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第四十四話 手紙



 私達が本館に着いた時には、話は食堂で、とのことで場が整えられており、私もエリゼオも同席を許された。

 本館に入って食堂までの道程で、エリゼオと約束したのは、辛くなったら遠慮せずエリゼオを頼ること、だった。


「これからのことは全部二人で乗り越えたい。ジェイラと俺の未来だから、ジェイラだけで頑張ってほしくない。ジェイラが頑張れるとこまで頑張って、キツイと思ったら俺を見て」

「……はい……!」


 エリゼオの言葉に感極まり、じわりと涙が出そうになった。

 そんな私にエリゼオは温かな眼差しで微笑みながら、約束な、と小指を出す。私も自分の小指を絡めようと手を出したところで、サッとその手を取られ、素早く手の甲へとキスをされた。


「次こそは、必ず俺がジェイラを守るから」


 次こそは、ではない。

 ずっとずっと、守ってくれている。


「……入室前から泣かさないでください」

「ちょっとは安心できる?」

「これ以上ないぐらい心強いです。いつも守ってくれて、ありがとうございます」

「これが最後だ。頑張ろうな」

「はい」


 頷き合って、笑い合って。

 私達は食堂へと足を踏み入れた。



 食堂には、既に旦那様と奥様、そしてお嬢様が立って待っていた。


 騎士は副団長、拘束されたベランジェとベランジェの後ろに二人。ダンとラフィクもいて、彼らは旦那様の護衛が立つ位置にいた。

 他にも騎士と使用人が数人、同席している。


 いつもの食堂よりも多い場には緊張感が漂い、私とエリゼオが入室すると、後ろで扉が施錠された。


「二人共、こちらに」

「はい」


 旦那様の指示に従い、私とエリゼオは机を挟んで旦那様と対面する位置に立った。旦那様から数歩分のところに奥様とお嬢様。

 私達の横列の離れた場所に副団長とベランジェ。

 エリゼオがベランジェ側に立ってくれたことで、私からは正面の旦那様達しか見えづらい位置関係となった。


「早速だが、これまでのことも含め事実を明らかにしていく。私がそれぞれ質問をしていくから、嘘偽りなく答えるように。良いな?」


 集められた全員が返事をして、旦那様は一番にお嬢様を見た。


「ルシール、お前が今までジェイラにやらせていたことを、すべて言いなさい」


 ……初めから、お嬢様に。

 驚いたのは私だけではなかったと思うけど。皆、口には出さずに視線をお嬢様へと向ける。


 お嬢様は見てきた中で最も不愉快だという表情をして、旦那様の質問に答えた。


「使用人としては当たり前のことしか──」

「私は、すべて言え、と言ったんだ。ジェイラにやらせていたものを項目として挙げていけ、と言わなければ質問の意図を理解できないか?」


 当然ながら、いつもより厳しい旦那様にお嬢様は少し脅えるように肩を震わせた。それから、小さな声で話を始める。


「……騎士団への差し入れと、ハンカチ。それと退職者へのハンカチも」

「他には?」

「………」

「ジェイラ、答えなさい」

「……はい」


 私は正直に、これまでやってきた課題や手紙の代筆などのすべてを挙げた。旦那様の眉間にさらに深く皺が刻まれ、奥様の口元が震えていても、やってきたことを洗いざらい述べていく。


