第四話 専属侍女
すべてを諦めたその日に、私は旦那様に正式に雇っていただくように直接お願いをしに行った。そして使用人棟の部屋も一人部屋にしてほしいと申し出た。
私が問題児という話は聞いてはいたようだが、娘であるお嬢様は私のことを気に入っている。しかし子供なのでまだ正式に使用人として雇うには早いのでは、と悩んでいた旦那様だったが、最終的にはお嬢様に聞いて決めたようだ。
正式に雇ってくれるようになり、お給料と部屋の確保も認めてくれた。
私は早々に荷物をまとめ、自分だけの部屋に移動した。一階の一番日当たりの悪い角部屋だが、私にとっては唯一、気が休まる場所になった。
あの日以降、使用人達とは個人的には口をきいていない。というより、あの場に居合わせたであろう人達はこぞって私を腫れ物扱いして距離をおいてくれたので、それに乗っかったのである。
仕事のことは旦那様の執事経由で情報がくるし、別に使用人同志で仲良くする必要もない。これまでも交流はほとんどなかったのだから、なおさら、不要に思えた。
一人になると、なんとも楽なことだった。
自分のことはすべて自分でした。そのおかげか、お嬢様の準備も手早くできるようになった。
お嬢様から命じられる仕事も淡々とこなしていった。そうすると日常で話す言葉が、挨拶と返事ぐらいで、大体の会話がかしこまりましたと申し訳ございませんぐらいで済んだ。
お嬢様の言うことはこれまで通り、すべて聞いた。遊び相手としても、侍女としても。他の使用人に怒られるようなことは少なくなったが、その代わりに仕事量は増えたので、夕方までに終わらない日も増えていった。
ある時から舞い込んできたのは、お嬢様が興味のないお相手から届いた手紙の返事を代筆する仕事だった。
お嬢様の文字を真似て書く練習から始まったのだが、これには本当に徹夜をした。何せ文字の読み書きができないのに、返事は早く出せと言われていたからだ。
お嬢様は気の合うご友人には自分で返事を書いたが、それ以外は定型文で良いのだそう。
友人のいない私には何が正解か分からないが、お嬢様がそれでいいと言うなら、それでいい。
大人は誰も咎めなかったので、やっぱりここではそれが正解なのだ。
そのうち、定型文以外も書くようになりそうだから、挨拶や敬語など役に立ちそうな情報が載ってある本を買うようになった。
その本は、使用人向けに商会の人が定期的に来るので、そこで購入した。ついでに紙とペンと、新しい刺繍糸も買っておいた。
商人の中には毎回一人以上、女性商人もいる。私がいつも話をするのは、女性商人であるマルテだ。
マルテは話すのも聞くのも上手で、最近の流行りの髪型やドレスなどを教えてもらえたり、こういうことができるようになりたいといえば、おすすめの本や道具を紹介してもらえた。私にとっては、唯一、良い大人だった。
怒られないためにも知識は必要だ。そこにかかる出費は、自身を守るためにも必要な出費なのだと思った。
そしてお嬢様の字とそっくりな字が書けるようになった頃から始まったのは、数字が苦手なお嬢様に代わり、貴族教育で出た課題を解くことだった。数字、というのは主にお金の計算である。
最初は支出などと聞いてもさっぱり分からなくて、かと言ってお嬢様に質問すれば、嫌いだからか聞かないでと言われた。
ここでも商人から本を紹介してもらって、数冊買って勉強し、課題をこなしていた。
教育係に分かってしまうのでは、と心配をした部分はあったが、手紙の代筆によって字はお嬢様のものとそっくりであり、日中の教育の時間はお嬢様も真面目に取り組まれるので疑われなかった。
課題を提出する際には、一生懸命やったのたけど間違えているかもしれないわ……とお嬢様は自信なさげに言っていた。それを聞いた教育係は、いつも良くできていますよ、と褒めていた。
しかし時には私も間違えることがある。
ある日、出された課題の中で最初から計算ミスをしてしまっていた際、お嬢様は少し注意を受けていた。見直しはしたのか、などと聞かれていたと思う。
教育係が帰った後、不機嫌なお嬢様にしばらく文句を言われてしまった。
「ジェイラのせいで私が怒られちゃったじゃない」
「申し訳ございませんでした」
「ただでさえジェイラには教養がないのだから。こうやって私が学に触れる機会を与えてあげていることを感謝しながら課題をしないと」
「はい」
「本当につまらないミスだわ。どうして、気づかなかったの? ジェイラって鈍くさいのね」
と言われた。
