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第二十四話 行ってらっしゃい



 それまではラフィクを中心に話をしていたので、静かになった室内。つい先程、思いきって質問をした内容が蘇り、エリゼオの方を向けずにいる。


 けれどもここで何か言わないのは不自然だろうし……でも何と切り出すべきか、とまた悩み。結局何も言えずにいたところに、エリゼオの言葉が降ってくる。


「ジェイラはあんの? ラフィク達みたいなの」

「へっ……!?」

「どうした、そんなに焦って」

「あ、いえ、すみません。えっと、ラフィク様達のような?」

「好きになるのに、何を重視するか……みたいなの。ラフィク達は尊敬できる相手かどうかってのと、言いたいことを言えるかどうか、か?」


 エリゼオはいつも通りの様子で、お皿に残っていた最後の果物を食べた。でもやはり酸っぱいようで、すぐに水を飲んでいる。


「……何を、というのは考えたことがありませんでした」

「まぁそうだよなぁ。俺もなかった」

「エリゼオ様も?」

「あると思う?」


 その質問には、確かにあるとは返せない。


「剣振ってるのが楽しかったしな。婚約者がいたとしても、そっちのけだっただろうから、いないのはありがたかったけど」


 言いながらもお皿を流しへと運ぶ。

 そのエリゼオについていき、彼が洗ったお皿を受け取って、布巾で拭いていく。


 エリゼオが洗って、私が拭く。これは何度目かからできた流れだ。少しくすぐったいような心地のするこの作業が、私は好きだった。

 それこそ、誰かとこんなふうに協力して一つのことをするのは、これまであまり……というよりほとんどなかったことで。それをエリゼオとできるのは、どんなことでも私は楽しいと感じるのだろうとは思っている。


