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第二十八話 涙の宝物



 私の手元には詩集。エリゼオの膝の上には空になったバスケット。


 少しだけ、しんとして。私から何かを話すべきかと思ったけれど……この沈黙も心地好いとすら感じて、このままでもいいかな、なんてことも思ってしまう。

 その間に、エリゼオはバスケットをラフィクが座っていたところに置いて。その衣擦れの音も、耳障りが良く聞こえた。


 ……恐いはずの騎士と、二人きりだけど。

 騎士だけど、エリゼオだから恐さなんて微塵もない。


 他の人では……こんなふうに心地好さを覚えることなんてないだろうことは、容易に想像がついた。

 エリゼオ以外となると、ラフィクならば近くにはいられるだろうけれど。彼にはミルヤミがいるし、なによりラフィクとエリゼオに感じるものは、少し違う。 


 やっぱり、エリゼオは特別。

 ずっと。出会った日から……特別。


 そう考えていたら、ふーっとエリゼオが息を吐いて、よし、と呟いた。


「ジェイラ、誕生日おめでと。十六歳、だよな」


 お祝いの言葉は顔を見合って言ってもらえた。


「はい。十六歳になりました」

「えーっと……あー……先に、ちょっと謝りたいことがあって」

「何ですか?」

「ケーキ。準備したかったんだけど、保管場所ないから諦めたんだ。ごめん」


 ケーキ、と言われて。誕生日にはケーキを食べるんだったな、と思い出したくらいだ。まったく謝られるような心情にはなかった。


「いえ、私は全然、意識になかったです」

「……そうなん?」

「はい。全然」

「じゃあ、来年。来年は今年の分も合わせて豪華なやつ、食べよ」


 それはつまり、来年も一緒に祝ってくれるということ……と、一気に胸が高鳴ったところで。


「ケーキは準備できなかったけど。これ……良かったら、もらってほしい」


 差し出されたのは、薄くて小さな丸い缶に入った……リップバームだった。それを受け取ると、匂ってみて、と言われる。蓋を開けて匂いを嗅ぐと、ほのかに柑橘の香りがした。


「良い匂い、ですね」

「最初に教えてもらった好きなもんがオレンジだったから。それがいいかなって」

「ありがとうございます……! 嬉しいです。大切にします」


 また一つ。宝物。

 けれど、ふと。


 三人分の詩集との、違い。


「……これ……エリゼオ様、から?」


 最初にオレンジを好きだと言ったのは、エリゼオしか知らない。それにエリゼオが二人きりになって渡してきてくれたということは……

 遅い気づきをそのままに尋ねると、エリゼオは片手で顔を覆っていたが、耳だけでなく首まで赤くしていた。それを見たら、私まで顔が熱くなる。


「あー……こういうの選ぶのも買うのも初めてだったから、何買えばいいか分かんなかったんだけど。店員に訊いたら、好きなものに関連したもので、普段から使えるものが良いんじゃないかって」

「……はい」


 手を顔から外して。気恥ずかしげに、エリゼオがはにかむ。


「前に、押し付けたようなもんだけど軟膏は渡したから。そういう系で他の、って探したら、それがあったんだ。いい匂いだなと思って、他にも匂いのするようなやつを見たんだけど……香水とか、石鹸とか。でもそれは俺が嫌だったからやめた」

「嫌だった?」

「俺、ジェイラからする菓子焼いた後の甘い匂いがめっちゃ好きだから。それぐらいだったら、あの甘い匂いを掻き消さないだろうと……」


 私はもう一度、リップバームを見つめる。


 これは、私の好きを覚えていてくれたエリゼオが、わざわざお店に足を運び、店員さんに訊いて選んでくれたもの。

 私のために選ばれた中に、エリゼオの好きも入ったもの。



 宝物が、さらに特別になった。



 すると、何の前置きもないまま。


 ポタッ、と。リップバームの缶に、水滴が一粒。


 それが自分の目から出たものだと認識するのと同時に、エリゼオが私の手を優しく握る。



 瞬きをする度に、涙が落ちた。

 こんな涙は知らない。こんなに幸せな涙は、流したことがない。


「……気に入ってくれた?」

「宝、物、にします……っ!」

「はは。ありがたいけど、いっぱい使って。そうしたらまた贈れるし」


 温かい。優しい。安心する。幸せ。そのどれもを感じられて、私はまるで自分こそが宝物になったかのような気持ちになった。


「次行く時は、それこそデートで行きたい。一緒に選ぶの、楽しそうだし。他にもジェイラが欲しいって思うやつもあるかもしれねぇしな」

「……これ……これが、一番」

「気に入ってくれて良かった。俺も、今日ジェイラが作ってくれたやつ、今まで食べた中で一番美味かったし嬉しかった。それ気に入ってもらえなかったら、俺ばっかりおいしい思いをするとこだったから、内心ちょっと緊張してたんだ」


