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第三十三話 好き



 邸に帰り着いた私は、旦那様とお嬢様からお叱りを受けることも覚悟の上だったのだが……

 旦那様はお嬢様と騎士達、そして私とエリゼオから事情を聞き、領民のためならば仕方がない、としてお咎め無しだった。


 そして意外にもお嬢様も私を叱ることはなかった。

 これは予想すらしていなくて、どう言われても何をされても良いように心の準備をしてお嬢様に報告したのだけど。


「エリゼオが無事に帰り着いたのならいいわ」


 の一言で終わった。

 え、と呆ける私に、お嬢様は、何よその顔、と尋ねてくる。


「いえ……勝手な行動を取りましたので……」

「確かに勝手な行動だったけど。エリゼオがいかにこの領地のことを考えているのか分かったからいいわ。許してあげる」

「領地のこと?」

「領民や使用人が困っていたら、自然と手を差し伸べられたのよ? エリゼオにもこの領地を守る騎士団長としての自覚が芽生えてきているということだわ。喜ばしいことだから、ジェイラの勝手な行動は大目に見てあげようと思って」


 ……エリゼオのあの行動で、その結論にたどり着くお嬢様が、少し恐かった。


 彼は今日、団長になるなど全く考えていなかったはずだ。でもお嬢様の中ではそうなっている。

 あまりにも、自分本意だけれど。

 お嬢様にとったら、自分の考えが叶わない未来なんてありえない……自身の理想が実現することに、疑いすら持たない。


 そしてこの行動の原因は……

 私がシャルロットとともに残ることになったからで……


 いや、でも!

 あそこで残らないなんて選択肢は存在しなかった。

 それにエリゼオが残ってくれたから、シャルロットも早くニノンと再会できて、安心してくれたんだ。


 自分の行動も。彼が私のため、シャルロットのためにとってくれた行動も。

 悪いことだとは絶対に思いたくなかった。


 ……それじゃあ、今の私に、できることは。


「そのうち、エリゼオへの教育もしなきゃね。今日のエスコートなんて、ずっとビクビクしてるんだもの。もっと自信を持ってもらわないと」


 このままでは、エリゼオが囲い込まれてしまう。

 本格的にお嬢様がエリゼオを囲い込もうとする前に、彼を諦めさせなければ。旦那様は下手をしたらお嬢様に押しきられる可能性がある。

 さすがにそんなことはないと信じたいけれど……旦那様に対してその信用は私にはない。


 だから、私がお嬢様を止めなくては。


 ぐっ、と拳に力を込める。


「……お嬢様」

「何?」

「私は、エリゼオ様をお嬢様の結婚相手には望めません」

「……なんですって?」


 機嫌を損ねるのは分かっている。分かった上での、発言だから。


「お嬢様が私に、エリゼオ様を好きになりなさい、とおっしゃいました」


 私の発言に、お嬢様は腕を組んで少し顎を上げた。明らかに苛立ち始めた様子だが、止まるつもりは一切ない。

 睨む勢いで、私はお嬢様を見据える。


「お嬢様の言いつけを守ることと、エリゼオ様をお嬢様の結婚相手にと望むことには、どうやっても矛盾が生じます。お慕いした方が自分ではない方と結婚するのを素直に喜べるかと言われたら…さすがに、難しいかと。ですから私は、お嬢様とエリゼオ様が結ばれる未来は、望めません。結果として、今日のように旦那様の指示に従い、お二人が二人きりになるような場面は作らないように動きます」

