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第三十四話 嫌な予感



 翌日、予定通り、商人であるマルテはやってきて応接室で話をすることとなった。

 いつもの生活に必要な物品を買った後で、服を買いたい、と言ったところ、マルテはどこからともなくメジャーを取り出し、私のサイズを測り始めた。


「失礼しますね……うん、ジェイラ様に合うサイズなら、在庫もありますし、すぐにご用意できますよ」


 自分のものとなると似合うものや、流行り廃りがよく分からないので、デザインはマルテにお任せして、色の見本の中からオレンジを選んだ。差し色に入るらしい。

 なるべく早めに欲しいという私の要望にも快く頷いてくれて、数日後にわざわざ持ってきてくれるということになった。これには重々お礼を言えば、こんなことぐらいならいくらでも、と。


「ジェイラ様がお若い頃から真摯に勤めてこられている姿を見てきましたが……まだまだわがままを言っていい、言いたい年頃で自身を律していられるのは素晴らしいことだと思っておりました。けれど、最近のジェイラ様はこれまでよりずっと輝いて見えて、私も何かお手伝いできることはないかと気合いが入ってしまうのですよ」


 マルテはとても優しい眼差しを向けて、私へと語りかけるように言葉を紡いだ。じんわりと胸が温かくなるその言葉達に、私は素直にお礼を口にする。


「ありがとうございます。私こそ、いつもマルテ様に助けていただいておりました」

「ジェイラ様が奮闘なさってこられたからですよ。私や商会は、そのお手伝いをしていただけです」


 そう言ってもらえると、これまでやってきたことが報われるような気持ちだった。


 ……エリゼオやラフィク、それにマルテも。

 この邸内、領地の外から来た人達は優しくしてくれる……のに。

 人の優しさに触れると、その分、やるせなさは募っていく。


 過去があるから、もう取り返しがつかないのかもしれないけど。このままここで埋もれているのか。自分の意志をなくして生き続けるのか。


 そう考えた時に、それは嫌だと思うようになった。

 抜け出したい。私は私の思うことをやりたい。


 こんな時、頭を過るのはラフィクの言葉だ。


 ──ここでおかしいと言われるなら、外に目を向けるのもありだよ。


 ……外に目を向ける。

 それはつまり。


 ここから出る、ということ。


 ここから出て、私にできることは?

 そもそもここを出るとなったら、住む場所も働くところも自分で見つけなければならない。


 ……行きたい場所は、ある。

 あまりにも無謀で、不純な動機だけれど。

 どうせ出るなら。思いきって、踏み出してみたい。


 マルテなら。

 これまでの私の成長をみてきてくれた彼女なら。

 正しく私を判断し、不可能なら不可能と言ってくれるはずだ。


 私は否定されることを覚悟で、マルテへと思いきって質問をぶつけた。


「……マルテ様、これからお話しすることは、内密にしていただきたいのですが」

「はい。お約束します」

「私がもし、ここを辞めて……外に出るとなった場合、王都で働けるような場所はあると思いますか?」


 誤魔化すことではないと思ったから、直球な質問となった。

 けれどマルテは驚くことなく、二度、三度と頷いた後、一枚の紙を取り出した。


 事務員募集、と書かれた、その紙には。

 マルテが属する商会の名前と勤務地や給料、勤務形態などが書かれてあった。


「……王都で、事務員を募集しているのですか?」

「そうなんです。タイミングが良くて驚きました」


 マルテは少し興奮気味にそう言った。


「うちの商会が隣国で新たに拠点を構えますよね。そこに人員が移動するので、欠員が出るんです」


 想像もしていなかった話に、私は数度瞬きをするしかできない。そんな私の様子を窺うようにしながらも、マルテは話を続けた。


「ジェイラ様なら、間違いなく事務員としても働いていけます。計算も早いですし、サインの字も綺麗。さらにいざとなれば貴族の対応までできますしね。そんな人材は、募集しようにもなかなか集まりません」


