第二十二話 信頼できる人
エリゼオと約束をしてから、色々と周りを見て、綺麗なものや素敵な景色はないかと探すようになった。
普段からの心持ちが変わると見える世界が変わる。花一つ、木の葉一枚にしても、やけに鮮やかに見えたり艷やかに見えた。
その中でも特に、仕事終わりに見た夕焼け空がとても綺麗だったので、それをエリゼオに報告しようと決めた。
しかしいざ、自分から話しかけるとなるとすごく緊張した。
考えてみれば、エリゼオやラフィク以外の人に私が声をかけることはそうそうない。その逆は仕事の話でしか声をかけられない。
つまり、自ら声をかけることなんてほとんど経験してきていないのだ。
けれど自分から動かないと、報告はできない。
頑張れ、行け、と心の中で自分を鼓舞しながら、エリゼオがラフィクと二人になったタイミングで声をかけた。
「お疲れ様、です。エリゼオ様、ラフィク様」
「お、ジェイラ、お疲れ」
「お疲れ様、ジェイラちゃん」
二人の笑顔にすぐに緊張は解れた。
ちょっと移動しよっか、とラフィクに提案されて、三人で木陰へと歩く。そしてそこで立ち話となり、私は早速、夕焼け空の話をした。
「どんなんだったの?」
「青とオレンジと、雲の白い色合いがすごく綺麗だったんです。神秘的なかんじがして」
「あーなるほどな。今度、一緒に見れたらいいな」
何気なく言われるその言葉だが、私の胸は温かくなる。だから素直に、自分の気持ちを口にした。
「はい……! 一緒に見たいです」
私がそう言うと、エリゼオが右手の小指を出す。
「この前、ゆびきりするの忘れてたから。この前のと合わせて、夕焼けも一緒に見るっての。約束しよ」
その笑顔はどこか少年のような……はにかんだもので、こんな笑顔もあるんだと思うと、また一つ、素敵な彼を知れた気がして明るい気持ちになった。
私も小指を出して、エリゼオのそれと絡める。
「ゆびきりって子供ん時以来だわ」
「……私は、家族以外の方とは初めてしました」
「え、まじ? 俺が初めて?」
はい、と頷くと、エリゼオは、じゃあしばらく繋いどこ、と言ってくる。それにまた、はい、と返事をしたら、もう一本、小指が追加された。
「ふっふっふ。僕もついてっちゃお」
追加されたのはラフィクの小指だ。それをエリゼオが払い除ける仕草をする。
「お前は来るな」
「なんだと。僕を無碍に扱うなら、お菓子全部食べてやるんだから」
「ふざけんなよ。御駄賃とか言って半分食ったことまだ許してねぇぞ」
「心が狭いなぁ〜」
あはは、と笑ったラフィクに、二人の会話から恐らく桃の焼き菓子のことだろうとは察しがついた。
「ラフィク様も食べられたのですか?」
「勝手にな」
「食べたよ〜。あれ、すっごく美味しかった。ミミも甘いものが好きだから、今度ジェイラちゃんの作ったのを食べさせてあげたい」
「却下だ。あいつすげぇ食うから俺の分まで無くなる」
「そんなところも可愛いよね」
「いつかミルヤミ様にも食べていただきたいですね」
「ジェイラまで……」
はぁ、とため息を吐き出すけれど、エリゼオは指を繋いだまま。私も自分から外そうとは思わなかった。
なんだかくすぐったいような心地になって繋いだ指先を見つめていると、
「ちなみになんだけど」
と、エリゼオが言い出したので指先から目線を上げる。
「さっきの、一緒に見たいって言ってくれたジェイラが可愛かった」
「…………はい?」
「ほんわかしてて、ちょっと笑ってて、可愛かった」
「なんっ」
「また見たいから、よろしくな」
な、と揺らされる小指。
いつの間にかラフィクの指は離れていたけど。エリゼオはまだまだ指を離しそうにはない。
ちょっと、笑ってて。
私は、本当に、笑っていたのだろうか。
いやでもそれより、可愛かった、というのは。
「ジェイラは赤くなりやすいな。色白だからか?」