「……それはつまり、私の邪魔をする、ということね?」

「お嬢様がおっしゃったのですよ。好きになりなさい、と。私に阻まれることがお嫌だと感じるのであれば、先の発言を撤回ください」


 こう言っておきながら、私はお嬢様は撤回しないと思っている。この人が私に言われたくらいで自分の意見を曲げないということは、私が一番理解していた。


「撤回? するわけないわ。ジェイラがどう思おうと、私はエリゼオが良いもの」


 ほら、やっぱり、と自身の発言がお嬢様を変えることなんてないと再認識する。


「それに、ジェイラがどのような行動を取ろうとも関係ないし、何にもならないわよ」

「そんなこと、やってみないと分からないじゃないですか」

「分かりきっていることよ。私が望む以上、エリゼオは必ず私を選び、私の伴侶となるわ」


 そう言いきったお嬢様に対して、いっそ清々しいな、なんて、思ってしまった。


 これでこそ、ルシールお嬢様だ。

 いついかなる時も優先され尊重されてきたから、自分が正しく、自分が選ばれない未来など想像しない。私の感情も行動も、お嬢様の好きなようにできるもの。


 ……こんなお嬢様に、私が、周りがしてしまったんだ。

 何でもかんでも言うことを聞いてきたから。間違いを怒ることも注意することもなく、許してきたから。


 そう思うと、哀しみさえ感じてしまいそうだった。

 けれど、どんなお嬢様だろうと今は引けない。


 エリゼオとお嬢様が結ばれる未来なんて、望まない。


 だから、これが最後だ。


 ここで確実に、言質を取る。


「……好きになったら、エリゼオ様にアピールしてもよろしいのですね?」

「そうしたいのならするといいわ。ああ、でも、ジェイラが一生懸命アピールをしたところで、エリゼオから迷惑がられるかもしれないのだから、その時はみっともなく追い縋らないことね」


 鼻で笑うお嬢様は、天使でもなんでもなかった。

 だから私も、笑い返した。


 そんな私を見て一瞬だけ、お嬢様が動きを止める。


「ありがとうございます、お嬢様。エリゼオ様を好きになることをお許しくださって」


 にっこりと。

 お嬢様には見せたことのない笑顔だったと思う。


 逆にお嬢様は真顔になると、つまらないわね、と口にして体ごと向きを変えた。


「もういいわ。ジェイラと話をしていても何にもならないから、早く仕事に移りなさい」

「はい。失礼いたします」


 丁寧に一礼して、私はいつも通り仕事をした。手際も何もかも、いつも通り。

 違うのは私の心持ちだけ。


 片付けをしていた途中、窓際に立った際に外にエリゼオとラフィクの二人がいるのが見えた。

 こちらに気づかないかな、と思いながらも片付けをしていたら、運良く二人が私に気づき、笑顔で手を振ってくれた。

 残念ながら荷物を持っていて手が塞がっていたので、小さくお辞儀だけして終わった。それでも二人は笑っていた。



 その後は滞りなく仕事を終え、お嬢様からも特に何を言われるでもなく、退出することとなった。

 そうして私は駆け足で、エリゼオがいそうな場所を回る。


 どうしても、彼に伝えたいことがあった。


 道中で見つからなくても、宿舎に行って呼び出してもらおうと思うぐらいには、固い決意で探していたけれど、運良くエリゼオを見つけられた。


「エリゼオ様!」


 仕事中に見かけた時はラフィクと共にいたが、今は一人だった。

 その背中を小走りで追いかけて声をかければ、すぐに彼は振り向いて、微笑んでくれる。


「おう、お疲れ、ジェイラ。どうした?」

「お疲れ様です。少し、お話がしたくて」

「少しじゃなくてもいいけど。場所移動する?」

「はい。ありがとうございます」


 他の人達の目に触れづらい場所……あの、桃の焼き菓子の場所にまたもややって来た私達は、木を背にしてエリゼオが立ち、私は彼の正面に立った。

 こうしていると、向こうからは私はエリゼオに隠れて見えなさそうだな、と思い、こういうところでも彼がさり気なく気を遣ってくれているのが分かって嬉しかった。


「今日はお疲れ。楽しかったな」

「はい。お話ししたかったのは、そのことで。今日は残っていただき、ありがとうございました。ちゃんとお礼が言えていなかったので」

「あーそれなら良いよ。俺が残りたかったから残ったんだし」


 エリゼオの言葉に頷き、私は、それでも、と続けた。


「エリゼオ様が残ってくださらなければ、シャルロット様をもっと不安にさせていたと思います。早くにニノン様とも再会できて、お昼もご一緒できたのは、エリゼオ様のおかげです」

「んー……じゃあ、どういたしまして。でもな、やっぱり昼のは、ジェイラがすぐにシャルロットのとこに言って、話を聞いてやったから上手くいったんだよ。だから、ジェイラの手柄だって。俺はちょっと探しやすくなる手伝いをしただけ」