「お前がそれらをやっていたと知っていた者は?」

「……直接、お聞きしたことがないので、分かりません」

「ということは、勘づいている者は少なからずいたわけだな?」

「何度かは……課題を預けられるところを見られたりはしておりました」

「そうか……まったく。どこからどう切り込めば良いか……」

「申し訳ございません」

「お前ではない。どこまでもルシールを甘やかしていた私の責任だ。使用人のお前が、ルシールからの命を断れるとは思えん」


 ふーっと旦那様は大きく息を吐き出し、これまでより大きな声を発した。


「この中に、ジェイラがルシールから課題や手紙を預かっていたのを知っていて報告しなかった者は前に出ろ」


 その指示で、数人が一歩前に出る。


「使用人ばかりか……よほど上手く隠していたのだな。良い、下がれ」


 段々と、皆の顔色が悪くなっていく。お嬢様は俯いていてどのような表情なのかは分からなかったが、奥様はそんなお嬢様に寄り添うことはしていなかった。


「次に、今日起きたことについてだ。ベランジェの口を解放しろ」


 口にタオルを巻かれていたベランジェは、それを取られたようだ。

 しかし彼の後ろには剣を構えた騎士がおり、自由は許されない状況だった。


「報告を受けた限りでは、襲撃犯は二人。お前とローデヴェイクで間違いないか?」

「はい。間違いありません」

「門番にはどのように言ってやつを入れた?」

「奥様から許可証をいただいておりました」


 周囲がざわつき、奥様へと視線が集中した。奥様はまっすぐに旦那様を見つめている。


 私は奥様が許可証を出した理由が、自分への憎しみによるところだったらどうしようと不安になった。しかしそれは、奥様の口から否定される。


「お前は何と言って、許可を出したんだ?」

「以前より話があり、ルシールに害なす者を捕らえる機会だと。事を大きくして計画に気づかれてはいけないので、内密に進めることとしました」

「私に相談もなくなんてことを……」

「……ルシールを守るためならば、私は何だってしようと思ったのです」

「そこに、ジェイラへの恨みはこもっていなかったか? お前はいつまでも過去のドレスのことを引きずっていたな。それも要因の一つではなかったか?」

「……まったくない、といえば嘘になりますでしょう。けれど、この件に関してはルシールの未来をより確実なものにすることしか考えておりませんでしたわ」


 奥様の目的とは違ったことが起きたのだと分かって……ホッとしている自分がいた。

 私は自分が奥様から嫌われているのは承知しているが、奥様がお嬢様を思う気持ちは本物で……私は受けたことのない、母親からの愛情だった。心のどこかで常に羨ましく思っている部分があり、奥様の愛情が、私への感情よりもお嬢様を思っての決断に繋がっていたことは、肯定されるものではないが理解したいと思うものだった。


「それならばなぜ、ベランジェはジェイラを襲った? お前が指示をしたのではないか?」

「それは違いますわ!」

「違うという証拠はどこにある?」

「それは……」

「……ここにあります」


 旦那様と奥様の会話に割り込んだのは、ベランジェ本人だった。


「後ろポケットに手紙を入れております。どうかこれを読んでください」

「確認しろ」


 返事をした騎士がベランジェの衣服を調べると、一通の封筒が見つかった。騎士はそれを駆け足で旦那様へと持っていき、旦那様が封筒から手紙を取り出す。


「…………そうか」


 じっくりと目を通した旦那様が、手紙をお嬢様へと渡した。

 そして一言、声に出して読んでみろ、と。


 お嬢様は震える手で受け取ると、小さな小さな声で読み始めた。


『ベランジェ、今まで黙っていてごめんなさい。

 私はあなたが想ってくれるような優しい母ではありません。


 私がいつも悲しんでいるのは、ジェイラさんのせいだとあなたは思っているでしょう。けれどそれは、大きな勘違いです。私はジェイラさんに苦しめられたことなどありません。むしろ私が、ジェイラさんを苦しめてきたのですから。


 昔、私はまだ幼かったジェイラさんに、服が汚れたなら自分で洗うように言いました。その時は、お嬢様のドレスを汚すような悪い子供にお灸を据えているつもりでした。

 しかしその後、勝手に奥様のドレスを縫い直したと聞き、怒りすら覚えました。奥様がどれだけあのドレスを思っていたのかも知らずに、勝手なことをして……どうしようもない子だな、と思ったのです。


 その時には既にほとんどの使用人があの子を見限っていて、何をするにも手を貸さず、自分のことは自分でするようにと言っていました。けれど奥様のドレスの一件以降、使用人で結託し、意識してあの子を孤立させました。

 いくら子供でも許されることではないのだから。罰を受けるのは当然であり、折檻したり罰金を言い渡さないだけ、優しいものだとすら思っていたのです。


 けれどそれが何もかも間違いであったことを、私は突然知ることになりました。

 ある日、ジェイラさんと父親が朝早くから口論になっていました。初めて聞くジェイラさんの大声に、何人もの使用人が慌てて厨房へと向かいました。


 そこでは、ジェイラさんが果物を投げながら、怒り泣いていました。

 言われたことをやってきたのに、洗濯してもらえなくなった。ご飯を出してもらえなくなった。お金も何もかも、全部なくなった。ここにいる大人は敵で大嫌いだと……十歳に満たない子が涙ながらに叫んでいたのです。


 その時に、自分が、自分達が罪を犯したと知ったのは、私だけではなかったはず。けれど誰も、そのことを言及しなかった。できなかった。


 連れ戻されたあの子が壊れたように笑った姿を見て、自分が、自分達が、あんなに小さな子を壊してしまったのだと思いたくなくて、現実から目を背けました。


 そして私への決定打は、あの子がボロボロになって使用人棟を歩いていた日のこと。あの時はさすがに、体を使って止めました。

 何があったのか、これからどこに行くのか。

 あれ以上、傷ついてほしくなくて。どうか、大人を頼ってはくれないかと願って。


 けれど、そんなものは届くはずもなかった。

 私達から捨てさせたものなのに。都合の良いことをしていたのです。


 怪我したあの子が私を見た時……私は今でもあの瞳を、顔を、忘れることはできません。

 あの子には、何もなかった。あれだけ服が汚れていたら怪我もしていて痛いはずなのに涙も浮かべず、助けてほしそうな素振りすらなかった。私や他の者に、あの子に手を貸せる者は誰もいない。それを悟った瞬間でした。


