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第五話 忘れること



 傍から見たら仲睦まじい二人でも、お嬢様は結局、ローデヴェイクを好きになることはなかった。


 そしてとうとう、ローデヴェイクとお嬢様のお別れの日があと二週間と迫ったある日のこと。

 私が一日の仕事を終えて自室へと戻る途中、突然現れたローデヴェイクに道を塞がれた。何事かと思えば、ちょっとついてこい、とのことだ。

 初めは断ったが、それならお前の部屋に行く、と言われ、断るためについていくしかなくなった。


 案内されたのは、人気のない木陰だ。私は彼と二人で話をすることとなった。


「お前……ジェイラだったか。ルシールの専属侍女だな」

「……はい。何かご入用でしょうか?」

「おい、俺が許可するまで口を開くな。俺は将来、お前の主人になる男なのだから弁えろ」


 それはありえません、とは言わなかった。

 いや、言えなかった。口をローデヴェイクの手で塞がれたからだ。


「ルシールと俺を二人きりにしろ。既成事実を作って、俺がルシールの婚約者になる」


 目が血走ったローデヴェイクは、よほど必死なのだろう。

 何としてでもお嬢様を自身のものにするため、あれこれと貢いですらいるのに、お嬢様からは残ってほしいとも婚約者になってほしいとも言われないのだから。


 貢物……もとい贈り物はラブレターから始まり、花になりお菓子になり紅茶になり、ドレスになり宝石になり……直近ではダイヤモンドのついたイヤリングが贈られた。


「あのお方、贈り物のセンスはあるのよね。見て、このイヤリング。すごく可愛い!」


 そのイヤリングはお嬢様のお気に入りにはなったが、お嬢様がローデヴェイクの名前を呼ぶことはない。いっそ覚えてないのでは、と思うくらいには、基本的にはあの方、と呼ぶ。

