第三十八話 理解ができない言葉
ルシール視点
どこからか現れたエリゼオは、息を切らせたまま後ろからジェイラを抱きしめた。
「ごめん、遅くなって。恐かったな。もう大丈夫だから、こっち向いて」
その途端、ジェイラはまるで子供のように泣き始めた。
エリゼオはそんなジェイラの体をくるりと回し、正面から抱き込んで、大丈夫とごめんを繰り返す。
私も騎士達も、それを呆然と見ていることしかできない。
ジェイラが泣いていることよりも。エリゼオがそんなジェイラを愛おしそうに抱きしめていることが信じられなかった。
どうして?
どうして、私がここにいて、ジェイラがそこに……!
それよりも、この男は私からジェイラを──
「……おい、クソ野郎ども」
誰も何も言えない中で、私達に向かって聞いたことない声と言葉遣いで話しかけてきたのはエリゼオだ。
その腕の中には未だに泣き止まないジェイラを強く抱き込んでいる。
「よってたかってジェイラをいじめて楽しいか? それがここの当たり前か? 正しいことか?」
「……な、何を……」
「自覚なしかよ。質悪ぃのはそのせいか」
エリゼオが、私を睨む。
そんな目つきを向けられたことのなかった私は、思わず恐怖を感じて後退った。
「勘違いと妄想がひでぇから言っとくけど。女としても主としても、俺はお前を慕ってない。お前にはっきり言わなかったのは、ザックガード団長からの命令だよ。『娘の気が済むまで好きにさせてやってくれ。それまでは機嫌を損ねない程度にあしらうように』とな。ふざけんなよ。ジェイラにこんなんされるくらいならとっとと言っときゃ良かったわ」
「お父様、から……?」
「命令がなかったら、お前のわがままなんか一蹴してるに決まってんだろ」
……この人は、誰?
知らない。こんな人。
私の知っているエリゼオではない。
「あんたらもあんたらだ。盲目的に何でもかんでも肯定して、主人が育つとでも思ってんのか? あんたらのせいで、世間知らずのわがまま女になってんじゃねぇのか?」
エリゼオの言葉に、俯いた騎士達は何も言い返さない。
どうして、誰も私の悪口を否定しないの?
何をやってるの、あなた達は……!
「誰もジェイラを大事にしないなら、俺が大事にする。ジェイラは俺が連れて行く」
ジェイラを、連れて行く?
「あんたらは、ジェイラがいなくなった後に張りぼてのお嬢様を担ぎ上げてろよ」
エリゼオはそこまで言いきると、ジェイラへと声をかける。
「ジェイラ、抱き上げるぞ。俺の首に腕回して」
軽々とジェイラを横抱きで持ち上げたエリゼオは、私達を一瞥することなく背を向ける。そしてジェイラも、エリゼオの声に逆らうことなくその両腕を彼の首に回した。
ジェイラへと語りかけたその声は私達に話していたものとはまったく違っていた。ジェイラを甘やかし、愛情で包み込むようなそれに、頭が真っ白になる。
それでも私の目に焼き付くのは、ジェイラがエリゼオにすがっている姿だ。
「……なさい……」
こんなにも自分から掠れた声が出るとは思わなかった。
「待ちなさい! エリゼオ、止まりなさい!」
私が声を上げると、エリゼオの腕の中でジェイラが縮こまる。エリゼオがその頭を撫でてあやすようにしたことで、私は激しい怒りを感じた。
「こんなことをして……私を侮辱して、どうするつもりなの!」
これは、どちらに言った言葉なのか、私自身も分かってはいなかった。
けれどエリゼオが足を止めたことで、私は追撃するかのようにその背に言葉をぶつける。
「エリゼオは団長になるのよ! ジェイラになんかかまっている暇はないわ! どうしてそんな無駄な時間を過ごすのよ! エスコートもダンスもできないなら、そちらに時間を使うべきでしょう!」
どうして、エリゼオはジェイラにかまうのか。
そう考えた時に思い浮かんだのは。
……嫉妬、だった。
エリゼオは、私に嫉妬されたくてあんなことをしているのよ、と。そう思った。そうとしか考えられなかった。
「……分かったわ、エリゼオ。私に嫉妬させたいのね」
「はぁ!?」
私の問いに、エリゼオは勢いよく振り返る。
その表情は心底不愉快だというようで……私はさらに混乱していく。
「な……に、何なの? なぜそんな顔をするの?」
「いや、もう、お前の頭ん中どうなってんだよ。恐ぇよ。何でお前に嫉妬させてぇんだよ」
「だって……だって、エリゼオは私を好きでしょう!? 私の運命の人じゃない!」
「はぁ? 運命感じたやなんやは知ったこっちゃねぇが、俺が好きなのはジェイラだ。お前じゃない」
勘弁してくれ、と吐き出すように言ったエリゼオは、ジェイラの頭に顔を埋める。ジェイラはエリゼオにくっついたまま、顔すら上げない。
どうしてそんなことが許されるの?
