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第三十九話 お嬢様が、おっしゃったんですよ



 エリゼオが助けに来てくれた。

 それだけで、私はもう、何にでもなれると思った。


 彼に抱きしめられ、守られていたら、たくさんの言葉が蘇ってきた。


 それはエリゼオやラフィク、マルテ、そしてシャルロットとニノンからの言葉だ。


 どれも温かくて、優しくて。

 すごく勇気をもらった。決断力をもらった。自信をつけてくれた。希望も夢も可能性も、たくさん。


 だから大丈夫だと思えた。

 ここを出て、新しい自分になりたいと思った。


「……ふざけんなよ。そんな勘違いで……くそ。ごめん、ジェイラ。俺が悪かったんだ。本当にごめん」


 エリゼオは悪くない。

 勘違いしたのも、それをそのままにしたのも。私であり、お嬢様であり、ここの人達だ。


「エリゼオ様は悪くない、です」

「……ありがと。でも、ごめん。あー……めちゃくちゃ腹立つ」

「エリゼオ様、一度、降ろしていただけませんか? 私から、お話ししたいことができました」

「大丈夫か?」

「はい。エリゼオ様がいてくださるから、大丈夫です」


 そうして降ろしてくれたエリゼオは、私を支えるみたいに腕を回してくれている。その手の温かさと強さに安心して、私はお嬢様へと言いたいことを言った。


「私はもう、お嬢様の侍女としての役目を果たせません。退職させていただきます。長い間、大変お世話になりました」


 礼をして顔を上げたら、お嬢様は目をまん丸にして私を見ている。


「あなた……何を言っているのか、分かっているの?」


 少しも笑っていないお嬢様は、驚きから表情を変えて、私を睨みあげる。まるで忌々しいものを見る視線に俯きたくなるが、私もお嬢様から視線を外さなかった。


「分かっています。これは、私の意志です」

「……ジェイラの意志?」

「私は、エリゼオ様をお慕いしております。だから、お嬢様の指示に従うことはできません。この場で、エリゼオ様を諦めると宣言することは、できません」


 私の言葉に、お嬢様は即座に鼻で笑った。


「自分の意志、ですって? そもそも……ジェイラがエリゼオを好きだと自覚したのは、私が好きになりなさいと言ったからでしょう?」


 決定打が、お嬢様の口から出てしまった。

 肩にかかったエリゼオの手に、力がこめられたのが分かる。


「いい、ジェイラ? あなたの気持ちは、私が言ったから気づけたものなのよ。そんなもの……私のように純粋な恋心とは言えないわ」


 首を横に振ったお嬢様は、本当に哀れだというような声を出した。


「それを本当の恋心と勘違いしているのね。可哀想に」


 最後の言葉は、重く響いた。

 だから私は、肩を抱くエリゼオの手に自分の手を重ねる。その私の行動に、お嬢様は小さく口を開けて驚いたような表情となった。


「……私がエリゼオ様を意識したのは、お嬢様のお言葉があったからです」


 エリゼオに知られて誤解されることが恐かった。

 しかし今は、この気持ちを否定される方が嫌だ。この気持ちは勘違いでも可哀想でもない。

 私を変えてくれる、私を勇気づけてくれる。


 大事な大事な、私だけのもの。

 だから誰にも、否定なんてさせない。


「けれどその言葉によって私は自身の気持ちと向き合う機会を与えられ、同時にこの気持ちを認める許可を得たのです」

「……許可?」

「私は、初めてお会いした時からエリゼオ様に惹かれ、特別に想っていました。しかしその感情が好きだということに気づいてもいませんでしたし……お嬢様がエリゼオ様をお慕いされてからは、好きになってはいけない相手だと思っていました」


 お嬢様が言わなければきっと。


「ですが、そんな私にお嬢様がおっしゃったんです。好きになっていい。好きになって、アピールしていい、と。その言葉がなければ、私はエリゼオ様を好きだとは認められませんでした」


 エリゼオといる時はいつも、胸が温かくなって、幸せだと思えるようになった。その温かさを大切に包み込むようにしながら、私はエリゼオへと顔を向けた。


「エリゼオ様。私は、エリゼオ様が好きです。今日は助けにきてくださって、ありがとうございました」

「俺もジェイラが好きだ。呼んでくれてありがと。めちゃくちゃ嬉しかった」


 二人で笑い合って、また、私はお嬢様へと向き直る。

 お嬢様は怒りと困惑とが入り混じったような複雑な表情をして立ち尽くしているようだった。

 