 けれどそれを知らない彼は、突き返されない贈り物を自信に変えたのかもしれない。それでこんな無謀な要求へと繋がったのか。

 二人にしろ、だなんて。そんなこと、できるわけがない。

 私は首を振った。口は塞がれたままだから、あまり動かせなかったが。


「いいからやれ!」


 怒鳴られながらも、また一つ、首を振る。


 万が一、この男が未来の主人になったとしても今は旦那様が雇い主だ。旦那様にはお嬢様を男性と二人きりにするなと言われている。それを優先させるしかない。


 やれ、と言われ、首を振る、というのをもう二回程繰り返したら、とうとう男が私に最大級の怒りをぶつけてきた。


「この……っ役立たずが!」


 顔の下半分を覆っていた手に締めつけられるような力が加わり、痛みに顔を顰めた。けれど男は気に留めることなく、私を横に投げ捨てる。

 私は勢いよく地面へと倒れ込んだ。


「役立たずのブスが! ルシールの専属侍女だからと優しくしてやっていれば調子に乗りやがって!」


 優しくなどされた覚えはない。今だって最初から口を塞がれていた。

 ああ、服が汚れてしまったな、なんて考えて立ち上がろうとしたが、上から影がかかった。見上げれば、恐ろしく怒りを含んだ目つきで私を見下ろすローデヴェイクがいた。


「お前のような使えない人間、ルシールには相応しくない。とっとと辞めろ!」


 言われて上がったローデヴェイクの右足。

 私は咄嗟に体を守る姿勢をとったが、背中辺りを思いきり踏みつけられた。その衝撃に、うぐっ、と唸り声が出る。


「声まで醜いとはな。ますます不要だ。ほら、さっさと辞めると言え」


 そこからは上から断続的に足が振ってきた。靴の裏の感触がそこかしこに残る。頭を抱えるようにして蹲っていたが、腕に背中に足に、痛みは増えていく。


「俺は優しいからな。使えないお前にも猶予をやろう。力は徐々に強くしていく。怪我をしたくなければ俺が力を強める前に、はい、と言え」


 そういっても、苦しいし、痛い。逃げたいとしか思えない。


「ルシールは、俺のものだ。ルシールは……俺のものだ。ルシールは……」


 狂ったように呟きながら私を蹴る男の足は、男の言っていた通り徐々にその威力を上げていた。

 けれど男は男で、何も答えない私に焦れたのかもしれない。


「いい加減、主人の言うことをきけ!」


 これまでより特段に男が大きく足を上げた。

 その瞬間、私は密かに掻き集めていた地面の砂を手に握り、男の顔めがけて投げつける。


「ぐあっ!」


 砂に目をやられた男がよろめいた隙に急ぎ立ち上がり、私は走った。よろけながらも賢明に足を動かして、どうにか使用人棟へと戻ることができた。


 たぶん、最初の一撃以降、男はそれなりに力加減はしていたのだろう。痛みはあるが、動けないほどではない。そう思いながら、歩を進める。



 使用人棟内の廊下ですれ違った使用人が、ギョッとしたように私を見ていた。しかしそんな人達にかまっている暇はない。

 私は彼らを無視して自室へと突き進んでいたのだが、部屋までもう少し、というところで一人の女性に阻まれてしまった。


「何があったの⁉」


 そう聞かれたけれど、答えられることはない。私の報告義務は旦那様にだけだ。

 それにあの男は腐っても侯爵家三男。権力ある者の行動に対して何かを言って、また私のせいにされたらたまったものじゃない。


「……報告の、義務はありません。ゴホッ……旦那様にのみ、ご報告させていただきます」

「でもあなた──」

「問題ありません。お嬢様には、ご迷惑をおかけしませんので。明日も、ちゃんと働けます。皆様のお手を煩わせるようなことは一切しないと誓います。急いでおりますので、失礼します」


 私の回答に、目の前の女性は狼狽えたように目を見開いた。その横をサッと通り過ぎ、自室へと帰る。

 軽く確認したら、踏みつけられたところにはあざができていたり、他にも擦り傷のようになっているところがいくつかあった。

 湯浴みは傷がしみそうだな、と思いながら、汚れた服をまとめて洗濯カゴに入れておく。背中が一番痛むけれど、動けることにホッとした。


 着替えを済ませ、なるべく身を隠しながら移動して旦那様にローデヴェイクから暴力を受けたことを報告した。私の怪我を見た旦那様は執事を呼び寄せ、今すぐローデヴェイクを拘束しろ、と命令を下した。

 そして私には、このことは他言無用だ、と言われた。お嬢様の耳に入っては不安にさせてしまうから、とのことだ。関係者には旦那様から話を通すらしい。

 私はかしこまりました、と答えて部屋から出ようとしたら、旦那様から呼び止められた。


「汚れた服はそのまま捨てて良い。新しいものを手配する」

「ありがとうございます」

「それと、痛み止めと軟膏を支給する。薬を飲み、傷口に塗っておけ。無くなってもまだ傷が残るようであれば言ってこい。新しいものを渡す」

「はい」

「ジェイラ、今日は良くやった。娘を守ったのはお前だ」

「身に余るお言葉です」

「これからも、お前の働きには期待している。明日は療養のため、一日休みを取るように。ルシールには私から話をしておく」

「承知いたしました。ありがとうございます」


 旦那様はお嬢様に甘すぎるが、他の使用人や騎士より、私の話を聞き入れてはくれると思う。まぁ、今日の一件がお嬢様に迫る危険を事前に防げたからかもしれないが。

 それでも、私の中では大人の中ではまだ良い方、だ。恐らくだが、今回は特別手当としていくらか多めにもらえるはず。

 そういう点で、旦那様からの評価は分かりやすくて良かった。


 薬と軟膏を受け取って、また見つかりづらい道で自室へと戻った。薬も軟膏もよく効いて、すぐに痛みは引いた。



 翌々日に復帰してからも、お嬢様は可愛らしいお嬢様だった。


 ローデヴェイクはいなくなったが、お嬢様の口からは最後まで彼の名は出てこなかったし、彼はどこに行ったの、という質問もされなかった。

 ただ、お嬢様の護衛となる騎士の配置人数が増えたことには不思議がっていたけれど、それに関しても特に訊かれることはなかった。


 それと……あの日、私を足止めして話しかけてきた使用人は、いつの間にかいなくなっていた。そのことに気づいたのは少し時間が経ってからだ。

 なんとなく、周囲からの視線がまた色々と複雑なものになった気がしたけれど、もう気にしないことにした。気にしたところで、私にできることはない。



 今日も、私を取り巻く世界は平和だ。

 お嬢様は愛らしく、皆から愛される、お嬢様だ。

 大丈夫。私も無事。あざはまだあるけど、それもじきに無くなる。


 新しい服に替えられて良かったなと思うことで、痛みを忘れた。何事も、深く考えない方が心は穏やかでいられるのだから。 



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