 ……すごい。

 まるで私が、有能みたいだ。


「そ、そこまでは……」

「ジェイラ様、自信を持ってください」


 マルテはいつもより強めの口調となった。


「あなたは、お若い頃から努力してきたのです。たった九歳から、侍女として働き続けるなんて普通ならばできません。そうしてきた自分を、信じてください」

「自分を……信じる」

「ジェイラ様が本気で王都に行きたいと言われるのならば、私も全力でサポートします。働き口こそ、うちの事務を選んでいただけるなら、住居も提供できます」


 私の手を握ったマルテは、まっすぐに私を見つめる。


「私を頼ってくださったこと、本当に嬉しく思っています。だから私は、ジェイラ様の意思を貫いていただきたい」

「マルテ様……」

「募集も二名とは言っておりますが、最低人数ですので答えは待てます。ジェイラ様、ぜひ前向きにご検討ください」


 私の中の新たな可能性。

 ここにしか居場所はないと思っていたけれど。その考えを、この世界を、壊せるのかもしれない。


 この土地を出ること。それが現実となって、選択肢の一つとして生まれた瞬間だった。



 マルテから思わぬお誘いをもらった三日後に、騎士の一部が隣国へと護衛任務に出た。

 そのタイミングでマルテが服を持ってきてくれて、私は無事に普段着を手に入れた。


 徐々に整いつつある環境に、気持ちは焦る一方だった。

 どうやって言えば、エリゼオに誤解なく自分の気持ちを伝えられるのか。エリゼオならばありのままを伝えたら分かってくれるとも思うが、私にとっては一世一代の告白だから。

 自分の中でも納得のいく言葉で伝えたかった。


 そうして、どうしよう何と言おうと悩んで一週間程経ったある日のこと。


 日差しの温かい時間帯を過ぎ、もう夕方になる頃だった。私の仕事も終わりに差し掛かり、お嬢様の部屋の片付けをしていた。


 今日も今日とて、旦那様からの命令であるエリゼオを諦めさせるように、という話は、何を言ってもピシャリと跳ね返されてしまっていた。


「お嬢様、旦那様のお考えもご理解ください」

「うるさいわねぇ。いい加減、聞き飽きたわ。お父様が直接言ってくるなら、考えてあげる」


 私の中では打つ手なし。どんな言葉もお嬢様には響かない。

 これをそのまま旦那様に報告しても、そうか、しか返ってこず。本当にどうにかしてほしい。

 どれだけ嫌われたくないのか。板挟み? 巻き込まれ? ている私の身にもなってほしい。


 そんな心労を抱えつつ手を動かしていたところ、お嬢様が少し気分転換をしたいから窓を開けて、と言ってきた。

 今はタオルへ刺繍をしていたところだ。私はその指示に従って、窓を開ける。

 お嬢様は座っていたソファから立ち上がると、一度伸びをして窓際へと移動した。


 嫌な予感、というのだろうか。

 手に持っているものとお嬢様の横顔に、妙に胸がザワついた。


 お嬢様は殊更ゆっくりと歩いて窓際に立つと、窓から外を見渡した。そして両手を窓の外に出し、手に持っていたタオルを左右に広げて、刺繍の出来を確認しているかのような仕草をする。


 それだけなら、本当に、刺繍の出来を確認しているか、風を感じているかの一幕に見えなくもない。けれど今日はそれほど風も強くないし、何より、お嬢様の手に握られているのは……


