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第三十五話 私じゃない!



 たぶんここら辺じゃないかと落ちたあたりを歩き回ってはみたものの……どこにもタオルは見当たらない。


 風は強くなかったからそんなに飛ばされてはいないだろうし、刺繍でザックガード辺境伯家の家紋を大きめに入れていたので木に引っかかっていても目立ちそうだと思ったのだが……

 先を見ても落ちてはいないし、上を見ても木に引っかかっている様子もない。植え込みの間を探しても見つからない。


 さすがにここまでは……と思ったのは、騎士団の鍛錬場を随分と過ぎた辺りだった。あの先まで調べて、なければもう一度来た道を戻ろう。

 そう決めてタオルを探しながらも、お嬢様の部屋でのことを思い出す。


 お嬢様を止められなかったし、まったく響いてもいなかったけど。それでもお嬢様を前に、はっきりと意見することができた。

 これは私からすると相当な変化だ。

 今までの私だったら、気づいても止めずに見ていただけかもしれないし、探してきてと言われたらすぐに返事をして出ていっただろう。


 だから信用のなさを嘆くよりも、この変化をもっと活かせるよう……どうすればお嬢様を止められるか、考えていこう。

 そんなふうに、強気な気持ちを持ちつつあった。


 けれど──



「ジェイラ」



 背後から呼ばれたのは自分の名だった。


 あまり聞き馴染みのない声だったので、振り向くのに……振り向くことを決意するのに、時間がかかった。

 ゆっくりと体ごと後ろを向くと、一人の騎士が、お嬢様の落としたタオルを持っていた。


「先程から何か探しものをしているようだが、これではないかい?」

「……はい。ありがとうございます」


 騎士がそれを差し出してきたので、お礼を言って受け取る。そこですぐに立ち去ろうとした私に、騎士が待ったをかけた。


「手を怪我しているじゃないか。手当をするから見せてくれないか?」


 それは植え込みの中を探した時に、いくつか枝に引っ掛けたものだ。血は既に乾いていたし、帰って洗っただけで問題ない。


「お気遣いいただき、ありがとうございます。しかしこの程度ならば自分で手当できます。急いでおりますので、失礼いたします」


 お礼を言って、頭を下げた。

 これでもう大丈夫なはずだ。


 早く。


 早く、この場から去りたい。


 その一心で早口に言って去ろうとしていたのに。


「……待ってくれ」


 急に騎士に手首を掴まれ、体が強張る。


「……何でしょうか?」

「君と話がしたいんだ」

「申し訳ございません、急いでおりますので……」

「恐がらないでくれ。頼む、少し時間をくれないか?」


 ギュッと掴まれた手首に、痛みよりも悪寒が止まらない。

 体が震えて、足が竦んだ。

 

 やめて。はなして。


「……放して、ください」

「頼む、ジェイラ。昔のことを──」


 そこで、騎士の言うことが耳に入らなくなった。


 昔。


 この騎士は。

 私を木から降ろした人だった。


 私の話を聞いてはくれずに、お嬢様は悪くないと決めつけた人。


 そして私を、門まで連れ戻しに来た人。


「何……!?」


 まさか……この人は、また私を連れ戻しに?

 いや、連れ戻されるようなことは……と考えて、視界に白いタオルが入り込んだ。

 もしかして……このタオル!? これを私が捨てたとでも思ってるの!?


「違っ……違います! 私じゃありません!」

「ジェイラ?」


 違う。私じゃない。お嬢様が窓から落としたのだ。

 私じゃない!


「私は止めました!それを……っ!」


 そこで、言葉が詰まった。

 どうせ、何を言っても。大人は、信じてくれない。

 また私のせいになって。また私が悪くなって。


「ジェイラ、落ち着いて。私は君に──」


 息が切れる。振り払いたい、のに。手を放して、くれない。


「やめ……いやだ! 放してください!」


 助けて。助けて。誰か、助けて。

 手を振っても、引いても、ビクともしない。手首を掴まれる力ばかりが増す。


「放してください! お話しすることはありません!」

「落ち着いてくれ! 少しでいいんだ、話を──」


 何を聞けというの! 何で、放してくれないの!

 どうせ私のせいにして怒られるだけなのに!


 私じゃない。私じゃない!


「私じゃないっ……私は止めました! でも、お嬢様は聞いてくださらなく──」

「ジェイラ! 落ち着いて!」


 一際大きな声に、逃げることを許されない私は身を縮めて目を閉じるしかできなくなった。ヒッ……と息を殺し、握られていない方の手で頭を守るようにすれば、少しだけ手首を握っていた手が緩まる。


 その、瞬間──


「ジェイラ!」

「ダンさーん!」


 少し遠くから、その声はした。


 藁にもすがるとは、このことで。

 顔を上げた先、ものすごい形相とスピードで走ってきたのは、エリゼオだ。

 その後ろから同じく駆けてきたのはラフィク。私を呼んだのはエリゼオで、ダンさんと呼んだのはラフィクだった。


 助けてもらえる、と思った。


「エリゼオ様っ! ラフィク様……っ!」


 すがるように呼んですぐ、エリゼオは私と騎士の元へと辿り着き、私の手首を掴む騎士の手を外すように促した。

 

