第十六話 お茶会
誕生日パーティーを延期せざるを得なくなってからしばらく経った日の朝のこと。
今日のお嬢様の予定は、領地教育だけだった。
お嬢様の誕生日には貴族教育は完了し、今は領地経営について深く学ばれている。それをここでは領地教育と呼んでいて、指導者は教育係だったり奥様だったりして、日によって替わる。
今日はお昼過ぎから旦那様と奥様が出掛けられる予定が入っているため、教育係の指導だな、と日程を確認しつつ準備を進めていた時だった。
「ジェイラ、今日のお昼にエリゼオとお茶会をするわ」
「……はい?」
「お父様とお母様がいなくなってから準備をして」
またあまりに唐突な申し出に、私は瞬きを繰り返した。
「天気も良さそうだしね。エリゼオの予定を空けさせて」
「お嬢様、お言葉ですが、エリゼオ様はお昼は騎士の鍛錬があると思いますが……」
「そんなことより、私とのお茶会の方が大事よ」
そんなことより?
また私は返答に困る。その間にも、お嬢様が今日の計画を話し始めた。
お昼過ぎ、旦那様と奥様がお出掛けになった時間に、エリゼオと二人きりでのお茶会をするという。
それにお茶会の場となる中庭のテーブルで待ち合わせるのではなく、騎士団の鍛錬場まで足を運び、そこからエリゼオにエスコートされ、お茶会テーブルへと向かう算段だそうだ。
エスコートをしたことのないエリゼオに、自身が作法を教えていくつもりらしい。
お茶会ぐらいの規模ならば準備も根回しも私一人でもどうにかなるだろう、というのがお嬢様の見立てだった。
「ですが、当日、というのは……旦那様にも、騎士団の方にもご報告と調整が……」
「ああ、お父様には言わなくていいわ。副団長に話をつけて、エリゼオだけ抜けさせて」
それを……私が指示できると?
「いいわね、ジェイラ。今日は領地教育もお昼過ぎには終わるから、それに合わせて準備して。よろしくね」
「……承知いたしました」
ここで断れないことも分かっているし、私が何かを言ったところで何も変わりはしないけれど。反論すらできず、断れもしない自分が嫌で、気づけば強く拳を握っていた。
けれどふと……ここで自分自身に違和感を覚えた。
これまでお嬢様に言われたことはすんなりと聞いていたのに、なぜ私はこうも断れないことが嫌になっているのだろう、と。
お嬢様の言うことは絶対だ。断る、という選択肢なんてあるはずないのに。
自分自身に戸惑っている間に、お嬢様はもう話を終わらせようとしていた。
「誕生日パーティーを二回もだめにしたんだもの。今回こそは絶対にエリゼオとのお茶会をするわよ」
「…………承知、いたしました」
考えるんじゃない。
お嬢様の言う通りに。お嬢様の望む通りにする。
それが私の存在意義なのだから。考えては、いけない。
自分の考えなんてものを、持っては、いけない。
お嬢様が領地教育を受けている間に、旦那様や奥様に見つからないように根回しをした。
場所の手配に、テーブルセットにお茶会で出すお菓子等……人の目を気にして動くのは、想像以上に気疲れをすることを知った。
やっと一段落ついたのは、お昼を過ぎた頃だ。お嬢様の領地教育も終わって、旦那様と奥様も出発された。
そうするとお嬢様は意気揚々とドレスを着替えると言い出したので、お嬢様がお気に入りの薄桃色のドレスをクローゼットから出す。
「騎士団に話はついたのね?」
「はい」
着替えを終えて、髪のセットを整えながら話をする。髪型は全体的に丸みを帯びて見えるようにした。ふんわりと笑うお嬢様にはとてもお似合いだと思うが、何度かダメ出しをされて修正して、ようやくお嬢様の満足いくセットができた。
そこからお嬢様について部屋を出て、鍛錬場へと向かう。一歩一歩、踏み出す足が信じられないぐらいに重い。まるで鍛錬場に行きたくないかのように感じられて、何度か首を振ってその考えを振り払った。
