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第二話 父と娘



 私がお嬢様と出会ってからニ年が経過した。

 この頃にはお嬢様のわがままには慣れっこになり、お嬢様の身の回りの支度など、侍女見習いとして仕事も手伝いながら過ごしていた。


 教えてくれる使用人がいる時はさらっと終わるそれも、私だけだとドレスも髪型も訂正させられることが多かった。しかし言うことに従っていればお嬢様の機嫌は良いままで、大人達からも怒られることはないと学んでいたので、私の中では順調に日々を過ごせていると思っていた。



 それは、お嬢様が十歳になる誕生日パーティーまであと一週間と少し、という日の夕方だった。料理長と話をしたいとお嬢様が言ったので、お嬢様と私と父の三人で集まることになった。


「今度、私の誕生日パーティーが開かれるでしょう? 料理長にはお客様が喜んでくださるようなお料理を、とお願いしていたのだけど……」

「承知しております、ルシールお嬢様。お嬢様のお好きな品とお客様へのおもてなしの品を、旦那様と奥様とも相談して決めさせていただきました。もちろん、どれも準備万全でございます」

「良かった! それでね、最近、王都の方で野菜や果物を可愛く飾り切りしたものが流行っていると聞いたの。せっかくだからジェイラに作ってもらいたくて」


 渡された紙に描かれてあったのは、野菜や果物を可愛らしく飾り切りしたものの絵と切り抜きのような紙だった。

 野菜はまだ星やハート、花の形などばかりだから問題なかった。


 しかし果物の方はとても難しそうに見えた。皮に切り込みを入れて絵に見せたり、まるで彫刻かのように見えるものまであった。

 こんな切り方はしたこともない。基本的には自分が食べる分しか作ってきていないので、見栄えなど気にしたことがなかった。それにこれをできるようになるにはかなりの練習が必要そうだが、練習用の果物の手配や、練習で使った果物自体はどうするのかも分からない。


 しかも日中にお嬢様の命令を聞いていては、練習の時間などない。総合的に考えて実現は厳しいのでは、と言おうとした私より先に、口を開いたのは父だった。

 

「素敵なデザインですね。早速、娘に練習させましょう」

「わぁ! ありがとう!」


 パチパチと手を叩いて盛り上がる二人に、私は素朴な疑問を投げかけた。


「……練習用の野菜や果物は、お嬢様が用意してくださるのですか?」


 私が聞くと、お嬢様は不思議そうな顔をして私を見た。けれどその横で鬼のような顔をした父を見た瞬間に、私のその質問は訊いてはならないものだったと察せられた。


「ジェイラ、卑しいことを言うな。お前の練習なのに、お嬢様にご準備いただくなんて恐れ多いぞ」

「あら、私はかまわないわよ。足りなくなったらいつでも言ってちょうだい」

「お嬢様、大変申し訳ございません。よく言って聞かせますので。食材はちゃんとジェイラが準備いたします」

「まぁ、本当に私に言ってくれていいのに。でもそうね、料理長がそう言うなら。よろしくね、料理長、ジェイラ」

「お任せください、お嬢様」


 もちろん、質問してから私は一切口を開いていない。

 父からは何も金銭的な援助も料理に関する助言もなかったので、貯金を崩せということなのだろう。泣く泣く貯金箱を開けて、父にお金を渡して練習分の食材を仕入れてもらうことになった。


 住み込みの使用人達は、お嬢様達が住む本館から屋根付きの通路を渡った別棟に住んでいる。そこを使用人棟と呼んでいた。

 一番大きな厨房は本館にあるが、別棟にも小さな厨房はあって、私はそこで練習することとなった。本館の厨房で料理人達の邪魔はできないので、それには納得していたのだけど……


 日中は侍女見習いとしてやることがあったので、練習できるのは夜から明け方にかけてだけだった。しかも明かりを付けていたら見に来る人がいて、それが父に知られると皆を起こすなと言われたので、手元のランプだけで一人、使用人棟の厨房でひたすらに練習をした。