「私の気持ちは、お嬢様に言われて生まれたものではありません。ずっと私の中にあったものが、認めていいものとなっただけです」

「違う、違うわ! 私はそんなつもりで言ったんじゃない!」

「どんなつもりがあったにせよ、お嬢様が、おっしゃったんですよ。だから私は、お嬢様から責められる謂れはありません」

「な……なに、生意気な、ことを……」


 初めて、お嬢様が狼狽えている。

 本来ならここで心を痛めるべきなのだろう。けれど私の中にあるのは達成感だ。

 自分の気持ちをはっきりと言えた。エリゼオにもちゃんと伝えられた。


 もう一度エリゼオを見上げると、彼も目元を柔らかくして私を見てくれていて、それも心強い。

 私はきっと、今日にでも出ていけと言われるはずだ。そうなっても、大丈夫。一人じゃない。


 どこででも、どうにかしてでも生きてさえいれば、助けてくれる人に出会える。

 私は出会えた。

 だから、大丈夫。


「お嬢様、長い間、侍女としておそばにおいていただき、ありがとうございました。旦那様にも私の退職の意思をお伝えいたします」


 この場に居続けるより、早く話をした方が良いだろう。

 失礼しますと礼をして去ろうと思い、エリゼオにもそれでいいかと確認しようとしたところで──


「話は終わったか?」


 鍛錬場の脇から姿を現したのは旦那様。

 その後ろには奥様と……ラフィクがいた。


「……お父様」

「ルシール……お前には失望した」

「……そう。どうせお父様は初めからエリゼオをお認めになっていないではありませんか」

「そうではない。お前は自身の都合の良いように使用人を使い、その手柄をすべて自分のもののように言っていたそうだな。使用人には感謝の一つもしていなかった、と」

「……何のことですか? 使用人を使うなんて、貴族だったら当たり前じゃないですか」


 旦那様の言葉に、お嬢様は首を傾げた。本当に、何を言っているのか分かっていない様子だ。


「差し入れは、すべてジェイラが作っている。それと、騎士団への年に一度のハンカチに、退職者へのハンカチも、とのことだな。昨日は手に傷を作りながら、お前が落としたタオルを探していたそうじゃないか。外から見た者の話では、お前がタオルから手を放し、ジェイラはそれを掴もうとしていたそうだが……そのような話は聞いていなかったな。どれもお前がやるのをジェイラは手伝っていた程度の報告を受けていたが」


 差し入れと騎士団へのものはエリゼオに話したが、退職者のことは言っていない。それにタオルの件も。隣にいるエリゼオを見上げるも、彼も知らなかったようで小さく首を横に振る。


 私もエリゼオも揃ってラフィクへと目をやると、ラフィクが少しだけ顔を動かした。


 その先にいたのは、ダンだった。

 もしかして……ダンが、これらの話を旦那様に?


「それだけでなく、教育係の話では昔できていたところが今になってできなくなっている、と。特に数字に弱かった部分は克服したはずなのに、こんなにミスがあるのはおかしい、とまで言われてはな」


 旦那様はため息交じりの語尾を落とし、一歩、二歩、とお嬢様に歩み寄る。

 お嬢様は小さく震え、口元に手を当てていた。


「ルシール、お前はどこまでジェイラにやらせていた? お前の能力はどこまでが本物だ?」

「……それは……」

「将来、辺境伯となった時に困るのは誰だ? 愚かな当主では、領民や使用人、騎士を飢え死にさせることになるぞ」

「お父様……っ!」

「詳細は執務室で聞く。今日のことを含め、関係者には順に事情を聞いていく。口裏を合わせたような者は即刻クビ、もしくは退団だ。良いな?」


 はっ! と返事をする騎士に、私も遅れて、はい、と返事をする。お嬢様だけは何も言えず、その肩を奥様が抱いて、本館へと戻られる。ラフィクはその二人の後をついていった。


「……ジェイラ」

「はい」


 奥様とお嬢様がいなくなった場で、旦那様に呼ばれ姿勢を正す。


「退職の意志があることは理解した。ただし、この件が片付かないことにはお前を出すことはできない」

「はい」

「可能な限り早く……お前の希望は通すようにしよう。それまでは私付きの侍女としておく。今日はもう下がれ。明日の朝は、私の部屋へと来るように」

「承知いたしました」


 旦那様は騎士を数人呼んで、帰っていった。


 その背中が見えなくなってから……

 ガクン、と腰から下の力が抜けた。

 しかし驚くことなく、エリゼオががっしりと支えてくれて、地面への直撃は免れた。


「……ごめんなさい」

「いーよ。よく立ってたと思う」


 ひょい、と。横抱きにされたが、降ろしてくださいとも言えないぐらいに、ぐったりとしてしまっていた。


「遠慮なくもたれていいから」

「……はい」

「ジェイラの部屋に戻ったんで良いよな?」

「はい。お願いします……」


 残った騎士は、誰も何も言わなかったし、私もエリゼオも、彼らにかける言葉はなかった。



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