第二十三話 婚約者の話
差し入れの日になると、お疲れーと言って、エリゼオは登場した。
そんな彼の手には、以前持ってくると言ってくれた食べやすいサイズのパンが入った袋が握られていることもしばしば。
初回の一品は、ミルヤミお勧めの品だった。
そのパンについて説明を受けた時の会話は。
「あいつが徹夜で試験勉強する時に食ってるんだって。ラフィクが持ってたやつちょっともらってきた」
「いただいてよろしいんですか?」
「おう。ミミを普及できるのは最高だからいいよ、だと」
「普及?」
「まぁ気にすんな。あいつはミミのこととなると頭のネジがぶっ飛ぶようになってる」
「そ、そうですか」
「それより食おうぜ。ほい」
「ありがとうございます。いただきます」
心の中でラフィクとミルヤミにもお礼を言って、早速、一口で。
「……美味しいです。小さいのに食べ応えがありますね。それにしても、ミルヤミ様は本当にすごいですね。徹夜で勉強なんて」
「な」
俺には無理だ、とはエリゼオの一言。
「これが好きなら、次の候補も思い浮かんでるから。次は俺の好きなやつ持ってくるわ」
「ありがとうございます。いくらしたか教えてくださいね」
「いらない」
「そういうわけには」
「半分は俺の夜食にもなってるし。それを、おすそ分けしてるんだからいーの」
そう言ってから、エリゼオはほとんど毎回、何かしら食べれるものを持って来てくれた。私もその度にお礼を言って、代金を支払わせてほしいと申し出るも、一度も受け取ってもらえたことはなかった。
エリゼオはなんてことないように言ってくれるが、私にとって一口サイズのパンというのは革命的なことだったから、ちゃんとお礼がしたかった。
何が革命的だったのかといえば……こういう昼食でもいいんだと思えたことが、私の中では相当に大きい。
これまでは自分で作ったものや、時間がない時は余っている果物で済ませていたから……既製品に頼る、という案は完全に頭から抜け落ちていた。相当、凝り固まった考えになってしまっているということに、エリゼオといると気づけて、それはとても良い発見だと思うのだ。
自分の力だけで解決しなくても良いという状況は、とても楽になれる。
昔の……九歳の頃に味わった楽さとは違う。何も諦めずに得られたこれは、私の中で前向きな方の大きな変化だ。
それに、このパンを持ってくるまでの間、エリゼオは私のことを考えてくれていたということで…………その時間を思うと、胸がギュッとなる。もちろん嬉しさで、だ。
だから何かお返しにできないかと考えるようになった。
喜んでもらえるのは焼き菓子とかだろうけど……他にも何かないかな、と。
それはエリゼオだけでなく、ラフィクにもだった。
エリゼオとラフィクと話すようになり、二人のこれまでのことを話してもらうことも増えていた。
それこそ、ラフィクの話は、ミルヤミとの出会いから婚約のお願いに結婚の約束に……と歴史書のように語られる二人の物語はとても素敵だなぁと、いつも聞き入ってしまう。
小説のように劇的なことはないけれど、二人はお互いを尊重しあい、未来を見据えて今の行動を選択していて、すごいなとも思っていた。
今日は、差し入れのお手伝いにラフィクもやってきて、私とラフィクが調理、エリゼオは火加減調整という役割で差し入れの準備をした。二人もいてくれると作業速度は全然違い、おまけにラフィクは料理が上手だったので、いつもより早く準備が終わった。
そこで三人で机に向かって、エリゼオが持ってきてくれたパンと余っていた果物を切って、私は昼食、二人は追加の昼食を取ることとなった。
「ミルヤミ様は、お仕事はお忙しいのですか?」
「うん。まだまだ覚えることも多いって。でも後輩も入ってくるから負けてられないし、何より楽しいから頑張れるって」
「素敵ですね。ミルヤミ様のお話はいつも元気をいただけます」
「最近の手紙だと、ミミはいっつもジェイラちゃんのお菓子を食べられて羨ましい、私も会いたいってことを書いてくるんだよ」
「光栄です。私もお会いしたいです」
「ね〜。なかなか遠くて休みも続けて取れないから、難しいんだよね〜悲しいなぁ」
ラフィクは本当にがっかりした様子で肩を落とす。それだけで彼がいかにミルヤミを想っているかが伝わってきた。
「なんやかんや、こんなに長期間会わないのは初じゃねぇか?」
パクっと果物を口に入れたエリゼオ。
今日のはちょっと酸っぱいだろうな、と思ったら案の定、少しだけ眉間に皺を寄せる。
「そうなんだよぉ。だからもう……ミミ不足……足りない」
シクシク、と口に出しながら、ラフィクはパンへと手を伸ばす。
「結婚を先延ばしにしたのは僕達で決めたことだけどさぁ〜結婚しておけば良かったとも思っちゃうよね」
「ミミがしねぇだろ」
「そうなんだよ。そんなところも好き」
「はいはい」
ミルヤミは今、文官として働いている。
仕事を一人前にできるようになってから結婚する、結婚後も仕事は続ける、というのがミルヤミの考えだという。
そんなミルヤミのことを、純粋にかっこいいな、と思う。自分にも仕事にも手を抜かないのは、本当にかっこいい。
私もそんなミルヤミのように、誇りを持って仕事をしているか、と言われると……全然だと思うから。