 貯金はなくなったがどうにか一週間で間に合わせ、お嬢様のご要望通りのものを作れるようになった。でき上がった野菜と果物の見栄えに満足して、ナイフを置いて伸びをした時だった。


「まだやっていたのか」


 背後から父に声をかけられ、ビクッと肩を震わせた。朝食の準備に起きたのだろう。敷地内に住む者の朝食を作るので、量が多く、父も早起きだ。

 私はこの一週間はまともに眠れていないので、少しだけでも眠るために部屋に帰ろうかと思っていた。


 父の視線が私の切った野菜と果物へと向けられていたので、どうにか間に合ったことを告げた。


「デザイン通りには作れたよ」


 父はテーブルに置いてあったデザインの描かれた紙を手にとって、それと私が切ったものを見比べて……はぁ、と残念そうにため息をついた。


「お前なぁ……これじゃあ誰も食べられないじゃないか」


 さすがにこの言葉にはカチンときた。お嬢様のデザイン通りにやったのだから、そんなことまで私が知ることか。


「デザインではこうなってる」

「デザインに沿った形で食べやすくするのがお前の仕事だろう」


 そんなこと、知らない。

 私はこれをできるようになって、としか言われていない。

 食べやすさなんて、料理人が考えれば良いじゃないか。私は侍女だ。こんなことまでする侍女、この邸内には私しかいないじゃないか。そもそも、父だって予めデザインを見ているのだから、その時に忠告してくれていれば良かったのに。なぜ今になって言う。


 頭の中で父に対する不満が次から次へと出てきていた。眠いから余計に、腹が立って仕方がなかった。


 でも口に出してはいけないと我慢していたのに、次に続いた父の言葉で、私の頭の中は一瞬で真っ白になった。


「全く、お前は何をさせてもだめだな。お嬢様のご期待に応えられないだけじゃなく、これではまた、周りにまで迷惑をかけることになるじゃないか」

「…………は?」

「食べづらいものを提供すれば、使用人一同の質を疑われる。それどころか、旦那様方にまでご迷惑がかかる。いつもいつもお嬢様にフォローいただき、俺に頭を下げさせて恥ずかしくはないのか? もういい加減、しっかりと言われたことぐらいはできるようになってくれ」


 恥ずかしくないのか?

 言われたことぐらいは、できるように?


 これまで言われたことをやっては怒られてきた。訴えても聞いてもらえず、頭ごなしに悪者と決めつけられた。

 皆が皆、お嬢様の味方ばかり。

 お嬢様の気まぐれに付き合わされた結果、怒鳴られて、洗濯も掃除も食事も手伝ってはもらえなくなって。


 ここまでの自分の境遇を思い返すと、すーっと体の力が抜けた。


 もうだめだと思った。

 ここにいては、だめになる。


「……お父さん、私もう、おじいちゃんとおばあちゃんのところに帰る」

「はぁ? それは無理だと言っているだろう」

「無理なら一人で暮らす。ここにいたくない」

「お前は……何をへそを曲げて」


 父には伝わらない。

 実の娘よりお嬢様の方が可愛くて、お嬢様の言う事を妄信的に聞く父には、絶対に伝わらない。

 私よりお嬢様を優先させてきた父には、絶対に、分からない!


 だからもう、ここから出ていくしかないんだ……!