その場所は、私の場所のはずよ……
それに、ジェイラだって……!
「何なのよ、意味が分からないわ!」
声を振り絞った私に、エリゼオは眉間に皺を寄せる。
「エリゼオが私に笑いかけてきたんじゃない!」
エリゼオの微笑みに心を奪われた。その笑みは、ジェイラに向けられたものではない。私に、向けられたもの。
だからジェイラの淡い期待なんて意味のないもので。
それをなくさせるために、私は色々と考えてやってきてあげたのに。
そうだというのに……まさか、こんなことになるなんて……!
「私が運命を感じた日……入団式の日よ! 初めて目が合ったあの瞬間に、私は恋に落ちたわ! それなら笑いかけてきたエリゼオも、そのはずでしょう!」
肩で息するくらい声を張り上げていたから、言い終わった後には疲労感すら襲ってくる。
けれど、今の私の指摘でエリゼオも思い直したはず。いいえ、もしかしたらやっと気づいたのかも。
自分自身が本当に好きなのは、誰なのか。
微笑んだのは、誰に向けてだったのか。
「私がここまで言ったのだから、もういい加減、エリゼオが誰を好きなのかは明確でしょう? 今なら許してあげるから。ジェイラを降ろして、早くこちらに来て。大丈夫、ジェイラのことも許してあげるから。これからはまた、私の侍女としてそばにおいてあげるわ」
息も整いきらない内に手を伸ばしてあげた。
この手を取って、優しく引き寄せるだけでいいように。
これまでよりもずっと優しく、美しい微笑みをたずさえてエリゼオを見つめる。
間違いは誰にだってあるもの。だから大丈夫よ、と思っていた。その気持ちも込めた。
この気持ちは……エリゼオの腕の中にいる、私だけの侍女に向けての言葉でもあった。
それなのに。
「……何だそりゃ」
エリゼオは項垂れて、ジェイラにごめん、と言った。
「入団式……で、俺が笑いかけたのはジェイラだ」
意味が、分からなかった。
「お前がどのタイミングの俺を見てそう思ったのかは知らねぇけど。俺が笑いかけたのはジェイラだけだ」
それは……一体、どういう……
「……ふざけんなよ。そんな勘違いで……くそ」
エリゼオが悔しそうにしたところに、ジェイラが首元に抱きつき直した。二人は小声で何かやりとりをする。
ごめん、とか。ありがと、とか。
私には向けない柔らかな声で囁いているのが聞こえる度に私は自分を抱きしめるようにして、私の中に出てくる感情をやり過ごそうとしていた。
どのくらいそうしていたのか。
長くもあったし短くもあったと思う。
その時間を越えると……エリゼオがジェイラを降ろした。けれどその肩にはがっちりと手を回し、誰にも近づかせないような雰囲気を出している。
地面に降り立ったジェイラは、泣き腫らして目は真っ赤だったし、涙でビショビショの顔をしていた。それなのに。私に向ける眼差しだけはやけに強くて……
「……お嬢様」
「……何?」
「私はもう、お嬢様の侍女としての役目を果たせません。退職させていただきます。長い間、大変お世話になりました」
これまで、聞いてきた中で。
一番。
理解ができない言葉をジェイラが発した瞬間、私は息が止まったみたいに苦しくなった。