私はひたすらに謝罪した。教養がないとか鈍くさいとか、何を言われてもお嬢様からすれば私はそうなのだろうと思って、全部をのみこめば、平気だった。
それからは、お嬢様がやりたくなかったり面倒くさかったりするものは大抵が私へとやってきた。私以外にもお嬢様につく使用人はいるが、専属は私だけだったし、私も休みなく毎日お嬢様についていたために、頼みやすかったのだろう。
新しい頼まれごとをする度に、備えつけの本棚には本や資料集が増えていった。
そうやって、お嬢様の言う通り、望む通りの役割を全うすることに努めた。
するとどうだ。
毎日は、呆気ないくらいに順調だった。
祖父母に会いたいと願うことすら、しなくなった。
楽しくも嬉しくもないが、恐くも痛くもない日々は、いっそ幸せなのかもしれないとすら思うようになっていた。
刺繍も代筆も課題も難なくこなせるようになった頃には、私もお嬢様も十二歳になっていた。
そんな折、とある侯爵家の三男──ローデヴェイクが、期間限定で辺境伯騎士団にやってきた。
ローデヴェイクは私達よりも年上で、十八歳か十九歳だった。
容姿は高位貴族というだけあって整っていたし、身なりだって綺麗だった。この辺境伯領でもみたことのないくらい、美青年であったように思う。
しかし、彼は優秀な兄二人と比べられて育ったことで、素行が悪くなってしまったらしい。あまりにも不真面目なので根性を叩き直してほしいと、侯爵から旦那様の元へと預けられることになった。
王家騎士団に預けては侯爵家の恥が広がるということと、侯爵と旦那様が昔馴染みだったことから、王都から離れたこの地が選ばれたようだ。
ローデヴェイクは到着した瞬間から、あれやこれやとザックガード家の使用人をまるで自分のものかのように使っていた。それこそ旦那様の前では大人しくしていたが、それ以外では口を開けば文句しか言っていなかった。
粗暴な性格、とは彼のことを指すのだろうと思ったぐらいの男だった。
それがなんということだろう。
邸に来た翌々日、お嬢様を一目見た瞬間から、それはそれは見事に様変わりしてみせた。
「ルシール嬢、君はなんて可憐で清楚で慎ましいんだ……俺のような男には君こそが相応しい! ぜひ、俺の婚約者になってくれないか?」
「……そんな……私のような田舎の娘なんて……貴方様のような華やかで魅力溢れる男性の婚約者になど、勿体ないお言葉でございますわ」
握られた両手を離すことなく、お嬢様は視線を俯かせ、頬を薄紅に染めている。
「田舎など……ここも立派な土地じゃないか。そうだ、ここは俺が辺境伯となり、この土地も君のことも守ってみせよう。安心してくれ。俺は剣の腕なら誰にも負けない」
「そんな……っ! いけませんわ! この辺境は、確かに争いは減ったといえど国の中では最も危険であることに変わりはありません。貴方様がお怪我をしてしまうと考えただけで……私……」
「ああ、泣かないで。愛しき人。なんて……なんて、悲劇なんだ。君をここから安全な土地に連れされたらどれだけいいか……」
「なりませんわ。私はこの地に生まれ、この地で命を終えるのです。私は貴方様と離れたとしても……輝かしい貴方様の未来をずっと願っておりますわ」
「ルシール!」
強く抱きつかれたお嬢様は、そっとローデヴェイクの背中に手を回した。
彼は泣きながらお嬢様を抱きしめる。
これが、ローデヴェイクがお嬢様に恋をしてからたった十日での出来事だ。まるで悲劇真っ只中の二人であるかのように見えるそれは、もちろん旦那様がそばにいない時に繰り広げられた。
お嬢様が貴族教育の合間の気晴らしに騎士団の鍛錬場付近を散歩している時が一番多かったように思う。
けれども、ここまでしておいてというと言葉は悪いかもしれないが、お嬢様はローデヴェイクとどうこうなる気は一切なさそうだった。
その理由は、彼がお嬢様の好みではないから。
お嬢様曰く、もっと男らしい人がいいわ、だそうだ。
「泣きながら抱きしめるんじゃなくて、お父様に直談判するくらいの気概があればいいのに。口ばっかりで全然行動しないんだもの。顔はきれいだけど、もっとかっこいい雰囲気の人が私は好きだしね。それにあの人の話、聞いていても全然面白くないのよ」
とのことだった。
ローデヴェイクの前ではそんな素振りは一切見せないから、彼は益々お嬢様にのめりこんでいった。
その分、稽古には精を出していたが、旦那様も彼を婚約者に、とは言わなかった。
私は、思ってもいないことをスラスラと口にするお嬢様に身震いする時すらあった。こんなにも冷めた目で熱烈な言葉を吐く人なのかと、その時にお嬢様の真の恐さを知った気がした。