「帰ってもすぐ結婚にはならなさそうだな」
「その分、お金貯めときなよ」
「いや、ご祝儀、期間分は増やさねぇぞ」
「うふふ、楽しみにしてるね」
「やめろ。期待するな」
そんな二人のやりとりを聞きながら。
私が気になったのは。ちょっと。なんとも、な部分で。
しかしこれを尋ねるには、あまりに唐突すぎるから……やっぱり後でにするか、後日にするかしようと思っていたのだけど。
こんな時に限って、都合よく二人の話は一段落してしまった。
ここは新たな話題を、という場面だ。
そこに、今の私の疑問が正しい話題かと言われると怪しいところではあるのだが。悶々としているより、言葉に出してしまおうと思えたのは、この二人だから、で。
……よし、いけ。
と、自分を鼓舞してから。
すみません、とひと声かける。
「……あの、エリゼオ様には……幼い頃など、婚約者の方はいらっしゃらなかったのですか?」
唐突で、今更なことだけど。
聞いたことのなかったところに踏み込んだ私に、二人は嫌な顔をせず……というより、ちょっと顔を見合わせて、あれ、と口にしてから。
「言ってなかったっけ?」
「……はい。今はいらっしゃらないとは、お聞きしておりましたが」
そうだったか、とエリゼオ。
「俺はこれまで婚約者はいたことねぇな」
「こんな剣ばっか振ってる男と婚約させるなんてかわいそう、っていうのがお母様のご判断だよ」
「正しい判断してくれたよな」
「ずいぶんと嘆いてはいたけどね。エリゼオが気にしなさすぎただけで」
そうだっけ、と言って笑うエリゼオに心が落ち着く。
なんだかなんかもう、だけど。
「すみません、変なことを訊いてしまって」
「いーのいーの。ほっといたら、惚気話しかしなくなるんだし」
「ミミのことならいくらでも語れるからね」
自慢気にそう言ったラフィクに、エリゼオはやれやれといった仕草をした。でもラフィクはまったく意に介してなくて、そういう、いつもの二人、の中に私も入れてもらえていることが嬉しかった。
「ジェイラちゃんは、ミミの話を熱心に聞いてくれるから、話してて楽しいんだよ」
「ラフィク様は、本当にミルヤミ様に一途でいらっしゃいますよね」
「そうだねぇ。僕は何より、ミミを尊敬してるから」
「尊敬?」
うん、とラフィクは大きく頷く。
「ミミは幼い頃から文官になることを夢見て、毎日図書館に通い詰めて勉強して、夢を叶えたんだ。それに今も、毎日遅くまで勉強してでも、成果を残そうと努力してる。僕はそんなミミをすごいと思う。それにミミはミミで、騎士を目指してこうなった僕を尊敬してる、って言ってくれるんだ」
「……それは素敵ですね」
「ありがとう。人を好きになる基準はそれこそ人それぞれだけど、僕とミミは相手を尊敬できるかってところが大きいから、気が合ったんだと思う」
基準は人それぞれ。
ラフィクとミルヤミは、尊敬。
じゃあ、私は…………?
「あとはそうだなぁ。ミミは何でも言ってくれるから、心配する場面は少ないかも」
「あれ、いつだっけ。十五くらいか? いきなりやってきて、『ラフィクが浮気してるかもって噂が流れてきたんだけど本当はどうなの』って。ラフィク本人に訊いてどうすんだってな」
「他の人に訊いていらない情報を入れられるよりはよっぽどいいよ」
「そんなこともあったんですね」
「あ、ジェイラちゃん、誤解だからね。浮気なんて一切してないよ、僕」
「それはもちろん、ラフィク様がそのようなことをされるとは思えません」
私がそう答えると、パァァと顔を明るくするラフィク。そして、良かったな、とエリゼオが一言。
「そうなんだよ! あの時はね、たまたま助けた女の子に気に入られちゃって……それが爵位が高いお家の子だったから、なかなか大変だったんだよ」
「女の子?」
「お、ジェイラ、いいとこに気づくな。その助けた相手はなんと」
「六歳!」
「六歳? なんとも早熟な……」
「六歳の、しかも高位貴族の子供なんてさすがに無碍に扱えないよねぇ……」
「ぶっ、ふふ……あん時のお前……くくっ、ははは!」
「笑うな」
じとっとした目でエリゼオを睨むラフィクだが、エリゼオは笑い続ける。笑い話になっているということは、ミルヤミもラフィクを疑うことはなかったのだろう。
「ラフィク様とミルヤミ様は、厚い信頼関係が築かれているのですね」
「ふふ、ありがとう、ジェイラちゃん。でも僕はジェイラちゃんとも、友人として信頼関係を築いていきたいよ?」
「あ……私、とも……ですか?」
「もちろん、ミルヤミも含め。ここには一年っていう期間だけど、これから先、ミルヤミとは会ってもらいたいし。絶対に二人は気が合うと思うんだよね。だから、僕はこれからも仲良くしてほしい」
にこりと笑うラフィクが、右手を差し出した。それは握手を待つ手で。
私は迷いなく、その手を握る。
「私も、これからも仲良くしていただきたいです」
「良かった〜。あ、ごめん。そういえば僕、部屋に忘れ物してたんだった。お先に行くね。エリゼオは片付けまでしておいでよ〜」
「はいはい。さっさと行け」
「ごめんね、ジェイラちゃん。また話そうね!」
「はい、また。今日はありがとうございました」
「こちらこそ〜」
あっという間にラフィクはいなくなり……残ったのは私とエリゼオだけとなった。