 エリゼオからすれば手間だろうに、彼も時々鼻歌交じりになったりするから嫌ではないのかも、なんて。能天気にも思ってしまうのだ。


 そんな私に、エリゼオが今日は鼻歌ではない一言。


「考えたことはなかったけど、こういうのは良いと思う」

「こういうの?」

「二人で一緒にすんの。流れ作業だったとしても、楽しいよな」


 最後の一枚を拭き終わって、お皿からエリゼオの顔へと視線を上げれば、彼は穏やかな笑みを浮かべて私を見ていた。


「ジェイラとだから、ってのはもちろんあるけど」

「まっ!?」

「ま、って。どんな反応」


 くくっ、と喉で笑うような笑い方に、からかわれたのだと思った。そうすると、ちょっと前に見たラフィクよろしく、エリゼオをじとっとした目つきで見てしまう。

 それなのに、エリゼオは全然、見当違いなことを言う。


「あ、その顔、可愛い。初めて見た」


 ドキッ、としたけど。まだ笑っているエリゼオに、ううん、っと咳払いして胸の高鳴りは誤魔化した。


「からかわないでください」

「からかってないって。可愛かったから仕方ない」

「そんなことは」

「ある。まぁでも、さっきのよりは今のが良いかな」


 トン、と一歩踏み込んだエリゼオとの距離が近くなって。

 私は厨房台に片手をついたエリゼオと厨房台の間にいた。そしてすぐ目の前には、いつもより首の角度を上げたところに、エリゼオの顔が。


 その眼差しから……からかいの色がないことが窺えた。


「ジェイラの中で、どんなやつを好きになるのか。分かったら教えて」


 あまりにも真面目な声に……先程までのギャップでクラクラしそうだ。


「は……はい。でも、これ、というのは、全然。そもそも、その……私も……全然、そういうのは、考えてきたことがなくて」

「今は考えてる、ってこと?」


 もう一段、寄った顔に仰け反りそうになった。首を縦に振ることしかできずにいると、そっかぁ、とエリゼオが呟く。


「……考え出したのは、何かきっかけがあって?」

「いちおう……まだ、あの、不慣れなもので……」

「それなら俺も不慣れだわ」

「う、うそ、です!」

「嘘じゃねぇって。ラフィクの話も聞いてたろ? 剣ばっか振ってたって」

「はい、いえ、でも、あの……余裕、そう、ですから」

「これでももう二十歳だしな。余裕なかったらかっこ悪いだろ?」


 余裕のないエリゼオは……想像するも具体的には描けなかった。けれども、かっこ悪いと思うかどうかは、容易に想像がつく。


「か」

「ん?」

「かっこ悪くは、ないと思います」


 それは本心、だったけど。


「…………ジェイラさん、そういうとこ」


 はぁーっと大きなため息を一つついたエリゼオはがくりと項垂れる。そうなると、私の顔のすぐ横に彼の顔がきて、緊張して肩が上がった。


「……俺をあんま甘やかさないで」

「甘やかしては」

「甘やかしてるつもりなし? ってことは本心?」

「本心です」

「余計に……困った。これは困った。一日いちジェイラを浴びないと我慢できなくなりそう」


 もう一度、エリゼオは長く息を吐き出した。その息が切れたところで顔を上げる。


「もうあれだ。ジェイラが俺の栄養素になってる」

「栄養素」

「だからこれからもよろしくお願いします」

「こちらこそ、お願いします……?」

「ジェイラはどう? 俺と話して、何か良いことあったりする?」


 エリゼオと話して良いこと……なら、そんなの、もちろん。


「たくさん、あります。感謝の気持ちもですし、楽しいと思うことも、たくさん」


 私の答えは意外だったのか、エリゼオはきょとんとした様子だ。


「たくさん?」

「今度、何かお返しがしたいくらいです。何がいいか、考えていたのですが……決まらなくて。そうだ……あの、もしもエリゼオ様がこれがいいというものがあれば、決めていただきたくて」

「俺が決めていいの?」

「はい。ぜひ」

「それならジェイラが作った飯、食ってみたい」

「食事、ですか?」


 うん、と頷いたエリゼオ。

 差し入れのような甘いものではなく、食事、だったら……


 私が自分のご飯を作るのは、朝と晩だ。エリゼオに振る舞うにしては質素だろうし、タイミングも合いそうにない。それでも食べてみたい、と言ってもらえるなら……どうにかできないかな、と考える。