「……お嬢様、お早めにお止めになられてください。タオルが飛ばされてしまってはいけません」


 私の忠告に、ほんの少しだけお嬢様の口元が笑みの形を作った。

 その瞬間、私はお嬢様の手の先……これから放されるであろうタオルを掴もうと手を伸ばす。


「お嬢様、お止めください!」


 慌てて止めに入ったが……間に合わなかった。

 私の手をかすめたタオルがヒラヒラと揺らぎながら落ちていくのを呆然と見つめることしかできなかった。


 そんな私の隣から聞こえたのは、何の焦りも感じさせないお嬢様の声。


「大変だわ、ジェイラ。ジェイラが驚かすから、手を放しちゃったじゃない」


 取ってきて、なんて。

 それを言い終わった後のお嬢様の顔つきは、昔見ていたものと同じだった。



 お嬢様が放ったタオルは、奥様がお嬢様へと用意したものだった。


 お嬢様が苦戦している領地経営の教育について、最近では奥様自らがお嬢様に対してよくフォローをされるようになっていた。

 そんな中で、奥様が大きめの白いタオルを持ってきたのは少し前。毎年、騎士団へとハンカチをプレゼントするほど刺繍が好きなお嬢様の気分転換になれば、とのことで。


 そのタオルを受け取った時は、嬉しそうに笑ってお礼を言っていたお嬢様だが、刺繍はそんなにお好きではない。けれども奥様が教育と刺繍の様子を見に部屋に来ることが増えたので、お嬢様自らが針を持って縫わなければならなくなっていた。

 しかも刺繍をするために、エリゼオにも会いに行けなくなったのだ。


 この生活は明らかにお嬢様のストレスが溜まりそうだな、とは思っていた。けれど……あれは、奥様がお嬢様を思って持ってきたものだ。

 それをあんなふうに扱うだなんて……!


「お嬢様! あのタオルは奥様がご用意され、完成を楽しみにされていたものですよ! 何をなさっているのですか!」


 私は声を荒げお嬢様へと詰め寄った。

 お嬢様もそれには一瞬目を瞠ったが、すぐに無邪気ながら悪魔にも見える微笑みを携えて、私の言葉を否定する。


「人聞きの悪い言い方はよしてちょうだい。私はタオルを持って、出来栄えを見ていただけよ。それをジェイラが大声を出して驚かせるから、放してしまったの」

「私は止めました! それをお嬢様が──」

「誰が、それを信じるの?」


 ヒュッと喉が鳴った。即座に言い返せなかった私は、もう完全に敗者だった。


「私はタオルを持っていただけ。それはきっと、外からもそう見えていると思うわ。その後にジェイラからの大声と……私の手からタオルを奪うような動作もあったかしら」


 愉快そうに、お嬢様の口元が歪む。


 その後に部屋のドアをノックする音と、大丈夫ですか、と護衛の声がして、お嬢様はとうとう声を出して笑った。


「ふふ……どうするの? ジェイラの主観で説明してもいいけど、誰がそれを信じると思う?」


 怒りで、体が震えた。

 私へどうこうするだけならまだいい。

 けれど、私へ何かしたいがために奥様の……母親からの愛情を踏みにじる行為は許されることではない。

 それなのに、この人の悪事を認めさせられるだけの信用が私にはない。


 奥様とはこれまで、会話らしい会話を許されてきていない。私が奥様に言えるのは、はいかいいえのみ。

 それ以外は侍女を通じてか、旦那様に報告という形を取っている。

 そんな私が、また奥様がお嬢様に贈ったものに対して何かを言っても信じてはもらえないだろう。間違いなく、私が悪いとされる。


 きっとお嬢様からすれば、あのタオルはこのまま飛ばされていこうが見つかろうが、私のせいにして終わりだ。

 ……穏便に済ませるしかないのか、ともどかしい。しかしここで声を上げたら自分の首を絞めることになる。


 悔しいけれど。今、すべきことをするしかない。


「……今すぐ、探して参ります」

「見つかったら洗っておいてね。もしも汚れていたらお母様が悲しむから」

「……承知いたしました」


 仕事も終わりの時間で良かった。

 昼間から探し回っていたら、誰かの目について理由を問われただろう。この時間帯だったら気にかけられることもなさそうだ。

 ただ巡回の騎士はいるから、怪しまれないようにだけはしなければ、と考えながら急ぎ捜索に向かった。



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