「それはあるかもね。ミミも色白さんだから、すぐに赤くなって可愛いよ」
「二言目にはミミを出すな」
「『ジェイラちゃんに、私のことをたくさん話しておいて』って手紙に書いてあったから」
二人の会話はあまり耳に入ってこなかった。
繋がれた指も熱いし、もう顔も何もかも熱い。原因は、素直なまでに言われた、可愛い、だ。あんなに真っ直ぐ言われると心臓に悪い。
可愛い、なんて。お嬢様に向けられる以外で聞くことがあるのか。まずはそこから驚きで。
とにかくもう。心臓がとんでもなく騒がしい。
エリゼオは感情表現が豊かだし、褒める言葉もたくさんくれるから、そういうこともさらっと言ってしまえるのかもしれない。ラフィクもミルヤミのことをたくさん可愛いと言っているし。もしかしたら二人にとってはこれが普通なのかも。
いやでも、エリゼオが他の人に可愛いと言っていたら……と一人静かに考えながらも手を離さない私。
気づけば眉間に皺を寄せていたらしく、ジェイラ? とエリゼオから顔を覗き込まれていた。
「どうした? なんか難しいこと考えてる?」
「あ、いえ、何でも」
「いや、何か考えてただろ。言って」
「いえ、何も」
「いや、何か考えてた。何? 俺、なんか気に触ること言った?」
「気に…………」
触ったわけではない。ただ、気になっただけ。
その可愛いの、意図は。
「ジェイラ?」
「……あの、先程の……」
「うん」
「…………可愛い、と、言うのは……」
「うん」
「……………………どんな、意味が……」
「どんな? どんなって……そのまんま。見たまま。笑ってんのが可愛かった」
「みっ……」
「可愛いから、可愛い」
「かわっ」
「もしかして……それも初めてだったりすんのか? 可愛いって言われたの、初めて?」
エリゼオの質問に、コクコクと頷く。
むしろ皆、そんなにたくさん可愛いなんて言われてきているのか、と不思議になる。いや、お嬢様は言われ慣れているだろうけど。
私に優しくしてくれる人なんて、エリゼオとラフィクぐらいなのだから。彼らの言動はどれも初めてなものばかりだ。
特にエリゼオなんて。既に何個目か分からないくらいに、初めてをくれている。
恥ずかしさで上手く話せず、棒立ちで首だけ動かしているような状態で、エリゼオを見る。
するとエリゼオは絡めていた小指を離し、手のひらを広げて私の手を包みこんだ。
「ジェイラは可愛いよ」
目線を合わせるように少し腰を屈めて、エリゼオからまっすぐに見つめられる。
「かっこいい時もあるけどな。かっこいいし、可愛い」
かっこいい。
いや、私に、かっこいいところ、なんて。いやいや、可愛いもないんだけど。
だって。かっこいいって。
むしろ、それは。
「かっ……こ、いい」
「おう」
「かっこいい、のは……エリゼオ様、です」
「へ?」
「あ」
「ちょっと待って、ジェイラさん。そこんとこ詳しく」
一歩引こうとした私だったけれど、それより早くエリゼオが繋いでいた手をがっしりと握ってきた。そして真剣な表情をして詰めてくる。
「あ、いえ、あの」
「聞き逃さねぇぞ、今のは。詳しく頼む」
「え、いや、その、だから」
「どこ? どこがかっこいい? え、俺の顔好きなの?」
ぐいっと寄った顔に、心臓が大きく跳ねるみたいに脈打った。もう勘弁してほしいのに、言わなければより一層近づいてきそうな雰囲気に、絞り出すような声で答えるしかなかった。
「笑った、時、とか。剣を握られて、いる時、とかも……かっこいい……と、思っておりました」
何を言ってるんだ、私は。
湯気でも立っているんではないかと思うくらい顔は真っ赤になっているだろうし、飛び出すんじゃないかというほどに心臓がうるさい。
でも口から出た言葉は取り消せない。
エリゼオがこれを聞いてどう答えるのか、だが……
「分かった」
…………分かった?