「ダンさん、放してあげてください。どう見ても怯えてますよ」


 エリゼオが騎士にそう言うと、やっと私から騎士の手が離れる。


「あ……すまない……その……」


 歯切れの悪くなった騎士をエリゼオが睨むように一瞥し、騎士から私を隠すようにして体を入れ替え、その腕の中に抱き込まれた。

 エリゼオの両腕に包まれながらも、私はガチガチと音がするほどに震える自身の口元へと手をやる。


「私……私じゃない! エリゼオ様、私、違うんです……っ!」

「うん。大丈夫。ジェイラ、落ち着いて」


 エリゼオは安心させるような声色で話しかけてくる。


「一旦、呼吸落ち着けよ。深呼吸して」

 

 背中を撫でられ、意識して大きく息を吸い込む。

 それをゆっくりと吐き出せば、震えも収まっていく。

 エリゼオの腕の中で呼吸を整えるなんて前もあったな、と思ったけれど。温かい腕の中はやっぱり息がしやすかった。


「遅くなってごめんな。苦しくないか?」


 少し体が離れて、オレンジがかった茶色の双眸が心配そうに私を見つめているのが認識できた。もう大丈夫だと安堵しながら、返事をする。


「……はい。苦しくない、です。取り乱して、ごめんなさい」

「俺に謝ることはないから。って、おい、手ぇ怪我してんじゃん」


 口元においていた手を優しくほどかれ、手全体を確認される。


「……ちょっと、擦っただけで。もう痛くありません」

「それでも傷は傷。さっさと消毒しといた方が良い。救急箱とか自分で持ってる?」

「部屋にあります」

「んじゃあ、それ使ってちゃんと消毒しよ。ダンさん、ジェイラを部屋に戻してもいいですか?」

「あ、ああ……すまない。ジェイラ、恐がらせてすまなかった」


 騎士は私に頭を下げた。その隣にはラフィクがいて、ラフィクも心配そうに私を見てくれている。

 しかし私は騎士の謝罪に何と答えていいか分からず、言葉を返せなかった。大丈夫です、で良いのだろうか。私が勝手に、恐がったことなのに……もう、怒られることは、ないのだろうか。

 私がやったと決めつけて、エリゼオやラフィクに、私が悪いと言ったりしないだろうか。


 分からない。

 この大人が、分からない。


 無意識にまた息を詰めて、エリゼオの手を握っていた。するとエリゼオが私の顔を覗き込んでくる。

 

「大丈夫。俺にだけ聞こえる声でいいから、言いたいことはあるか?」


 手は握ってくれたまま、エリゼオが屈んで私の口元に耳を寄せるようにしたので、掠れた声で今言えることを口に出す。


「……分から、なくて……」

「分かんねぇ?」

「……何を言えばいいのか、分かりません」

「うん。そうか……じゃあ、俺に任せてもらっていい?」

「お願い、します。ごめんなさい」

「謝んなくていいよ」


 そこまで言うとエリゼオは元の高さに戻り、騎士へと向き直った。


「ダンさん、もしも話をするなら、また後日でいいですか?」

「それはもちろんだが……すまない、私が全面的に悪いんだ。彼女の体調を優先させてくれ」

「分かりました。ありがとうございます」

「エリゼオ、ここは僕が残るから。ジェイラちゃんを送ってあげてよ」

「おう」


 ラフィクのいつもと変わらない穏やかな声に、また一つ、息がしやすくなった。もちろん、エリゼオがずっと手を握ってくれているからという部分があってのことなのだが。

 

「ジェイラ、挨拶して消毒しに行こう。お先に失礼します、ダンさん。ラフィクも、また後で」


 エリゼオの片手が私の背中に添えられた。見上げれば、見守るような眼差しのエリゼオがいて。正面には、微笑むラフィクもいる。


 言えることを言えばいいんだと、二人が背中を押してくれている気がした。


「……申し訳ございません。お先に、失礼します。あの……タオルを拾っていただき、ありがとうございました」


 促されるように私がそう言うと、騎士はどこか泣きそうな……辛そうな顔をして、私を見つめ返してきた。その表情をどう受け止めていいか思案して視線を彷徨わせる。

 するとそれを察してか、ラフィクが私へと声をかけてくれた。


「ジェイラちゃん、お大事に。ゆっくり休んでね。それじゃあエリゼオ、また」

「おう」

「ありがとうございます。失礼します」


 ラフィクは笑ったまま私達に手を振った。ラフィクが残ったことで、もうあの騎士が私の方へ来ることはないと思った。


「手ぇ、痛むか?」

「いえ……」

「このまま繋いでてもいい?」

「……はい。お願いします」


 エリゼオに手を握られて進むうちに、騎士への恐怖は感じなくなっていた。



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