 曇りのない眼で言われて、これも彼の本心だと分かる。お世辞とかそういうもののない言葉に、私も自分の行動に自信が持てた。


「それに、俺としてもジェイラといたかったから。帰りまで二人で帰れたのはラッキーだったわ」


 私と、いたかった。


 ……私もエリゼオといたかった、から。ちゃんと伝えないと。


「私も、エリゼオ様といられて嬉しかったです。それで……あの、もう一つ、お話ししたいことがあって」

「おう、何?」

「また、シャルロット様とニノン様の元へ行こうと約束をしましたよね」

「したな。なるべく早めに行かねぇと、シャルロットに怒られそうだよな」

「それで……その、私……」


 ギュッ、と。私は今自分が着ている、使用人へ支給される服を掴んで、エリゼオへと告げる。


「普段着を、一着も持っていないんです。こういう……支給されたものしかなくて」


 それが恥ずかしいと思うべきなのかどうかは分からない。

 けれど、もう一度あの場に行くには、相応しい格好ではないのは確かだ。


「次に行く時までに、準備をします。服の準備ができたらお声をかけますので、それから、一緒に行ってくださいませんか?」


 今日は、仕事だったから。

 次は、仕事ではなく。服もちゃんと準備して、シャルロットとニノンのところへ行きたい。


 ……これはいわゆる。


「……それは、デートのお誘いってことで合ってる?」

「はい。そのつもりで……お話ししました」


 目的は、シャルロット達との約束を果たすためだ。けれどその過程は、デートと呼ぶに相応しいと思う。

 ドキドキと心臓が鳴る中で、次に続く彼の言葉を待っていたら。


「俺から誘いたかったのに、先越されたかぁ〜」


 である。

 ちょっとだけ、不思議と優越感が湧いた。


「お誘い、してみたかったんです」

「それな。次は俺からさせてよ。んで、服がない、だったか。それって、すぐに買えるもん? むしろそっちを先に買いに出た方が良くねぇ?」

「明日には、商会の方が来てくださるので。どんな服がいいか、相談しようと思っています」

「あーなるほど。すぐ持ってきてもらえるもん?」

「恐らく、服だけでも送ってくださると思うので、時間はそんなにかからないかと」

「そっか。それなら一旦それで用意してもらった方がいいな。せっかくだし、早めに行きてぇ。もしも先延ばしになりそうなら、俺買ってくるから」


 さらっと言うけれど、私はエリゼオが話す度に体温が上がっているし、今になって自分の発言に恥じらいがやってきたようだった。


「シャルロット達との約束もあるし、花が見頃の時に行っとかないと、ちょうちょも追いかけらんないもんな」


 そう言って笑ったエリゼオに、そうですね、と返す。

 エリゼオはこの話題を出してからとても機嫌がいい。直接聞かなくても、この予定を楽しみにしてくれていると分かる。

 私だって、それ以上に楽しみにしてる。


 誰かを誘うのも。外出したいと思うのも。

 やっぱり初めてはエリゼオで。

 用意する服も、エリゼオには気に入ってもらいたいと思うから……


 ここにきて。やたらと素直に、確信した。

 いや、この感情に名前をつけるにしては、遅すぎるのかもしれない。だってずっと、彼は特別だったのに。


 お嬢様には最後に言質を取った。もう何も、遠慮する必要はない。

 認めていい。そうなったら、アピールもしていい。


 私は、エリゼオが好き。


 だから精一杯、アピールする。


「……エリゼオ様。エリゼオ様がお好きな色を、教えていただけませんか?」

「好きな色?」

「服を選ぶ際の参考にしたくて……」


 認めたけれど。これはこれで恥ずかしい質問に、語尾は小さくなった。

 しかしエリゼオにはちゃんと聞こえていて、彼はずいっと顔を寄せてくると自分の瞳を指差す。


「この色」


 至近距離で瞳を見つめ、思い出すものは、たくさんあった。


 ずっと、焦がれてきたこの色を。

 こんなに近くで見つめられる現実は、まるで夢みたいだった。


 しかしこれは紛れもない現実で。誰にも止められず咎められないのをいいことに、私は欲望のまま、その瞳を見つめ続ける。