 それからまた、しばらく沈黙が続いた。

 いや……私が泣きながら鼻をすする音はしていたけど。それでも静かで、大切で、かけがえのない時間となった。



 私が落ち着いたところで、エリゼオは私の顔を覗き込むようにして、目元を親指で撫でた。そんなエリゼオの名を呼んで、目を見て、今の気持ちをまっすぐに伝える。


「エリゼオ様、最高の誕生日になりました。本当にありがとうございました。これ……大切に使います。それと、夜食はまた作ってくるので、食べてほしいです。あと……もっとたくさん、お話ししたいです」

「ああ、俺も。俺の方こそ、今日はありがと」


 私の言葉の一つ一つに相槌を打ってくれていたエリゼオがそう返して……


 私は自分の思いのままに、まだ目元を撫でていたエリゼオの手に、自分の手を重ねる。ゆったりと頬から離れたその手を、両手で包み直す。


 大切に。宝物を包み込むみたいに。両手でエリゼオの手を握った。


「もっと、いっぱい、エリゼオ様のことを知りたいです。私の好きなものややりたいことをお話ししたい以上に、エリゼオ様の好きなものをたくさん知りたいです。だから、教えてください、エリゼオ様のこと」


 エリゼオが私を喜ばせてくれるみたいに、私もエリゼオを喜ばせたい。そのために、彼を知りたい。もっともっと、教えてほしい。


 私の願いにエリゼオは、もちろん、と返事をくれる。


「俺もまだまだジェイラのこと知り足んねぇから、ジェイラも教えてくれよ」

「はい。もちろんです」

「……とりあえず、今一番好きなもんを言っといていい?」

「はい! ぜひ……?」


 ふいに耳元に寄せられた唇が、甘やかな音を私の中に落としていく。


 離れた後の体は火照っていたし、心臓の音も騒がしかったけれど。エリゼオの言葉だけは、一音たりとも聞き逃さなかった。


「……他の奴らも見ると思うと複雑だけどな」

「……エリゼオ様だから、です」

「俺、単純だから舞い上がるし、本気にするけど大丈夫?」

「私も単純ですし、こんなことを言えるのもエリゼオ様だけですよ」

「じゃあ俺だけにしといて」


 はい、と返事をしたら、もう少し一緒にいよう、と言ってくれた。それにもまた、はい、と返すと、エリゼオは手の繋ぎ方を変えた。

 私だけが握るのではなく、手のひら同士を合わせて繋ぎあった。


 見上げた空はもうすっかり暗くなっていて、星がいくつも見えていた。星座に詳しいエリゼオが、あれは何座で、あっちは何ていう名前の星で、と教えてくれるのを聴いていた。

 繋がれた手は、ずっと温かくて優しかった。



 ……仕事の帰り道に落とし物をして、夜になって気づいた私は一人で外に出て探していた。しかし見つからず途方に暮れていたところに、夜の走り込みをしていたエリゼオがたまたま通りがかって、一緒に探してくれて、無事に落し物は見つかった。時間も時間で、一人では危ないからと送り届けてもらった。


 というのが、なぜエリゼオと二人でいるのか、と聞かれた時用にラフィクが考えてくれていたストーリーだ。


 落し物は、一枚のしおり。詩集の間に挟まれていたそれも、エリゼオが買ってきてくれたものだった。


 この説明を使う機会はなく、誰にも見つからずに帰り着くことはできたけれど。そんなところまで考え、準備してくれていたことに感謝して、使用人棟の裏口まで送ってくれたエリゼオには何度もお礼を言った。


 エリゼオは使用人棟に到着する頃には既に少し眠たげで、いーのいーの、と緩く笑う。

 そして、来年はケーキ食べような、とまた未来の約束をしてくれて、私も笑顔で返事をして解散となった。



 エリゼオとわかれてから、私はさっと湯浴みを済ませ、ベッドに飛び込んだ。


 まだ耳元にエリゼオの吐息や声が残っていて、枕に顔を埋めてうぅぅと唸る。



 ──今の笑ってる顔。めちゃくちゃ可愛いし、めちゃくちゃ綺麗。俺の今一番好きなものだから、覚えてて。そんで、また見せて。



 あんなにも優しくて……甘い声はずるい。

 思い出しただけで心臓がドキドキとうるさいし、ちょっとすぐには落ち着けそうもない。

 このままだと眠れないかもしれない。でも早く寝て起きたら、その分エリゼオに朝から会えるかも。ラフィクにも、会ったらちゃんとお礼を言いたい。


 初めてだらけの誕生日。

 こんなにも幸せな日があるのか、と自分の身に起きたことを疑ってしまいそうになる。けれどそれらはすべて、経験として思い出として、私の中に刻まれている。


 ……早く朝になればいいのに。

 そんなふうに思いながら眠れる日がくるなんて。


 九歳の私では、とても信じられないことだろうな、と思った。


 自分の唇からは、ほのかに柑橘の香りがして。

 私はこの夜、この世界で一番穏やかで幸せな気持ちで眠りについた。



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