鍛錬場へと着けば、騎士団も休憩に入ったところだった。
……その時間を見越して来たのだけど。
お嬢様がエリゼオを呼ぶと、彼はラフィクへと剣を預け、こちらへと歩み寄ってきた。
来ないで、と言いかけて口を噤んだ。
「お疲れ様、エリゼオ。今日もとてもかっこいいわ」
「ありがとうございます。今日はどうされましたか?」
エリゼオはお嬢様と私の周辺をキョロキョロと見回して、口を閉じた。私達がこの時間に来るのは差し入れの時ぐらいなので、もしかしたら差し入れを探したのかもしれない。
辺りを伺うエリゼオと目が合った時、私は咄嗟に俯いてしまった。今は、エリゼオを真っ直ぐ見られそうになかった。
下を向いている私に構うことなく、お嬢様がエリゼオへと話しかける。
「今日はね、エリゼオをお茶会に招待したいの。ちょうど休憩中でしょう? 少しだけ時間を取れないかしら?」
「お茶会?」
聞き返したエリゼオの声は、いつもと変わらない。
「いや、でも俺はまだ、鍛錬の残りが──」
「どうした、エリゼオ」
彼に声をかけたのは、副団長だ。あらかじめ話を通しているから、わざわざエリゼオの背中を押しに来たのだろう。その後ろには何人かの先輩騎士達もいて、数人でエリゼオを囲むような形となった。
副団長には、お茶会のことはお嬢様の強いご要望です、と伝えてある。それとお嬢様からの伝言で、旦那様にはお伝えしないでほしい、ということも……
それを聞いて副団長は困惑しながらも、今日は特別に対応するが、今後は旦那様を通してほしい、と話があった。これが旦那様に知られたら、副団長も何か罰せられるかもしれない。
しかし……それでもお嬢様の意思が通ってしまった。
きっとこの人も、お嬢様には逆らえない人なのだ。いや……それが、この土地では常識だから仕方がない。
そう思うのに、私は気づかないうちに下唇を噛み締めて、副団長とお嬢様とエリゼオのやりとりを聞いていた。
「あら、副団長、ご機嫌よう」
「ルシールお嬢様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。お嬢様こそ、ご機嫌麗しく。本日も大変お美しい」
「ふふ。副団長も汗を流す姿が素敵よ」
「恐れ多いお言葉でございます。ところで本日はどうなさいましたか?」
白々しい、と思ってしまった。
それとともに……エリゼオが、囲まれていく、とも思った。
「実はね、エリゼオを私のお茶会に招待したくて来たの。ちょうど休憩のようだし、今からいかがかしら、と思って」
「それは何と。一介の騎士にとっては大変光栄なお誘いですね」
「羨ましいな、エリゼオ! ルシールお嬢様からお誘いされるなんて、これ以上のことはないぞ!」
副団長の後に続いたのは、先輩騎士だろう。その後にも代わる代わるエリゼオを羨む声が続く。
「いやでも、俺だけっていうのは……」
「それだけお前が特別ってことだろ! 胸を張れよ!」
「もう……恥ずかしいわ。あまり大きな声で言わないで」
「失礼しました。けれど、お嬢様がここまでおっしゃっられるのは初めてのことですから。我々も心より祝福を」
「気が早いわ。まだお茶会にお誘いしただけよ」
エリゼオの退路も未来も、塞がれていく。
そう、思わずにはいられない。
このままエリゼオがお嬢様の婚約者となることを周囲は望むのだ。
彼の夢など無視をして。聞きもしないで。
彼がずっと夢見てきた、今でも目標としている騎士の姿はこんなものではないはずなのに。
……苦しい。気持ちが悪い。
私は体の前で手を組んでいたが、感覚がなくなるくらい両手を握り締めて、今の気持ちをどうにか消化させようとしていた。
けれど当然、少しも消化なんてできなかった。
そうしている間に、話は少し落ち着いたようだった。
エリゼオが何も言わなくなったから、なのかもしれないけれど。周囲ももう、お嬢様とエリゼオはお茶会に行くという雰囲気になっていた。
