せて、これからのことを考える。
恋するお嬢様の要求はどんなものになるだろう。恋をした人は、相手にどんなことをするのだろう。
そんな話をする人もおらず、恋物語なども読んだことのない私にはさっぱり想像もつかない。
だから思い出したのは、嫌な相手ではあるが過去の侯爵家の三男だ。彼はいろいろと……贈り物をしていたな。できるだけ……貯金は減らさないようにしたい。
それだけが、目標となった。