 何度目かの瞬きの後、自分が質問したこともどこかへいき、私の口から出た言葉は。


「……とても綺麗な色ですよね」


 と心底うっとりしたような、ため息交じりのものだった。

 瞬きする度に煌めき方が変わって、角度によっても光の入り方によっても異なる色彩に、心を奪われる。


「こんなに素敵な色、何て言ったら伝わるんだろう……」


 独り言のつもりで、けれど本心で、純粋な疑問で。この色を表現するのに、私の語彙力では到底足りないから。


 そんなことを、一人の世界に入り込んで考えてしまっていて……


「…………俺、口説かれてる?」


 一気に我に返ったのは、エリゼオが少し頬を赤くして、そう訊いてきたからだった。


「……っ! すみません!」


 一歩引こうとした私を、がっしり捕まえたのはもちろんエリゼオだ。そこからさらに寄せられた顔は、鼻先が触れるんじゃないかとくらいに近くにあって。

 強く輝くオレンジが、まっすぐに、私を。


「エ、エリゼオ様」

「そんなに、綺麗だと思ってくれてんの?」

「……と、とても」

「照れてる?」

「すごく……!」

「こんなに近いの、嫌じゃない?」

「全然、嫌なんて、ちっとも」

「じゃあ……もっと近寄っていい?」

「はい! えっ……!?」


 なるようになれ、ぐらいで答えていたところはあった。

 それが最後には、エリゼオに抱きしめられる形で質問を終えるなんて。


「…………っ! エリゼオ様っ!?」

「いやぁ、これはジェイラが悪ぃよ。いやね、可愛いんだよ。可愛いんだけどさ。はー……本当にもぉー……」


 俺の気も知らないで、とぼそりと言われて、私は少しだけその言葉に引っかかった。しかしそれを尋ねるより先に、エリゼオに一層強く抱きしめられる。


「ジェイラさん」

「……はい」

「詳しくは言えねぇんだけど。俺はいつでも大歓迎で、ジェイラからの言葉を全力で待ってるから」

「私、から?」

「そう。そうなの。待ってるしかできねぇの、俺。だから、待ってるから、本当に。よろしくお願いします」


 待ってる。

 私からの、言葉を。


 この状況で。あの会話で。

 待たれているとするなら。

 きっとそれは、告白、の、はずで。


 じゃあ、私はいつ、それをちゃんと言えるのか。


 …………いつ?


 好きというのは、一体いつ告げるのが最適なのだろう?


 自分の心臓もドキドキを通り越してバクバクとしていて、抱きしめられたエリゼオの心音も速い。待ってくれている、というのだから。

 きっと彼も、私と同じ気持ちでいるんだ。


 ……でも、まだ。今じゃない。まだ。今は言えない。

 それがなぜなのか。どうして今じゃないのか。


 考えて考えて、はたと気づく。


 好き、と告げるには……私はまだ、自分の中の過去と向き合えていない。エリゼオが特別となった理由を説明するには、過去の話は必須だ。

 その時に思い出される体験に、目を背けていたいと思う、自分がいる。


 それに……私の中では、エリゼオはずっと特別だったけれど、自覚したのはお嬢様の命令があったからだ。お嬢様に言われなければ、好きだと認めることは許されなかった。

 じゃあこの過程をそのまま伝えた場合、私の気持ちはお嬢様に言われたから生まれたものだと誤解されないだろうか。


 ……どうすれば、この気持ちを正しく伝えられるのか。

 その答えも、私はまだ持っていない。


 誤解なんてされたくない。

 だから絶対に、失敗できない。


 考えなきゃ。きちんと、確かな言葉で伝えるために。そのためには、私にはまだ、時間がいる。



 そう結論づいて、私はエリゼオの服の裾を掴んだ。


「……エリゼオ様」

「うん」

「もう少し、待っていてくださいますか?」

「いくらでも。両手広げて待ってる」


 はやく。

 はやく。


 私自身が、過去と。自分と向き合って。

 はっきりと私の想いなのだと伝えられる言葉を見つけて。


 この人の背中に、自分の両腕を回せるようになりたかった。



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