いつまでも……現実から逃げるために視線を下げているわけにもいかなかった。
意を決して私が顔を上げると、エリゼオは怪訝そうに眉を寄せて、先輩騎士を見ていた。先輩騎士はお嬢様を見つめるのに夢中で、エリゼオには気づいていない。
そして、エリゼオはお嬢様や先輩騎士を見るのをやめて、顔を横に向けた。その先には、彼らをじっと見つめるラフィクがいる。
ラフィクは腕を組んで立ち、笑うことなく首を横に振った。
それが何かの合図だったかのように、また正面を向き直ったエリゼオは覇気を失ってしまったような……そんな眼差しになっていた。
あの目は、あの、遠征前に見たものと同じだ。
諦めたのだ、エリゼオは。
自分ではどうにもできない状況に、諦めるしかなかったのだ。
そう思った途端、私は自身が震えているのを認識した。
この震えの出処は……昔の、九歳の自分と、エリゼオが重なったからだ。
諦めるしかなかった。どうにもならなかった。逃げられなかった。昔の私と同じ立場に、エリゼオをおいてしまった。私が、お嬢様に、従ったから。
私のせいだ。私が、彼をあんな顔にしてしまった。
これまで、エリゼオは私に優しくしてくれて、心配してくれたのに。自身を悪く言っても良いとまで、言ってくれたのに。
私は、彼の足を引っ張ることしかしていない。
お嬢様と副団長が朗らかに話を進めている間に、エリゼオと目が合った。そこにはいつもの、強気な視線はなかった。眩しい笑顔もあるはずがなかった。
ふいに逸らされた視線に……自分の震えが大きくなったことを感じた。
蘇るのは、九歳の、私。
誰も助けてくれなかった。
手を差し伸べてはくれなかった。
だから、諦めてきた。味方なんていない。優しくしてくれる人なんていない。一人でできるようにならなきゃ、苦しくなるだけだった。
それでも……そんな私にとって、エリゼオは光だった。彼の笑顔に、言葉に、温かさに私は嬉しさや喜びをもらった。
あんなにも心が温かくなることなんて、ここに来てからなかった。それをもう何度も……エリゼオは、私に与えてくれた。彼の隣は心地好かった。
だからエリゼオには、エリゼオらしくあってほしかった。
表情豊かで。意思が強くて。優しくて。夢があって。
けれどそれらを、今、私が奪っているんだ……!
そんなの……そんなの、絶対にだめ!
こんなことを続けていたら。
私は本気で、私を嫌いになる。
「エリゼオ、こんな光栄な機会に何を渋っているんだ」
「ああ……いえ、そうですね」
覇気のなくなった返事に、強く拳を握った。
……私には、これ以上、失うものなどない。
何にもないなら……開き直ればいいんだ。そうしたら、拓けた未来があったじゃないか。
恐がるな。
諦めるな。
私を、願いを、未来を。
「討伐の後でもあるんだ」
副団長が次の言葉を言い終わるより早く。
「せっかくの機会なのだから、お嬢様とゆっくり話をし──」
私は大きく息を吸い込み、思いきり叫んだ。
「お待ちください!」
私の叫びに、会話が止まる。
「……どうしたの、ジェイラ。そんなに大きな声を出して」
皆が、私を見ている。
お嬢様は驚きながらも少しずつ怒りを溜めているかのような様子で。
副団長は、よく分からない、といった表情で。先輩騎士達は睨むような目つきで。
エリゼオは……驚きながらも、真っ直ぐな眼差しで。
頭の中でバシンッと音がした。この後に待っている痛みを予期してのことだろうか。過去の痛みだろうか。
背中に流れた汗は冷たかった。でも、痛くなんてない。これまでの痛みなど、何ともない。
この、心が折れるような痛みの方が、ずっとずっと残り続けるから。後悔として、自分を蝕み続けるから。
今を、どうにかしなければ。
彼を縛るものを、なくさなければ。
私と同じ目に遭わせるなんて、絶対にしちゃいけない!
彼から夢を奪うなんて、許せない!