「俺、これからジェイラの前でめちゃくちゃ笑うし、剣も振る」
「え」
「あーでも、笑いながら剣振ってたら危ねぇやつだな。どうしよ」
「あの」
「いや、大丈夫だ、ジェイラ。ジェイラが思うかっこいい俺を、最大限に伸ばせるようにするから。見てて」
「見てて」
「かっこいいと思ったらもっと言って。それで頑張れる」
「……はい」
エリゼオは満足したように笑ってその会話は終わったが、よくぞ自分は今ちゃんと立っているな、と思わずにはいられなかった。
きっと私は、とんでもないことを口にした。けれどこれ以上、それを考えたら羞恥心もろもろで倒れてしまいそうなので、考えるのをやめた。
まだ繋がれている手が温かい。それだけ分かっていればいいや、なんて。楽観的に考えて。
「いやぁ〜ミミに素敵な報告ができるよ」
いつの間にかラフィクは離れた場所にいて。
私とエリゼオを二人にしてくれていたことにすら気づかないまま。
エリゼオが楽しそうに笑うから、これでいいかと思った。
ザックガード辺境伯騎士団に、長期護衛の要請が入った。
依頼主は貴族ではなく、国内でも最大規模の商会で、私がいつもお世話になっているマルテの所属する商会だった。
商会は隣国に拠点を構えるべく、隣国向けの商品開発と事業拡大を行ってきたそうだ。それがこの度、無事に隣国でも拠点を構える許可がおり、あちらに人材と商品を送り込むことになった。
今回の要請は、隣国に渡るまでの護衛である。
王家騎士団にも要請は出しており、騎士の人数比としては王家騎士団の方が多いが、特に山道など足場が悪い道中の対応を辺境伯騎士団に委ねたいとのことらしい。
ここら辺の話は、マルテが教えてくれた。
馬車の確保をしているのでもう少し出発は先になりますが、という彼女の話を、私は使用人棟の応接室で聞いていた。
彼女と話をするのは、いつもこの部屋だ。そこで対面に座って話をしたのだが、聞き終えた際に私はマルテも隣国に行くのではないかと不安になった。
「あの……そうなると、マルテ様も隣国に行かれるのですか?」
「私? いえいえ、私は行きませんよ!」
その言葉に、あからさまにホッとしてしまった。そんな私を見て、マルテは微笑んで話を続ける。
「主人がお店をやっているので、異動は考えておりません。隣国に行くのはベテラン数名と、若手が多いんですよ」
「そうなのですね。若手の方が……」
「半分は力仕事要員ですがね」
ははは、と笑うマルテに私はなるほど、と相槌を打ちながら、ずっとマルテは明るく接してくれていたことを、この時になってやっと実感した。
彼女が残ってくれて良かったという思いが強くなり、普段は必要最低限しか話していなかったのに、それ以外のことを口に出してしまっていた。
「マルテ様が残っていただけることは、嬉しいです。いつも助けていただいて、頼ってばかりで申し訳ないのですが……これからもぜひ、相談させていただきたいです」
私がそう言って礼をすると、マルテは一拍おいて、少し前のめりになって返事をくれた。
「ええ、ぜひに! もっともっと頼ってください。それが私の仕事ですから!」
胸を張る彼女に、ありがとうございます、と返す。
隣国の話が出て、マルテがいなかったこれまでの生活を考えると、彼女のありがたみが非常に身に沁みた。彼女がいてくれなければ、私はまともに仕事ができていないと思う。
だからちゃんと、感謝の気持ちを伝えなければと思ったのだ。
「いつも助けていただいて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今まで満足にお礼を言わずにいてすみませんでした。これからもよろしくお願いします」
「滅相もありません。私こそ、いつも真摯に仕事に向き合うジェイラ様に刺激を受けておりました。これからもどうぞ、何でもご相談ください」
二人で頭を下げあって、ありがとうございます、とよろしくお願いします、を何往復かした。
そうして落ち着いたところで、マルテが私へと新たな話題を振ってくる。
「ジェイラ様は、たとえば隣国に仕事で、となるとご自身は喜んで行く方だと思いますか?」
「私は……自信がないので、喜べはしないと思います」
「自信がない? ジェイラ様ならどこに行っても働けるだろうなと思ってしまいますが」
「そんなことは。ここ以外では全然、想像もつきません」
「私からご購入いただいた本だけでも、十分だと思いますよ」
私が買うものはすべて、マルテから買っていると言ってもいい。お嬢様の課題をこなすために色々と買った時期もあり、そう言ってくれているのだろう。
「その場、その場を凌ぐためなので。隣国で働くならば、もっとしっかり勉強しないと」