「……お世話になりました。出ていきます」


 頭を下げて、歩きだそうとした私の肩を父が掴んだ。


「朝から何を言ってる! 自分が悪いのに、駄々をこねるな!」


 ……ブチッと、私の中で何かが切れた。


「……私がいつ、悪かったの?」

「は?」

「お嬢様に言われたことをやって……お嬢様が怪我しないように努めて……! お嬢様の機嫌を損ねないように気を遣って!」


 こんな大声、初めて出した。


「お嬢様の望むことをしても私が怒られて! お嬢様を否定しても私が怒られる!」


 涙で視界が滲みながらも父を睨みつける。


「誰も私の心配なんかしてくれない! 私ばっかり痛かったり恐かったり辛かったりしたのに! 私ばっかり大人は怒る! 全部お嬢様がそうしなさいって言ったのに! 全部お嬢様のせいなのに! お嬢様はかばってすらくれない! 元はといえば、全部全部、お嬢様が悪──」

「口が過ぎるぞ!」


 パシンッという音と。遅れて、左頬にジンとした痛みがやってきた。


 父が私を叩いたと分かった。私が頬に手をやると、父は気まずそうにしながら、私を叩いた手を引っ込めた。



 叩かれた。

 事実を言ったのに。私の気持ちを言ったのに。

 実の父親に、話の半ばで、叩かれたのだ。



「……おい、ジェイラ?」


 黙りこくった私に、恐る恐るといったふうに父は声をかけてきた。こんなことにならないと、そんな気遣う声で話しかけてはもらえないのか。そう思うと、父が、親ではなくなった。

 また片手が私へと伸びそうになったのと、私がテーブルに置いてあった飾り切りした果物を手に取ったのは同時だった。


「お前なんか、大っ嫌いだ! お前なんか父親じゃない! 一生顔も見たくない!」


 手に持った果物を父の顔面目掛けて投げつけた。唸った父に、また次の果物を手にとって投げ、手にとって投げ……その頃には厨房の入り口付近から小さく悲鳴が上がっていたから、使用人達がやってきていたのだろう。私は一切気づかなかったけれど。


「この果物も野菜も全部私のお金だ! お嬢様に言われたことをやってきたら、洗濯もしてもらえなくなって、ご飯も出してもらえなくなって! それでも我慢して、おじいちゃんとおばあちゃんに何か買おうと貯めてきた私のお金だったのに! お前のせいで全部無くなった! 私からお金も時間も奪うお前なんか、私のことを何も考えてないお前なんか、父親じゃない! 大っ嫌い大っ嫌い大っ嫌い! お前だけじゃない! ここにいる大人は皆、私の敵だ! 大っ嫌い!」


 とにかく叫んで、投げつけるものが無くなったから私は入り口に向かって走った。

 使用人達が何人かいたが、皆が私の勢いに押されたのか身を引いた。そこにできた隙間に体を滑り込ませて、とにかく走った。


 走って走って。外を目指した。


 辺境伯邸は広い。侵入者が簡単にたどり着けないように迷路みたいに複雑な道もあるが、お嬢様の気紛れに付き合ううちに、全部覚えていた。

 巡回中の騎士に見つからないようにしながらとにかく走った。


 もうここにいたくない。いられない。ここに私の居場所はない。

 もういやだ。逃げたい。離れたい。おじいちゃんおばあちゃんに会いたい。

 いやだ。いやだ。いやだ!


 私は、泣きながら走った。


 おじいちゃん、おばあちゃん! 二人に迷惑かけないから、二人のところに帰して、と願いながら。

 細道をくぐって、途中コケて怪我してもすぐに立ち上がって。

 走って走って。やっと門にたどり着いたところで門番に止められた。泣きながら走ってきて、しかも汚れた恰好をした私を見て困惑しながらも、外出届が出ていないと言われて止められた。


「お願いします! 後で出しますから! ここから出してください!」

「いや……けれど、例外は認められないから」

「お願い! 出して! お願いします! おじいちゃんとおばあちゃんの家に帰りたい!」

「分かった、分かったから。一旦落ち着きなさい!」

「いやだ! お願い!」


 私はすがる思いで何度も喚くようにお願いしていたのだが……



「……そこまでにしよう、ジェイラ」



 ヒッと息をのんでゆっくりと振り向けば、ハンカチを取るために木に登って降りられなくなった私を助けてくれた騎士が、困った表情をしてそこにいた。



 ああ、終わったんだ、と悟った。

 私は、逃げられなかった。



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