 そこで思いついたのは。

 彼は夜食用に買ってきたパンを、私に持ってきてくれるじゃないか。つまりエリゼオは、夜食を食べる時がある。


 私にできることで、感謝の気持ちを返せるとするなら。

 それに……これは、私にとって新たな挑戦にもなることだ。


「私、夕食を自分で作ってるんですけど」

「ほう」

「エリゼオ様には宿舎で夕食が出ますよね。なので……夜食に食べていただけるなら、作りたいです」


 語尾はごもごもと消え入りそうな声になりながらも、考えついたことを言ってみた。それに対して、エリゼオの反応は。


「……そんなの、絶対に食べたい」

「本当ですか?」

「うん。夜はトレーニングしてるし、夜食作ってくれるなら嬉しすぎて倍以上できそう。どうしよう。楽しみすぎてまた腹が減る」


 言いながら片手は自身のお腹に。お昼ご飯も追加分も食べたばかりだというのに。


「俺、めちゃくちゃ舞い上がってるんだけど。本当に作ってもらえんの? すごくない? いやいや、それよりも、ジェイラの負担になんない?」


 首を傾げた姿は何だか幼い子供のようで可愛らしい。その一方で喜んでくれながらも私を気遣ってくれるのはエリゼオらしいな、と思う。


「負担にはなりません。人に食事を作るのは初めてなので……緊張? しますけど、楽しみです」

「俺に夜食作るの、楽しみにしてくれんの?」

「はい。お礼の気持ちを込めたことをしたかったですし」

「すっげぇ楽しみ」

「けれど本当に、初めてのことなので……あまり期待されますと、お気に召さなかった時が……」

「それはない。絶対に美味いって。楽しみすぎる。どうしよう」


 エリゼオの口ぶりに、本当に楽しみにしてくれているのだろうことが伝わってきた。そこまで心待ちにされると、私も前向きになれる。


「夕食の食材で作れそうな日に声をかけてもいいですか?」

「もちろん。いつでも待ってる」


 この短時間でもう何度も楽しみという言葉を聞いた。

 それもすべて嘘とは思えないくらい、語尾に音符がついているような調子だ。

 私は彼を甘やかしている、とは言われるが。それは逆だと思う。


「エリゼオ様こそ……私を甘やかしますよね」

「え? どこが?」

「全部、です。私、こんなにも褒めていただいたり、楽しみだと言っていただけることはありませんでした」

「また、俺が初めて?」

「はい。エリゼオ様が初めてなことばかりです」

「あー…………いいな、それ」


 私の答えに、エリゼオはしみじみとそう言って、空いていた片手を厨房台につき……私を彼の腕の間に収めてしまった。


「俺もけっこうジェイラと初めてのことばっかりやってる。こんなふうに女の子と二人になるのも、話をするのも初めてだし」


 女の子、という言い方が先程、ラフィクが持たせた意味合いとは異なる気がして……私はきっと、期待を込めたような眼差しを、エリゼオに向けてしまっていたと思う。

 その視線を受けて、エリゼオは大人っぽく笑った。


「ジェイラは、俺の中で特別な女の子だから。初めてのことを一緒にできんのは嬉しい」

「……特別」


 エリゼオがくれたその言葉を、もう一度自分でも呟いて。温かくなる胸の内に、自然と口元が緩んでしまう。

 ありがとうございます、と返していいものか考えて、それを口にするより先にエリゼオに名前を呼ばれた。

 合わせた視線は、まっすぐに。

 けれどどことなく、いつもより真剣味を帯びた眼差しに私は返事をすることができなかった。 


「ジェイラはさ、何かやってみたいこととか、行ってみたいとことかねぇ? そういうのも、あんまり考えてこなかった?」

「……考えたことが、ありませんでした」

「じゃあ、それもさ、好きなものを探すのと一緒に、考えてくれるか?」


 どうしてですか、と訊くよりも先に。

 はい、とほとんど脊髄反射みたいに肯定の返事をしていた自分は、相当に単純だと思う。


「考えてみます。思いついたら、聞いてください」

「おう、もちろん。というより、俺と一緒に何かしたいこと、って考えてくれると、より嬉しい」


 それはエリゼオが隣にいて、一緒に何かをやってくれるということ、なのだろう。


 ……夢があるな、と思った。いや、この場合は夢が膨らむ、だろうか?

 どちらにしても、明るい未来だ。そう思う。


「分かりました。これから考えていきます」


 そう答えた私に、ありがと、とエリゼオは返してくれて、厨房台から手が離れていく。そうなると彼との距離も少し開いて……その温もりが離れたみたいで、少しだけ、寂しく感じた。


「あー……名残惜しいけど鍛錬場に行く時間か。差し入れで会えるのを楽しみにするか」

「……はい。楽しみにしています」


 穏やかに笑うエリゼオにつられて、私の口角も柔らかく上がる。顔を見合わせて笑い合ったところで、エリゼオが何かを閃いたかのように口を開いた。


「そうだ、ジェイラ」

「はい?」

「行ってらっしゃい、って言ってみて」

「……はい?」

「こういう別れ際。行ってらっしゃい、だとめっちゃやる気出ると思うんだよな、俺」


 頼む、と。

 そんなにお願いされなくても、そのぐらいならいつだって。


「行ってらっしゃいませ、エリゼオ様」


 これまで述べてきた挨拶の言葉の中で一番、心のこもった音になった気がする。それはエリゼオにも伝わったのか、少しだけ彼は照れたように笑った。


「ありがと。めちゃくちゃやる気出た。行ってきます」


 ほんのりとエリゼオの耳が赤くなってるように見えた。

 でもきっと、私の顔はそれ以上に紅潮していそうだ。


 エリゼオが去った後、自分の手で顔をパタパタと扇いだ。これにも慣れていくのかな、なんて思いながら。

 慣れるぐらい、この言葉をエリゼオに言えるような関係性であり続けられたらいいのに、とも思った。



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