「ジェイラ様は慎重かつ真面目なのですね」
「そう、でしょうか?」
「はい。慎重も真面目も、働き手としては素晴らしいことだと私は思います。適当な者には仕事は任せられませんから」
それでジェイラ様、と言うと、マルテの雰囲気が少し変わった。
「もしもジェイラ様が自信を持ち、新たな挑戦をしたいとなった際は、ぜひ、私にお声がけください。どんなことでも、お力になります」
「新たな、挑戦?」
「ジェイラ様はまだまだお若いのですから。夢も可能性も無限に出てくることでしょう。その時に、私のことを少し思い出していただきたいのです」
なぜ、マルテがこんなことを言ってくるのかは分からない。こんな話、今までしたこともなかったから、戸惑いは大きい。
しかし拒絶する気は一切起きず、もしも本当にそんな時が来たら、私は迷うことなく彼女を頼るだろうと思った。
「……はい。ありがとうございます。私も……これから色々、考えてみます」
「こちらこそ、お話ができて光栄でした。ぜひとも、これからもよろしくお願いします」
私も、同じように礼をした。
頭の中には、夢と可能性。そして新たな挑戦、という言葉が残る。
私一人では得られない知識をたくさん与えてくれたのはマルテだ。私を見て微笑んでくれるマルテならば……どんなことでも笑わすに、力を貸してくれると思えた。
これまで仕事で必要な技量に関して、マルテは一度だって私を否定しなかった。私が何か資料がほしいと言えば、いつも入門書から集めてくれて、真剣に今を乗り越えるために必要なものはどれかを一緒に探してくれた。
マルテは信用できる人だ。それは間違いない。
だから、相談するならマルテしかいないと思った。
……この言葉を発するのは、少しだけ、緊張した。
いや、緊張というより、とにかく気恥ずかしさが大きかった。しかし意を決して、私は口を開く。
「……マルテ様……あの、欲しいものがありまして」
「はい、もちろん、何でもお申しつけください」
「……取り扱いがあれば、でよろしいのですが」
「ジェイラ様のご希望であれば、取り寄せますよ」
「……れ、恋愛に関する、本……などを、ご紹介、いただきたくて……」
ぽかん。
まさにマルテの目と口は、その表現がぴったり当てはまるように開けられていた。
……その後。気を持ち直したマルテは、意欲的に私の話を聞いてくれたり、質問に答えてくれたりした。
結果、私は王道といわれる恋愛小説を一冊と指南書を一冊、購入することとなった。それにマルテとご主人の結婚に至るまでの経緯まで教えてもらって……
帰る間際、マルテはこれまで見てきた中で一番やりきったという表情をして帰っていった。次に会うのがひたすらに恥ずかしいことになってしまったが、彼女には感謝の気持ちしか湧いてこなかった。
自室に戻ってすぐさま、恋愛指南書を読んだ。
その中で一つ、自分に当てはまるものを見つける度に込み上げてくるむず痒さというか、気恥ずかしさというか……いっそ、これはちょっと違うな、というものの方が正直、気が楽だった。
もう結論付けてしまえば良いのだ。
指南書に恋は落ちるものだと書いてあったのだから。私はもう落ちてしまっていると、認めるだけ。
……しかしながら。
私はまだ、その結論を出せないでいる。
なぜ、まだそれを認められないのかというと……
私はまだ、心のどこかで騎士という存在が恐いのだろう。
あの、桃の焼き菓子をエリゼオに渡した日もそうだった。彼だと分かるまで、私は痛みを思い出し、体が恐怖に苛まれていた。それ以外の時も……ふとした時に過去のことを関連付けて、身を竦めてしまうのだ。
……情けないな、と思う。
私はまだ、過去のことを引きずっている。
それも私が恐いと思う騎士に、エリゼオも当てはめてしまっている部分があるのだ。
「……エリゼオ様は、違うのに」
彼は、特別なのに。間違いなく、エリゼオは私の中で特別な人なのに。
「悔しいな」
ぽつりと呟いてページをめくると、大きな文字で『好意を持った相手と信頼関係を築くには』という見出しで文章が続いており、まさにこれだな、と思った。
エリゼオが騎士だとしても、本当に、心の底からエリゼオを信頼できれば。きっとすぐに。
これは私の問題で。エリゼオに何かを望むのではない。
私の中で、確信を持てたら。
「自己肯定感を高める……?」
気になるところには、メモを残した。
自分を変えられるなら、一つでも少しでもきっかけとなりそうな言葉は逃したくなかった。
変わりたいんだ、私は。
出会ったその日。あなたの笑顔と優しさと温かさに、私は恋に落ちていました、と。
自信を持って言えるように、なりたかった。