「申し訳、ございません。準備した紅茶ですが、数日前に破棄するよう言われていたのを、今、思い出しました」
「何ですって?」
「大変申し訳ございません! 後日、破棄しようとそのままにしていて……予備のものは、倉庫まで行かなくてはならないので、準備を終えるまでに時間がかかりすぎてしまいます」
声は震えながらもはっきりと声に出し、勢い良く頭を下げた。
しばし沈黙が流れ……お嬢様が深くため息を吐き出した。
「……せっかく、エリゼオに喜んでもらおうと思ったのに。これでは、お茶会は無理ね」
「申し訳ございません」
まったく、と一言呟いて、お嬢様が私に頭を上げるように言った。そして、私を見ることなくエリゼオへと向き直ったお嬢様は、悲しそうに眉を下げて彼に謝る。
「ごめんなさい。ジェイラの不手際があったみたい。今度はエリゼオの好きなものを準備するから。またお誘いするわ」
「……ありがとうございます。その時はぜひ、俺だけでなく他の騎士も呼んでください。というより、俺はいつもの差し入れで十二分に満足しておりますから。あれ以上のものはないと思っていますので」
はっきりと言ったエリゼオに、焦ったのは副団長や周りの騎士達だ。
「お、おい、エリゼオ!」
「お前……っ! 折角のお嬢様のお誘いを!」
「でも、差し入れもルシールお嬢様が作ってくださってるんですよね? それならわざわざ仕事を増やすよりも、いつものようにご準備いただいた方が、お嬢様のお時間を無駄にしませんし」
しれっとした態度のエリゼオに、周りは納得いかないような顔だが黙るしかない。エリゼオは先程までの諦めた様子は微塵もなく、いつもの意志の強い彼に戻っているように感じた。
「……そんなに、あの差し入れを気に入ってくれているの?」
「はい。討伐に行った先でも、差し入れが欲しいな、とラフィクと話したくらいです」
エリゼオがラフィクへと顔を向けると、ラフィクは大きく頷いていた。そして私を見て、ラフィクはにっこりと笑う。
その後も、エリゼオの話は続いた。
「毎回種類も味も変わってるのに最高に美味しいなんて、楽しみにしないはずがないですよね」
「そう……そんなに美味しいと言ってもらえると、私も作りがいがあるわ」
「いつもいつも、美味しい差し入れをありがとうございます。それと本日はお誘いいただきありがとうございました。ジェイラさんもお忙しい中でのことですから。どうか彼女を責めないでください。それでは、休憩もあけますので、俺はこれで」
お辞儀をしてエリゼオは去っていく。振り向く間際、穏やかな眼差しが私に向けられた気がした。それだけで、随分と心が軽くなる。
エリゼオの堂々とした背中が眩しい。
ふいに目に涙が溜まったが、急いで引っ込めてお嬢様を見た。
お嬢様は口元は笑ってはいたが、目は一切笑っていなかった。けれど私はその恐さよりも、自分で行動を起こせたことへの興奮の方が大きかった。
エリゼオは、こんなところに染まっていい人ではない。エリゼオもラフィクも笑わないようなことを強いるのは、間違えている。
この後に、自分がどうなろうと大丈夫だと思えた。
私にだって、何かができる。恐いも痛いも、全部全部、大丈夫。そのぐらい、大きな成果をあげたような、少しだけ強くなれたような心境だった。
鍛錬場を去る間際、お辞儀をして頭を上げると、エリゼオが私を見ていた。確実に目が合った状態で、彼の口がパクパクと動き、小さく頭を下げられる。隣にいたラフィクも微笑んで、同じように頭を下げた。
ありがとう、と言われた気がした。
やっぱり、目に涙が浮かんだ。
お嬢様の部屋へと帰ると、お嬢様はすぐに謝りなさいと言った。土下座よ、と言われて、素直に従った。
たくさんの怒りの言葉があったが、どれも耳には残らなかった。
こんなの全然平気だ。お嬢様からの命令に逆らっても、これでいいと思えた。
こんな自分が……少しだけ、好きになれそうだった。