 私は子を持つ親でありながら、まだ子供であるジェイラさんに寄り添うことをしなかった。話も聞かず、ただあの子が悪いと決めつけて叱ってきました。

 それが、大人への信用を奪っただけでなく、自身への痛みすらも捨てさせてしまったのかと……


 そう思うと恐くて仕方なかった。あまりにも自分は非情で、無慈悲で、冷徹で、残忍な人間なのだと、ジェイラさんを見る度に思いました。

 だから私は、あの邸から逃げました。


 そのことに長く苦しんでいて……それをベランジェはジェイラさんのせいだと誤解したままだったのも放置して……

 ごめんなさい。あなたに、人間として最低だと思われたくなくて、真実を話せなかった。


 けれど少し前に、たまたま、公園にいるジェイラさんを見かけました。その時はお嬢様や護衛も一緒にいました。

 そこで私が見たのは、ジェイラさんが大泣きする迷子の子供に一番に駆け寄り、慰めていた姿。

 自分は大人からあんな仕打ちを受けたのに……それなのに、子供に手を差し伸べられるジェイラさんを見て、私は今度こそ自分自身を恥じました。


 あなたに誤解をさせ続け、ジェイラさんを悪者にし続けている私は、言葉通り、人間として最低なのだと。やっと、自覚ができたのです。


 ごめんなさい、ベランジェ。本当にごめんなさい。

 私を許してほしいなんて言えません。ただ、どうか、ジェイラさんにだけは、冷たくしないでください。

 あの子は何も悪くない。悪いのはすべて、私。そして当時の大人です。


 いつか、ジェイラさんには謝りたいと思っています。そのための準備も進めています。もしも謝罪の場がもてたなら、ジェイラさんは何も悪くなかったのだと、皆に知ってほしい。

 大人が奪ってしまった幸せを、ジェイラさんに取り戻してほしい。


 都合の良いことだとは分かっています。

 ごめんなさい。

 親子の縁を切られる覚悟で、この手紙を書きました。


 母からの最後のお願いです。

 どうか、ジェイラさんの幸せを願ってください。


 また近い内に会いたいです。体には気をつけて。』



「ベランジェ、この手紙はいつ届いた?」

「本日の朝に……夜間の護衛を終えた際に、渡されました。読んでからはもう……絶望しかありませんでした。自分のこれまでが否定されたかのような。そこに昼前の、あの一件です」

「お前も聞いていたのか」

「こんな手紙を受け取っては悠長に眠っていられませんし、どちらにせよ、今日の計画を進めなければなりませんでしたから」

「それで、計画を変更した、と?」

「……はい。騎士失格であることに変わりないのならば、せめて……母の無念の一つくらいは取り除いてやりたいと」


 ベランジェと旦那様の会話が続いた。

 何人が泣いているのか把握できないくらい、あちらこちらから嗚咽や鼻をすする音が聞こえる。

 私もその一人で……エリゼオが肩を支えてくれていなければ、立っていられなかったかもしれなかった。


 けれども、私がここに来た理由。

 それをはっきりとさせたかった。


「申し訳……ございません。ベランジェ様に、お訊き、したいことが、あります」


 震える声で言い出せば、旦那様からの言って良い、との許しが出た。エリゼオが半歩下がり、体の向きをベランジェへと少し変えたことで、私も彼を見ることができた。


「ベランジェ様……あの方に、剣を向けたのは……私への、償いですか?」


 母親の無念の一つを晴らす。ベランジェはそう言ったけれど、そこに付随して、私への思いがあったのならば。


「……無実のお前に剣を向けた、自分への戒めのためだ」


 彼がしたことに、ありがとうございました、とは言えない。

 それでも、ベランジェの気持ちを受け止めて……私は泣きながら静かに頭を下げた。


「私も……私も、あなたのお母様に、謝りたい。お話が、したいです」

「……そうか。俺はもう関係ないことだが……母は喜ぶだろう」


 ベランジェは天井を見上げて、目を閉じた。


 もう二度と、彼は騎士に戻れないだろう。

 少なくともこの騎士団にはいられない。


 自分の過去がこんなにも大きな結末に繋がるなんて、思ってもいなかった。それに関わった人は、一人や二人じゃない。私が気づいていないだけで、ベランジェや彼の母のように思っている人が、まだ、いるかもしれない。


 それでもきっと、彼らとのことがこうやって公になったのは良かったことだと信じたい。

 彼らの考えを知り、私も謝る機会を得られた。

 気づけたことが、大事なのだ。気づかなければ、傷ついて傷つけたままだから。


 これは甘い考えだろうか。でも今はそうとしか思えない。

 もっと時間が経てばまた違う考えも出てくるかもしれない。

 まだ……時間はある。だから、きっと。やり直せる。


 泣いた顔を上げて、隣りにいてくれるエリゼオを見る。

 エリゼオは優しく微笑んでくれていて、やっぱりその笑顔は心強かった。


「……話、できるようにしような」

「はい」


 囁くほどの声で言うと、涙も少し落ち着いてきた。

 周囲も先程よりは静かになっていたので、他の人も泣き止んできたのかもしれない。



「……お前はどう、償うつもりだ、ルシール」



 そうして……

 最後の審判がくだされようとしていた。



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